読書の勧め最終回。①②は前置きみたいなもので、本は楽しいとか役に立つ、若いときに読書の習慣をつけましょうという話。一番書きたいことは「古典」の話で、若いうちに「古典」を読んでおかなくてはいけない。ただし、「古典」の意味は時代とともに変わっていくし、今はやるべきことが多い。バイト、就活などで学生も忙しい。勉強にすぐ役立つ本や面白本は読んでもいいけど、すぐに意味がわからない「古典」は面倒だから読まなくてもいいか…。でも、若いときしか「古典」は読めない。本なんかいつでも読めると思うかもしれないが、通勤電車の中でドストエフスキーや旧約聖書を読むのは大変である。何か心に引っかかる出来事(仕事や育児・介護など)を抱えていたら、じっくり本を読めるものではない。定年後にゆっくり読もうかなどと思ってると、目が悪くなって読書意欲も薄れてしまったりする…。
もちろん他人の下で命令されて生きていけばいいという人は「古典」を読む必要はない。でも自分なりに考えて仕事を作っていって、人間と接しながらリーダー的に働いて行きたいと思うなら、「古典」を読んでおくことは不可欠である。ただ仕事ができるだけでなく、なんだか奥に教養の深さが感じられる「人間力」を鍛えておくということである。氷山は水面上にある部分は少なくて、水面下の氷の方が何倍も大きい。人間の知識や感情も同じ。プロスポーツ選手が「見せない鍛錬」を積み重ねて初めて試合に臨めるように、「普通の人」でも人前で仕事する裏には多くの努力がある。知的な職業では、仕事にすぐ役立つ本ばかりではなく、今当たり前になっていることの始まりからきちんと知っておこうという姿勢が重要だ。(例えば、「民主主義」や「資本主義」の始まり。「第二次世界大戦」や「日本国憲法」の始まりなど。)
以上は一般論である。では、何を読むべきか。そして読んで面白いのか、そもそも判るのか?いやあ、面白さが判らないのも、そもそも何だか全然判らないのも、たくさんあるのは事実である。だからじっくり準備がいる場合もあって、闇雲に読めばいいというものではない。「日本百名山」みたいな「世界百名著」があって、一つずつつぶしていけば賢くなれるということはない。例えば、近代を知るためにはヨーロッパ文明を知らないと。ヨーロッパを知るためには、ギリシャ文化とキリスト教。まずは、プラトン、アリストテレスと新旧聖書を読んでみよう…というような「さかのぼり」では「始まりから知る」とはいえ、難しくてすぐダウンするのは確実。気になるテーマがあったらまずは解説書や新書本を読んでみて、その本に出てくる(あるいは最後の参考書のところに出てくる)「古典」に挑戦してみるという方が絶対いい。
今の話は哲学や宗教の話で、小説の場合はもう少し読みやすい。でも長くて大変な小説を突然読み始めても、投げ出してしまうのが落ちだ。読んでも読んでも面白くならない時はどうするか。小説の場合は字だけ追って行って、ガマンして読み切る。でも哲学とか思想の本は仕方ないからギブアップする。そして面白エンタメ本で口直しする。でも判らないといっても、解説があれば判ったり、年齢が上がれば判ったりすることもある。一冊読んで判らなかったくらいで、決めつけるようなことは言わない方がいい。
ところで「古典」とは何か?その分野で高く評価され、長い時間を経て認められていったものが「古典」である。時間の流れは早いから、ある意味では1980年代頃のものも「一種の古典」になっている。これは周囲の大人が大体知ってるので、若い人も知っておいた方がいいという意味。昔は文庫に多数入っていたけど、今はもうほとんどないという作家もいる。石坂洋次郎とか石川達三なんかだけど、「古典」にはなれなかったわけである。でもまた再評価される時が絶対ないとは言えない。またたくさん映画化されていることもあり、「戦後という時代を考える材料」という意味では間違いなく「一種の古典」である。こうして「古典」の意味はどんどん広がっていく。
それは音楽を考えてみれば判る。「古典」とは本来「クラシック」のことであるが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンが「古典」かというと、今では「現代音楽」と言われたジョン・ケージなんかも「古典」。ジャズも「古典」と認められるようになり、ロックも今や「古典」だろう。ビートルズの「サージェント・ペッパー…」やビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」なんかは言うまでもなく、僕が当時同世代で聞いていたレッド・ツェッペリンやジャニス・ジョップリンなんかを知らないと、現代世界は考えられない。それどころか、フランスには「シャンソン」、イタリアには「カンツォーネ」があるくらいは知ってたけど、ブラジルでもジャマイカでも、アフリカ、西アジア、東南アジア…世界中で「古典」があるのだった。本の世界でも同様で、「純文学」だけではなく「大衆文学」も「古典」と認められ、マンガも「古典」になっている。これでは到底全部読むわけにはいかない。
そういうことで「古典」は全部は読めない。読む必要もない。世の中には面白いことも多いし、実際に体験しないと判らないことも多いのに、何百年も前に書かれた本ばかり読んでるわけにはいかない。それでも「古典を読んでおいた方がいい」ということを知ってることが大切だと思う。そして「古典」は時代とともに変わる。親や教師が勧める本はもう古いことも多い。今の自分の興味関心に沿った「自分だけの古典」を見つけていくことも大事である。(私小説作家の西村賢太が「発見」した藤澤清造などという昔の作家がその例である。)今では「古典」となっているけど、同時代的には全然認められなかったスタンダールや宮沢賢治みたいな人もいる。どこで「自分の古典」が見つかるか、判らないと思う。
その上で、あえて必読とお勧めを挙げると、
①「日本社会で生きて行く」という前提のうえで、日本の古典のいくつかは「必読」だと思う。
源氏物語(現代語訳でいい)、平家物語(これは原文でも読める)、枕草子、方丈記、徒然草、おくのほそ道
大体このあたりか。万葉集や古事記もそうなのかも。西鶴や近松はまあ「全員必読」とは言えないだろう。そうだったら教科書や大学試験にもっと出てる。今挙げたあたりは、日本人の感情の骨格を作ってきたし、今でもたとえ話などに使われる。知ってることが前提になっている場合も多い。ただ「源氏」は長くて、問題意識がないと単なる貴公子の恋愛ものにしか見えないことがある。何かいい解説本を併読した方がいい。レディ・ムラサキはフロイトを読んでいたのか、フェミニストと言えるのかみたいな読み方をできる本で、とても千年前の本とは思えない。でも紛れもなく日本の平安時代の現実が踏まえられている。
②ドストエフスキーの何か長いの一冊は。シェークスピアもどれか何冊かは。これは本格的に読むとすごく面白いと同時に、全然読んだ経験がないと語れない世界がある。「戦争と平和」や「失われた時を求めて」は「いやあ、長いからまだ読んでないんです」で通ると思うけど、ドストエフスキーを読むというのは単なる「読書好き」というのではなく、「思想的な問題を若いときに考えました」体験とも言えるので。
③宗教的な本は難しい。教典ははっきり言って読みにくいので、無理して読まなくてもいいと思う。聖書やコーランを読むより、いい解説書を読めばいいと思う。信者なら別だけど。でも日本の葬式でよく使われるし、常識という意味で短い「般若心経」は読んでおいた方がいい。「歎異抄」(たんにしょう)も一種の「悩める青年の友」なので、必読に近い。でもここにある親鸞像は魅力的すぎて危険でもある。思想書としては読んでもいい。
④本格的な本は難しいけど、自伝なら読みやすい。「文明論之概略」でなくても「福翁自伝」を読めば福沢諭吉をかなり理解できる。(これは新聞記者の聞き書きだけど。)だから、思想家なんかはまず自伝や伝記を読んでみるというのもいいと思う。
⑤僕が好きな本。僕も読んでない本が多いけど。面白いもので言えば、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」。これはすごく面白いです。メルヴィルの「白鯨」もちゃんと読んだ人は少ないのではないかと思うけど、常識を超えた迫力だし、すごい本だと思う。最近の本ではガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」。これはすごい小説ですね。僕は小説に偏っているので、思想関係では挙げることができない。日本の近代小説では島崎藤村「夜明け前」。これも長くて最後まで読んだ人は少ないと思うけど、すごい歴史小説である。戦後文学では挙げることもないだろう。まだ文庫本で手に入る本が、つまり読み継がれてきた本と言っていい。
もちろん他人の下で命令されて生きていけばいいという人は「古典」を読む必要はない。でも自分なりに考えて仕事を作っていって、人間と接しながらリーダー的に働いて行きたいと思うなら、「古典」を読んでおくことは不可欠である。ただ仕事ができるだけでなく、なんだか奥に教養の深さが感じられる「人間力」を鍛えておくということである。氷山は水面上にある部分は少なくて、水面下の氷の方が何倍も大きい。人間の知識や感情も同じ。プロスポーツ選手が「見せない鍛錬」を積み重ねて初めて試合に臨めるように、「普通の人」でも人前で仕事する裏には多くの努力がある。知的な職業では、仕事にすぐ役立つ本ばかりではなく、今当たり前になっていることの始まりからきちんと知っておこうという姿勢が重要だ。(例えば、「民主主義」や「資本主義」の始まり。「第二次世界大戦」や「日本国憲法」の始まりなど。)
以上は一般論である。では、何を読むべきか。そして読んで面白いのか、そもそも判るのか?いやあ、面白さが判らないのも、そもそも何だか全然判らないのも、たくさんあるのは事実である。だからじっくり準備がいる場合もあって、闇雲に読めばいいというものではない。「日本百名山」みたいな「世界百名著」があって、一つずつつぶしていけば賢くなれるということはない。例えば、近代を知るためにはヨーロッパ文明を知らないと。ヨーロッパを知るためには、ギリシャ文化とキリスト教。まずは、プラトン、アリストテレスと新旧聖書を読んでみよう…というような「さかのぼり」では「始まりから知る」とはいえ、難しくてすぐダウンするのは確実。気になるテーマがあったらまずは解説書や新書本を読んでみて、その本に出てくる(あるいは最後の参考書のところに出てくる)「古典」に挑戦してみるという方が絶対いい。
今の話は哲学や宗教の話で、小説の場合はもう少し読みやすい。でも長くて大変な小説を突然読み始めても、投げ出してしまうのが落ちだ。読んでも読んでも面白くならない時はどうするか。小説の場合は字だけ追って行って、ガマンして読み切る。でも哲学とか思想の本は仕方ないからギブアップする。そして面白エンタメ本で口直しする。でも判らないといっても、解説があれば判ったり、年齢が上がれば判ったりすることもある。一冊読んで判らなかったくらいで、決めつけるようなことは言わない方がいい。
ところで「古典」とは何か?その分野で高く評価され、長い時間を経て認められていったものが「古典」である。時間の流れは早いから、ある意味では1980年代頃のものも「一種の古典」になっている。これは周囲の大人が大体知ってるので、若い人も知っておいた方がいいという意味。昔は文庫に多数入っていたけど、今はもうほとんどないという作家もいる。石坂洋次郎とか石川達三なんかだけど、「古典」にはなれなかったわけである。でもまた再評価される時が絶対ないとは言えない。またたくさん映画化されていることもあり、「戦後という時代を考える材料」という意味では間違いなく「一種の古典」である。こうして「古典」の意味はどんどん広がっていく。
それは音楽を考えてみれば判る。「古典」とは本来「クラシック」のことであるが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンが「古典」かというと、今では「現代音楽」と言われたジョン・ケージなんかも「古典」。ジャズも「古典」と認められるようになり、ロックも今や「古典」だろう。ビートルズの「サージェント・ペッパー…」やビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」なんかは言うまでもなく、僕が当時同世代で聞いていたレッド・ツェッペリンやジャニス・ジョップリンなんかを知らないと、現代世界は考えられない。それどころか、フランスには「シャンソン」、イタリアには「カンツォーネ」があるくらいは知ってたけど、ブラジルでもジャマイカでも、アフリカ、西アジア、東南アジア…世界中で「古典」があるのだった。本の世界でも同様で、「純文学」だけではなく「大衆文学」も「古典」と認められ、マンガも「古典」になっている。これでは到底全部読むわけにはいかない。
そういうことで「古典」は全部は読めない。読む必要もない。世の中には面白いことも多いし、実際に体験しないと判らないことも多いのに、何百年も前に書かれた本ばかり読んでるわけにはいかない。それでも「古典を読んでおいた方がいい」ということを知ってることが大切だと思う。そして「古典」は時代とともに変わる。親や教師が勧める本はもう古いことも多い。今の自分の興味関心に沿った「自分だけの古典」を見つけていくことも大事である。(私小説作家の西村賢太が「発見」した藤澤清造などという昔の作家がその例である。)今では「古典」となっているけど、同時代的には全然認められなかったスタンダールや宮沢賢治みたいな人もいる。どこで「自分の古典」が見つかるか、判らないと思う。
その上で、あえて必読とお勧めを挙げると、
①「日本社会で生きて行く」という前提のうえで、日本の古典のいくつかは「必読」だと思う。
源氏物語(現代語訳でいい)、平家物語(これは原文でも読める)、枕草子、方丈記、徒然草、おくのほそ道
大体このあたりか。万葉集や古事記もそうなのかも。西鶴や近松はまあ「全員必読」とは言えないだろう。そうだったら教科書や大学試験にもっと出てる。今挙げたあたりは、日本人の感情の骨格を作ってきたし、今でもたとえ話などに使われる。知ってることが前提になっている場合も多い。ただ「源氏」は長くて、問題意識がないと単なる貴公子の恋愛ものにしか見えないことがある。何かいい解説本を併読した方がいい。レディ・ムラサキはフロイトを読んでいたのか、フェミニストと言えるのかみたいな読み方をできる本で、とても千年前の本とは思えない。でも紛れもなく日本の平安時代の現実が踏まえられている。
②ドストエフスキーの何か長いの一冊は。シェークスピアもどれか何冊かは。これは本格的に読むとすごく面白いと同時に、全然読んだ経験がないと語れない世界がある。「戦争と平和」や「失われた時を求めて」は「いやあ、長いからまだ読んでないんです」で通ると思うけど、ドストエフスキーを読むというのは単なる「読書好き」というのではなく、「思想的な問題を若いときに考えました」体験とも言えるので。
③宗教的な本は難しい。教典ははっきり言って読みにくいので、無理して読まなくてもいいと思う。聖書やコーランを読むより、いい解説書を読めばいいと思う。信者なら別だけど。でも日本の葬式でよく使われるし、常識という意味で短い「般若心経」は読んでおいた方がいい。「歎異抄」(たんにしょう)も一種の「悩める青年の友」なので、必読に近い。でもここにある親鸞像は魅力的すぎて危険でもある。思想書としては読んでもいい。
④本格的な本は難しいけど、自伝なら読みやすい。「文明論之概略」でなくても「福翁自伝」を読めば福沢諭吉をかなり理解できる。(これは新聞記者の聞き書きだけど。)だから、思想家なんかはまず自伝や伝記を読んでみるというのもいいと思う。
⑤僕が好きな本。僕も読んでない本が多いけど。面白いもので言えば、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」。これはすごく面白いです。メルヴィルの「白鯨」もちゃんと読んだ人は少ないのではないかと思うけど、常識を超えた迫力だし、すごい本だと思う。最近の本ではガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」。これはすごい小説ですね。僕は小説に偏っているので、思想関係では挙げることができない。日本の近代小説では島崎藤村「夜明け前」。これも長くて最後まで読んだ人は少ないと思うけど、すごい歴史小説である。戦後文学では挙げることもないだろう。まだ文庫本で手に入る本が、つまり読み継がれてきた本と言っていい。