映画館は開かれているが、最近は昔の映画を見ることが多かった。新作映画ではポーランド映画とハンガリー映画が相次いで公開されている。昔から「東欧」の映画はよく見てるので、これは一応書いておこうかなと思う。ポーランド映画はヤン・コマサ監督「聖なる犯罪者」で、2020年のアカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされた。(受賞は「パラサイト」で、他のノミネートは「ペイン・アンド・グローリー」「レ・ミゼラブル」「ハニーランド 永遠の谷」。)
冒頭に「実話に基づく」と出るが、こんなことがホントにあったのかという話である。少年院に入っている20歳のダニエルは神父の影響でキリスト教に目覚める。しかし前科があると神学校に入れないと言われる。仮釈放されたら辺地にある製材所で働かなければいけない。しかし製材所には行きたくなくて、つい教会に入ってしまう。そこで祈っていた少女マルタに自分は司祭だと言ってしまうと、新任司祭と勘違いされそのまま代わりを任されてしまった。現任の司祭は病気があって代わりを送るように求めていたところだった。
(マルタとダニエル)
最初はぎこちなかったダニエルだが、いつの間にか信頼されていく。この村にはある角地に祭壇が作られている。1年前に交通事故があって7人も死んだのだという。しかし祭壇には6人の写真しかないのは何故か。ダニエルが問うと人々はあの運転手は絶対に許せないと反発する。村は事故の傷が癒えてないのである。マルタの兄も事故で死んだ一人だったが、マルタは死の原因に疑いを持っている。ダニエルが運転手も教会で葬らないといけないと言い出すと、村人たちに波紋が広がっていく。そんな時に同じ少年院にいた仲間が製材所に送られてきて…。
ポーランドが世界でも有数のカトリック国であるのは知っていたが、田舎では教会が生活の中心らしい。それにしても「資格証明書」みたいなものを提示しないのか。説教でボロを出しそうなもんだけど、ダニエルはスマホでにわか知識を仕入れている。カトリックは結婚禁止だから、若い世代からは「禁欲は何故するのか」などと問われている。日本では西川美和監督「ディア・ドクター」で笑福亭鶴瓶がニセ医者をやっていた。あれも実話が基になっていた。「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」では寅さんがニセ坊主をしていたが、上手にお経を上げていた。今ひとつ設定が身近ではないものの興味深い映画だった。
ハンガリー映画のバルナバーシュ・トート監督「この世界に残されて」は、ホロコーストを背景にして家族を失った人々が如何にして生きていくかを静かに描いている。わずか88分の映画で、現代では慎ましすぎる感じもするが、逆に余韻が深い映画でもある。1948年のある日、婦人科医のアルド(42歳)のもとにクララ(16歳)が大叔母に連れられて受診に来る。未だに初潮がないのを心配したのである。クララの父母は収容所で死んだらしいが、本人はいつか帰ってくると信じている。そして妹はクララに抱かれて死んでいった。そんな苛酷な体験がクララの成長を止めていただけで、アルドはホルモン異常ではないと言う。
クララは初潮があったことを報告に来て、大叔母がうっとうしいとアルドに訴える。アルドが一人暮らしなら一緒に暮らせないかという。やはり深い喪失を体験していたアルドに、クララは何故か惹かれて懐いてしまった。その関係は誤解を招きかねないが、やがて二人は親子のような情愛で結ばれていく。そんなハンガリーは共産党政権が樹立され、人々の中に「党」への忖度が始まる。生きるために「党員」になると、友人を密告しないといけない。そんな暮らしの中でアルドはどんな生き方を選択するのか。そしてラストシーンでは、ラジオがスターリンの死を報じる。1956年のハンガリー事件は描かれていないが、彼らはどうなったのだろう。
(アルドとクララ)
42歳と16歳は一般論では年が離れすぎだろうが、現代なら結ばれちゃう方がありそうな展開かもしれない。でも当時のハンガリーだからか、あるいは深い喪失を体験したものどうしというか、慎ましやかなつながりが続く。その「小さな声」が余韻を深めるが、短すぎるような気もした。70年前の様子を再現する撮影や美術は本当に素晴らしく、その時代を実感する気がした。高畑充希、井浦新ダブル主演という感じの主役二人が好ましかった。
ポーランドもハンガリーもかつての「ソ連圏」の中では、西欧に近く文化的な自由度も相対的に高かった。東欧革命でも先駆的な役割を果たした国だったが、2010年代後半に入ってから政治の強権化、右翼化が進んでいる。移民受け入れなどに否定的で、EU内でも問題を起こしている。ポーランドでは2020年秋に人工妊娠中絶を憲法違反とする最高裁判決があって大問題になっている。そんな「東欧」から来た2本の映画は直接現代の情勢を描くものではないが、風土や言語などを通して感じるところがあった。
冒頭に「実話に基づく」と出るが、こんなことがホントにあったのかという話である。少年院に入っている20歳のダニエルは神父の影響でキリスト教に目覚める。しかし前科があると神学校に入れないと言われる。仮釈放されたら辺地にある製材所で働かなければいけない。しかし製材所には行きたくなくて、つい教会に入ってしまう。そこで祈っていた少女マルタに自分は司祭だと言ってしまうと、新任司祭と勘違いされそのまま代わりを任されてしまった。現任の司祭は病気があって代わりを送るように求めていたところだった。
(マルタとダニエル)
最初はぎこちなかったダニエルだが、いつの間にか信頼されていく。この村にはある角地に祭壇が作られている。1年前に交通事故があって7人も死んだのだという。しかし祭壇には6人の写真しかないのは何故か。ダニエルが問うと人々はあの運転手は絶対に許せないと反発する。村は事故の傷が癒えてないのである。マルタの兄も事故で死んだ一人だったが、マルタは死の原因に疑いを持っている。ダニエルが運転手も教会で葬らないといけないと言い出すと、村人たちに波紋が広がっていく。そんな時に同じ少年院にいた仲間が製材所に送られてきて…。
ポーランドが世界でも有数のカトリック国であるのは知っていたが、田舎では教会が生活の中心らしい。それにしても「資格証明書」みたいなものを提示しないのか。説教でボロを出しそうなもんだけど、ダニエルはスマホでにわか知識を仕入れている。カトリックは結婚禁止だから、若い世代からは「禁欲は何故するのか」などと問われている。日本では西川美和監督「ディア・ドクター」で笑福亭鶴瓶がニセ医者をやっていた。あれも実話が基になっていた。「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」では寅さんがニセ坊主をしていたが、上手にお経を上げていた。今ひとつ設定が身近ではないものの興味深い映画だった。
ハンガリー映画のバルナバーシュ・トート監督「この世界に残されて」は、ホロコーストを背景にして家族を失った人々が如何にして生きていくかを静かに描いている。わずか88分の映画で、現代では慎ましすぎる感じもするが、逆に余韻が深い映画でもある。1948年のある日、婦人科医のアルド(42歳)のもとにクララ(16歳)が大叔母に連れられて受診に来る。未だに初潮がないのを心配したのである。クララの父母は収容所で死んだらしいが、本人はいつか帰ってくると信じている。そして妹はクララに抱かれて死んでいった。そんな苛酷な体験がクララの成長を止めていただけで、アルドはホルモン異常ではないと言う。
クララは初潮があったことを報告に来て、大叔母がうっとうしいとアルドに訴える。アルドが一人暮らしなら一緒に暮らせないかという。やはり深い喪失を体験していたアルドに、クララは何故か惹かれて懐いてしまった。その関係は誤解を招きかねないが、やがて二人は親子のような情愛で結ばれていく。そんなハンガリーは共産党政権が樹立され、人々の中に「党」への忖度が始まる。生きるために「党員」になると、友人を密告しないといけない。そんな暮らしの中でアルドはどんな生き方を選択するのか。そしてラストシーンでは、ラジオがスターリンの死を報じる。1956年のハンガリー事件は描かれていないが、彼らはどうなったのだろう。
(アルドとクララ)
42歳と16歳は一般論では年が離れすぎだろうが、現代なら結ばれちゃう方がありそうな展開かもしれない。でも当時のハンガリーだからか、あるいは深い喪失を体験したものどうしというか、慎ましやかなつながりが続く。その「小さな声」が余韻を深めるが、短すぎるような気もした。70年前の様子を再現する撮影や美術は本当に素晴らしく、その時代を実感する気がした。高畑充希、井浦新ダブル主演という感じの主役二人が好ましかった。
ポーランドもハンガリーもかつての「ソ連圏」の中では、西欧に近く文化的な自由度も相対的に高かった。東欧革命でも先駆的な役割を果たした国だったが、2010年代後半に入ってから政治の強権化、右翼化が進んでいる。移民受け入れなどに否定的で、EU内でも問題を起こしている。ポーランドでは2020年秋に人工妊娠中絶を憲法違反とする最高裁判決があって大問題になっている。そんな「東欧」から来た2本の映画は直接現代の情勢を描くものではないが、風土や言語などを通して感じるところがあった。