今日は休もうかと思ったんだけど、ニュースを聞いてて「言葉の問題」。「感動」は貰えるものなのか、とか、「グローバル・フェスタ」っておかしくない?という話を書いたけど、言葉についておかしいんじゃないと思ってることはもっといっぱいある。少し、まとめて書いてしまおうか。
首都圏のニュースというコーナーで、来年の千葉県知事選挙に共産党推薦の候補が決まったというニュースを報じていた。いやあ、森田健作が当選してからもう3年経ったのか。どうなるのかと思ったけど、石原慎太郎や橋下徹ほど目立ってない。やはり東京や大阪という場所が「中央政府」を過剰に意識させてしまうのか。それはともかく、NHKのWEBニュースを見ると、
来年4月に任期満了となる千葉県知事選挙に、千葉大学名誉教授の三輪定宣氏が共産党の推薦を受けて無所属で立候補することを表明しました。(中略)三輪氏は75歳。高知大学や千葉大学の教授を経て、現在、千葉大学の名誉教授などを務めています。千葉県知事選挙にこれまでに立候補を表明したのは三輪氏だけです。
別に千葉県知事選の問題ではない。「名誉教授を務めています」の問題。ああ、この記者は「名誉教授」を知らないんじゃないか、と思った。僕も若いときは、助手、講師、助教授(今は准教授という)、教授、名誉教授、なんていう順番があると思っていた。年取ってきて一番偉くなった教授が「名誉教授」で、当然その大学で仕事をしていて、受けたければその先生の講義を聞けたりするもんだと。
でも、本当は違う。「名誉教授」は「称号」に過ぎない。「人間国宝(重要無形文化財保持者)を務めています」なんて言わない。同じように「名誉教授」も、仕事ではないから務めるという表現はおかしい。名誉教授は、その大学(高専も)の教授を辞めた後でしか、もらえない。企業では会長や社長を務めた者に対して、辞めた後も「名誉会長」「相談役」「顧問」などの肩書を付けて、部屋も用意して、まあ代表権はないけど、時々ご高説をうかがうというようなことがよくある。こういうのは、実際にそういう「役職」(特に意味のある仕事はないけど)に任命されているので、「務めている」と言っていい。でも、「名誉教授」はそういう「名誉職」ではなくて、本当に単なる称号なのである。
そして、「名誉教授」は実は学校教育法で決まっている。各大学が勝手にあげた称号ではなく、法に規定されたものなのだ。
第百六条 大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であつて、教育上又は学術上特に功績のあつた者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。
「勤務した者で」とあるように、現職中になることはない。退職した人に追贈するものなのである。それでも退職後も講義を持つような人もいる。そういう場合も「特任教授」「客員教授」などの役職に別に任命される必要がある。東大や京大などの「有名大学」の教授だった人は、退職して私立大学に務めることもよくあるが、マスコミなんかに出るときは今の仕事ではなく、称号に過ぎない「東大名誉教授」を使ったりすることがある。そういうのもどうかと思うけど。
今回の三輪氏という人は、他のニュースサイトを見ると、「千葉大学教育学部などで教鞭を取り、現在は帝京短期大学こども教育学科の教授を務めています。」とあった。つまりこの人の正しい仕事の肩書きは「帝京短期大学教授」である。それを現職ではなく、過去にもらった「称号」で表すのは、どうなのかなあ、といつも思っているので、ちょっと。
首都圏のニュースというコーナーで、来年の千葉県知事選挙に共産党推薦の候補が決まったというニュースを報じていた。いやあ、森田健作が当選してからもう3年経ったのか。どうなるのかと思ったけど、石原慎太郎や橋下徹ほど目立ってない。やはり東京や大阪という場所が「中央政府」を過剰に意識させてしまうのか。それはともかく、NHKのWEBニュースを見ると、
来年4月に任期満了となる千葉県知事選挙に、千葉大学名誉教授の三輪定宣氏が共産党の推薦を受けて無所属で立候補することを表明しました。(中略)三輪氏は75歳。高知大学や千葉大学の教授を経て、現在、千葉大学の名誉教授などを務めています。千葉県知事選挙にこれまでに立候補を表明したのは三輪氏だけです。
別に千葉県知事選の問題ではない。「名誉教授を務めています」の問題。ああ、この記者は「名誉教授」を知らないんじゃないか、と思った。僕も若いときは、助手、講師、助教授(今は准教授という)、教授、名誉教授、なんていう順番があると思っていた。年取ってきて一番偉くなった教授が「名誉教授」で、当然その大学で仕事をしていて、受けたければその先生の講義を聞けたりするもんだと。
でも、本当は違う。「名誉教授」は「称号」に過ぎない。「人間国宝(重要無形文化財保持者)を務めています」なんて言わない。同じように「名誉教授」も、仕事ではないから務めるという表現はおかしい。名誉教授は、その大学(高専も)の教授を辞めた後でしか、もらえない。企業では会長や社長を務めた者に対して、辞めた後も「名誉会長」「相談役」「顧問」などの肩書を付けて、部屋も用意して、まあ代表権はないけど、時々ご高説をうかがうというようなことがよくある。こういうのは、実際にそういう「役職」(特に意味のある仕事はないけど)に任命されているので、「務めている」と言っていい。でも、「名誉教授」はそういう「名誉職」ではなくて、本当に単なる称号なのである。
そして、「名誉教授」は実は学校教育法で決まっている。各大学が勝手にあげた称号ではなく、法に規定されたものなのだ。
第百六条 大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であつて、教育上又は学術上特に功績のあつた者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。
「勤務した者で」とあるように、現職中になることはない。退職した人に追贈するものなのである。それでも退職後も講義を持つような人もいる。そういう場合も「特任教授」「客員教授」などの役職に別に任命される必要がある。東大や京大などの「有名大学」の教授だった人は、退職して私立大学に務めることもよくあるが、マスコミなんかに出るときは今の仕事ではなく、称号に過ぎない「東大名誉教授」を使ったりすることがある。そういうのもどうかと思うけど。
今回の三輪氏という人は、他のニュースサイトを見ると、「千葉大学教育学部などで教鞭を取り、現在は帝京短期大学こども教育学科の教授を務めています。」とあった。つまりこの人の正しい仕事の肩書きは「帝京短期大学教授」である。それを現職ではなく、過去にもらった「称号」で表すのは、どうなのかなあ、といつも思っているので、ちょっと。