蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

安曇野の駅シリーズ 柏矢町駅

2006年11月10日 | 駅&鉄道
久々の駅シリーズ
穂高駅のひとつ松本寄りだ(取材は11月4日)
大正4年の木造駅舎はやや背高ノッポで古いが結構モダンだ。ゆとりの駅前ロータリーを持つ
市松模様の歩道はおしゃれだ
駅名は地域が柏原と矢原で、柏矢町駅。大阪の地下鉄谷町線にも町をくっつけた駅名がある。
太子橋今市駅。太今でも今太でも問題があるから「太子橋今市」

ロータリーの先 左側には居酒屋とその2階に「等々力克彦ギャラリー」
居酒屋の前にはなぜか古いストーブと煙突が並んでいる。店主の趣味かも

その横には道祖神が鎮座しているのだが、覗きこんでギョ!
強烈な接吻道祖神だった(平成15年の新作)

自宅最寄駅から歩いて帰った。上りだから多分1時間くらいかかるだろう
写真左:途中久しぶりの5線紙を見上げる  写真右:ススキが揺れるのどかな夕暮れ
とっぷり暮れてきて、一瞬脳裏を”クマ”がよぎる。3分の2あたりで迎えを頼んだ

本日の「市民タイムス」に、居住区域内にしかも小学校近辺でも5日から8日までクマ出没の情報ありと掲載。TVニュースで、私と同住所の住民が怪我をしたので友人が心配していた。まぁ田舎は大変広いですから。
でもえらいことですわ・・・・人間もクマも災難

おまけ
180円乗車なのに立派なチケットに恐縮である。プラス委託の駅員が常駐で人件費も??


参考
接吻道祖神は江戸時代のもので明科池桜(当ブログで紹介)にもあります
 時代背景とはいえこちらのほうが自然体? 
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安曇野の駅シリーズ 豊科駅

2006年09月08日 | 駅&鉄道
久しぶりの駅シリーズ
2006年の4月中旬から7月下旬の3.5ケ月間、家造りに参加した折ひとり暮らしをした最寄駅で、思い出深い駅である

大正14年1月開業、標高550メートルにあり、常念岳、蝶ケ岳への登山基地駅
写真左:木造3角屋根の駅舎。駅前にはロータリーがありタクシーの常駐多し
写真右:2006年春大糸線初の自動改札機が設置されたが、必要かなと思うほどの乗降客ではないと思う
     順次自動化する手始めということか?

写真左:正面右の庭にある古そうな二宮金次郎像
写真右:古くて文字も薄くて読みにくい駅名板
この金次郎像に何年か前の駅長さんが、冬は手編みの赤い毛糸の帽子とマフラーを、夏は菅笠と手ぬぐいを巻いたことがあったそうですが、駅員にきくと「私が来た時はありませんでした」とそっけない返事
何処へ行ったのだろう?世相を反映して盗難にでもあったのかな?復活すれば和むんだろうな。
小学校の校門横にはよくあったが、今ではどうだろう。ましてや駅に二宮金次郎像というのは少ないと思われる

豊科駅正面出入口戸の上に古い毛筆の看板がかかっています。読みにくいが「和気兆豊年」説明書きには「わき、ほうねんをきざす」。意味は「やわらいだ空気は、豊かな年の兆しがみえる」とあります。安曇米の産地であったからこんな漢詩?がかけられたのかもしれない。
今は”たまねぎ”で地域おこしを図っています



国営アルプスあづみの公園ゆきのバスが出ており、犀川白鳥飛来湖へもこの駅からです
どちらかというと安曇野市内でも商工地域を抱える駅、学生が多く利用する駅という印象である。
駅舎、駅名板、二宮金次郎像と最新自動改札機の対比を笑わば笑え
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駅ホームの観音様(駅シリーズ番外編)

2006年07月19日 | 駅&鉄道
7月16日掲載の姨捨駅帰路の宿題をかたづけよう
JR東日本篠ノ井線聖高原駅の上り(松本方面)ホームに大きな観音堂があり、観音像が安置されている。お賽銭箱もある。
写真:姨捨駅からの帰り、発車寸前のドアから撮影

以前市民タイムス(地域誌)に取り上げられていたことを思い出し、近くの支社からバックナンバー(4月23日)を入手した
以下記事から抜粋です
       ====================================
仏像の名は「聖(しょう)観世音菩薩」国鉄が民営化される直前の昭和62年3月に建立。像は当時の長野管理局が寄付し、観音堂は村民の寄付で建てられ、駅と村づくりの活性化を祈願するものだった。ホームの真ん中で風雨にさらされ20年、列車と人々の往来を見届けてきた観音像は、当時と変わらない優しいまなざしで利用客の安全を見守っている
       ====================================
泣かせるじゃありませんか。
車社会で駅の利用客はきっと減少しているだろうけど、建立当時の村の心意気が受け継がれるといいですね
■JR東日本長野支社で聞きました
長野支社ホームページ・駅の小さな物語に一駅一名物の紹介があります
支社独自の企画だそうで、全駅カバーではありませんが、ご参考に

余談①
一駅一名物とは知らず、私の観察済みは
上諏訪駅:温泉(今は足湯だが当時は入浴可)
飯山駅:七福の鐘
野辺山駅:JR最高駅の木製碑
松本駅:蕃隆上人像
明科駅:時計台と川端康成の句
穂高駅:2体の道祖神
姨捨駅:松尾芭蕉の句碑
白馬駅:山野草園
聖高原駅:聖観世音菩薩
篠ノ井駅:雪ん子像
なかでも松本駅の上人像は圧巻です
余談②
写真左:駅銘板が印象的
写真右:大糸線は開業90周年を迎えました。穂高駅待合室のなんだか懐かしい天井ディスプレイ
写真大判サイズのサービスつき報告でした
余談③
お金はいりませんが時間のある方は当ブログ松本駅へもお立ち寄りください
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駅シリーズ番外編 姨捨駅

2006年07月16日 | 駅&鉄道
篠ノ井線姨捨駅
因みにここは標高550メートルで我が家は580メートルくらいです。善光寺平が低いので、随分高い駅にいるような気分です。
8日掲載の棚田の熱気があるうちに姨捨駅を紹介しよう
開業は明治33年(1900年)11月1日。駅舎は、昭和9年建築の木造でもう永らく無人駅です
写真左:正面。一見利用客が少なそうな駅舎に大きな自動販売機が並ぶ
写真右:裏(線路側)棚田から眺めるとおぉと感動するデザインです
写真左:正面右手側から。屋根のデザインが複雑で雨漏りの原因になりそう
写真右:正面からホームに入ってきた車両を見る
写真左:線路をまたぐ陸橋は、映画”ET”のクライマックスシーンにいるような気分。
     汚れてきてはいるが、一箇所も破れていないのは地元住民の心意気だろうか
写真右:「おばすて」と読みます。このホームから見える下の線路が篠ノ井⇔松本を結ぶ
■ホームの案内板から
善光寺平の眺望そして鏡台山からのぼる月がゆるやかに里に続く棚田や千曲川に映える美しさは、古来よりこの地を田毎の月と呼んでいる。
姨捨公園長楽寺境内には名月に感動し、更科紀行で詠んだ松尾芭蕉をはじめ、高浜虚子、宗祇法師などの句碑が建てられています。
またこの姨捨駅の近くを走る国鉄は、九つの駅を眺望することが出来特に夜景は素晴らしく、日本三大車窓のひとつに数えられています。
かなり古い看板ですが、当時と景色は変わらずに九つの駅の眺望は健在だと想像できる

余談
姨捨駅を松本にむかって二つめの聖高原駅のホームに菩薩像があり、発車寸前に撮影

何故ここにあるのか?また宿題が・・・・
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安曇野の駅シリーズ 中萱

2006年07月06日 | 駅&鉄道
安曇野圏内(個人的見解による)の駅は下記のとおり
①梓橋(掲載済)
②一日市場(ヒトイチバ。どうしてこう読めるのか?掲載済)
③中萱(ナカガヤ)本日掲載
④南豊科
⑤豊科
⑥柏矢町(ハクヤチョウ)
⑦穂高(掲載済)
⑧有明(掲載済)
⑨安曇追分(掲載済)
⑩細野(掲載済)
⑪北細野(掲載済) 
⑫信濃松川(昨年12月悲願の上り1本特急停車を実現)
⑬安曇沓掛
⑭信濃常盤

さて中萱駅
義民の里として有名な三郷明盛地区にある駅で、大正4年開業で駅舎は昭和61年に改築された
写真左:近くの貞享義民社を模した神殿風の木造駅舎
写真右:多田加助の顕彰碑と駅舎

写真左:駅前ロータリーにもホームにもたくさん咲いていた花
写真右:なぜか待合室にかかっている看板【飲む特は、じっくり吟味、肴も飲み方も。】
     サブタイトル『適正飲酒の10か条』
養生訓だで、全文紹介するだ
□笑いながら共に、楽しく飲もう □人に酒の無理強いをしない
□自分のペースでゆっくりと   □薬といっしょには飲まない
□たべながら飲む習慣を     □強いアルコール飲料は薄めて
□自分の適量にとどめよう    □おそくても夜12時には切り上げよう
□週に2日は休肝日を       □肝臓などの定期検査を
  国税庁 厚生省 社団法人アルコール健康医学協会 と下に文責者名が・・・

さて西へ歩進めると貞享義民記念館があります
貞享は”じょうきょう”と読み、江戸時代の元禄の前の元号で1684年~1686年を指す
貞享3年(1686年)松本平で、多田加助他生きる権利を主張して戦った人達を顕彰した記念館です。
写真左:貞享騒動の立体映像(トリックイマジネーション)が鑑賞できる
写真右:ポスターの上部。最初に見たのは穂高図書館の入口にある掲示板だった。
     かなり強烈な印象があり、いつか訪ねようと思っていた(10年前制作のもの)
     

写真左:貞享義民社 記念館前にあり加助神社とも呼ばれる
写真右:顕彰碑 円柱は固い団結 円錐は意思 天を貫くを表し、中央は霊を永遠に讃え祀る  

写真左:駐車場から見えた「宮本屋」。菓匠としては10年だが建物は100年前だそうだ
     加助さんのとおい親戚筋だということでした  
写真右:全国菓子博覧会会長賞を受賞した「義民の里」(皿の上)

ふるさとを代表する義民銘菓のひとつ。カステラ生地をソフトで口溶けのよいホワイトチョコレートでコーティングし、アーモンドのスライスがのっている。ほかに北海道産の小豆を使った「加助最中」(写真右端)もあります
宮本屋 電話0263-77-2023 火曜日定休

余談
大阪キタにこの義民に感動した「加助」という名の居酒屋さんがあるそうです
機会があれば探して覗いてみようと思う
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安曇野の駅シリーズ 細野

2006年04月28日 | 駅&鉄道
大正4年開業で、北へ走るとあっという間に北細野駅。
松川村内の駅で付近には住宅がなく、勿論無人駅です。小さな待合室と駅表示看板のみ。

公衆電話は地元村人の学校帰りや会社帰りの迎えを依頼するために設置されています。携帯電話の普及で、公衆電話がどんどんなくなる一方で、こんな辺鄙な駅で健在です。維持管理費を考えるとNTTは辛いだろうなぁ。公共性のある企業として例えば地方では1Km以内に設置することという基準があるそうです。
ここから徒歩で10分くらいに、道の駅「寄って亭まつかわ」
信号の少ない高瀬川沿い(北アルプスパノラマロード)ということもあり、白馬や大町方面へまたは方面からの車が多く結構盛んです
地元の農産物や充実の食堂がある
ここには美味しくて珍しい巨峰の干し葡萄が販売されており、ラベルを見て販売者名が就一朗漬本舗(野沢菜漬けで有名)になっていたので笑ってしまった。そばクッキーに載せて焼くと香ばしく、鉄分補充にそのまま頬ばる、牛乳・ヨーグルトに混ぜて頂くなど、並粒のレーズンよりドン!と胃袋にこたえます


粒の大きさ:直径1.5~1.8ミリ 厚さ0.5~0.8ミリ

ちょっと走るとちひろ美術館(最寄でいえば松川駅で紹介が正しい)やとんぼ玉美術博物館
とんぼ玉美術博物館は個人収集としては素晴らしすぎるくらいの充実ぶりです
写真左:安曇野の山麓付近を走っているとわかりやすい案内板が立っている
写真右:この季節はすぐ傍の芦間川をまたいでこいのぼりが泳いでいます。

地方で車窓から見かけるのどかな「五月の節句風物詩」
芦間川沿いを山手へあがってゆくコースは新緑も紅葉も素晴らしいです

村営すずむし荘は日帰り入浴可。外観のシンプルさが好きです
床暖房だからか、スリッパのないのが少々不満。
北側公園は桜が遅ればせの満開で、ぼんぼりが灯り宴会の用意万端整っていました

ユニークな村おこしに、全国どこへでも発送のすずむし小包便もある
松川村観光協会へジャンプすると、1年中すずむしのなき声が聞けます

おまけ
こいのぼりの利用法
麻績村での山の中の標識こいのぼり。「ぽつんとあるトイレが目印です」と役場の職員は案内したが、
行って見たら側にこんなゲートがありました。そういってくれた方がわかりやすかったのに・・・・

赤と黒に分けて設置してあるのがミソ(未開花のカタクリ群生地にて)
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安曇野駅シリーズ 北細野

2006年04月18日 | 駅&鉄道
住宅地の中に駅がある感じです。ひとつ南の細野駅と間隔も短い
近くの「おかめ神社」(鈿女神社)の賑わい盛んな昭和5年に増設された駅ということで納得。
当時は「おかめまえ」といい、昭和12年に北細野と改称
写真左:松本行きの大糸線車両
写真右:住宅地の中の、しかし今はさびれた感も否めない駅

写真左:撮影日(9日)は祭礼があったらしく、辻々にこの幟がはためいていた
写真右:境内の灯篭はきのこのような帽子をかぶっていた

おかめ神社とはなんぞや、おかめひょっとこのあの”おかめ”です
神社の掲示板に「祭神は天鈿女命。創始は明治年間で、昭和前期に賭け福利厚生に霊験ある神として「おかめ様の愛称で親しまれ、多くの信仰者を集めた~~」と書かれています。
もっと詳しくは、
「茅野市の鈿女(うずめ)神社」を拝借
このなかの記事に”安曇の松川村より分社して”とあるので、北細野のあかめさんは先輩ということになる。
もうひとつ
天鈿女命と猿田彦神が「道祖神」として祀られるようになったとも書かれています
さらに
福の神としておかめ様があり「笑う門には福来る」として、心の明るさと癒しを与えてくれる
などなど

境内にすごい形相の狛犬

余談
諸説ありますが「道祖神」について美しくわかりやすいHPを見つけましたので、ご参考に紹介します
茅野市の「貧乏神神社」なんていう面白い記事も
旅行代理店で「道祖神」という会社もあり、数年前アフリカ旅行でお世話になった。スタッフはなかなか親切でありました
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安曇野の駅シリーズ 一日市場

2006年03月29日 | 駅&鉄道
今日は3月29日(水曜日)朝8時の外気温は0℃
6時頃から小雪までちらついている一日の始まりである。
気象学でいう「寒の戻り

さて久々の駅シリーズ
ヒトイチバと読む
なぜこれをヒトイチバと読むのか気になってしょうがない
ヒトでは一日とHitしないがヒトイチバなら一発OK。
白馬方面に十日市場ってのもあります
市場は、そのまんま市場のあったところなのか?
写真左:魅力的とは言いがたい駅舎。駅前タクシーの駐車状況から乗降客の多い駅らしい
写真右:駅舎内に掛る近くの企業から贈呈の可愛いデザイン時計



大正4年1月に「明盛駅」で開業し、5月に「一日市場駅」に変更している。

安曇野市三郷には三つの地区があり、そのひとつ明盛に一日市場がありました。
七日市場(ナノカイチバ)という地名もありました。現在の住居表示は明盛まで。
その地域では昔(どのくらい昔かわかりませんが)それぞれ1日と7日に市がたつので
命名された地名でした。
非常にわかりやすい! 
個人的には、やや古い駅舎を将来改築時に「明盛駅」に戻さないでほしい。

2月15日、三郷のボランティアグループが待合室に毛糸の座布団12枚を贈った
寒い地方の田舎の駅舎には毛糸やボアの座布団をよく見かけます
写真左:正面左のご近所Mapはわかりやすい
写真右:帰り道々見かけた火の見櫓の数が多く、集落ごとにあるのではないか?
     しかも大きなラッパが。ここの防災活動はさぞかし充実しているのだろう



余談
残り地区名は小倉と温(ユタカ=漢字変換可)
横浜市に十日市場、岐阜市にも一日市場というのがありますが、これも同じ意味を持つのかも。
市場つながりで小倉に市場という名の「めるかとりんご農園」があります
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安曇野の駅シリーズ 有明 

2006年02月07日 | 駅&鉄道
昨夜からの降雪で7日朝は積雪10センチ
久しぶりの雪かきです

いわゆる安曇野圏内にはJR大糸線の駅が14あります
篠ノ井線も参加させようというなら田沢と明科のふたつ(今後の課題とする)
梓川から北へ高瀬川まで、駅なら梓橋から信濃常盤。

①梓橋(掲載済)
②一日市場(ヒトイチバ。どうしてこう読めるのか?)
③中萱(ナカガヤ)
④南豊科
⑤豊科
⑥柏矢町(ハクヤチョウ)
⑦穂高(掲載済)

さて⑧有明駅 大正4年開業
この駅も安曇追分と同様、安曇野市がJR東日本から委託されて7時から17時まで窓口業務をする。
写真左:駅舎は袴腰式の建物で太い石積みの柱が立つ車寄せがある。なつかしいポストも健在
写真右:入口の上を見上げると太い木組みの梁があり、看板の文字にも注目

壁の下部分も石積みになっていて、かなりゴツゴツしているが素晴らしい木造駅舎です
係りのおじさんがもう少し愛想良いともっと嬉しいのだが・・・・
松本から白馬方面へ行くダイヤのうち有明止まりが3本/日あるので要注意です

JR東日本長野支社に聞くと、駅舎のデザインや構造はJR(元国鉄)が仕切っているのではなく、
おおむね地元自治体主導で決定してゆくそうです。
都会の駅がどんどん似たりよったりのデザインになってゆくのを見るにつけ、いつまでも
存在感を失わないで欲しいと願う。

この後も駅は続く
⑨安曇追分(掲載済)
⑩細野
⑪北細野 
⑫信濃松川(昨年12月悲願の上り1本特急停車を実現)
⑬安曇沓掛
⑭信濃常盤

こうして並べると、信濃○○と安曇□□が混在している
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安曇野の駅シリーズ 安曇追分

2006年01月29日 | 駅&鉄道
しなの鉄道に「信濃追分」がある
移住当初、ある放送局の天気予報のバックに電車が走るのだが、「信濃追分」の看板を背負っている。車両デザインの違いに気づかず「安曇追分なのに何故だう?」と真剣に悩んでいた。
しなの鉄道は観光地として人気のある軽井沢を通る鉄道で、JRではない。
新幹線建設にあたり並行在来線となる軽井沢~篠ノ井間は、新幹線開業時に東日本旅客鉄道株式会社から経営分離されることとなり、第三セクター「しなの鉄道株式会社」が設立され、平成9年10月1日に開業した。
ちなみに信濃追分駅は軽井沢駅からふたつ西の駅です

さて、安曇追分駅
写真左:勿論ホームはひとつ。クラシックな木造ホーム屋根に注目
写真右:駅舎の屋根は赤く洋館風。山麓沿いにある「鐘の鳴る丘の建物がイメージされている
(上記Webサイトは早春賦と同じ方からいただきました。♪を聴きながら是非最後まで読んでください)


大正4年の開業時は「アルプス追分駅」だった。
明治20年代に日本アルプスと命名されたことを受けての駅名だったのか?
なぜか大正8年に安曇追分に変更されている。
またまた余談
「日本アルプス」という名称は、イギリス人冶金技師ウイリアム・ガウランドが「日本案内」という著書の中で紹介したのが最初といわれている。ガウランドは、大阪造幣局寮のお雇い外国人技師として明治5年に来日し、明治11年7月、外国人として初めて槍ヶ岳に登頂した。なお、ウェストンの槍ヶ岳登頂は明治25年であり、日本アルプスの命名者でなく世界に知らしめた紹介者である。日本での登頂山が多く活動地も広く上高地ほか銅像が建っていることも知名度を高くしているのかも。安曇野では須佐渡渓谷(掘金)にあります。

ふたたび安曇追分駅。7時から17時までは駅員がいますが、JR東日本から委託を受けて
穂高町(現安曇野市)から派遣されている職員だそうです。残念ながらサービス精神にはかけます。
「切符・特急券・定期券は是非地元の駅でご購入ください」の掲示板がありました。
南側の道を有明山に向かって行くと、有明山ロードという木立の中を走る。
山麓線にぶつかりとんがり帽子の時計台へ続く


右方向へ上ると中房温泉~北アルプス登山口へとつながります。
学内登山で燕岳へ行ったよと地元の人から聞きます

写真左:有明山へ続く木立のなかの道(2005年春撮影)
写真右:はるかに見える燕岳(雪山)。手前は有明山(2005年初夏撮影)
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