Kobby loves 埼玉&レッズ

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日本の世界戦略(5/31日本対ベルギー)

2009-05-31 22:22:31 | ワールドサッカー
日本代表がベルギーと対戦するのは2002年のW杯本大会以来です。当時のベルギー代表は強く、ビルモッツというベテランのFWがいて、そのオーバーヘッドで先制点を取られました。結果は鈴木隆行の「爪先ゴール」で同点に追いつき、最終的には2-2で引き分けますがベルギー強しというイメージは今でもあります。

しかし、今回のベルギー代表は、欧州予選で不振だったため、監督が交代した最初の国際Aマッチがこのキリンカップでした。そのせいもあってか、ベルギーにはあまりチームとしてこう攻めたいという形は見られませんでした。

しかし、それだけが日本が4-0という勝利を収めた理由ではありません。日本の攻撃には、いくつかの工夫が見られました。まず、ベルギーがあまりサイドを厳しく詰めなかった理由もありますが、サイドを崩した後の味方の走り方が面白かったです。

サッカーというスポーツはオフサイドがありますから、単に前に速く走ればいいというものではありませんが、わざと走るタイミングを遅らせてペナルティエリアの角付近でマイナスのクロスを受けるのは面白い攻めでした。

結果的には点にならなくても、そこから決定的なシュートを放った事実は、おそらくこの試合の映像を見ているであろう、ウズベキスタンに恐れの気持ちをもたらすでしょう。また、長友の先制点の形も、日本の工夫の一つでした。

バーレーン戦の時点では、SBの攻撃参加はペナルティエリアの外が多く、なかなかクロスを上げてもチャンスになりませんでした。しかし、このときに長友がボールを受けた位置はペナルティエリアの中でした。

そのため、シュート自体は角度のない、難しいシュートでしたが、近い距離でボールを受けることがチャンスにつながるという、当たり前ではありますが大事なことを試合の中で実行してくれたことは大いに評価しています。

また、3点目と4点目も、日本が世界とどう戦うべきかという解を示すものだったと思います。高さ勝負ができるFWは日本代表にはいませんから、動きの速さで相手の足元で勝負することで可能性を広げるものです。

岡崎はそんな可能性を持っている若き才能なので、これから順調に伸びて欲しいと思います。
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日本ダービーの思い出

2009-05-31 17:13:21 | 他スポーツ
本来ならばベルギー戦のプレビュー記事の予定でしたが、もうキックオフまで3時間しかないので、時間切れで他のネタにします。某所で流れていたテレビの映像が競馬の日本ダービーだったので、一時期競馬を見ていた頃の記憶をたどります。

当時、私が競馬に興味を持った理由は、スポーツ紙を読んでいたからです。大学までの道のりは、野球や相撲のネタだけで過ごすには長く、余った時間に競馬欄に目を通していました。そのため、馬券を買ったのは数回しかありません。

あの時代のアイドルホースといえば、オグリキャップは引退して、ナリタブライアンの時代が来る目前の頃です。ナリタブライアンが有馬記念を勝ったときのアナウンサーの実況で、「もう日本には敵はいない」と絶叫していたことを思い出します。

ただ、その間の時代にも面白い馬はいました。特に記憶に残っているのは、皐月賞とダービーを連勝した、ミホノブルボンという馬です。栗毛の美しい馬体も印象的でしたが、面白いのはその勝ち方でした。

ミホノブルボンは、スターホースには珍しい逃げ馬です。普通、逃げ馬が勝つときは後方の実力馬が牽制し合ってペースが上がらず、気がつくと挽回不能な差がついているというパターンが多く、有馬記念を勝ったメジロパーマーのケースはこれでした。

つまり、勝つためには展開に恵まれる必要があるわけで、一気に他の馬を差し切る差し馬の力強さと比べるとイメージ的に損をしています。しかし、ミホノブルボンがすごいのは、展開に関係なく勝てることです。

普通の逃げ馬は、ゴール前の切れが劣るケースが多いのですが、ミホノブルボンの場合、逃げるのは自分が気持ちよく走るためで、たとえ4コーナーで追いつかれても、そこから差し馬と同じような切れでゴール前を加速できました。

こんな馬は見たことがないと、競馬中継を見て驚きを感じたことが記憶にあります。ただ、その後のミホノブルボンは不運でした。菊花賞もダントツの本命で、3冠達成は間違いないと見られていましたが、いつもの逃げる展開に持ち込めず、ゴール前の加速がわずかに劣り2着に終わります。

しかし、そのまま無難に走っていれば有馬記念、天皇賞を勝てる馬になったと思いますが、ミホノブルボンは菊花賞の後に故障で引退して、短い競走人生を閉じます。2冠も取っていながら、今この馬を覚えている方は少ないでしょう。ちょっと残念です。
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