Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

スポーツ観戦の「苦手分野」

2009-05-15 22:32:21 | 他スポーツ
今日、NHKで街道てくてく旅を見ていたら、旅人が元シンクロナイズドスイミングのメダリストの原田早穂さんでした。すっと背筋がぴんとした歩き方に、元アスリートらしい引き締まった体は、さすが五輪の厳しい舞台を経験している選手だなと感心します。ただ、このシンクロナイズドスイミング、スポーツで偉そうに分析記事を書いている私の「苦手部門」なのです。

基本的に、美を採点するスポーツは、どうすれば美しいか言葉にできないので、なかなか良さを人に伝えることができません。特にシンクロの場合、チームやデュエットの動きはメダル争いをするためには合っていて当然と言われるものですから、それにどんな美しさをプラスしているかを表現するのは苦手です。

そういう意味では、あれほどメダル有望種目と注目を集めている、フィギュアスケートも私の苦手部門です。映像を見れば何回転回っているか、慣れている方ならわかるのでしょうが、私は何度見ても回転数を理解できません。たぶん、技の名前を覚えて、前向きに跳んだらアクセルとか、後ろ向きに跳んだらルッツとかわかれば多少は楽しめるのでしょうが、それを実際の映像で確認するまでには至っていません。

球技では、点があまり入らないサッカー慣れしている私は、点数が大量に入るバスケットボールやハンドボールはどこがポイントか分かりにくいので苦手です。多分、全体を通して見れば、大体の傾向はつかめるのでしょうが、まだこれらのスポーツを文章にしたことはありません。

スポーツは好きでも、全てのスポーツを追える人はおそらくいないと私は思っていますが、これらのスポーツが得意な人は、逆に「サッカー?何それ?」と思っているかもしれません。無理に全部追おうとしてしまうと、肉体が耐えられなくなってバランスを崩しますから、自分の守備範囲に絞ってこれからもスポーツを追いたいと思います。
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野球の育成型監督(東尾修)

2009-05-15 18:48:16 | 他スポーツ
育成型監督として、野球で名前が浮かぶのは、1995年から西武ライオンズの指揮を執っていた東尾修監督です。東尾監督は、森監督の辞任でドタバタ劇の末就任したといういきさつがあったので、正直あまり期待していませんでした。

しかし、東尾監督は6年間の監督歴で、2回のパリーグ優勝を果たしています。日本一が一度もなかったので、用兵という意味では勝負弱さもありましたが、森監督時代の主力選手が中心を占めていた西武を、速やかに世代交代させた実績は評価しています。

東尾監督が育てた選手と聞いて、一番最初に名前が浮かぶ選手は松井稼頭央です。当時はショートのポジションには田辺という、最盛期には1億円をもらっていた選手がいました。しかし、東尾監督は松井稼頭央の将来性を評価して、1996年のリーグ後半戦に松井稼頭央を9番ショートでスタメン出場させました。

しかし、そのときの結果は打率2割5分、本塁打1本と主力選手に据えるには物足りない成績でした。しかし、この成績を分析した東尾監督は、左投手は打っているのに、右投手には1割台という事実に気付きます。

それなら、松井稼頭央の俊足を生かしてスイッチヒッターに転向させれば、足で1割台よりは良い成績を残してくれるだろうと判断しました。これが、メジャーリーガー松井稼頭央の原点になりました。松井稼頭央自身も、試合後に毎日筋力トレーニングを行い、左打席でのスイングを速くする努力をしました。

投手では、西口、豊田、石井貴らを一本立ちさせました。西口は森監督時代は消化試合で1試合投げただけでしたが、東尾監督がそのスライダーの切れを評価して、先発ローテーションに据えると、毎年安定して二桁勝てる投手として、多くの投手に尊敬される存在になりました。

また、森慎二から豊田への必勝リレーも、オリジナルは東尾監督です。投手は先発完投という考えだった豊田の説得は難航したようですが、先発では3番手以下の普通の投手だった豊田をリーグ屈指の抑え投手にしたのも東尾監督です。

今の西武には東尾監督が育てた選手は西口くらいしか残っていませんが、西武がなかなかBクラスに落ちないチームであり続けたのは東尾監督の速やかな世代交代が理由と、今でも思っています。
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