劇団民芸の中心俳優として活躍し、映画やテレビでも人生の哀歓にじむ老人などの名脇役を演じた俳優で文化功労者の大滝秀治(おおたき・ひでじ)さんが2日午後3時17分、肺扁平(へんぺい)上皮がんで死去した。87歳だった。(朝日新聞)
劇団民藝代表で、ホームページにお別れの会の情報が載っている。劇団民藝というのは、戦後に滝沢修や宇野重吉が1950年に結成した劇団。大滝秀治は、1948年、今の民藝になる前の民衆芸術劇場時代の養成所第1期生になっている。奈良岡朋子が同期で、ともに代表を務めていた。
僕は去年主演を務めた民藝公演「帰還」(坂手洋二作)を見ている。今年予定されていた「うしろ姿のしぐれていくか」も楽しみにしていたが、今見直すと4月20日付だが、以下のようなお知らせが民藝のホームページに載った。
お詫びと配役変更のお知らせ 『うしろ姿のしぐれてゆくか』に出演を予定していた大滝秀治は、体調不良のため、残念ながら同舞台に出演できなくなりました。早い復帰をめざして休養することにいたします。ご期待くださった仲間の会のみなさまをはじめ観客の方々には申し訳ないことになりましたが、事情ご了解くださるようお願い申し上げます。 山頭火役は大滝に代わり、内藤安彦がつとめます。
そして、高齢である故、もう現役俳優として見ることはできないのではないかと予感して悲しくなった。多忙だったから、「巨匠」「らくだ」などの近年の代表作というべき作品も見れなかった。残念だ。それでも最後の主演舞台作品「帰還」を見ておけたのは良かった。
僕が大滝秀治の名を知ったのは、1970年代半ばの日本映画での大活躍。特に75年に「あにいもうと」(今井正監督)で、キネマ旬報助演男優賞などを取った。この後、日本映画の大作には大体出ている。民藝では長く恵まれず、舞台でも70年代頃から評価されている。1925年生まれで、若いときは俳優としてはパッとせず、45歳以後に年齢と合った老け役でようやく認められたわけである。まあ、滝沢修と宇野重吉がいたから、他の男優は入り込む余地がなかったのだろう。50代になってからの大活躍である。今の岸部一徳や笹部高史などのように、主だった映画を見れば大体大滝秀治が出ていた。
と同時に、演劇や映画というより、多くの人が大滝秀治を覚えているのは、テレビ作品だろう。特に東芝日曜劇場の「うちのホンカン」シリーズ。「ホンカン」は本官で、倉本聰が北海道の駐在所の巡査を描く。「本官は…」が口癖なので、「うちのホンカン」。飄々とした味わいを基調としながら頑固な巡査像をうまく演じている。演技なんだか、地なんだかよく判らないような境地に達して初めて認められた役者だったと言えるかもしれない。他にもテレビ出演は多く、お茶の間でも知られた俳優だった。ただあまりに多くの作品に出ていて、映画の印象なども実はあまりない。今公開中の「あなたへ」は見てないので、僕には2010年の「春との旅」が最後になった。北海道の家から出て兄弟を訪ね歩く仲代達矢、弟の仲代を追い返す兄を巧みに演じていた。姉を淡島千景が演じていたが、二人とも亡くなってしまった。僕には映画や演劇の前に、テレビで飄々と演じていた初老の役柄が印象に近い。役者だから「あく」が全然ないわけではないが、滝沢修や宇野重吉などほどの「くせ」がなく、そういう戦後を作り上げてきた名優が去っていく中で、名優と言われる活躍をしたという時代都のめぐりあわせを僕は感じていた。
劇団民藝代表で、ホームページにお別れの会の情報が載っている。劇団民藝というのは、戦後に滝沢修や宇野重吉が1950年に結成した劇団。大滝秀治は、1948年、今の民藝になる前の民衆芸術劇場時代の養成所第1期生になっている。奈良岡朋子が同期で、ともに代表を務めていた。
僕は去年主演を務めた民藝公演「帰還」(坂手洋二作)を見ている。今年予定されていた「うしろ姿のしぐれていくか」も楽しみにしていたが、今見直すと4月20日付だが、以下のようなお知らせが民藝のホームページに載った。
お詫びと配役変更のお知らせ 『うしろ姿のしぐれてゆくか』に出演を予定していた大滝秀治は、体調不良のため、残念ながら同舞台に出演できなくなりました。早い復帰をめざして休養することにいたします。ご期待くださった仲間の会のみなさまをはじめ観客の方々には申し訳ないことになりましたが、事情ご了解くださるようお願い申し上げます。 山頭火役は大滝に代わり、内藤安彦がつとめます。
そして、高齢である故、もう現役俳優として見ることはできないのではないかと予感して悲しくなった。多忙だったから、「巨匠」「らくだ」などの近年の代表作というべき作品も見れなかった。残念だ。それでも最後の主演舞台作品「帰還」を見ておけたのは良かった。
僕が大滝秀治の名を知ったのは、1970年代半ばの日本映画での大活躍。特に75年に「あにいもうと」(今井正監督)で、キネマ旬報助演男優賞などを取った。この後、日本映画の大作には大体出ている。民藝では長く恵まれず、舞台でも70年代頃から評価されている。1925年生まれで、若いときは俳優としてはパッとせず、45歳以後に年齢と合った老け役でようやく認められたわけである。まあ、滝沢修と宇野重吉がいたから、他の男優は入り込む余地がなかったのだろう。50代になってからの大活躍である。今の岸部一徳や笹部高史などのように、主だった映画を見れば大体大滝秀治が出ていた。
と同時に、演劇や映画というより、多くの人が大滝秀治を覚えているのは、テレビ作品だろう。特に東芝日曜劇場の「うちのホンカン」シリーズ。「ホンカン」は本官で、倉本聰が北海道の駐在所の巡査を描く。「本官は…」が口癖なので、「うちのホンカン」。飄々とした味わいを基調としながら頑固な巡査像をうまく演じている。演技なんだか、地なんだかよく判らないような境地に達して初めて認められた役者だったと言えるかもしれない。他にもテレビ出演は多く、お茶の間でも知られた俳優だった。ただあまりに多くの作品に出ていて、映画の印象なども実はあまりない。今公開中の「あなたへ」は見てないので、僕には2010年の「春との旅」が最後になった。北海道の家から出て兄弟を訪ね歩く仲代達矢、弟の仲代を追い返す兄を巧みに演じていた。姉を淡島千景が演じていたが、二人とも亡くなってしまった。僕には映画や演劇の前に、テレビで飄々と演じていた初老の役柄が印象に近い。役者だから「あく」が全然ないわけではないが、滝沢修や宇野重吉などほどの「くせ」がなく、そういう戦後を作り上げてきた名優が去っていく中で、名優と言われる活躍をしたという時代都のめぐりあわせを僕は感じていた。