先日職場の女性人たちと話をしていて、「なぜ太っているという自覚があるのにダイエットができないか、どうしたらダイエットが成功するか」ということが話題になりました。
私は「世の中は因果応報なのだから、結果として太ったという事には原因があるはず。それは消費するエネルギーより多く食べるからに違いないでしょ」と言い、「だからダイエット成功のためにはただ一つ、『食・べ・る・な』ってことでしょ?」と理路整然と論を展開しました。
ところが女性陣は、「そういうことを理屈で説明されると、返す言葉がないんだけどなんだかムカつきますね(笑)」と笑います。
理性で理屈は分かっても、それを感情が許せないと言ったところでしょうか。
結局、「それじゃダメなんだ、あるべき姿に近づけないと」という思いの強さじゃないかなあ、ということになりましたが、どうやったら思いが強くなるのでしょうか。
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今日は春の陽気に誘われて、冬の間ワックスをかけずにいた車(平成17年製セレナ)をせっせと磨いていました。
するとお向かいのもう80歳を超えたTさんが近寄ってきて、「小松さんはいつでも車をきれいにしていますねえ」と声をかけてくれました。
「まあ、幸い水道を外に作ったのですぐに洗ってやれますから。自分の車って、できればきれいであるべきだ、と思っているので、時間があればできるだけ水をかけるだけでもしてあげたいんです」
やはり自分の車はきれいにしていた方が気持ちが良い、と思うからですが、汚れている車はできるだけ洗うようにしています。
そう言いながら、(そうか、やっぱり『かくあるべき』と思えば、それが力になって念じる方向に動かざるをえなくなるんだよなあ)と思った次第。
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私の好きな俳句に、明治から大正の俳人の村上鬼城の、「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」という句があります。
「念力の」という表現のインパクトがすごいのですが、暑さに耐えるのも念力ならば、「かくありたい」と願う念の力も念力。
この念力こそが、短い自分の一生を彩る力なんじゃないでしょうか。
「かくありたい」と思ったならば、そうありましょう。