Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

山田直輝、湘南レンタル移籍

2014-12-25 21:56:41 | 浦和レッズ
今日のサッカーニュースでは、いろいろありますが一番書きやすいネタからにして、浦和MF山田直輝の湘南への期限付き移籍があります。山田直輝は2008年高円宮杯優勝メンバーで、当時黄金世代と呼ばれたユース育ちの才能ですが、ここ数年は負傷がちで思うように試合に出られていませんでした。

最初にトップの試合で見たときに「この選手は小野伸二以来の天才」と思ったほどで、持ち味の運動量の多さでピッチのいろんな場所に出没するプレーを得意にする選手です。彼を起用するとボールの回りが良くなることから、当ブログでは何度も「潤滑油」という表現で彼を評価していました。

彼を最初に抜擢した監督はフィンケです。フィンケサッカーは今思うと特殊な戦術で、横方向のコート半分に選手を集め、そこから短いパスで打開したスタイルでした。はまったときは面白いようにパスがつながる戦術は、最初の頃は期待を持って見ていました。このサッカーに山田直輝は適任でした。どこへ行けばボールが回るという、戦術感覚は、今の香川真司のような教えられてもできないテクニックです。

フィンケサッカーそのものは、夏場で足が止まったときに逆サイドに振られてカウンターを食らうと対応できないという弱点が明るみに出て、それをカバーすることができず浦和は夏場になると「大型連敗」が定番でしたが、山田直輝は五輪代表でも浦和でも、チームの中心を担ってくれるはずという期待は常にありました。

それができなくなったのは、2011年のアジア杯予選、イエメン戦での腓骨骨折と、2012年ナビスコ仙台戦での靭帯断裂です。負傷を繰り返した山田直輝は、その間就任したミシャのサッカーを吸収できるチャンスを逃し、その後は主力選手ではなくなってしまいました。いつかレッズの10番をという期待を持っていた私にとっては非常に残念な移籍ですが、走るチームの湘南で、またその潤滑油的なプレーができるように、遠くからですが願っています。
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同部屋決定戦(千代の富士対北勝海)

2014-12-24 19:14:29 | 他スポーツ
先日、クリリンさんが千代の富士についてコメントして下さったので、千代の富士のことを書こうとしましたが、取り口のことは既に何度か書いていました。そのため、千代の富士が一度だけ同部屋の北勝海と決定戦を戦った記憶です。何年何月場所かは覚えていませんが、この決定戦は印象的でした。

理由は千代の富士の三女、愛ちゃんが場所前に「乳児性突然死症候群」という病気で亡くなっていたからです。スポーツ紙の一面も「千代の富士、号泣」でしたし、師匠の九重親方(元横綱北の富士)も休場を勧めましたが、千代の富士は翌場所の土俵に立ちます。

過去には横綱の初代若乃花が、息子をちゃんこ場のやけどで亡くした場所に出場して優勝したことがありますが、千代の富士も乱れる心中を抑えながらの場所だったと思います。成績は千代の富士にしては良くない12勝3敗でしたが、執念で優勝争いに残り、北勝海との決定戦に持ち込みます。

大相撲で同じ部屋は対戦しないことになっていますが、優勝決定戦だけは例外です。北勝海は千代の富士に稽古をつけてもらって横綱まで出世できたいきさつから、いつか同部屋決定戦をやりたいとは思っていたようですが、千代の富士が娘の弔いに燃えていたタイミングは最悪だったと思います。

北勝海は腰痛の持病に苦しんだので、引退こそ28歳と早かったですが、優勝8回で、しかも千代の富士休場時に特に強かった記憶があります。北勝海にとっては千代の富士を破る好機でしたが、この決定戦は双方やりにくそうな雰囲気で、最後は千代の富士が上手投げで勝ちましたが、ファンとして一度見れば十分と思ったのも確かです。

今、白鵬が千代の富士の優勝記録を塗り替える活躍ですが、オールドファンの私にとっては千代の富士の印象は不滅です。相撲はあらゆるスポーツの中で唯一と言っていいくらい、筋肉質が有利にならないスポーツですが、体脂肪率一桁と太れない体質だった千代の富士も、このレベルまで鍛えれば大横綱になれる例を示しました。

若き日の白鵬も、自身より小さな体で大きな力士を次々倒した千代の富士のビデオは刺激的だったそうです。こういう横綱はもう現れないと、私にとっては忘れ得ぬ横綱です。
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「軍師官兵衛」終わる

2014-12-23 19:41:47 | 雑記
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が終わりました。私はほぼ毎週見ていました。もう終わったドラマなので、書いてもいいだろうという理由でネタにします。主役の黒田官兵衛(岡田准一)は豊臣秀吉の軍師で、知恵と工夫で戦国の世をたくましく生きていく物語です。

最近は2008年の直江兼続や今回の黒田官兵衛のように、存在は知られているがどういう足跡をたどったかわからない人物を主人公に持ってくる傾向です。今回の官兵衛も、敵の戦略に引っ掛かり、有岡城で一年幽閉されたという、知らなかったエピソードを披露していました。

官兵衛が秀吉の軍師として、明智光秀を討った有名な「中国大返し」を指揮したことは知っていましたが、こういう稀有な才能は巨大な二大勢力(織田と毛利)に挟まれた弱いところから出るのは、徳川家康が織田と今川に挟まれた弱小大名から身を起こしたエピソードと似ています。

もちろん、官兵衛が織田についた判断が正しかった幸運もありますが、農民に旗を持たせて織田の援軍に見せかけて毛利軍を追い返した事実など、官兵衛が若い頃から手腕を発揮していたことは興味深いです。官兵衛は生涯側室を持たなかったという事実も、現代の価値観に受け入れられやすかったと思います。

官兵衛の有能さを強調するためか、息子の長政(松坂桃李)は短気な性格にわざと描かれています。長政も黒田家が福岡に定着して、幕末まで続く礎を築いた人物なので、史実は有能だったと思いますが、最初は長政のミスを官兵衛が火消しする演出もありました。

竹中直人の豊臣秀吉が18年ぶりに復活したり、北政所ねねの役には毎回美人を持ってくる鉄則通りの黒木瞳など、配役も楽しめました。戦国ドラマは、結果は誰でも知っているので、途中のプロセスを面白く描くか次第ですが、今回のドラマは官兵衛が際立った、いいドラマだったと思います。
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香川真司の価値(ブレーメン対ドルトムント)

2014-12-23 17:23:13 | ワールドサッカー
今日は、NHK-BSのサッカー中継、ドイツ・ブンデスリーガのブレーメン対ドルトムントを見ていました。今まで「ブンデスは選手がわからない」と言い訳していましたが、サッカー系ブログとしてはこのままでは恥ずかしいなと思い直し、ドルトムントの選手に関してはNumberPlusの選手名鑑を読んで調べてから見ました。

この対戦は、Jリーグに例えるなら、浦和レッズ対サガン鳥栖のような展開になりました。ポゼッションサッカーのドルトムントが浦和に、自陣深い位置に2ラインをコンパクトに引いて縦に速いサッカーをするブレーメンが鳥栖に似ています。結果を先に書くと2-1でホームのブレーメンの勝利に終わりましたが、試合展開も浦和が鳥栖に負けるとしたらこのパターンという展開でした。

ブレーメンは2トップが19歳、20歳と若手で、瞬間的なスピードには自信があります。取ってからあまり手数をかけず、早めにスルーパスを出すシンプルなブレーメンの攻めにドルトムントは対応が効かず、前半3分でザルケ(27番)に裏を取られ失点する最悪の立ち上がりでした。

ドルトムントは4-2-3-1で、ボランチにベテランのケール(5番)と若手の21番のコンビに、トップ下にギュンドアン(8番)を置く布陣でした。前半はここが機能していませんでした。選手名鑑の情報では、ギュンドアンは長い負傷から今季戻ってきたばかりで、どうしてもプレッシャーを避けて下がった位置でもらいたがる癖が出ていました。パスが全然回らず、ポゼッションサッカーが機能していないのは明白でした。

ケールは長いボールを左右に散らすタイプのボランチですが、ケールの動きに反応している選手がいないとみたクロップ監督は、ケールに代えて香川真司(7番)を投入します。香川が入ったことで、試合が変わったのは確かで、中盤の高い位置でちょっと触ってくれる、香川のボールの来る場所を見分けるセンスは見せたと思います。

ギュンドアンもボランチに下がったことで、深い位置から飛び出すドリブルがアクセントをつけましたが、ドルトムントが前がかったタイミングでのブレーメンのカウンターが致命傷になりました。たぶん、ドルトムント対策を相手に覚えられたのが低迷の理由らしいと、この試合を見た限りでは感じました。
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冬の富士山

2014-12-23 12:07:31 | 埼玉
今日は風があって快晴という、富士山を観察するにはベストの気象条件でした。いろいろ撮ってきたので載せます。土手の上で高い建物がなく、富士山を撮るならここというスポットは既に見つけていますが、今はコンパクトデジカメで、今までのガラケーカメラとは全然レベルが違いますね。







秩父連山もつけます。たぶん、越生町や東秩父村あたりの外輪山だと思います。さいたま市から武甲山は撮れないでしょうね。

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皇帝ダリア

2014-12-22 22:38:06 | 埼玉
写真のテッセンに似た、秋に咲く巨大な植物の名前が、母からの受け売りですがわかりました。「皇帝ダリア」という名前で、最大3~4mまで大きくなることから、皇帝に例えられてこの名前になっています。風に弱く倒れやすいので、高いところに咲かせるには、添え木が必要です。また、秋の花でありながら、霜に弱く花の盛りは短いです。この写真は11月に撮ったものですが、おそらく今の季節には既にないものと思われます。

今日は疲れ気味で、いつものスポーツネタはお休みで失礼いたします。
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高崎寛之、鹿島移籍

2014-12-21 21:19:26 | 他チーム
先日入ってきたサッカーニュースでは、徳島FW高崎寛之選手の鹿島移籍が、私の中ではトップニュースでした。過去に、鹿島から浦和に来た選手は室井、阿部敏之、興梠の例がありますが、浦和から(途中別のチームを経由しているとはいえ)鹿島に行った選手は高崎が初めてでしょう。

鹿島はトップ下タイプの土居の台頭で、1トップの戦術が固定しています。レギュラー候補はブラジル人のダヴィですが、ダヴィが負傷離脱した後に代役を務めた赤崎が結果を出せず、1トップは補強ポイントでした。高崎はJ1最下位の徳島でチームトップの7ゴールを挙げて一人気を吐き、いいパスが来る鹿島ならもっと点を取れる可能性を見せました。

これからの選手というイメージだった高崎ですが、年齢は既に28歳とベテランの域に入っており、駒沢大学で同期の塚本(大宮)などは既に現役を退いています。再度、トップレベルに挑戦する機会があることに、感謝する年齢だと思います。

高崎のプレーは浦和時代の記憶しかありませんが、基本はワンタッチプレーヤーです。いいボールに反応し、一瞬のチャンスをものにする、得点という結果が求められるプレースタイルです。浦和時代は、エジミウソンの影に隠れなかなかチャンスをもらえませんでしたが、自分の過去のブログを調べると「ポストプレーヤーにしては足が速く、スペースに反応できる」と書いてありました。

ただ、浦和時代は決定機を外して足を引っ張ったこともあります。活躍したチームはJ2(2009年水戸、2013年徳島)が主でしたが、徳島の昇格でJ1でのプレー機会を得たことが、今回の飛躍のきっかけになりました。ダヴィとは甲府時代にチームメイトだったつながりがありますが、当時の城福監督が高崎の出来に満足できず、フェルナンジーニョを補強されてダヴィとのコンビは長い期間ではありませんでした。

2トップでないとプレーできないと思っていましたが、今季5-4-1の徳島で結果を出したので、少なくともダヴィのバックアッププレーヤーにはなれそうです。ACLに出場する鹿島なら、チャンスはあると思うので、浦和戦以外(笑)で結果を出してほしいと思います。
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冬将軍の到来

2014-12-21 17:29:05 | 埼玉
今日は近所を軽く散歩していました。時折冷たい風も吹きましたが、気温13度、晴れとまあまあの気象条件でした。12月も末になれば、今まで紅葉や黄葉のあった木がすっかり冬枯れしていて、冬将軍の到来を感じます。そんな、日常の風景を何枚か写真に撮ったので紹介します。



一見快晴の空に見えますが、雲が鈍色になっているあたり、冬らしい空です。



バラの写真です。季節外れのバラですが、こういう写真を撮っておきたいと思うあたり、たぶんフィルムカメラだったら現像代が惜しくて撮らなかっただろうなと思います。



みかんですが、先週も撮っていて重複失礼いたします。





このあたりがまさに冬将軍の到来で、晴れた空に葉のない木は、冬を感じる写真です。



唯一葉が残っていた、公園のケヤキです。
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ポゼッションもできる(12/21Rマドリード対サンロレンソ)

2014-12-21 17:05:38 | ワールドサッカー
以前、欧州CLのRマドリード(スペイン、以下レアル)の試合(アウェイのリバプール戦)を見たときの印象で、レアルは堅守速攻のチームという印象でした。派手なチームより現実重視の手堅い戦術を好むアンチェロッティ監督らしいと思っていましたが、相手が引いてきたときに堅守速攻のスタイルだと、膠着状態になって打開が難しいのではという印象も持っていました。

今回のクラブW杯決勝の相手、サンロレンソ(アルゼンチン)は守備的なチームという前評判でした。チーム創設106年目で初めて南米を制した要因は、ボランチのメルシェル(5番)とオルティゴサ(20番)のボール奪取力という評価でした。事実、サンロレンソは4-1-4-1の布陣ながら、MFの4人を低い位置に引いて、レアルのパス回しをカットしてカウンターというゲームプランでした。

こういう相手にレアルはどう戦うかは注目でしたが、まるでバルサのサッカーを見ているかのような、高い位置に最終ラインを上げて圧倒的に支配するポゼッションサッカーも、やればできることをこの大舞台で示したのはさすがだと思います。レアルは4-3-3ですが、ロナウド(7番)、ベンゼマ(9番)、ベイル(11番)にスピードも個人技もあることを利用して、アンカーのクロース(8番)から供給したパスで圧倒的に攻めました。

この試合では、ロナウドが準決勝で負傷していて強行出場だったこともあり、ロナウドに18試合24得点というスペインリーグで見せている圧倒的な破壊力こそ見られませんでした。それでも、彼らの持っている技術は遺憾なく発揮され、足が届けばアウトサイドのキックだろうがトーキックだろうが、どんな場面でもシュートを狙う彼らの貪欲さは現れていました。

0-0が長い時間続けば、サンロレンソのゲームプラン通りになる試合でしたが、レアルにとって大きかったのは前半終了間際にセルヒオ・ラモス(4番)がヘディングで先制点を取っておいたことです。準決勝でも先制点を取ったラモスの、ポジショニングと動きの質で相手のマークを外す、欧州王者らしいテクニックでした。

このゴールが効いて、サンロレンソが攻めざるを得なくなれば、いつもの通りのレアルの堅守速攻に戻します。華麗なプレーはできるが、本当に必要なときにしか出さないという、現実主義のアンチェロッティサッカーの良さが出た試合だったと思います。2点目のゴールにつながった、クロースのパスでベイルが空いたスルーパスのような、技術の良さも見られました。
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史上最強の高校生(平山相太)

2014-12-20 14:58:29 | 高校サッカー
年末が近づく今頃は、高校サッカーを思い出します。今年は準決勝と決勝が地元の埼玉スタジアムなので、可能なら足を運んでみたいと思っています。高校サッカーの思い出では、2003年に当時国見高校の平山相太(現FC東京)を見に行ったことが印象的です。当時、平山はUAEで開催されたワールドユースで、高校生ながらU-20代表に選ばれて2ゴールの活躍でした。もともとは中原(仙台)を招集する予定が、負傷で離脱して平山にお鉢が回ってきたチャンスをものにしたのはさすがです。

当時のユース代表監督、大熊清氏が「まさかあそこまで通用するとは」と驚いたほど、エジプト戦で決勝ゴールを決めたりヘディングで勝ったりと、世界でも通用しそうな勢いでした。その後、平山は日本一有名な高校生選手として、国見高校のエースストライカーとして高校選手権に出てきました。

私は、駒場スタジアムに平山が来た3回戦の広島皆実戦と、国立競技場での決勝の筑陽学園戦を生で見ています。当時の印象は、意外にもヘディングだけではないものでした。スペースに出ることもできますし、足元の技術もしっかりしていました。あまり動かないのが課題でしたが、当時のマスコミには「A代表に入れては?」という意見が載ったこともあります。

その期待通り、平山はアテネ五輪を目指すU-23代表にも招集されました。当時の平山フィーバーは相当で、平山が進学した筑波大でも「平山がロッカールームに来た」などという情報が、学生の間で携帯メールでやりとりされたほどでした。(当時ラインやfacebookはありませんでした。)

アテネ五輪でも、初戦のパラグアイ戦で出番を得ましたが、A代表候補とまで言われたほどの活躍ではありませんでした。平山はその後、筑波大を中退してオランダリーグに挑戦する決断をしましたが、ここで思うように出番を得られなかったことが、彼のサッカー人生で大きなマイナスになってしまいました。

今、思い出しても残念なのは、もし筑波大に残っていればとの判断です。筑波大の体育学部は単位認定が厳しいことで知られますが、スポーツマネジメントやプロとしての自己管理など、いろんなことを学べます。プロとして完成する前に、オランダに渡った青田買いに乗ったことが、彼にとっては残念だったと思います。
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