北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

なぜ俺がはらわなくちゃいけない ~ 麻生総理発言の解釈

2008-11-29 23:11:45 | Weblog
 今日は面白い場所を見学したのでその記事にしようと思ったのですが、麻生総理の「何もしない人の分なぜ払う」発言へのバッシングが気になったのでこちらにしました。

 まず事の発端(と思われる記事)から引用してみましょう。

 毎日新聞の11月27日の記事からです。(以下引用)

 麻生首相:高齢者医療費「何もしない人の分なぜ払う」
(ソースはこちら→)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081127k0000m010145000c.html

 麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、社会保障費の抑制を巡り「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していたことが26日公開された議事要旨で分かった。高齢者医療費の増大は患者側に原因があると受け取れる発言で、批判も出そうだ。

 首相は「67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘。「こちらの方がはるかに医療費がかかってない。毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている」と述べ、理不尽さを訴えた。

 最後に首相は「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブ(動機づけ)がないといけない。予防するとごそっと減る」と語った。

 首相は19日の全国知事会で「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」と発言し、20日に撤回、陳謝していた。その日に不用意な発言を繰り返していたことになる。(引用終わり)

    ※    ※    ※    ※

 他の新聞や各局のテレビでも放映されたので上記のような(なんとなく総理がまたまずいことを言ったのかな)と思われる雰囲気はご存じの方も多いと思います。

 ここで批判の対象となっているのは、総理の発言が「高齢者医療費の増大は患者側に原因があると受け取れる発言で、批判も出そうだ」という点。

 では原典に当たってみることにしましょう。総理が発言が載っていたのは第25回経済財政諮問会議の議事要旨です。これはすでにホームページで公開されていますから、誰でも見ることができます。

 「平成 20年第25回経済財政諮問会議議事要旨」
  →http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdf

 ちなみにこの日の議事は
(1)社会保障・税財政一体改革について
(2)平成21年度予算編成の基本方針(事項案)について
 ということで、この会議の最後の締めにあたっての総理の発言のなかに上記のセリフが含まれています

    ※    ※  (以下引用)  ※    ※

(麻生議長) 67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。

 それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。

 病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。

 その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。 それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。(引用終わり)

    ※    ※    ※    ※

 この総理からの発言に対しては各委員からのコメントはなく、あくまでも総理の意見という形です。

 私は総理の発言の中に、「高齢者医療が増大するのは患者のせいだ」という悪意を感じることはできません。そしてそれとは逆に、国の代表者として、医療費の増大を自分のこととして気をつけることで健康になってくれれば、社会保障費の削減になるのに、という思いを感じます。

 麻生総理独特のキャラクターから来る発言としては、誰か特定の友人をA溜めに描きながら「あいつの医療費も俺が払っている社会保険から出ているのに」という思いがあったのかも知れませんが。

 このことはまさに健康で社会的コストをかけずに死ぬ人生を心がけよう、という生涯学習にも通じるものがあると思います。

 決して不運にして病気になったり、怪我をしたりあるいは老化から来る必然によって病院にかかる人を批判しているのではなく、同じ歳を取るにしても、自分で気をつけて、社会的コストをかけないような生活をしようよ、というメッセージでしょう。

 同時に総理自身は、ただ言うだけではなく、自分自身も日々の健康づくりに気をつけて実践しているという自負もおありなのでしょう。

 実際、社会には自己の健康管理に気をつけて、自分がかかる以上に社会保険費用を負担しているという方は多いと思います。そういう方たちからすれば、みんなが健康に気をつけてくれれば社会コストは少なく済むだろう、と思っていることでしょう。総理の立場はこちらからの発言であったわけです。

 みんなが負担し合って支えている限りある資源をみんなが貪ってしまうようではたちまち枯渇してしまうのは当たり前です。求められるのは一人一人の自覚と実践なので、まさに健康を生涯学習することが必要だ、ということなのです。

 「他の人の分の負担は甘んじて受けるが、自分はそれにかからないようにしよう」という覚悟ある姿勢は美徳です。

 二宮尊徳の報徳精神では分度(ぶんど)・推譲(すいじょう)と言って、分を守って他に(社会に、後代に)譲れ、と教えています。人間として(なかなかそうはなれないけれど)そうあるべき理想の姿として追い求め続けるのだ、という姿です。

 そうやって頑張った人を「よくやったね」と顕彰することで人は報われます。

 人に貴賤はないけれど、尊徳先生も勤惰(きんだ)の別はあると言っています。いつからこの国は不真面目を奨励して頑張る人を応援しない国になったというのでしょうか。

 批判的にも肯定的にも解釈出来る発言ならば、肯定的に解釈する方が建設的な社会に繋がると思うのですが、そうならないのですね。

 記事は「…批判も出そうだ」と言う、自らは判断を下さずにどっちつかずの書き方でごまかしています。火がつけばそれでよい、ということなのでしょうかねえ。
 
 
    ※    ※    ※    ※  

 ここまで書いていて、「AtomⅢ」というブログにも同様の記述があるのを見つけました。ご参考まで

http://d.hatena.ne.jp/miminoha/20081128/1227865274

コメント (7)
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