現代社会における技術の進歩は、私たちの生活を豊かにする一方で、思わぬ落とし穴を生み出すことがある。
最近、高級車に乗っている友人から面白い話を聞きました。
彼は「エアコンが効かなくなったからディーラーに診てもらう」と言っていたのですが、実際の原因は驚くほど単純なもので、なんと、エアコンのスイッチを入れ忘れていただけでした。
この話を聞いて、私も以前似たような経験をしたことを思い出しました。
愛車の電動ドアが突然動かなくなり、慌てて自動車工場に持ち込んだことがありましたが、結果は友人と同様で、電動ドアのスイッチを誤って切っていたことが原因だったのです。
これらの出来事は、現代の車が運転者がどうしたいか、という意思をスイッチのオンオフなどで高度に叶えられるように設計されているからです。
自動車の電動ドアなど、どういうときにスイッチを切って手動にする意味があるのだろうか、と問うてみたことがありましたが、ある地方議会の議員から「あのねえ、選挙活動で回るときは、ドアが悠長に開け閉めしていては時間がかかるので手動でバッと開いてすぐに出ていく、ということが必要なんですよ」と言われました。
なるほど、そんなことにもユーザーの求める機能があるんですねえ。
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これらの経験から、現代社会の特徴の一つが浮かび上がります。
それは、何か一つうまくいかないことでシステム全体が機能しなくなるという脆弱性です。
高度に統合されたシステムは、小さな誤操作や設定ミスが大きな問題を引き起こす可能性があるのです。
高度にコンピューターシステムに支えられている現代社会は、一たびシステムにバグが発生したりエラーが出たりすると、社会生活がマヒするような事態に繋がります。
「完璧性の要求」は、趣味の世界にも及びます。
私の好きなフライフィッシングをするときでもその難しさがよくわかります。
フライフィッシングでは、道具選びからフライ選び、ポイントの見極め、キャストの仕方など、すべての要素が一気通貫にうまくいかないと魚を釣りあげることができません。
途中の一つでもうまくいかないと求める結果は得られません。
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こうした状況を前に、「人間、完璧じゃなくてもいい」という言葉をよく耳にします。
確かに、日々の生活や人間関係においては、この言葉は大きな慰めとなり、ストレス軽減にも役立ちます。
しかし、現実の世界には、完璧が貫かれないとできないことが確実に存在するのも事実です。
ちょっとしたことでもシステム全体を理解して、単純なミスをしないようにして、ポイントポイントでやるべきことを的確に行うという訓練が必要です。
現代の教育に求められることの一つはそうやってできることを確実に増やすという側面があるでしょう。
同時に、完璧を求められる場面においては、細心の注意と準備が必要であることを認識すべきでしょう。フライフィッシングのような趣味であれば、その過程を楽しむ心の余裕を持ちつつ、各要素の完成度を高めていく姿勢が大切です。
現代社会は、便利さと脆弱性が表裏一体となっています。
この現実を受け入れつつ、適切なバランスを見出していくことが生涯学習という事でもあると思います。