今日のサッカーニュースでは、いろいろありますが一番書きやすいネタからにして、浦和MF山田直輝の湘南への期限付き移籍があります。山田直輝は2008年高円宮杯優勝メンバーで、当時黄金世代と呼ばれたユース育ちの才能ですが、ここ数年は負傷がちで思うように試合に出られていませんでした。
最初にトップの試合で見たときに「この選手は小野伸二以来の天才」と思ったほどで、持ち味の運動量の多さでピッチのいろんな場所に出没するプレーを得意にする選手です。彼を起用するとボールの回りが良くなることから、当ブログでは何度も「潤滑油」という表現で彼を評価していました。
彼を最初に抜擢した監督はフィンケです。フィンケサッカーは今思うと特殊な戦術で、横方向のコート半分に選手を集め、そこから短いパスで打開したスタイルでした。はまったときは面白いようにパスがつながる戦術は、最初の頃は期待を持って見ていました。このサッカーに山田直輝は適任でした。どこへ行けばボールが回るという、戦術感覚は、今の香川真司のような教えられてもできないテクニックです。
フィンケサッカーそのものは、夏場で足が止まったときに逆サイドに振られてカウンターを食らうと対応できないという弱点が明るみに出て、それをカバーすることができず浦和は夏場になると「大型連敗」が定番でしたが、山田直輝は五輪代表でも浦和でも、チームの中心を担ってくれるはずという期待は常にありました。
それができなくなったのは、2011年のアジア杯予選、イエメン戦での腓骨骨折と、2012年ナビスコ仙台戦での靭帯断裂です。負傷を繰り返した山田直輝は、その間就任したミシャのサッカーを吸収できるチャンスを逃し、その後は主力選手ではなくなってしまいました。いつかレッズの10番をという期待を持っていた私にとっては非常に残念な移籍ですが、走るチームの湘南で、またその潤滑油的なプレーができるように、遠くからですが願っています。
最初にトップの試合で見たときに「この選手は小野伸二以来の天才」と思ったほどで、持ち味の運動量の多さでピッチのいろんな場所に出没するプレーを得意にする選手です。彼を起用するとボールの回りが良くなることから、当ブログでは何度も「潤滑油」という表現で彼を評価していました。
彼を最初に抜擢した監督はフィンケです。フィンケサッカーは今思うと特殊な戦術で、横方向のコート半分に選手を集め、そこから短いパスで打開したスタイルでした。はまったときは面白いようにパスがつながる戦術は、最初の頃は期待を持って見ていました。このサッカーに山田直輝は適任でした。どこへ行けばボールが回るという、戦術感覚は、今の香川真司のような教えられてもできないテクニックです。
フィンケサッカーそのものは、夏場で足が止まったときに逆サイドに振られてカウンターを食らうと対応できないという弱点が明るみに出て、それをカバーすることができず浦和は夏場になると「大型連敗」が定番でしたが、山田直輝は五輪代表でも浦和でも、チームの中心を担ってくれるはずという期待は常にありました。
それができなくなったのは、2011年のアジア杯予選、イエメン戦での腓骨骨折と、2012年ナビスコ仙台戦での靭帯断裂です。負傷を繰り返した山田直輝は、その間就任したミシャのサッカーを吸収できるチャンスを逃し、その後は主力選手ではなくなってしまいました。いつかレッズの10番をという期待を持っていた私にとっては非常に残念な移籍ですが、走るチームの湘南で、またその潤滑油的なプレーができるように、遠くからですが願っています。