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サテライトのエース(千島徹)

2009-11-18 18:53:29 | 浦和レッズ
今日は代表の香港戦ですが、翌日が仕事の日のナイトゲームの即日更新は勘弁していただきます。穴埋めネタですが、先日、J2愛媛に所属していた、元浦和の千島徹選手が引退を表明しました。ここのところ怪我がちだったので、トライアウトに出られる状態でもなかったのでしょう。

千島は浦和ユースの出身で、トップチームには2000年に加入しています。当時、浦和ユースは積極的にプロを育成する方針ではなかったので、この年代からプロが出たのは奇跡と言われています。ただ、加入のタイミングは千島にとってはいいタイミングではありませんでした。

それは、本来ならばサテライトリーグに参戦するつもりで多めに選手を獲得したのですが、当時はJ1が土曜、J2が日曜に試合が行われる日程になっていました。サテライトリーグに当時J2の浦和が参戦すると、どうしても平日に試合をやるなど日程に悪影響が出るため、結局サテライトには参加しないことになってしまいました。

当時新人だった千島にとっては、大学生相手の練習試合しかアピールの場がないというのは苦しかったでしょう。一年目はトップに絡むことはありませんでした。しかし、翌年は浦和がJ1に昇格したので、サテライトリーグも復活しました。

このサテライトで結果を出して戦力と認められてきたのが千島です。だいぶ記憶は薄くなってきましたが、スピード型で、相手GKの頭上を抜くループシュートも得意にしていました。そんな千島の最大のチャンスは2003年のリーグ終盤戦のエメルソンの出場停止でした。

勝てば優勝の望みも出るアウェイの清水戦、退場者を出した相手を一気に畳み掛けようと、ベンチスタートだった千島に出番が回ってきました。しかし、この試合は9人の相手に敗れるという衝撃的な敗北で、千島も結果を出せませんでした。

それ以降、千島がトップチームに定着することはなかったと記憶しています。こういうサテライトから頭角を現すタイプは、なかなか継続的にチャンスをもらえることは少ないです。千島も、たった一回で結果を出せというのは厳しかったでしょう。

それがプロの厳しさと言えばそうなのですが、もしあの清水戦で勝ち越しゴールでも決めていたら、今ごろ伝説に残っていたかもしれません。
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