もう終わったんだけど、例年10月の連休に「グローバル・フェスタ」という催しが東京の真ん中、日比谷公園で行われます。主催は実行委員会だけど、共催に外務省やJICAが入って、後援に政府各省が加わるという公的な催しです。まあ日比谷公園でやる催しは大体そうなんだけど、ブースのテントがいっぱいあって回るのが途中で面倒くさくなる。今日ちょっと行ったんですが、たぶんちゃんと回ると知り合いがいるのではないかと思うんですが、晴れて来て暑くなって早々に退散してしまいました。
で、そのことではなく。いつも思うんだけど、「グローバル・フェスタ」って何だよ、と名前に違和感を持つのです。何で、フェスタなの?
ネットの辞書で引いてみれば、フェスタ【(イタリア)festa】祭り。祝祭。祭祀(さいし)。祝日。
「グローバル」は、global[形] 1 全世界の,地球上の,世界的な(以下省略)
言うまでもなく、グローバルは「英語」。フェスタは「イタリア語」。
この「違う言語をくっつけて使う」というところに僕の違和感があります。
「グローバル・フェスティバル」じゃ、なぜダメなのか。というか「地球祭り」じゃダメなの?
混ぜるから「グローバル」なのかな。外国語を使わないと、趣旨に反するのか?
僕は外国語を消化して、カタカナで表記していく現代日本語のあり方に反対ではないです。あまりにも訳の判らないのは困りますが。漢字しかない中国よりも、カタカナで表音表記できる日本語表現の方が、欧米の影響を避けられない現代では便利ではないかと思います。しかし、コンピュータを「電脳」とするような漢字表記も捨てがたいのですが。ただ、僕の感覚では、「英語なら全部英語にして欲しい」と思ってしまうのです。
まあ、漢字の読みにも「重箱読み」「湯桶読み」があるわけで、混ぜこぜが日本語の特徴なのかも。
この問題を意識したのはずいぶん昔で、僕は「ブルー・シャトー問題」と自分で勝手に呼んでいます。そう、ジャッキー吉川とブルーコメッツが1967年に歌ってレコード大賞を受賞した曲ですね。
子どもだった僕は、皆と一緒に、「森と(ンカツ) 泉に(ンニク) 囲ーまれて(ンプラ)」と歌っていましたね。大学生になって第二外国語でフランス語をやって気づいたけど、「Blue Chateau」って英語とフランス語の混ぜこぜではないですか。「ブルー・キャッスル」ではダメなのか。いや、ダメですね、それは。森と泉に囲まれている古城は、当時の(今も)日本の言語感覚ではフランス語の「シャトー」の方がロマンティックに聞こえるのは確かです。まあ、青はフランス語でも「bleu」ですが、語順が逆になるはずだと思います。この曲の表記は、「Blue Chateau」らしいから、英語で「ブルーな」と言って、そういう「シャトー」だと表現してる感じがしました。
まあ、一つの考え方としては「ブルー」は日本に定着し日本語化している外来語。「シャトー」も聞かないではないけれど、意味を分からない人は(特に当時は)多かったでしょう。「ブルーなChateau」という題名と考えるわけです。
このような言葉の例で有名なものに、「フリーター」があります。ドイツ語の「勤労者」を意味する「アルバイター」(Arbeiter)に、日本で英語の「フリー」を付け、さらに略語となったという複雑な「和製造語」です。これは外国語では正式には何と言うのだろうという問い自体が成り立ちません。「正社員」と「アルバイト」という枠組みがない国では、そういう言葉が必要ないので。
これも僕は「フリー・ワーカー」ではダメなのか。略語「フリーカー」でいいではないか、と思ったりします。これも一つの解釈は「アルバイト」がすでに日本語化しているとみなすことです。「アルバイター」はなじみがないですが、何となくアルバイトする人の意味だろうとわかるわけです。で、その日本語化した「アルバイト」を「アルバイター」にして、「フリー」を付けて、さらに省略したと。
こういう言葉に違和感を持つ必要があるのかないのか、自分でも判りませんが、注意してみていると結構あるものです。特にドライブ中に「ラブホテル」の看板を見てると、時々ある。「ホテル・セゾン」とか「クリスタル・シャトー」とかありそうでしょ。
僕には違和感があるし、何も外務省が言わなくてもいいのでは、と思うわけ。「英語」という表記の問題もあるけれど、今はそれは置き、外国語の国籍混ぜこぜ問題だけ。別にそれほど文化的ナショナリストではないんだけど、できれば「やまとことば」で表現していったほうがいいのではないかという気持ちはあります。僕は「フェスタ」は「まつり」でいいのではないかと思うけど。
で、そのことではなく。いつも思うんだけど、「グローバル・フェスタ」って何だよ、と名前に違和感を持つのです。何で、フェスタなの?
ネットの辞書で引いてみれば、フェスタ【(イタリア)festa】祭り。祝祭。祭祀(さいし)。祝日。
「グローバル」は、global[形] 1 全世界の,地球上の,世界的な(以下省略)
言うまでもなく、グローバルは「英語」。フェスタは「イタリア語」。
この「違う言語をくっつけて使う」というところに僕の違和感があります。
「グローバル・フェスティバル」じゃ、なぜダメなのか。というか「地球祭り」じゃダメなの?
混ぜるから「グローバル」なのかな。外国語を使わないと、趣旨に反するのか?
僕は外国語を消化して、カタカナで表記していく現代日本語のあり方に反対ではないです。あまりにも訳の判らないのは困りますが。漢字しかない中国よりも、カタカナで表音表記できる日本語表現の方が、欧米の影響を避けられない現代では便利ではないかと思います。しかし、コンピュータを「電脳」とするような漢字表記も捨てがたいのですが。ただ、僕の感覚では、「英語なら全部英語にして欲しい」と思ってしまうのです。
まあ、漢字の読みにも「重箱読み」「湯桶読み」があるわけで、混ぜこぜが日本語の特徴なのかも。
この問題を意識したのはずいぶん昔で、僕は「ブルー・シャトー問題」と自分で勝手に呼んでいます。そう、ジャッキー吉川とブルーコメッツが1967年に歌ってレコード大賞を受賞した曲ですね。
子どもだった僕は、皆と一緒に、「森と(ンカツ) 泉に(ンニク) 囲ーまれて(ンプラ)」と歌っていましたね。大学生になって第二外国語でフランス語をやって気づいたけど、「Blue Chateau」って英語とフランス語の混ぜこぜではないですか。「ブルー・キャッスル」ではダメなのか。いや、ダメですね、それは。森と泉に囲まれている古城は、当時の(今も)日本の言語感覚ではフランス語の「シャトー」の方がロマンティックに聞こえるのは確かです。まあ、青はフランス語でも「bleu」ですが、語順が逆になるはずだと思います。この曲の表記は、「Blue Chateau」らしいから、英語で「ブルーな」と言って、そういう「シャトー」だと表現してる感じがしました。
まあ、一つの考え方としては「ブルー」は日本に定着し日本語化している外来語。「シャトー」も聞かないではないけれど、意味を分からない人は(特に当時は)多かったでしょう。「ブルーなChateau」という題名と考えるわけです。
このような言葉の例で有名なものに、「フリーター」があります。ドイツ語の「勤労者」を意味する「アルバイター」(Arbeiter)に、日本で英語の「フリー」を付け、さらに略語となったという複雑な「和製造語」です。これは外国語では正式には何と言うのだろうという問い自体が成り立ちません。「正社員」と「アルバイト」という枠組みがない国では、そういう言葉が必要ないので。
これも僕は「フリー・ワーカー」ではダメなのか。略語「フリーカー」でいいではないか、と思ったりします。これも一つの解釈は「アルバイト」がすでに日本語化しているとみなすことです。「アルバイター」はなじみがないですが、何となくアルバイトする人の意味だろうとわかるわけです。で、その日本語化した「アルバイト」を「アルバイター」にして、「フリー」を付けて、さらに省略したと。
こういう言葉に違和感を持つ必要があるのかないのか、自分でも判りませんが、注意してみていると結構あるものです。特にドライブ中に「ラブホテル」の看板を見てると、時々ある。「ホテル・セゾン」とか「クリスタル・シャトー」とかありそうでしょ。
僕には違和感があるし、何も外務省が言わなくてもいいのでは、と思うわけ。「英語」という表記の問題もあるけれど、今はそれは置き、外国語の国籍混ぜこぜ問題だけ。別にそれほど文化的ナショナリストではないんだけど、できれば「やまとことば」で表現していったほうがいいのではないかという気持ちはあります。僕は「フェスタ」は「まつり」でいいのではないかと思うけど。