来週、ある会合で講演を頼まれています。
テーマは何でも良い、と言われているので、それならと「二宮尊徳と彼の経済思想」ということにして、報徳論について話をしようと思っています。
するとその噂を聞きつけた何人かから、「二宮尊徳さんですか。学校に子供の像がありましたが、そういわれると一体何をした人なのかあまり考えたことがありません」と言われました。
二宮尊徳は江戸時代末期の農村経営コンサルタントと言ってよいと思いますが、経済的合理性だけではなく、それをもたらすのは一人一人の心根の問題だ、ということをつよく意識して村々の救済に入りました。
彼は荒れた田んぼを見て、「田畑の荒蕪はその気になればすぐに元に戻せる。しかし本当に恐ろしいのは心の荒蕪である」と喝破しました。
つまり、農民に明日への希望や心の安寧がなければ真剣に田畑を耕そうという気力すら生まれてこないのだ、というのです。
今でいうところの、「モチベーションの低下」というやつです。
彼は最初は少々高い賃金で働かせて、それでやる気を出させますが、農民の側は最初こそその駄賃で働くものの、その結果が目に見えて良い方向に向かうことが分かると、感動して喜んで自ら動くようになるのでした。
経済的合理性の前に、いかに人の心を捕えるかにこそ地域づくり成功の鍵があるということこそ、二宮尊徳の報徳の仕法と呼ばれるものだったのです。
今回は、そんな彼の人となりと彼に影響を受けた多くの経済人などにも触れてみたいと思います。
御木本幸吉、豊田佐吉、松下幸之助、渋沢栄一などなど、日本で成功した経済人には彼を慕い、一流の会社経営に繋げた人が多くいます。
北海道でも戦前から地域づくりに報徳を取り入れて、特に農村振興や酪農の世界でそれが強く用いられました。
以前掛川で、大日本報徳社の社長をしていた榛村市長さん(当時)と話をしていた時に、「最近は自治体が報徳社に加盟料を支払っていることに監査の立場の人から、『なぜそんなところにお金を払うのですか?無駄な経費は削減すべきではありませんか』という指摘があるそうです」と、人から聞いた話を伝えました。
すると榛村さんは、「今日、それを指摘されて反論したり確信を持って経費負担を継続するような人も少なくなったということかねえ。昔はそれで村が救われたんだが…」とため息をついていました。
今日なお、二宮尊徳の報徳思想が生きるとしたらどういうところになるでしょうか。
そんなあたりも考えてみたいと思います。