尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

トルコ、アルメニア人虐殺に哀悼声明

2014年04月28日 00時12分43秒 |  〃  (国際問題)
 重大な問題が新聞に出ていたけど、小さな記事だから気付かない人も多かっただろう。また新聞によっては載ってないと思うし、ネットニュースなんかでもほとんど載ってないと思う。ということで、これも紹介。

 トルコのエルドアン首相が、2014年4月23日、第1次世界大戦中のアルメニア人虐殺について、トルコの首相として初めて哀悼の意を表明したのである。その日は、1915年4月24日に起きたイスタンブールのアルメニア人強制追放の前日で、4月24日がアルメニアの「ジェノサイド追悼記念日」だった。首相声明はそれに合わせて出されたもので、この事件を「われわれ共通の痛み」と呼んだ上で、1915年に起きた一連の出来事は「非人道的結果」をもたらしたと言明している。この声明はアルメニア語を含む多数の言葉で同時に発表され、「称賛」されている。

 トルコでは第一次世界大戦当時、ということは前身の「オスマン帝国」時代の話だが、1915年から1916年にかけて、100万人前後のアルメニア人が虐殺されたという。アルメニアでは200万という説もあるそうだけど、もっと少ないという説もあって、トルコでも前から20万程度が強制移動などのさなかに死んだということは認めていた。しかし、アルメニア側は意図的なジェノサイドだとして、大きな問題としてきた。

 アルメニアというのは、カフカス(コーカサス)山脈の南にある国で、ソ連内の共和国だったけど、ソ連崩壊で独立した。グルジア、アゼルバイジャン、トルコ、イランに囲まれた内陸国である。昔は東部をペルシアが、西部をオスマン帝国が支配していた。ロシアがペルシア帝国に勝って、東部はロシア帝国に支配されることになる。第一次世界大戦でロシアとオスマン帝国が戦うと、オスマン帝国内のアルメニア人は敵に通じる可能性があるとして敵視され、虐殺事件が起きたのである。

 アルメニア人は欧米に多数が移住して大きな勢力を築いている。そのためもあって、アルメニア人虐殺問題は世界的に重大な問題とされてきた。フランスではアルメニア人虐殺を認めないと法に違反する「アルメニア人虐殺否定禁止法」が成立間近まで行って、大きな問題となった。(2012年に、違憲判決が出て、成立直前で制定が流れた。)また、アルメニア人過激派がトルコ外交官を襲撃する事件もかつて何度も起きてきた。トルコのノーベル賞作家オルハン・パムクが、受賞前の2005年にトルコは虐殺を認めるべきだと発言して、一時は国家侮辱罪で起訴されそうになるという事態も起こった。(結局不起訴。)このようにトルコ内外で非常に重大な政治、人権、思想問題と見なされてきた。

 
 今回のエルドアン首相の突然の発表は、政治家としての思惑があるのも間違いなだろう。最近は国内で強権や汚職事件などで反発も強くなっていた。ツイッターを一時遮断するとか、「www」に代わるトルコ独自のURLとして「ttt」を検討するとか、どうも信じがたい強権ぶりを発揮してきた。「アラブの春」でトルコがモデルとされたが、エジプトのクーデタやシリア内戦の複雑化でトルコの外交も行き詰まっていた。ただ、アルメニアとは2009年に国交を正常化し、問題はたくさん残りつつも対アルメニア関係は好転する兆しはあった。

 3月30日に行われた地方選挙で、与党公正発展党は予想を超えて勝利し、エルドアン首相の地位が安定してきたことが今回の発表にも影響を与えているだろう。公正発展党から出ているギュル大統領の次には、大統領制に制度を変えた上でエルドアンが就任するという目論見もあるとされる。プーチンと並んで、首相となったり大統領になったりしながら権力を握るという予測である。そういう今後のトルコ政局にも関係しているだろうけど、とりあえず今回の発表は大きな前進で良かったと思う。第一次世界大戦から100年という今年にふさわしい歴史への向き合い方ではないか。

 このトルコを訪れ親密さを誇示しているのが、日本の安倍首相である。日本の保守派の中には、「虐殺を認めない誇り高いトルコに学べ」などと主張する人がいる。雑誌「正論」にそういう論文を書いた人もいるらしい。しかし、このエルドアン首相の声明の方を是非、安倍首相にも学んでほしいものだと思う。

 なお、アルメニア人というのは世界中で活躍していて、ファーストネームの末尾に「…アン」が付く人がほとんどなので判りやすい。作曲家のハチャトゥリアン、アメリカ移民の作家サローヤン、ロッキード事件時の社長コーチャン、ソ連共産党幹部だったミコヤン、カナダの映画監督で祖国アルメニアの虐殺事件を映画化した「アララトの聖母」を作ったのがアトム・エゴヤンといった具合である。指揮者のカラヤンもそうだという説があるが違うという話もある。フランスの歌手シャルル・アズナヴールは間違いないアルメニア人で、本名アズナヴーリアン。歌手のシェールもアルメニア人で、出生時の名前はシェリリン・サーカシアンというんだと出ている。
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