尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「入学式と担任」問題③

2014年04月30日 23時20分49秒 |  〃 (教師論)
 入学式に担任が出席できないんだったら、初めから違う人が担任をしてればよかったのではないかという意見が結構見られたように思う。担任を決めたのは前年度の校長(異動してなければ今年度も同じ)だが、そう言われても困るなあという学校現場も多いのではないか。大体、4月に異動したばかりの新任校長かもしれず、事情を聞かれても困る場合もあるだろう。(高校の校長は3年ぐらいで異動することが多いので、今回も一人ぐらいは新任校長がいるのではないだろうか。)

 小中では(入学式に)休暇が取りにくいという意見も見られたが、そういう違いはあると思う。小中と高校の違いで一番大きいのは、やはり「学校規模の違い」だろう。数だけ見ても、小学校が一番多くて、中学、高校と少なくなる。東京都の場合だが、昨年度の統計で、小学校が1299校、中学校が623校、高校が188校となっている。(他に中等教育学校6校、特別支援学校61校などがある。)小学校は6学年、中学校は3学年だから、小学校の数が倍になるのは当然。東京の場合、伊豆・小笠原諸島があったり、私立学校が多いなど、全国的には特殊な地域なのだが、この数を見るだけで「(一学校あたりの)高校の教員数が断然多い」のは想像できる。

 東京の中学では今も1学年8クラス以上もある大規模校もあるが、大体は2クラスか3クラス程度ではないだろうか。高校の場合、学校数は少ないが、1学年のクラス数は多いのである。小中は義務教育だから歩いていけるところに作る必要があるが、高校生は電車やバスである程度遠くまで通学することが前提になっている。夜間定時制などの特別なケースを除き、今でも進学校は8クラス、そうでなくても6クラス程度はある。大規模学級時代に合わせて教室数が作られていて、規模にあった募集数にする。(それでも中堅校以下だと、クラス数はかなり減らしている。)だから各学校あたりの生徒数はそれほど減らず、教員数は多いわけである。もっとも教員が多くても、クラスが多いので必要な担任の数も多い。でも、「3学級のうちの一人」と「8学級のうちの一人」では「(入学式における)休暇の取りやすさ」には大きな違いがあるだろう。

 また、高校と中学では授業の持ち時数の基準が違う。授業内容が専門性が高くなるし、また「専門学科」の高校は専門教科の教員が加配されていることが多い。だから教員数は高校にゆとりが多くなるわけである。以上は高校の方が教員数に余裕があるだろうから、入学式当日も代わりを頼みやすいという話である。では、その代わりの人がいっそのこと、一年を通じて担任をすればいいのではないかという点を検討する。まあその通りで、変更しても特に大きな問題もない場合も実際にはあるだろうと思う。でも、「担任を持ってない教員」にも理由があるわけで、そう簡単には変えられないことが多いだろう。「教科的な要因」「学校運営上の要因」「個人的な要因」に分けて考えてみる。

 学級担任は教師の基本的な仕事であり、基本的には交代交代で誰もが担当するものである。正課外の部活顧問などと違う。原則的には全員が順番で担当する。ところで、新入生の担任を決める前に、すでに上級生の担任がいるわけだが、基本的には「持ち上がり」だろう。特に2年から3年にかけては、生徒のクラス替えはあっても、進路を控えて学年担任団は変えない。(それなのに、最近は異動年限で自動的に異動対象にしてしまったり、2年終了時に管理職に「昇進」して生徒を置いて去ってしまう人もいないわけではない。病気や介護などもあるので異動を一概にダメとは言えないが。)上級生の担任が異動した場合は、後がまは「教科的な要因」が大きくなる。

 高校の場合、日本史は日本史、物理は物理しか教えないから学年に関係ないというケースも多い。でも(普通科高校の場合)国語、数学、英語などの基本教科、あるいは保健体育などは教員数も多いし、進路指導、生活指導の観点からも、各学年に必ず一人はいるものだ。8クラス規模だと同じ教科の教員が二人いることもあるが、まあ6クラス程度なら、同じ学年の担任に例えば理科が二人ということはない。誰かが途中で異動したとしても、教科バランスを考えて後がまが決まる。転任した人の代わりに新任できた教員が、年齢や経験が同じ程度なら、その人が学年に途中から入ることも多いだろう。

 一方「学校運営上の要因」というのは、高校の場合、担任以外の教員人事の方が重要だったり、もめることもあるということである。小規模の中学なら、教務主任、生活指導主任が学級担任を兼務せざるを得ない場合もあると思う。しかし、高校の場合、規模が大きいので、原則的には主任専任となるだろう。(授業時数の軽減も認められる。)また進路指導が重要なので、長い経験から進路先と深いつながりを持っている教員が、担任団に入れず「進路部専属」みたいに「塩漬け」になる場合がある。それは「教務」「生活指導」(生徒指導だけでなく、大規模な文化祭担当もある)にも似たような面があある。伝統ある大規模校になればなるほど、「余人をもって代えがたし」と「毎年希望してるのに担任にしてもらえない」人が出てきたりする。実力十分で「入学式の代役」など「やる気満々」だけど、学校としては他の仕事を割り当てる(と校長が判断した)ということである。

 最後に「個人的な要因」だけど、これは「担任をしたくない理由」と「担任をさせられない理由」に分けられる。そしてこの要因が最近は増大しているのではないだろう。「担任をさせられない」というのは、病気で休暇を取ることが多い、精神的に不安定といった教員である。「休職明け」で時間軽減を取ってる教員も担任には入れない。近年、教員の病気休職、特にメンタル面の休職が増大していると言われる。統計でみると、むしろ数年前よりは少し減っているようだけど、病休と精神疾患を合わせると1パーセントを超えている。だから大規模校なら1人ぐらいはいることが多い。年度当初から決まっていれば「代替教員」が配置されるが、臨時教員は勤務時間などは同じだが、来年以後いない可能性が高いので、普通は担任に入らない。

 「新規採用教員」も、今ではすぐに担任を持つことはないだろう。昔はすぐ担任に入る新採が結構多かったものである。現場も管理職も、そして本人も、周りに教えられながら担任を務めるのが「一番の研修」と思っていた。今は初任者研修が大変過ぎて、とても担任はできない。他県や私立で教員経験済の「30過ぎの新採」といった場合は別だが。(大体「期限付き採用」なので、来年必ずいるとも限らない。東京では、昨年の新採2740人中、正式採用となったのは2661人。2.9%、79人が採用とならなかった。)最近は新採教員がかなり増えているので、担任を任せられないのは、人員上かなり困るケースも多いだろう。

 そのうえ、まだ残る「10年研修」、あるいは導入されてしまった「教員免許更新制」なども、それに当たる年には担任をしたくない要因になっているのではないか。それを理由に担任を外れるのは難しいかもしれないが、逆に「3年担任時に当たらないように計算して、担任に入る」という要因としては大きいだろう。実際、3年担任時の「10年研修」は無理だと思うし、夏休みに行われることが多い「更新講習」も3年担任だと厳しいのではないだろうか。このような現場にしわ寄せする政策が多いので、担任決定は校長にとっても大変な仕事だろう。

 そういった事情を考えると、「自校の入学式が子どもの入学式と重なる教員」と言えど、その事情は「担任を外れる理由としては低い」と校長は判断するのではないか。子どもが高校生というのだから、新採でも「10年研修」にも関係ない。40代後半ぐらいで、担任としてはベテラン。今までに何回か卒業生を出した経験もあるはず。人事をいじりはじめると玉突きになってしまうし、教科の要因も大きいだろう。学校現場からすれば、余計なものがいろいろ入って担任の選び方が難しくなる一方。人事は校長の専権事項だとして意見も聞かず発令してしまう校長も多くなっている。どうしてそういう担任団になったのか、どうもよく判らないという場合も多いと思うけど、まあ、大体はそういう事情を勘案して、なんとか担任が決まっていくのである。
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「入学式と担任」問題②

2014年04月30日 00時49分53秒 |  〃 (教師論)
 学級担任が入学式にいなかったと批判されているが、「担任はどれほど大事な存在なのだろうか?」それは大事に決まってると言われるかもしれないが、では時々変わるのは何故だろう。いや病気や産休なら仕方ないだろうと言うかもしれない。そうではなくて、行政の都合で途中で変わることもあるのである。しかもよりによって、中学3年の担任が3学期から変わったという事例もあるのだ。担任をしていた主幹教諭が別の学校の副校長に発令されたのである。同学年に主幹が二人いたとも思えないので、担任だけでなく学年主任も3学期から変わったのではないだろうか。

 「週刊金曜日」の2014年1月24日号の「金曜日から」(いわゆる「編集後記」)に次のような記事が載っている。「学校も役所なんだなあ、と感ずることが最近あった。2月の受験を控えた中学3年の息子の担任が、1月1日付で副校長に昇進して別の学校に移られたのだ。どこかの校長のポストが欠員になり、結局玉突き人事になったらしい。集会で報告がされると、クラスはどよめきが起こり、涙を流す生徒もいたとのこと。異動された担任も後ろ髪を引かれる思いだったろう。(以下省略。)」

 東京の出来事とは明記されていないけど、副校長と書かれているから東京の学校だろう。それにあたる発令人事も、都教委のホームページに見つかる。2013年12月27日付の「東京都公立学校長及び副校長の任命について」という文書で、それによれば板橋の中学で新校長が発令されているが、副校長は一挙に4人も発令されている。だから単なる「玉突き」だけではなく、副校長の休職、退職、死亡などもあったのではないかと思う。そういうことも当然あるだろうが、でも「副校長昇任試験」に合格している主幹教諭は他にはいなかったのか。校名や人名を挙げる必要はないだろうけど、地名だけ書いておくと、大田区、文京区、東村山市、稲城市の中学に勤務していた人が副校長になっている。だから前記「金曜日」に出ている事例は、このどこかの学校ではないだろうかと推測できる。 

 どの学校の担任が大事と言って、比較は難しいが、やはり進路を抱えた「中学3年の担任」が一番重要ではないか。高校なら進学や就職に経験を積んだ進路指導部が存在するだろう。でも中学は人数が少ないため担任が進路指導に関わる部分が圧倒的に大きい。東京では1月末に都立高校の推薦入試があるので、新年早々から推薦書を作成する大事な仕事がある。そういう時期に、担任を代えるとは、どういうことか。入学式にいなくても、翌日以後に取り戻すことはいくらでもできるだろう。でも、受験と卒業を前に異動してしまうのは、いくら何でも「トンデモ人事」ではないか。入学式にいなくて批判されるのだったら、このような人事を行った東京都教育委員会は最大級の非難に値すると思うのだが、どうだろうか。(ところで、僕はこのことを1月に「金曜日」を読んで知っていたが、もう発令は元に戻らないし、受験前に外部で余計なことを言ってもまずいだろうと思って書かなかった。このブログに大した影響力はないけれども。もう新年度になったから書いているのである。)

 さて元の問題に戻り、入学式の日に担任が行うべきことは何だろうか。尾木直樹さんは「第一志望でなかった生徒はうつむき、表情が晴れない場合が多い。そんな生徒の表情を見逃さず、『これから頑張ろう』と声を掛ける。こうした心のケアは担任に限らず、この日で最も重大な教師の務めです」と語っている。もっとも今の言葉は朝日新聞4月23日付の引用なので、多少本人の言葉とは違っているのかもしれない。この尾木さんの言葉は本当だろうか。これが「観念的に書かれたタテマエ的な言葉」ではないとしたら、「尾木先生はやはりすごい」と僕は驚くしかない。やはりスーパー・ティーチャーなのかもしれないが、現場で実践できる教師はほとんどいないのではないだろうか

 と言うのも、全日制高校の場合、ほとんどの生徒が「表情が晴れない」のではないかと思うのである。それが第一希望ではなかったからか、初めての電車通学に疲れているからか、知らない人間ばかりの中で緊張しているからか、それとも親が教師で入学式に来てくれないのが淋しいからなのか…それらは今の段階では判らない。何か身体的、家庭的な問題があれば、後で入学式に来ている親から話があるだろう。明日以後に面談週間などがあるから、その時にじっくり話を聞きだして、今日のところは安易に頑張ろうなどとは声を掛けないでおこうという方が、むしろ普通の対応ではないか。

 中学までは、地元で知り合いの仲間の中で暮らしているものである。時には幼稚園から小中とずっと一緒だった親友もいたりする。いくら学校選択制であっても、また途中で私立に行ったり転校する生徒がいたりしても、やはり基本は「義務教育段階は地元の友人」であり、野球やサッカー、または塾なんかも知り合いの範囲でやってることが多い。高校になって、初めて「自分一人の人間関係」の中に放り込まれることが多い。その最初の日には、後で散々問題を起こすことになる生徒であっても、さすがに「猫をかぶっている」というか「本性を隠している」ものである。入学式が終わって下校の頃になれば、もうメールアドレスやLINEのIDを交換し始める生徒もいるかもしれないけど、担任が見てる範囲内ではまだ神妙にしている生徒がほとんどだと思う。だから、問題を抱えていそうだから今日すぐにでも声を掛けなければなどとという「心のケア」は僕にはとてもできなかった。
 
 一方、その逆はないことはない。つまり入学式の最初の日から、生活指導上問題だなという服装、頭髪、態度をしている生徒である。多くの教員にとって、入学式にチェックしないといけないのは、残念ながらこっちの方だろう。入試の日には真っ黒だった髪の毛が入学式にはもう茶髪っぽい生徒、明らかに勉強の意欲に欠けるムードの生徒、ひどい場合には入学式の日に喫煙で捕まる生徒。そんな場合もないことはないのである。そして、そういう生徒の指導は担任がまずするというより、最初は生活指導部で一括して対応すると思うから、担任が欠席していても指導はできるはずである。大変残念なことだけど、僕には入学式の日にあるとすれば、「心のケア」以前に「生活指導」である場合の方が想像しやすいのである。

 朝、生徒が決められた教室に集まる。10時開式なら、9時ころだろうか。最近の中学には、始業式の日の午後に、さっそく入学式を行う学校もあるやに聞くけど、高校では始業式の翌日がほとんどだろう。在校生は「自宅学習」にして、入学式には登校させない。初めてバスや電車で来るわけだから、遅れてしまう生徒も少しはいる。(それを心配して、教員より前に来ている生徒もいるものだが。)まず担任が行うのは、入学式の式次第の説明と「呼名」の確認。最近は難読人名が多い。願書に振り仮名があって、それをもとに資料を作ってあるけど、必ず最初に確認がいる。「跳」と書いて「リズム」と読ませるとか、「走」と書いて「らん」と言う名前だったとか。いや、これは実例を挙げられないので今僕が作ったもので、さすがにここまではいないだろうけど、とにかくそういう名前もある。「石田優奈(ゆうな)」の次が「伊藤優実(ゆうみ)」、次が「岩崎裕美(ゆみ)」だったりするので、とにかく要注意である。「大島優香(ゆうか)」なんて生徒がいると、読む方もあがっていると「大島優子」なんて呼んでしまうので、クラスで一度予行練習をして読み方も再確認するだろう。そうしているうちに、トイレに行かせれば、もう廊下に並ぶ時間。並び方、式場での座り方は説明してある。

 式が始まると、開式の辞、国歌斉唱のあとは、すぐに「新入生入学許可」で生徒の呼名である。それが終われば、後は校長や来賓の式辞を聞き流す。(まあ、式後のことを考えてしまうので、担任は聞き流しているでしょうね。)11時頃に式が終われば、親は会場に残して、生徒は教室へ。または写真を撮る学校は、写真撮影会場へ。その前後に「ロッカーの説明」をしないといけない。場所を教え、上履きや体操着を今日から入れていいけど、必ず鍵をするようにという話である。鍵を入学式の日に持ってくるように伝えてあるわけだが、やはり持って来ない生徒が多い。その間に鍵なしで使って無くなっても困るので、「鍵は学校でまとめて用意する」という学年も今まであったけど、そこまではしない時が多いのではなだろうか。ロッカーにも個人名を書かないなど、今は慎重な配慮が必要である。

 教室へ戻れば配布する印刷物が山のようにある。明日以後の予定。教科書購入の予定。(高校は教科書を自費で買うわけだから、業者が来る日に購入費を持って来させるのが大変である。)健康診断がすぐだと、問診票とか検便の用具とか。その間に、配布物を生徒は後ろに配るので、お互いに多少の会話を交わす。担任も自己紹介をしたり、多少クラス経営らしくなる頃に、親がやってくる。親はその間に、今年は「授業料に関する詳細な資料」、これは前に書いたけれど非常に複雑な制度に変えられてしまったので、その説明が事務室長(東京では「経営企画室長」という不思議な名前である)からあったはずである。また高校で親がほとんど来るのは、その後は卒業式までないことが多いので、PTAの役員決め、というか今はPTAと言われてきた組織に入るかどうかも保護者の選択という時代なので、是非入って欲しいというお願いなどが行われているのである。

 こうして、気が付けばもう12時過ぎ。時には12時半を過ぎている。長いなあ、お腹も空いたなあというムードが生徒はもとより親からも伝わってくる。だから、ここで長々と親子に向け「所信表明演説」をしたり、自分の教育論を語る時間はない。とにかく生徒には明日以後の面接でいろいろ話そうねということで、生活指導上特に問題な生徒がいなければ、「頑張ろう」などと声を掛ける暇もなくホームルームも終わっていくのである。それでも、「うちの子はこれこれで」という話を伝えたい親が必ず数組残るわけで、職員室に戻れたのは1時を過ぎているということになる。昼食をはさんで当初は1時頃より次の会議が予定されていたが、1年生が長くかかったので、では2時から「分掌部会」、3時から「教科会」などと時間を遅らせるというお知らせが職員室のホワイトボードに書いてある。前日までは「1年生の学年会」の時間が大量に必要だったわけで、その分、分掌部会や教科会が入学式以後に繰り越されたりする。昔は式後に学校内で「お祝いの会」などをやった時代もあったように思うけど、今は昔、そんな余裕もないし、そんなことは今では許されない。こうして入学式の日が過ぎていくのである。
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