尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼・ガブリエル・ガルシア=マルケス

2014年04月18日 21時46分52秒 | 〃 (外国文学)
 コロンビア出身の作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928~2014)の訃報が伝えられた。4月17日、メキシコ市で死去、87歳だった。長く闘病中で、作家活動はしていなかった。近年は認知症であると報道されていたので、驚きはないんだけれど、あらためて巨匠の逝去を悼みたいと思う。

 ガルシア=マルケスは、あるいは代表作「百年の孤独」は、間違いなく20世紀後半を代表する小説家であり、小説作品である。フォークナー以後に現れた最大の作家であり、20世紀の文学動向の中から出てきた作家であることは確かだが、同時に19世紀に書かれた大文豪の巨大な作品群に匹敵する、とてつもなく面白い物語空間を創造した作家でもある。一言で「マジック・リアリズム」と呼ばれることになる、精緻な写実で創造された非現実的な世界に展開する、人間の欲望と運命。以後の小説家は皆その影響を受けざるを得ないような作家、それがガルシア=マルケスだったと言っていいだろう。

 1967年に出版され世界的に評判となった「百年の孤独」は、日本では鼓直氏の訳で1972年に刊行されている。すぐに日本でも評判になったと記憶するが、その他の作品の紹介は遅れた。多分、1978年に出た集英社の「世界の文学」に、「大佐に手紙は来ない」や「土曜日の次の日」が収録されたのが、次の翻訳ではないか。(カルペンティエールの「失われた足跡」が併録されていた。)ちなみにこの全集は、ジョイス以後の20世紀文学を集めたものだが、そこにコルターサルやバルガス=ジョサ、ドノソが初紹介され、またボルヘスに一巻を当てるなど、日本におけるラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった。

 続いて、「エレンディラ」や「ママ・グランデの葬儀」、「短編集 落葉」、「悪い時」など初期作品が続々と紹介され、80年代初頭にはガルシア=マルケスを読まないと小説好きとは言えないような評判を取るようになっていった。日本の作家でも、大江健三郎、中上健次、筒井康隆、寺山修司(後に「百年の孤独」を映画化しようと試み、監督作品「さらば箱舟」が1984年に公開された)、など、明らかに影響を受けていた。その評判が絶頂を迎えたのは、1983年である。本人が最高傑作とする「予告された殺人の記録」が翻訳され、また集英社から全18巻の「ラテンアメリカの文学」の刊行が開始され、第一回配本として「族長の秋」が翻訳されたのである。僕が大体読んだのはその頃で、「百年の孤独」は文庫に入っていない(いまだに新潮社は文庫化していない)ので、学生の時には読まなかったのである。確か1982年に、ようやく「百年の孤独」を読み、あまりの素晴らしさにすっかりとりこになった。お金はかかっても全部買って読まないではいられなくなり、どんどん読んだわけである。

 その後は1985年に出た「コレラの時代の愛」の翻訳が2006年となったことに象徴されるように紹介が遅れてしまうようになった。その間に時々出る小説は買ってはいたが、読んではいない。ノンフィクション作品の方は読んだこともあるが。ガルシア=マルケスはコロンビアに生まれたが、ジャーナリストとなり、ローマで映画を学び、革命直前のキューバでフィデル・カストロと友情を結んだ。左派ジャーナリストと言うべき顔が、彼のもう一つの顔である。日本では、特に岩波新書で1986年に出た「戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険」は、軍事政権下のチリに潜入した映画監督の記録で印象が強い。

 1982年にノーベル文学賞を受けたわけだけど、これほど誰もが納得した授賞も少なかったのではないか。ラテンアメリカ文学を世界に広めたきっかけは、間違いなくガルシア=マルケスだと言える。そして彼の文学世界は、ラテンアメリカの現実に潜む混沌と豊饒を紛れもなく反映している。70年代頃には軍事政権ばかりと言ってよかったラテンアメリカ諸国も、今や左派政権がほとんどである。ガルシア=マルケスはコロンビアを出てメキシコに住んで長いが、同じスペイン語文化圏という大きなラテンアメリカ世界に生きていた。ラテンアメリカの重要性を世界に広めた功績は測りがたいほど大きい。とにかく、一度は読むべき素晴らしい小説を書いたのが、ガルシア=マルケスと言う人だった。そういう人はもうどこにもいない。(なお、「彼女を見ればわかること」「アルバート氏の人生」の映画監督、ロドリコ・ガルシアは息子だという。)
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