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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

トレーニングの難しさ

2013-10-07 21:45:20 | 他スポーツ
昨年の今頃は、私はある病気で一時体重が54kgと危険水域まで減少していました。この病気にかかると筋肉量が大きく減少するという話で、お尻の筋肉が極限まで落ちていて、実際お風呂に入ったときに仙骨が直接湯船にぶつかって痛いという、信じられないような経験をしています。

しかし、その病気の特効薬を点滴注射することで炎症が抑えられ、1年ちょっと経った今では体重も68kgと学生時代のベスト体重に近い水準です。それが可能になったのは会社の昼休みのトレーニングだったと思います。レッグカール、バタフライという二つのトレーニングマシンで少しずつ重量を増やして行き、半年のトレーニングで最初の重量の2倍以上を持ち上げられるようになりました。

オリエンテーリングの現役時代に近い筋肉がつき、走ってみるとランニングフォームが安定してぶれなくなってくるなど、かなりの効果は出てきました。しかし、それでもなかなか走る方の復活はまだまだで、1kmを立ち止まらないで走りきるなどという、現役時代なら楽勝だったトレーニングが未だに達成できません。

それは、たぶんオリエンテーリングがものすごいスポーツだったのが理由だろうと、現役時代を振り返ると思います。オリエンテーリングの走行距離は、普通のAクラスで6km~8km前後と、ハーフマラソンより楽なように見えますが、当時を振り返ればハーフマラソンではシャツがぐっしょりになることはなかったように思えます。

しかし、オリエンテーリングではTシャツがぐっしょり濡れることはいつものことです。オリエンテーリングでは獣も走らないような上り坂を、1秒でもタイムを縮めようと、必死で走っていたことを振り返ります。しかも、足元は木の根っこがあったり、赤土で滑りやすかったりと悪条件です。そんなところを走るのが当然という環境なら、必然的に心肺機能は常人からは想像ができない水準に鍛えられています。

これをもう一度というのは正直厳しい感はありますが、トレーニングはやろうと思ったときはやるべき時なので、何とか1kmを走り抜き、短い距離なら走り切れる体を作り直す時期は「今でしょう」です。
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テレビドラマ「二十四の瞳」

2013-10-07 18:58:29 | 雑記
今さらですが、8月4日放送のテレビドラマ「二十四の瞳」をビデオで見ました。何度もリメイクされた壺井栄原作の名作で、物語の舞台になった小豆島が全国的に有名になりましたが、ストーリーをしっかり見たのは初めてでした。主役の小学校の先生役は松下奈緒です。

松下奈緒は、いまだに「ゲゲゲの女房」のイメージが抜けていませんが、今回の先生役もはまっていたと思います。もっとも、演技という意味では、感銘を受けたのは小学生役の子供たちです。このドラマでは小学校一年生を教える松下奈緒演じる大石先生が、子供たちと一緒に童謡を歌うのですが、その小学生役が楽しそうに歌う姿は自然で、とても演技のようには見えないところがいいです。

もっとも、舞台は昭和の初めで、そんな楽しい日々は長く続かず、戦争の影がいろんなところに忍び寄ってくるのがこのドラマです。当時は小学校を出るのも大変だった時代という話は、ドラマの中の小学生と年齢がほぼ同じ、父方の祖母からよく聞きました。

戦争に夫や教え子を送り出す、ドラマの中の大石先生の立場なら、生きて帰ってきて欲しいと願うのは当然の心理だと思いますが、当時は国のために「忠君愛国」が厳しく言われた時代で、大石先生も言いたいことが言えないならという理由で教師を辞めます。

この二十四の瞳は、生徒たちのその後も描いていて、肺病を患って若くしてこの世を去る女性も描かれています。先生と歌った少女時代は楽しかった、生まれ変わっても私の先生になって下さいと願う姿は、明日は当たり前のようにあると思う私も、一日一日を懸命に生きなければと思います。

戦争で夫や教え子を失った大石先生は、終戦でまた先生に戻ります。このドラマは、当時の生徒たちが同窓会を開き、大石先生を呼ぶ場面がエンディングです。最後まで生徒たちは大石先生を慕っていて、記念に先生と撮った写真をみんなとっておいてあるという終わり方です。終戦の日の前の放送で戦争を考えて欲しいドラマだったと思いますが、今さらながら見て良かったと思います。
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