人間学を学ぶ雑誌「致知」の今月号に、DANTOZコンサルティング代表の川勝宣昭さんの記事が載っていました。
川勝さんは今は独立したコンサルタントを経営していますが、日産自動車で三十数年を過ごした後、モーター関連領域で世界を代表するメーカーの日本電産に移り、日本電産の伝説的な社長永守重信さんの薫陶を直接受けた方です。
川勝さんはM&Aなどで赤字企業を次々に黒字化することに手腕を発揮しましたが、そこには永守社長流の企業経営術が生きています。
川勝さんが日本電産で最初に担当したのは、東芝から譲渡を受けた日本電産芝浦。当時は社員一千名で、百四十億円の売り上げに対して赤字が四十億円という深刻な状況。
それを「一年で黒字化せよ」というのが永守社長からの命令でした。再建のポイントとして渡されたのは紙一枚で、そこには『生産性は三倍に』とか『経費は半年で三割カット』などといった具体的数値目標があるのに対して、売り上げに関しては『訪問件数百件』とだけあって具体的な目標はなし。
そしてそれが永守流の経営の一つの形なのだと分かり、それらを果たすことに努められました。
永守社長が泊まりがけで芝浦に来るのは月に一度。その場で現状を報告しその場で指示を受け、翌日の経営会議に出て帰るというパターンです。
永守社長に報告をした際に必ず尋ねられたのは、「人の心はどうなっているか」ということだったそう。社員が一丸となっているのか、それとも心がバラバラになっているのかを常に気にかけていたそうです。
川勝さんも従業員全員の意識を変えることは難しいと思いましたが、そのときに幸いしたのは日産にいた当時、南アフリカで向上と販売会社の責任者として赴任した時の経験だったと言います。
現地の経営者は川勝さんにこう話しかけてきたそうです。
「日本は優れたやり方を持っているが、あなたは俺たちに指図するために来たのか、それとも俺たちと一緒にやるために来たのか」と。
彼らは"イン・ザ・セイム・ボート"という言い方をしたそうです。おまえは目的地に向かって同じ船に乗るのか、それとも陸から指示をするだけなのか、ということです。
その経験を活かして川勝さんは、コスト削減の高い目標を掲げながら、目標数値に達しなかった残りの部分を自ら買って出て尻ぬぐいをしたそうです。そうすることで、この人は言うだけではなく、やってくれる人だ、という見方に次第に変わっていったそう。人はリーダーが率先垂範しなくては動かないということなのです。
そうして一年、社員一同にここで再建が果たされなければもう生きる道はないという危機感が共有されて、意識改革は思いの外うまくいき、見事に一年で黒字化に成功しました。
黒字転換させてすぐの頃に、川勝さんは永守社長と食事をする機会がありました。そのときに、社長に常々疑問に思っていたことを訊きました。
「なぜ私を採用されたのですか?」すると社長は「おまえは逃げないと思ったからや」と言ったそうです。
結果を出すために逃げずに立ち向かう責任を考えた時に、経営者とはそういうものか、とつくづく思ったそうです。
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永守社長の言葉で最も感銘を受けた言葉は、「困難は解決策を連れてくる」というものだそうです。
永守社長はこう言ったそうです。「向こうから困難さんがやってくる。誰でも困難からは逃げたい。だから君も困難から逃げたいだろう。しかし困難さんから逃げてみろ。困難さんは脇を通り過ぎていくが、ほっとその背中を見たら後ろに『解決策』というリュックを背負っているじゃないか。逃げたら解決策も逃げていくんだぞ」
生きた教訓とはこういうものかと思ったそうです。
川勝さんは現在、永守流経営を普遍化し世に広めようという取り組みのために会社を辞めて経営コンサルタントとなりました。
夢に挑む経営者が一人でも多く現れることを願いつつ、その役に立ちたいと川勝さんは日々活動しています。
困難は乗り越えて成長するための糧なのです。