尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「空気感」と「目線」

2012年10月11日 23時59分29秒 | 気になる言葉
 言葉の問題。東京新聞10月10日、毎日放送が被災地を長期取材した映画「生き抜く 南三陸町 人々の一年」を作ったという記事。映画は13日からポレポレ東中野で上映。
 その中で見出しで「ナレーションなく、空気感はテレビ以上」とある。本文中には「ナレーションがストーリーを導くテレビの手法をやめ、集中して見ていただくことで被災地の空気感をテレビ以上に出せる」。

 この「空気感」という言葉を最近は多く聞くようになった。これに違和感がある。この言葉は最近使われるようになったと見えて、変換しようと思っても一度ではできない。「新明解国語辞典」にも出ていない。「空気」が付く言葉では「空気銃」「空気伝染」「空気ポンプ」「空気枕」が載っているのみ。「空気」の意味を見ると、①地球上の大部分の生物がそれを吸って生きている気体 ②その場の人たちを支配する志向のあり方(雰囲気) の2つ。
 ②の用例としては、「歩み寄りのーが生まれる」「分離独立の-が高まる」「保守的なーが強い」「譲歩するーがかもしだされる」「気まずいーが漂う」「-の読めない人」が挙げられている。やっぱりちょっと変。

 では「空気感」をインターネットで検索してみると、ウィキペディアにあって「空気感(くうきかん)とは芸術表現に用いられる形容の一つ。そのものが直接的に表現されていなくても、間接的な情報のみで存在することが示唆されている様子を表す。写真表現で用いられる場合は、二次元である写真がまるで立体のように見えることを指す。(後略)」
 
 もともとは写真なんかで使われた「芸術用語」=「業界用語」だったということがわかる。現実を映像で切り取って二次的表現として作り上げるときには、「どのように見えるか」という観点が欠かせない。そこで写真やテレビ、映画なんかでは、「現場の状況をいかにリアルに伝えるか」の言葉として「空気感」が使われるのだと思う。でも、被災地の映像を見る我々は、「どのようにすればリアルに見えるかの技術」などは別に見る必要はない知りたいのは被災地の「現実の状況」である。それはすべてを描くことはできない。だから製作責任者(監督)が、自分の目で見て自分で編集した表現を見ることになる。それは「被災地の空気感」ではなく、「被災地の空気」を伝えるものでなくてはいけない。

 それは「新明解」の②の意味の「空気」である。でも、最近「空気感」という言葉がよく使われる。何故かというと、僕が思うに二つある。昔も簡単に写真は撮っていたが、今の方が動画を一般の人が撮る機会が増えた。それもパソコンで編集することが容易になった。「現実」がどう映像に写し撮られるかに関心が高くなっているのだろう。だから、「この場の空気」と言えば済むところを「空気感」という。誰かが携帯かデジカメで写真か動画を撮っているのであろう。皆が集まる場で。

 もう一つが、「空気」は見えないものだったけど、「今は見える」ということだ。現実の空気は見えないから、見えないもののたとえに使われたわけだ。でも、見えなかった雰囲気というものが、今は「見えなければいけないもの」とされてしまった。その場その場で変わっていくから、「空気」「風」と言われたものが、「一度決まってしまったらもう動かない」。その場の雰囲気で決まるのではなく、誰かを排除するという場合は、もうすでに決まっていてそれに従うしかない。「空気」が流動物ではなく固体化してきたのである。町のあちこちに監視カメラがあるような、そういう状況に合わせて、「空気」が読むべきテキストとして眼前にあるようになった。だから、「空気」だけで「感じるもの」に決まっていたものが、今ではさらに「空気感」と言って、あえて「空気というものを感じるという意味を表す言葉」を作らなければいけないようになったのではないか。

 一方、「目線」という不思議な言葉が最近は一般的に使われている。これも本来は「業界用語」である。これは「新明解」にも載っていて、
(舞台、映画撮影などで)演技者やモデルなどの目の向いている方向・位置・目の角度など。[俗に「視線」の意でも用いられるが、「目線」は目の動きに応じて顔も動かす点が異なる。]
ものの見方やとらえ方。「上から[=相手を立場が下だと見くだしたような]-」「子どものーで見る」

 このように、元は映画や演劇の用語だが、それがテレビを通して一般化して行ったのだと思う。だから、その元々の使い方から、「目の動きで演技する」=「受け取られ方を気にして、本心ではないけど、そう見せる」と言うようなニュアンスが出てくる。悪役は本当に悪人なのではなく、演技で目を剥いたりする表現をして、大げさに悪党ぶりを印象づける。その時の観客やカメラを意識した目の動きが「目線」だから、「目線」という言葉を使うと、この「見られていることを意識した動き」という感じが残るわけである。政治家が国民受けするような言葉を発するときも、見聞きする側が「本心ではなく受け狙いだろう」などと思っているから、「国民目線の政治」などと言う表現が普通になってしまったのではないか。

 検察審査会が小沢一郎氏を「強制起訴」=「二度目の起訴相当決議」を行った時も、その理由の中に「市民目線」という言葉が出てきて、僕はビックリしてしまった。この「強制起訴制度」そのものも、「裁判で決着をつける方がいい」という考え方で作られているらしい。でも政治家でも有力財界人でも、国民を起訴するときの基準は同じようなもの(証拠により有罪が完全に証明されると考えられる場合)でなければおかしい。初めから制度が「受け狙い」的なものだった。だからだろうか、「市民目線」で納得できないという言葉が出てくるのだろうと思う。

 ではなんと言えばいいのか。「きっちりとして動かぬ基準で物事を見る」という意味で使うなら、「視点」ということになるだろう。昔は「視座」などと言う言葉をよく使った人もいる。変換したら一度で出たから、今も生き残っているのだろう。「民衆的視座」とか「底辺からの視座」とか言ったけど、別に「視点」と同じではないかと僕は思っていた。物事を自分なりの見方で焦点を合わせようとするときの基準は「視点」ではないか。これも近代ヨーロッパの絵画表現の「遠近法」的な用語だと思うが。「一つの視点」からはもう世界は見えて来ない、自分の「目線」で気になる範囲を切り取るしかないんだと言われるかもしれない。まあ、そういう意味で「近代」が崩れて、「自分がどう見られるか」しか意味がない時代が来たのかもしれない。でも、僕は「目線」ではなく、「視点」を使いたい
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なぜ更新制は廃止されないのか?-教員免許更新制再論②

2012年10月11日 21時39分44秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日に続いて、教員免許更新制について。岩波書店の雑誌「世界」11月号に、池田賢市、大森直樹両氏の「なぜ教員免許更新制は廃止されないのか」という論文が掲載されている。中央大の池田さん、東京学芸大の大森さんとは去年一緒に文科省で記者会見を行った。教員免許更新制について、はっきり発言している教育学者である。(ちなみに僕の名前が出てた。)

 この論文の中で、中教審特別部会での藤原和博氏(臨時委員)が「免許更新制はやめるとはっきり書くべきだ」と発言していることが紹介されている。(恐らくそれは「専門免許制への発展・進化」で、形式的な廃止という意味だろうと論文では指摘されているが。)ホームページで確認すると、「教員の資質能力向上 特別部会(第11回)議事録」で確認できる。
 
 一方、10月4日付朝日新聞では「修士はいい先生の条件か」という特集記事を掲載し、陰山英男氏と鈴木寛氏の意見が掲載されている。この中で陰山氏(大阪府教育委員長)は「更新制の悪影響」という見出しの下で以下のように語っている。「あまり知られていないことですが、教員免許更新制のせいで、教師という仕事は、若者にとって魅力が薄れたように思います。私は多くの学生に『教師は面白くて、やりがいのある仕事だよ」と勧めていますが、『途中で免許がなくなるかもしれないような仕事はちょっと』と言って、あまり反応がよくありません。免許更新制をそのままにして、修士レベル化を進めれば、優秀でやる気のある学生はますます教師の仕事を敬遠するように思えるのです。」

 陰山氏は大阪府教育委員長(2008.10~教育委員)、藤原氏は大阪府教育委員会特別顧問(2008.6~)である。「百ます計算」の陰山氏、「よのなか科」の藤原氏、この10年間でももっとも有名な教育関係者に入るだろうが、いずれも2008年1月に大阪府知事に当選した橋下徹氏の協力者である。このように大阪府の教育行政に親和的な両氏でも、教育現場に関心を持っている限り、「教員免許更新制は廃止した方がいい」と思うような制度なのだということがよく判る。

 よく教員免許更新制について「現場の負担」ということが言われる。それは確かで、時間的、金銭的な負担は決して軽くはない。しかし、本質は負担問題ではない。「頭上に垂れ込める暗雲」である。いや、普通に勤務していれば「失効」したりはしないように作られてはいる。しかし、それならそれで、また疑問が募る。普通に勤めていて講習に合格すれば、免許が更新されるというなら、この「更新制度って何?」。とにかく、大学で何十時間も勉強して単位を取得したというのに、その結果として取った教員免許が10年しか有効ではない。10年ごとに「更新」しなければならない。その更新講習そのもの以前に、そういう有期の仕事になってしまったという納得の行かない屈辱感のようなもの。多分、期限が来たら自分はどうなるのだろうと思っている派遣社員、有期雇用の労働者、教育現場にも今はとても多い臨時の職員は、大体そうなんだろうけど、言うに言われぬ「頭上の暗雲」である。

 さらにこれを逃れるすべがある。主幹になり、さらに管理職になるという道である。35歳は仕方ないけど、45歳、55歳は管理職になっていれば「免除」される。そこで自分の教員人生を見通して、今まで以上に自問自答せざるを得ない。授業や部活動に力を入れたりせずに、管理職を目指すべきなのかと。恐らく今まで以上に、適任ではない「講習逃れ」の主幹、管理職が増大していくのだろう。(前に書いたことだが、ここに再度書いておく。「免除」は可能であるというだけで、管理職だったら「免除を申請しなければならない」とされているわけではない。従って、現場教員とともに学校作りを進めていこうと思っている管理職、主幹教諭は、免除申請をせずに自分でも更新講習を受けるべきである。そうしなければ、僕には教育者として認められない。)

 誰にとっても意味がないと思えるわけだが、それは「教育をよくする」という目標を共有している場合である。陰山氏が報告するような学生の事例は、当然学生は「途中で免許がなくなるような仕事は…」と思うに決まっているんだから、もちろん事前に予想していたはずである。だから、そのような事態は「予期に反して」起こっているのではなく、そのような事態を目標にしていたのだと僕は思う。つまり教育には国家として投資しないということである。それは小泉政権、安倍政権で起こった出来事である。

 それに対して、「子ども手当」「高校授業料無償化」を掲げた民主党政権は、当初「教員免許制度の抜本的改正」を掲げていた。それは「大学院義務化」も含む、実現の難しい問題が含まれていたと思うが、更新制度はとりあえず実質的にはなくなるのではないかという期待が現場にはあった。それが実現できなかったのは、一つには確かに「ねじれ国会」があるだろう。教育に限らず、選挙制度改正のような党派を超えて協議しなければならない問題でも、まったく「決められない政治」状態になってしまっている。
 
 もう一つが「更新講習ビジネス」が出来上がってしまったことである。池田・大森論文では「18億円」と試算されている。教師も今はバラバラに競争させられている現状なので、まとまって反対するのが難しい。自分が損しては困るので、何とか楽に講習を受けられないかというのが実情だろう。最初だけ実施して途中でなくなるのは自分が損、10年間はやって一巡して欲しいという声もある。教師がそういう風になってしまえば、「皆でいじめに対処する」など不可能である。つまり、そういう「学校の荒廃」こそが、更新制の結果であり、また目的でもあるということではないか。

 「荒廃が目的」などと言うと言い過ぎかと思うかもしれないが、中教審などでは私立大学、私立高校などの関係者が強い影響力を持っている。この間、株式会社の学校経営などがどんどん認められてきた。教員の大部分は公務員である。「公務員バッシング」と「公立学校はダメだキャンペーン」=「私立優位への誘導」が結びついて進んでいる。大阪では、私立高校の授業料も実質無償化(または10万円程度)を進めている。「私立高校生等に対する授業料支援について」を参照。他地域では案外知られていないだろう。政府の考えでは、公立だけ無償化すれば私立へ通う家庭だけ大変になる、だから同額程度を私立生徒にも援助するという仕組みになっている。しかし、大阪では私立も完全に無償に近くしたほうが、公私立で「競争原理」が働くということを考えたわけである。しかし、これはよく考えて見れば「不平等」である。私立高校は大学へ直結しているところも多い。またほとんどの私立高校で、公立校以前に推薦入学を実施している。タダなら早めに決まった方がいいから、中学生はどんどん私立へ行ってしまうようになっているということだ。公私立を「競争」させたければ、全高校同一日に学力試験を行うという条件にしなければおかしい。

 まあそれはともかく、公立学校に対するテコ入れも行われていないわけではないが、それらは大体「税金で私立学校を作る」というのに近い。中高一貫でエリート育成を図るというようなやり方である。更新制で教員のやる気をそぐとともに、公立学校を意識的に低いままにしておくという政策が進められているのではないかと僕は考えている。(更新制の法的問題を次に。)
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映画「無頼漢」と篠田正浩監督の映画

2012年10月11日 00時32分40秒 |  〃  (日本の映画監督)
 「神保町シアター」で、今日見た「無頼漢」「薮の中の黒猫」は、どちらも僕にとって「長年見逃し」の映画だった。今は「太地喜和子特集」。杉村春子後の文学座を担うと期待されながら、地方興行に行った際、飲み過ぎて乗ってた車が港に転落して脱出できず死んでしまった。48歳。若いときから「妖艶」で知られ、若い男優との恋愛沙汰も多かった。本当に愛したのは三國連太郎だけ、ということだけど。映画にもずいぶん出ていた。特に「男はつらいよ」ベストテン史上最高位の2位になった「夕焼け小焼け」の芸者役は素晴らしかった。太地喜和子が亡くなって、もう20年経つのか

 「無頼漢」(1970)はずっと見たかった。僕は洋画は70年から見ているが、まだ日本映画は見てない。翌年の1971年には高校生になったので、大島の「儀式」、篠田の「沈黙」、寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」などを見た。その寺山が脚本を書き、篠田が監督した作品が「無頼漢」。当時から見たかったけど、一年違いで見逃した。長い間には、篠田監督特集、寺山特集など、何度も「無頼漢」をやっていたが、すべて仕事で行けない時間だった。ようやく、約40年ぶりに見られた

 いや、若いねえ、みんな。70年のこの映画では出演者をほとんど知っている。蜷川幸雄(1935~2016)も役者で出てる。主演の仲代達矢(1932~)、岩下志麻(1941~)。小沢昭一(1929~2012)、丹波哲郎(1922~2006)、渡辺文雄(1929~2004)、芥川比呂志(1920~1981)、米倉斉加年(1934~2014)、中村敦夫(1940~)、山本圭(1940~)。そして太地喜和子(1943~1992)。大人役の芥川比呂志や丹波哲郎はともかく、仲代も30代、岩下、太地はまだ20代である。この顔触れはすごい。この顔触れだけで見た価値はある

 「無頼漢」は河竹黙阿弥の「天衣紛上野初花」(くもにまごううえののはつはな)の映画化である。フリーターみたいな直次郎と吉原の花魁(おいらん)三千歳(みちとせ)の恋愛に加え、奉公先で妾になることを強要されている浪路(なみじ=太地)を河内山宗俊と直次郎などが救出に行く話がテンポよく進んで行く。時は天保の改革で、水野老中が改革の名の下に風俗取締りを進めている。悪党たちは追い詰められ、絶望と退廃のさなかを生きている。道徳は地に落ち、皆色と慾に狂っている。60年代の熱気が失せて、70年代の「混乱と秩序」が生まれるさまを、江戸末期ながら同時代を見るがごとくに描いて行く。非常に興味深いんだけど、人物と筋が絡み合い過ぎて、映画としては完全には成功していない。(ベストテン14位。)

 篠田正浩監督と岩下志麻は67年に結婚して、映画史上に残る素晴らしいコンビとなった。「松竹ヌーベルバーグ」と言われた大島渚は小山明子、吉田喜重は岡田茉利子と結婚したが、大島や吉田は女性映画を作ったわけではない。しかし篠田映画に主演した岩下志麻は、素晴らしい代表作を何本も残した。篠田監督は早稲田大学時代に陸上部で箱根駅伝に出場している。松竹で映画監督になるが、大島、吉田が早々に会社とケンカしたのに対し、政治的、芸術的に会社と対立することは少なかった。でも、自分で作りたいものを芸術的に作るために表現社を作り、「あかね雲」が表現社第1作。69年にATGで作ったベストワンの「心中天網島」が代表作で、岩下志麻も2役で大活躍。
(「あかね雲」)
 シネマヴェーラ渋谷で、「篠田正浩監督特集」がある。最後の作品として作った「スパイ・ゾルゲ」が終わる間際に「武満徹へ」という追悼の献辞が出るが、音楽は武満が担当したものが多い。脚本を寺山が書いたものも多いし、粟津潔の美術など、60年代を代表する若い才能がスタッフに集まっている。武田泰淳原作を石原慎太郎が脚本にした「処刑の島」という不思議な傑作もある。1966年で、まだ自民党参議院議員になる前。岩下志麻がタイトルロールを演じる「卑弥呼」も不思議な映画だった。明らかに失敗だが。坂口安吾の「桜の森の満開の下」なんかも映画化した。不思議な文芸作品がたくさんあって、今一つ評価が難しいのが篠田監督の映画である。
(「卑弥呼」)
 後期になって判りやすい作品が多くなる。「少年時代」(1990、あの井上陽水の歌がテーマ曲の映画で、戦時中の疎開少年を描く)、「瀬戸内少年野球団」(1984)などは大衆的に成功した見事な映画。でも「スパイ・ゾルゲ」「梟の城」などは案外面白くなかった。鴎外の「舞姫」も、篠田監督、郷ひろみ主演で映画化されている。フランキー堺が入れ込んでいた「写楽」も、面白いけど不思議な映画だった。江戸時代を扱った映画がかなりあり、まとめてみるとどうなんだろうか。

 77年の「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」も素晴らしい傑作。「乾いた花」「美しさと哀しみと」など60年代の映画も素晴らしいと思うけど、皆違う感じで、特徴がつかみにくい。そして遠藤周作の「沈黙」。原作とラストが違う。それがいいのか、悪いのか。自分なりの解釈というが、「沈黙」をどう理解するかは、日本文化にとって重大な問題である。岩下志麻を主演に、「国家を相対化する」映画を作り続けた中期の作品群が一番面白いと思う。「あかね雲」「おりん」と2本も脱走兵が出てくるが、そういう監督は他にないだろう。(2017.10.31改稿。俳優の没年も書き加えた。)
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