池内了先生の「疑似科学入門」の続きです。

まず『第一種疑似科学』の特徴を三つ挙げます。一つ目は【実証も反証も不可能】ということ。
「あなたの前世はヨーロッパの貴族の娘だった」と言われても、返す言葉はありません。「何か思い当たることはありませんか?」と訊かれて、「光ものが好き」と言おうものなら、「宝石を一杯持っていましたからね」と返す。これってどうやっても否定出来ませんよね。
二つ目は言われたことを否定する役目を聞く側に求めること。「ウソだというなら証拠を出せ…」って、本当だと証明するのはあなたの方でしょ?
第三の特徴は、一部の当たっていることを針小棒大に取り上げて、はずれたことは無視することで雰囲気を作り上げてしまうこと。
科学とは、どんなところでも適用される普遍性を持っていなくてはならないものなので、当たったり当たらなかったりするのは少なくとも科学ではない、ということを肝に銘じましょう。
※ ※ ※ ※
続いて『第二種疑似科学』は、科学の装いをしたインチキというもので、商売に絡んだものが多いことも指摘出来ます。
その最初の特徴は、消費者の側に科学的であると信じさせるために、難解な【科学用語を多様】します。ときどき聞いたことがあるような単語でありながら実はその本質はよく知らない、と言うものがよく使われます。
マイナスイオン、活性酸素、磁気共鳴、ポリフェノール、アントシアニン、セロトニン、ホメオパシー、生体エネルギー…などなど、よく聞きますが、何が一体どのように効果があるんだはさっぱり分かりません。
ときどき突っ込んだ質問をしてみても、さらに難しい単語を並べて煙にまかれるのがオチというわけ。
ときおり専門家や大学教授と称する人が登場してさらにその効果について権威付けを行います。
この手口の代表的なやり方は、
(A)「科学的に見せかけ」
(B)それを権威ある人に保証させ
(A’)だから全てに効果がある、と一方的に言いつのり
(B’)それをたくさんの人が証明する、という段取りになっています。
かつてテレビ番組で納豆の効果について捏造された事件の時もまさにこの4点セットが揃っていたわけで、こうした場合は特に要注意です。
統計を悪用するのも常套手段です。例えたくさんの人たちの意見をまとめたという体裁が整っていたりしても、偏ったサンプルから抽出した人が対象となっていたり、その意見を誘導したり、結果のまとめ方を恣意的にするなどで、いくらでも欲しい結果を得ることができるのです。
※ ※ ※ ※
著者の池内先生は、こうした疑似科学に騙される人がたくさん出るのは、自分で考えるということをせずに結論を他人に任せる「お任せ体質」にある、と言います。要は知的怠慢というわけ。
メディアの言い分も、多くのメディアやそれに対する反論をたくさん見聞することでどのあたりにどんな仕掛けがあるか分かってくるのですが、たった一つの記事を読んで「新聞に書いてあった」と盲信することがいかに危険なことか。
最近はネットが発達してきたので、それらを使いこなすことができる人たちはマスコミのうさんくささをあぶり出すことができ始めていますが、まだまだ情報のソースがテレビや新聞に限られている人たちには本当の姿は分からないような世の中になっています。
逆にそのネットだって、ウソや捏造が蔓延する世界ですから、そこにひそむウソや偽りを見抜く力がなお一層強く求められます。ネットを力に変えるのも大変なのです。
※ ※ ※ ※
さて、そして『第三種疑似科学』が、科学が苦手な分野です。つまり簡単には原因と結果を結びつけて説明ができないような、広くて複雑な問題です。
その代表がCO2問題です。地球が温暖化しつつある事実らしき問題と、二酸化炭素が増えているという事実はどのように関連づけられるのかは、実は正確に分かっているわけではありません。
「CO2が増えたから地球が温暖化しているのではなく、地球が温暖化しているからCO2が増えているのだ。原因と結果が逆だ」と考えている科学者だって相当いるのです。
しかし、これが本当に証明出来る日を待っていたのでは本当にCO2が温暖化の原因だった時には対策が間に合いません。
池内先生はこうした問題を「未成熟科学」と予防と言っていますが、こうした問題に対しては【予防措置原則】で挑むべきだと主張します。
「何か危なそうだ」という直感が働いた時には、その原因と結果の因果関係の科学的な究明を待って対処するのではなく、まずはその危なそうなことを止めるという措置を行ってから究明を薦めるべきだ、と言うのです。
不安なことは何でも止めるという無茶な姿勢も問題ですが、そこに適切なコンセンサスを求めながら、時間と大量なデータを集めて因果関係を探る疫学的なアプローチが大切になってくるのです。
※ ※ ※ ※
さて、これだけ疑似科学の裏の姿を示しては見たものの、著者も「疑似科学は廃れない」と敗北宣言を掲げます。
それは人間という複雑系の存在は、喜怒哀楽の心の揺らぎがあって、疲れを何かに頼っていやしたくなるという欲望があるからです。
科学に強い情報通でも却ってそれを越える知識で迫られるとあっさり屈服しやすかったりもします。
あえてこうした疑似科学に対抗する手段を述べればそれは「疑うという健全な精神を育て保つことにある」ということが結論になります。
疑似科学はそれを信じれば救われるのが特徴です。考えてはいけないと思いこんで考えることをしなくなるのです。
自分だけで考えて結論を出さずに、より多くの人の意見を聞いて、多面的な角度から情報を仕入れるという癖をつけることが大切です。
健全な生き方を助けるものは、怪しげな健康グッズや食品ではなく健全な懐疑的精神だと言えそうです。

まず『第一種疑似科学』の特徴を三つ挙げます。一つ目は【実証も反証も不可能】ということ。
「あなたの前世はヨーロッパの貴族の娘だった」と言われても、返す言葉はありません。「何か思い当たることはありませんか?」と訊かれて、「光ものが好き」と言おうものなら、「宝石を一杯持っていましたからね」と返す。これってどうやっても否定出来ませんよね。
二つ目は言われたことを否定する役目を聞く側に求めること。「ウソだというなら証拠を出せ…」って、本当だと証明するのはあなたの方でしょ?
第三の特徴は、一部の当たっていることを針小棒大に取り上げて、はずれたことは無視することで雰囲気を作り上げてしまうこと。
科学とは、どんなところでも適用される普遍性を持っていなくてはならないものなので、当たったり当たらなかったりするのは少なくとも科学ではない、ということを肝に銘じましょう。
※ ※ ※ ※
続いて『第二種疑似科学』は、科学の装いをしたインチキというもので、商売に絡んだものが多いことも指摘出来ます。
その最初の特徴は、消費者の側に科学的であると信じさせるために、難解な【科学用語を多様】します。ときどき聞いたことがあるような単語でありながら実はその本質はよく知らない、と言うものがよく使われます。
マイナスイオン、活性酸素、磁気共鳴、ポリフェノール、アントシアニン、セロトニン、ホメオパシー、生体エネルギー…などなど、よく聞きますが、何が一体どのように効果があるんだはさっぱり分かりません。
ときどき突っ込んだ質問をしてみても、さらに難しい単語を並べて煙にまかれるのがオチというわけ。
ときおり専門家や大学教授と称する人が登場してさらにその効果について権威付けを行います。
この手口の代表的なやり方は、
(A)「科学的に見せかけ」
(B)それを権威ある人に保証させ
(A’)だから全てに効果がある、と一方的に言いつのり
(B’)それをたくさんの人が証明する、という段取りになっています。
かつてテレビ番組で納豆の効果について捏造された事件の時もまさにこの4点セットが揃っていたわけで、こうした場合は特に要注意です。
統計を悪用するのも常套手段です。例えたくさんの人たちの意見をまとめたという体裁が整っていたりしても、偏ったサンプルから抽出した人が対象となっていたり、その意見を誘導したり、結果のまとめ方を恣意的にするなどで、いくらでも欲しい結果を得ることができるのです。
※ ※ ※ ※
著者の池内先生は、こうした疑似科学に騙される人がたくさん出るのは、自分で考えるということをせずに結論を他人に任せる「お任せ体質」にある、と言います。要は知的怠慢というわけ。
メディアの言い分も、多くのメディアやそれに対する反論をたくさん見聞することでどのあたりにどんな仕掛けがあるか分かってくるのですが、たった一つの記事を読んで「新聞に書いてあった」と盲信することがいかに危険なことか。
最近はネットが発達してきたので、それらを使いこなすことができる人たちはマスコミのうさんくささをあぶり出すことができ始めていますが、まだまだ情報のソースがテレビや新聞に限られている人たちには本当の姿は分からないような世の中になっています。
逆にそのネットだって、ウソや捏造が蔓延する世界ですから、そこにひそむウソや偽りを見抜く力がなお一層強く求められます。ネットを力に変えるのも大変なのです。
※ ※ ※ ※
さて、そして『第三種疑似科学』が、科学が苦手な分野です。つまり簡単には原因と結果を結びつけて説明ができないような、広くて複雑な問題です。
その代表がCO2問題です。地球が温暖化しつつある事実らしき問題と、二酸化炭素が増えているという事実はどのように関連づけられるのかは、実は正確に分かっているわけではありません。
「CO2が増えたから地球が温暖化しているのではなく、地球が温暖化しているからCO2が増えているのだ。原因と結果が逆だ」と考えている科学者だって相当いるのです。
しかし、これが本当に証明出来る日を待っていたのでは本当にCO2が温暖化の原因だった時には対策が間に合いません。
池内先生はこうした問題を「未成熟科学」と予防と言っていますが、こうした問題に対しては【予防措置原則】で挑むべきだと主張します。
「何か危なそうだ」という直感が働いた時には、その原因と結果の因果関係の科学的な究明を待って対処するのではなく、まずはその危なそうなことを止めるという措置を行ってから究明を薦めるべきだ、と言うのです。
不安なことは何でも止めるという無茶な姿勢も問題ですが、そこに適切なコンセンサスを求めながら、時間と大量なデータを集めて因果関係を探る疫学的なアプローチが大切になってくるのです。
※ ※ ※ ※
さて、これだけ疑似科学の裏の姿を示しては見たものの、著者も「疑似科学は廃れない」と敗北宣言を掲げます。
それは人間という複雑系の存在は、喜怒哀楽の心の揺らぎがあって、疲れを何かに頼っていやしたくなるという欲望があるからです。
科学に強い情報通でも却ってそれを越える知識で迫られるとあっさり屈服しやすかったりもします。
あえてこうした疑似科学に対抗する手段を述べればそれは「疑うという健全な精神を育て保つことにある」ということが結論になります。
疑似科学はそれを信じれば救われるのが特徴です。考えてはいけないと思いこんで考えることをしなくなるのです。
自分だけで考えて結論を出さずに、より多くの人の意見を聞いて、多面的な角度から情報を仕入れるという癖をつけることが大切です。
健全な生き方を助けるものは、怪しげな健康グッズや食品ではなく健全な懐疑的精神だと言えそうです。