「三越と三井本館」を4月7日に書き、翌日に「日銀と日本橋」を書いた。でも書き落としや写真の撮り忘れが多かったので、改定することにした。その後「日本橋から京橋へ」を書く予定。(4.24)
さて、日本銀行本店を見たことがない人もけっこういると思う。東京駅や迎賓館に並ぶ素晴らしい近代建築である。三越の裏手に回ってすぐ。「銀行の銀行」だから、普通の人に用はない。外観を見るだけだけど、写真を撮ってる人がいつもいる。
東京駅を設計した建築家、有名な辰野金吾の作で、1896年にできた。重要文化財指定。日銀大阪支店、京都支店(今は京都文化博物館別館)なども辰野だという。近年では日銀総裁は最高裁長官より知られているのではないか。ニュースによく出てくる日銀は、これかと一度は見るべき東京名所だと思う。平日に4回ほど見学ができる。(要予約)僕も生徒と一緒に行った。ビデオを見てから、地下の大金庫などを見学する。お土産に古いお札をシュレッダーしたものをくれる。社会科見学的な場所としてはとても面白いと思う。壮麗にして堅固な建築で、写真に撮りたくなるスポットである。裏へ回るとこんな感じ。

日銀の真ん前に大きなビルがあり、「貨幣博物館」になっている。和同開珎や慶長大判、日本や世界の珍しい貨幣の数々が展示されている。とても充実したところで、修学旅行生も多い。東京にある入場無料の博物館としては一押しと言ってもいい。
日銀から三越の方に戻って大通りを行くと、日本橋川に架かる日本橋がある。読みは「にほんばし」で、大阪の道頓堀川に架かるのは「にっぽんばし」。東京人は今や日本橋を単なる地名(駅名)だと思って、橋を渡ったことがない人もいると思う。首都高が上を通っていて、風情がないことでも有名だけど。今の橋は1911年に作られたもので、重要文化財。1963年、つまり東京五輪の前年に首都高が開通し、今の景観になってしまった。橋そのものを撮るのは難しいのだが(周囲はビル街で川に近づけないし、ビルにも入れない)、川端に広場があり斜め方向に撮るしかない。

日本橋を遠くから撮ると、首都高を撮影してるようにしか見えない。単なる道路の上を高速道路が通る風景である。でも江戸は水路が発達していて、水運が重要だったわけである。橋そのものは西欧諸国の摸倣に過ぎず、そこに首都高が架かる光景こそ、「残すべき珍しい価値がある」という人もいるらしい。確かに東京の高速道路を「近未来風景」としてとらえる映画が内外にあるのも事実。でも、高速道路がない方がやはり自然ではないか。

ここは道路元標(どうろげんぴょう)があって、日本の道路の起点である。橋そのものは、1603年に徳川家康が最初に架けた。それ以来五街道の起点が日本橋で、それを引き継いでいるわけである。道路元標は道路の真ん中にあって、常にクルマがあるから合法的には(真上からは)撮れない。(車が来ない一瞬を探して、急いで撮るしかないけど、横断歩道がないところで車道に出てはいけない。)元標はここだと上から示す印が、高速道路の間に作られている。最初の写真が元標のアップで、次の写真が場所の印。続いて、橋のたもとにある「道路元標」のレプリカと記念碑。

日本橋から東西への里程標もある。

川は最近ではクルーズ船も寄るようになり、河岸が整備されてきた。江戸時代には魚河岸があったという碑も作られている。いろんな碑が橋の両側にあるので、全部見ようと思うと行ったり来たりしないといけない。道路元標を撮ってると他を忘れるスポット。本来の日本橋はもっと広くて、人形町とか兜町なんかも入るんだろうけど、今は地下鉄駅の日本橋近辺を日本橋と認識している東京人が多いだろう。このあたりは老舗が多い所で、ブラブラ歩きながら見て歩くのも楽しい。(食べたり買ったりしてもいいわけだけど、敷居が高そうな店が多い。)
さて、日本銀行本店を見たことがない人もけっこういると思う。東京駅や迎賓館に並ぶ素晴らしい近代建築である。三越の裏手に回ってすぐ。「銀行の銀行」だから、普通の人に用はない。外観を見るだけだけど、写真を撮ってる人がいつもいる。




東京駅を設計した建築家、有名な辰野金吾の作で、1896年にできた。重要文化財指定。日銀大阪支店、京都支店(今は京都文化博物館別館)なども辰野だという。近年では日銀総裁は最高裁長官より知られているのではないか。ニュースによく出てくる日銀は、これかと一度は見るべき東京名所だと思う。平日に4回ほど見学ができる。(要予約)僕も生徒と一緒に行った。ビデオを見てから、地下の大金庫などを見学する。お土産に古いお札をシュレッダーしたものをくれる。社会科見学的な場所としてはとても面白いと思う。壮麗にして堅固な建築で、写真に撮りたくなるスポットである。裏へ回るとこんな感じ。



日銀の真ん前に大きなビルがあり、「貨幣博物館」になっている。和同開珎や慶長大判、日本や世界の珍しい貨幣の数々が展示されている。とても充実したところで、修学旅行生も多い。東京にある入場無料の博物館としては一押しと言ってもいい。


日銀から三越の方に戻って大通りを行くと、日本橋川に架かる日本橋がある。読みは「にほんばし」で、大阪の道頓堀川に架かるのは「にっぽんばし」。東京人は今や日本橋を単なる地名(駅名)だと思って、橋を渡ったことがない人もいると思う。首都高が上を通っていて、風情がないことでも有名だけど。今の橋は1911年に作られたもので、重要文化財。1963年、つまり東京五輪の前年に首都高が開通し、今の景観になってしまった。橋そのものを撮るのは難しいのだが(周囲はビル街で川に近づけないし、ビルにも入れない)、川端に広場があり斜め方向に撮るしかない。




日本橋を遠くから撮ると、首都高を撮影してるようにしか見えない。単なる道路の上を高速道路が通る風景である。でも江戸は水路が発達していて、水運が重要だったわけである。橋そのものは西欧諸国の摸倣に過ぎず、そこに首都高が架かる光景こそ、「残すべき珍しい価値がある」という人もいるらしい。確かに東京の高速道路を「近未来風景」としてとらえる映画が内外にあるのも事実。でも、高速道路がない方がやはり自然ではないか。




ここは道路元標(どうろげんぴょう)があって、日本の道路の起点である。橋そのものは、1603年に徳川家康が最初に架けた。それ以来五街道の起点が日本橋で、それを引き継いでいるわけである。道路元標は道路の真ん中にあって、常にクルマがあるから合法的には(真上からは)撮れない。(車が来ない一瞬を探して、急いで撮るしかないけど、横断歩道がないところで車道に出てはいけない。)元標はここだと上から示す印が、高速道路の間に作られている。最初の写真が元標のアップで、次の写真が場所の印。続いて、橋のたもとにある「道路元標」のレプリカと記念碑。




日本橋から東西への里程標もある。


川は最近ではクルーズ船も寄るようになり、河岸が整備されてきた。江戸時代には魚河岸があったという碑も作られている。いろんな碑が橋の両側にあるので、全部見ようと思うと行ったり来たりしないといけない。道路元標を撮ってると他を忘れるスポット。本来の日本橋はもっと広くて、人形町とか兜町なんかも入るんだろうけど、今は地下鉄駅の日本橋近辺を日本橋と認識している東京人が多いだろう。このあたりは老舗が多い所で、ブラブラ歩きながら見て歩くのも楽しい。(食べたり買ったりしてもいいわけだけど、敷居が高そうな店が多い。)


