今月号の『致知』より。
致知には現在、「日本の教育を取り戻す」という題で中村学園大学教授の占部賢志先生が連載を続けられています。
今月号のタイトルは「昔、肥後の国に教師ありけり ~葉書で伝えた教師の技と文化」という一文が寄せられています。
教育の問題点を様々な観点で語ってくださる中村先生ですが、今月の、教師数人と占部先生の問答という形での文章の中に、先生が絶賛されている教育書について書かれている下りがありましたのでご紹介します。
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教師「…ところで、今日是非お聞きしたいのは、先生がこれにまさる教育書はないと絶賛されている書簡集についてです」
占部「分かりました。かつて熊本市の中学校に大槻幹雄という名校長がいました。亡くなられた後、有志の手で遺稿集『父親としての愛の書簡集~継ぎゆく者へ魂を込めて~』が編まれています。
内容は当時の福岡県の小学校に新任した息子に宛てて、熊本から現役校長の父親が、二年間にわたって教師としての心得万般(ばんぱん)を書き送った膨大な量の葉書を収録したものです。
達人の卓越した研究と実践から紡ぎ出される箴言(しんげん)の数々には、深く魅了され鼓舞されたものです」
教師「まさに、父から子へ伝えられた教師文化なんですね」
占部「ええ。例えば、息子の赴任した学校の写真が新聞に載った。それを見て、こんな葉書を出しています。
『いい学校だ。玄関の車廻しの花壇があれているのが
気にかかる。暇があったら一人でコツコツ整美(ママ)
するのだ。子供と一緒に箒を取るのだ。教室以外で
の接触が大切だ。…情熱を燃やしてみるのだ。では
元気でなあ』」
教師「心温まる文面ですね。こちらまで力づけられます」
占部「新聞の写真にちらりと見えた花壇の荒れから、息子が赴任した学校の実態を見抜く。これが練達の校長が磨き上げた洞察力です。こういうものが貴い教師の文化遺産なのです」
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占部「教員が苦手とする生徒指導に関しては、こうアドバイスをしています。生徒の指導に苦戦していた高校教師の私には天啓でした。
『感情を治めてやること、それが人間化のポイント。
教育のポイントだね。喜怒哀楽の情を調整すること
が教育といえる。優しい眼差し、情のこもる言葉、
励ましの握手、快く聞いてやる、母親の匂い、すべ
て人間の感情を治める具体的な方法だ。…教育なん
て面白いね。〔泣け泣け思う存分泣け〕と言っても
情を治める一つ、〔泣くな、シャンーとせー〕とい
うのも情を治める一つ』
やり方はいろいろあっていいのです。大事なのは何のための方法かということです。大槻先生はそれは『感情を治める』ことだと言われる。勘所はここなのです。
ところが、喜怒哀楽の情を鎮めてやるどころか、輪をかけて波立たせてしまう。我々の指導はそうなりがちです。それは方法論にとどまるからです。その先が見えていない」
教師「うーん、こういう生徒指導論、はじめて聞きました。いや、論と言うより哲学ですね。…学級経営の心得については、どんなことが教示されているのでしょうか」
占部「例えば、クラスの委員を選んだりするときの注意が、こんな風に書かれています。これも印象に焼き付いている言葉です。
『〔徳盛んなものには位を与え、功盛んなものには賞を与ふ〕(南洲翁遺訓)ー いい言葉だ。
徳の盛んでないものが担任をしたり教頭をしたり校長をしたりするのは、自然の理ではないのだ。功盛んなるものには賞を与える、これも自然の理だ。お前の学級でリーダーを決めるときの原理とせよ。学級のために功があった時(例えばソフトボールで優勝したとか、いも掘りで一生懸命土耕しに精出したとか)は賞を与えるのだ』
要するに、功績をあげた者には表彰を持って応えるべきであって、それだけでリーダーの地位につけるべきではない。リーダーたる者は徳を備えているかどうかが条件なのだ。これが動乱の明治維新を生きた南洲翁の人事思想です。
大槻先生は、この西郷流の人事思想を学級内のリーダー養成の原理にせよと薦める」
教師「なるほど。地位と賞を区別して的確に併用するのが教育ということなんですね」
占部「ええ。がんばった子、高い能力を発揮した子、クラスに貢献した子に何も与えないのではなく、褒章で答えるところがミソです。
個人の功績は褒章、道徳的実践が著しい者こそリーダーとして処遇する。これは何も小学校のクラスだけではありません。大人社会の原理であるべきですね」
◆
功績を評価するのに、褒章と位で分けると良いということを初めて知りました。
マスコミ等で名の売れた人たちが政治家になったりする例もありますが、功績も結構ですがやはり社会のリーダーとしては個別の人格を見抜かなくてはいけないということですね。
人生のヒントは古典にありますが、それをこうして時に応じて自分から発せられるようにしておきたいものです。
南洲翁遺訓、何度も読まなくては身に付きません。