尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「少年と犬」と「雨降る森の犬」ー馳星周の犬小説②

2021年01月12日 20時36分29秒 | 本 (日本文学)
 ノワール小説で直木賞候補に6回もノミネートされてきた馳星周(はせ・せいしゅう、1965~)は、2020年に7回目の候補作「少年と犬」でついに直木賞を受賞した。直木賞はミステリーが受賞しにくいが、今でもそれは言えるらしい。(横山秀夫伊坂幸太郎など選考に疑問を感じて、候補になることを拒否した作家までいる。)ペンネームの「馳星周」は、香港の俳優周星馳(チャウ・シンチー)の名前を逆にしたもので、やはりノワール系で受賞して欲しかったかも。

 最近では直木賞作品も文庫化まで待つことが多いが、今回は年末にまとめて馳星周の犬小説を読みたくなって買ってしまった。集英社文庫に「雨降る森の犬」(2018)という小説もあると気付いて、それも読んでしまった。結論的には「犬と少年」は確かに傑作だが、前に書いた「ソウルメイト」「陽だまりの天使たち」の方が読みやすくて感動的。「少年と犬」は「連作短編」で、一頭の犬が日本を横断して行く様が6編の短編でつながっている。「泥棒と犬」「娼婦と犬」などのように、犯罪者など裏社会を描く作品もあるから、ちょっと子ども向けには勧めにくい。

 変な言い方になるが、「少年と犬」はちょっと「ブンガク」が入っている。そこが直木賞につながってくるところだろう。「少年と犬」は東北を大津波が襲い原発事故が起こった年から10年、そして2016年に起きた熊本地震からも5年という年に是非とも読んで欲しい本である。飼い主が「多聞」(たもん)と名付けていた犬(シェパートと和種のミックス)が仙台である男とともにいる。その時点では「本名」は不明である。ICチップから「多聞」という名前が判明するのは作品の半ば過ぎである。犬はいろんな飼い主に出会って、いろんな名前を付けられる。

 飼われるたびに飼い主に幸運と癒やしを与えながら、その犬は何故か車の中では「」または「西」を向いている。初めは東北にいた犬が、次第に日本を西へとたどってゆく。その理由は何なのだろうか。「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」と日本各地で不遇に生きる人々の暮らしに一瞬の癒やしを与えていく。しかし、飼い主は理由あって飼い続けることが出来ない。犬は山の中で食物を探しながら、西へと向かっていく。
(馳星周)
 最後の短編「犬と少年」になって、初めてすべての事情が明かされる。エンディングに向かって緊迫感が高まり、真相が判明したときには大きな感動が待っている。僕は確かに感動したけれど、でもいくら不思議な能力を発揮することが知られる犬とは言っても、この小説は不思議過ぎではないだろうか。犬小説としてはその点で疑問もあったんだけど、しかし「災害小説」という読み方も出来る。我々の心を打つのは、「」に加えて「大地震」という要素があるからだろう。

 「雨降る森の犬」は文庫本で500頁近い長編小説で、さすがに「犬小説」だけでは持たないぐらいに長く、「青春小説」という方がいいだろう。主人公は「広末雨音」という中学生で、冒頭で伯父の住む蓼科の別荘に向かうところ。父が小学生時代に死んで、その後一緒に暮らしていた祖母も亡くなった。母は若い「芸術家」と恋人と一緒にニューヨークに行ってしまった。雨音も誘われるが、何でも自分のペースで進める母を嫌っている。そこで親の残した別荘に住んで山岳写真家になっている伯父の道夫のもとで暮らすことにしたのである。

 その家には昔マリアという犬がいた。しかしマリアは死んでしまって、道夫は同じバーニーズ・マウンテン・ドッグワルテルと暮らしている。ワルテルは「犬のジャニーズ系」と言われるほどハンサムだが、「男尊女卑」の気味がある。雨音のことは自分の子分とみなして、最初は全然従わない。次第に懐いて一緒に寝たりするようになって、傷ついた雨音の心はワルテルによって癒やされていく。また隣の別荘を持っている家に、近所で噂のハンサムな高校生がいる。夏休みや連休しか来ないけれど、その「国枝正樹」という青年も親との葛藤を抱えていた。

 夏休みに道夫とワルテル、雨音と正樹は蓼科山に登る。初めは山登りなんかしたくなかった雨音だが、山と写真に魅せられた正樹とともに次第に登山の楽しさを知ってゆく。ともに親との葛藤を抱えた二人の絆はワルテルとともに深まってゆく。というような小説で、常にワルテルが傍にいる生活なんだけど、やはり小説の読みどころは「親との葛藤」がどうなっていくかだろう。しかし、犬好きの馳星周だけあって、この小説を読むことでたくさん犬のことを学ぶことが出来る。

 またこの前書いたばかりの蓼科山、その石ころだらけの頂上、雲海越しに見るパノラマ風景が重要な場所として出てくる。その暗合に驚くとともに懐かしくなった。「広末雨音」と「国枝正樹」なんて、どうも「少女漫画的命名」であるが、ワルテルが物語を救っている。二人とも貧しい暮らしではない。正樹の家は金持ち一家だから大きな別荘を持っている。「格差」「貧困」の中で困窮する子どもたちばかりではなく、この二人のように家庭環境で「精神的困窮」になっている子どももいる。金持ちに生まれるのも大変だ。「犬」と「山」はやっぱりいいなあ。
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