今日買ったばかりで、まだ読んでない。読んでからなんて言ってると遅くなって書かなくなるかもしれないので、今紹介してしまう。上野千鶴子さんの本である。今月の岩波現代文庫新刊。「ナショナリズムとジェンダー新版」(1240円)と「生き延びるための思想新版」(1300円)。
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紹介する意味は後で書くが、どちらも「新版」である。だから、元の本を持っているという人は買わなくてもいいと思うかもしれない。でも、この「新版」という意味は重い。「ナショナリズムとジェンダー」には「『慰安婦』問題は終わらない」と帯に書かれている。「生き延びるための思想」は「逃げよ、生き延びよ」。そして「東大最終講義を収録」とある。この本の第Ⅴ章、「3・11の後に」に「生き延びるための思想-東大最終講義に代えて」が収録されているわけである。そして、この「3・11の後に」が311頁から始まるという何という卓抜な編集。
上野千鶴子が「3・11後」を語るという、それだけで「新版」といえども買うべきだ。(もっとも僕は元を買ってないけど。)一方、「ナショナリズムとジェンダー」も、第2部、第3部は全部新たに収録されたもので、特に「アジア女性基金の歴史的総括のために」という書き下ろしの文章が入っている。これは読まないと。岩波の本は町の小さな書店には置いてないことが多い。大型書店かネットで買うことになる。だから意図的に買おうという意思がないと知らずに終わるかもしれない。それも早めに紹介する理由の一つである。
以上の点だけでも紹介に値するが、上野千鶴子といえば、知的関心がある人なら買わないわけにはいかない存在、だったと思う。ついちょっと前までは。でも、フェミニスト世代も高齢化し、若い人は東大の教授だったエライ人としか思ってない人も多いだろう。上野さんの本といえば、フェミニズムやケアだから、「男は関係ない」「怖いから読まない」という「食わず嫌い」の男どもも多いのではないか。何ともったいないことか。「主張はともかく、芸を楽しむ」という読み方だってできるのが、上野さんの本だと僕は思っている。それは「セクシィ・ギャルの大研究」(これも今や岩波現代文庫で生き延びている)だけだろうと言われるかもしれないが。確かに、「従軍慰安婦問題」に何の関心のかけらもない人は、無理して「ナショナリズムとジェンダー」を読むのは辛いだろう。でも、僕が思うのはむしろ「運動」の側で、上野千鶴子さんの本をもっと読んでおくことが必要なのではないかということだ。
例えば、「ナショナリズムとジェンダー」自著解題の一節。「『国民基金』の解散は、折しも日本でもっとも保守的な政治家、安倍晋三政権のもとであった。憲法改正を可能にし、教育基本法を『改悪』し、『ジェンダーフリー』バッシングの先頭に立ち、そして2000年の女性国際戦犯法廷のNHK放映に介入した当の政治家が、政権のトップに就いたときである。」「『国民基金』関係者が政治的リアリズムから予見した通り、その後の日本の政治環境は右傾化の一途をたどり、『あのとき』を除けば、『国民基金』が成立する機会は二度とふたたび訪れなかった-のは、今となっては誰しも認めないわけにはいかないだろう。そしてこのようなささやかな『評価』ですら、『国民基金』側に立つ者として裁断されるような原理主義が、運動体の側にあり、それを指摘することすらタブー視される傾向がある。」
やはり上野さんはすごい、と思った。このような情勢自体、運動体の分裂というようなことも、今や歴史的に追及されるべき問題である。そうでないと、原発問題で同じことが繰り返される。いや、もう繰り返しているのではないか。バラバラに選挙に立ち、安倍政権の再来をもたらすのか。
そして、「生き延びるための思想」自著解題に、次のような深い言葉が書かれている。「ケアとは非暴力を学ぶ実践である。この目の覚めるような命題に出会ったのは、岡野八代の近刊『フェミニズムの政治学』である。」「『3・11』は圧倒的な災厄だった。その中でももともと弱者だった者たちが、さらに災害弱者となった。女、高齢者、障害者、子ども、外国人…である。無力な者に強者になれと要求することはできない。無力な者が無力なまま、それでも生き延びていけるためにはどうすればいいのか?」
僕は上野千鶴子さんの本は比較的読んできたと思う。上野さんは社会学なので、専門的な本は読んでないものも多いのだが。でも、現代日本を考えるときに、「上野千鶴子がどう語るか」は常に関心を持ってきた。そういう現代日本の何人かの「知的リーダー」の一人と思ってきたのである。90年代に入って、歴史問題と性教育などで「バックラッシュ」と言われる動きが強まってくる。その先頭をひた走ってきたのは、東京都教育委員会だった。「つくる会教科書」を採択し、「七生養護学校事件」を起こし、「10・23通達」を出し、教員の職階制を強化し、教員賃金の成果主義をすすめ、僕には毎年毎年、毎月毎月、暗い時代が強まっていった。(別に学校現場の生徒は関係ないのだが。)そして安倍政権が出来て、教育基本法が改悪され、教員免許更新制が通った。(さすがに上野さんは、教員免許更新制には触れていない。)
僕は授業で涙を流したことがただ一度だけある。それは90年代後半に、戦争の特別授業を行った時に、石川逸子さんの「従軍慰安婦」に関する詩を朗読した時のことである。「731部隊展」に関わり、生徒に勧めて感想文を書かせるようなことができた時代だった。そんなことを思い出しながら、上野さんの文章を読み直してみたいと思う。上野さんは、良く知られているように、2011年3月末をもって、東大を早期退職した。以後は「Women'sAction Network」を拠点にし、そのWEBサイトにブログもある。2011年3月というのは、そこで辞めた人が多い時だった。上野千鶴子はその一人、僕もその一人。
安倍晋三は今日靖国神社に参拝し、沖縄では再び米兵による女性への暴力事件が発生した、そういう日に。
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紹介する意味は後で書くが、どちらも「新版」である。だから、元の本を持っているという人は買わなくてもいいと思うかもしれない。でも、この「新版」という意味は重い。「ナショナリズムとジェンダー」には「『慰安婦』問題は終わらない」と帯に書かれている。「生き延びるための思想」は「逃げよ、生き延びよ」。そして「東大最終講義を収録」とある。この本の第Ⅴ章、「3・11の後に」に「生き延びるための思想-東大最終講義に代えて」が収録されているわけである。そして、この「3・11の後に」が311頁から始まるという何という卓抜な編集。
上野千鶴子が「3・11後」を語るという、それだけで「新版」といえども買うべきだ。(もっとも僕は元を買ってないけど。)一方、「ナショナリズムとジェンダー」も、第2部、第3部は全部新たに収録されたもので、特に「アジア女性基金の歴史的総括のために」という書き下ろしの文章が入っている。これは読まないと。岩波の本は町の小さな書店には置いてないことが多い。大型書店かネットで買うことになる。だから意図的に買おうという意思がないと知らずに終わるかもしれない。それも早めに紹介する理由の一つである。
以上の点だけでも紹介に値するが、上野千鶴子といえば、知的関心がある人なら買わないわけにはいかない存在、だったと思う。ついちょっと前までは。でも、フェミニスト世代も高齢化し、若い人は東大の教授だったエライ人としか思ってない人も多いだろう。上野さんの本といえば、フェミニズムやケアだから、「男は関係ない」「怖いから読まない」という「食わず嫌い」の男どもも多いのではないか。何ともったいないことか。「主張はともかく、芸を楽しむ」という読み方だってできるのが、上野さんの本だと僕は思っている。それは「セクシィ・ギャルの大研究」(これも今や岩波現代文庫で生き延びている)だけだろうと言われるかもしれないが。確かに、「従軍慰安婦問題」に何の関心のかけらもない人は、無理して「ナショナリズムとジェンダー」を読むのは辛いだろう。でも、僕が思うのはむしろ「運動」の側で、上野千鶴子さんの本をもっと読んでおくことが必要なのではないかということだ。
例えば、「ナショナリズムとジェンダー」自著解題の一節。「『国民基金』の解散は、折しも日本でもっとも保守的な政治家、安倍晋三政権のもとであった。憲法改正を可能にし、教育基本法を『改悪』し、『ジェンダーフリー』バッシングの先頭に立ち、そして2000年の女性国際戦犯法廷のNHK放映に介入した当の政治家が、政権のトップに就いたときである。」「『国民基金』関係者が政治的リアリズムから予見した通り、その後の日本の政治環境は右傾化の一途をたどり、『あのとき』を除けば、『国民基金』が成立する機会は二度とふたたび訪れなかった-のは、今となっては誰しも認めないわけにはいかないだろう。そしてこのようなささやかな『評価』ですら、『国民基金』側に立つ者として裁断されるような原理主義が、運動体の側にあり、それを指摘することすらタブー視される傾向がある。」
やはり上野さんはすごい、と思った。このような情勢自体、運動体の分裂というようなことも、今や歴史的に追及されるべき問題である。そうでないと、原発問題で同じことが繰り返される。いや、もう繰り返しているのではないか。バラバラに選挙に立ち、安倍政権の再来をもたらすのか。
そして、「生き延びるための思想」自著解題に、次のような深い言葉が書かれている。「ケアとは非暴力を学ぶ実践である。この目の覚めるような命題に出会ったのは、岡野八代の近刊『フェミニズムの政治学』である。」「『3・11』は圧倒的な災厄だった。その中でももともと弱者だった者たちが、さらに災害弱者となった。女、高齢者、障害者、子ども、外国人…である。無力な者に強者になれと要求することはできない。無力な者が無力なまま、それでも生き延びていけるためにはどうすればいいのか?」
僕は上野千鶴子さんの本は比較的読んできたと思う。上野さんは社会学なので、専門的な本は読んでないものも多いのだが。でも、現代日本を考えるときに、「上野千鶴子がどう語るか」は常に関心を持ってきた。そういう現代日本の何人かの「知的リーダー」の一人と思ってきたのである。90年代に入って、歴史問題と性教育などで「バックラッシュ」と言われる動きが強まってくる。その先頭をひた走ってきたのは、東京都教育委員会だった。「つくる会教科書」を採択し、「七生養護学校事件」を起こし、「10・23通達」を出し、教員の職階制を強化し、教員賃金の成果主義をすすめ、僕には毎年毎年、毎月毎月、暗い時代が強まっていった。(別に学校現場の生徒は関係ないのだが。)そして安倍政権が出来て、教育基本法が改悪され、教員免許更新制が通った。(さすがに上野さんは、教員免許更新制には触れていない。)
僕は授業で涙を流したことがただ一度だけある。それは90年代後半に、戦争の特別授業を行った時に、石川逸子さんの「従軍慰安婦」に関する詩を朗読した時のことである。「731部隊展」に関わり、生徒に勧めて感想文を書かせるようなことができた時代だった。そんなことを思い出しながら、上野さんの文章を読み直してみたいと思う。上野さんは、良く知られているように、2011年3月末をもって、東大を早期退職した。以後は「Women'sAction Network」を拠点にし、そのWEBサイトにブログもある。2011年3月というのは、そこで辞めた人が多い時だった。上野千鶴子はその一人、僕もその一人。
安倍晋三は今日靖国神社に参拝し、沖縄では再び米兵による女性への暴力事件が発生した、そういう日に。