集英社文庫のセレクション「戦争と文学」を毎月読んできたが、今月でいよいよ終わりで、我ながらよく読んだと思う。一巻が600頁を超える長さで、持ち歩くのも重い。全20巻ある全集の中に文庫化されなかった12巻が残っているが、とても読む気にはなれない。最後は「イマジネーションと戦争」の巻で、SF・寓話・幻想文学と帯にある。他の巻よりは読みやすくて、いつもなら10日ぐらい掛かっていたのに今回は5日で終わった。しかし、逆に一番面白くなかったと思う。寓話的作品はすぐ読めるけど時代的制約が多い。
(カバー=会田誠「紐育空爆之図」1996)
芥川龍之介「桃太郎」に始まるが、文学史的、思想史的価値はあるが、今では面白くない。「桃太郎」伝説を鬼の立場からひっくり返した作品で、こういう作品があったという価値は大きいが。安部公房「鉄砲屋」、筒井康隆「通いの軍隊」、宮沢賢治「烏の北斗七星」なども同様。早世したSF作家、伊藤計劃は初めて読んだけど、「The Indifference Engine」はなかなかよく出来た戦争小説だった。アフリカのルワンダ虐殺などを思い起こさせる少年兵の恐怖の体験を内面から描き出している。しかし、同時にこれは何のための小説なんだろうという気もしてきた。
小松左京「春の軍隊」は、多分書かれた時代(1973年)には衝撃的で面白かったのではないか。突然日本各地に謎の軍隊が出現してホンモノの戦争を始める。どこかから侵入したわけではなく、いわば異次元空間から突如出現する。合理的な説明はない。これを「平和の風景の裏に、戦争が潜んでいる」と言われても。当時の日本は戦後28年、戦争が「風化」したと言われながら、ベトナム戦争が大きく報道されていた。小松左京は「日本沈没」がSFを超えたベストセラーになった時期で、経済成長した日本は果たして正しい道を歩んでいるのかという問題意識があったのだろう。最後に掲載された小松左京のインタビューにそのことがうかがえる。
(小松左京)
長崎で原爆小説を書いてきた青来有一「スズメバチの戦闘機」は、スズメバチを戦闘機と思い込んで、一人で戦争を遂行する子どもの話。星野智幸「煉獄ロック」は、近未来(?)のディストピア小説。人間は完全に管理されていて、子どもは10歳になると男女別に隔離される。10年間の「禁欲」を課せられが、20歳になると子作りが強制され、2年間の間に出産しないと「市民階級」になれない。そんな体制に反逆するカップルの苦難を描いている。筋とともに「接窟」とかの独自用語が面白い。これはセックスのこと。地名も「捕和」「大営」とか浦和、大宮みたいな名前がパラレルワールド感を出している。僕はこれが一番面白かった。
(星野智幸)
SF系では山本弘「リトルガールふたたび」が面白かった。2109年の東京都内の小学校が舞台である。日本は21世紀後半にとんでもない状態に陥った。人々がフェイクを信じるようになり、ついに「広島に原爆は落ちなかった」などという言説がネット上で支持される。政治にも進出して、やがて日本の核武装を目指す党が勝利する。その後どうなるかは直接読んで貰いたいが、最後まで風刺が効いている。この小説は「現在」に関わっていて、残念ながら古びていない。全然知らなかった作家だが、「トンデモ本」を楽しむ「と学会」初代会長だという。
赤川次郎「悪夢の果て」は、大学教授が敗戦直前の1945年の東京にタイムスリップする。家族構成は同じ、本人も同じ大学教授なのだが、東京はもう空襲で破壊されている。食糧難の中で息子に召集令状が来る。冒頭は現代で、主人公が教育関係の審議会に出ているが意見は何も取り入れられない。過去の教訓をないがしろにして国家主義的教育を進める日本(発表は2001年)への、ほとんどナマの批判のような小説だ。それでも心に刺さるものがある。
非常に珍しく貴重だったのは、高橋新吉「うちわ」という作品。高橋新吉(1901~1987)は、1923年に「ダダイスト新吉の詩」で一躍有名になった新進詩人だった。ヨーロッパで起こったダダイズムを日本で名乗った詩人である。その後仏教に傾倒したが、ずいぶん後まで長生きしていたのは知らなかった。入手しやすい本はないと思うし、僕も初めて読んだ。戦争中に「狂気」に駆られた男の物語で、1949年の作品。作中の人物は日米戦争開始の号外を見るが、それは自分を狂気に陥れるために作られたフェイク号外だと思い込んでいる。戦時中でも「戦争」を意識しない(できない)生があったのである。
(高橋真吉)
他にも入っているが省略。各巻の終わりにインタビューが付いている。元の本は2011年から2012年に刊行されたが、この10年の間にインタビューされた人がずいぶん亡くなっている。列挙すれば、林京子、水木しげる、伊藤桂一、小松左京、小沢昭一、大城立裕の6人である。存命なのは美輪明宏と竹西寛子だけ。この10年で戦時中を肌で知っている人がどんどんいなくなってしまった。それでも本の中に残された言葉を我々が引き継いで行くことは出来る。
(カバー=会田誠「紐育空爆之図」1996)
芥川龍之介「桃太郎」に始まるが、文学史的、思想史的価値はあるが、今では面白くない。「桃太郎」伝説を鬼の立場からひっくり返した作品で、こういう作品があったという価値は大きいが。安部公房「鉄砲屋」、筒井康隆「通いの軍隊」、宮沢賢治「烏の北斗七星」なども同様。早世したSF作家、伊藤計劃は初めて読んだけど、「The Indifference Engine」はなかなかよく出来た戦争小説だった。アフリカのルワンダ虐殺などを思い起こさせる少年兵の恐怖の体験を内面から描き出している。しかし、同時にこれは何のための小説なんだろうという気もしてきた。
小松左京「春の軍隊」は、多分書かれた時代(1973年)には衝撃的で面白かったのではないか。突然日本各地に謎の軍隊が出現してホンモノの戦争を始める。どこかから侵入したわけではなく、いわば異次元空間から突如出現する。合理的な説明はない。これを「平和の風景の裏に、戦争が潜んでいる」と言われても。当時の日本は戦後28年、戦争が「風化」したと言われながら、ベトナム戦争が大きく報道されていた。小松左京は「日本沈没」がSFを超えたベストセラーになった時期で、経済成長した日本は果たして正しい道を歩んでいるのかという問題意識があったのだろう。最後に掲載された小松左京のインタビューにそのことがうかがえる。
(小松左京)
長崎で原爆小説を書いてきた青来有一「スズメバチの戦闘機」は、スズメバチを戦闘機と思い込んで、一人で戦争を遂行する子どもの話。星野智幸「煉獄ロック」は、近未来(?)のディストピア小説。人間は完全に管理されていて、子どもは10歳になると男女別に隔離される。10年間の「禁欲」を課せられが、20歳になると子作りが強制され、2年間の間に出産しないと「市民階級」になれない。そんな体制に反逆するカップルの苦難を描いている。筋とともに「接窟」とかの独自用語が面白い。これはセックスのこと。地名も「捕和」「大営」とか浦和、大宮みたいな名前がパラレルワールド感を出している。僕はこれが一番面白かった。
(星野智幸)
SF系では山本弘「リトルガールふたたび」が面白かった。2109年の東京都内の小学校が舞台である。日本は21世紀後半にとんでもない状態に陥った。人々がフェイクを信じるようになり、ついに「広島に原爆は落ちなかった」などという言説がネット上で支持される。政治にも進出して、やがて日本の核武装を目指す党が勝利する。その後どうなるかは直接読んで貰いたいが、最後まで風刺が効いている。この小説は「現在」に関わっていて、残念ながら古びていない。全然知らなかった作家だが、「トンデモ本」を楽しむ「と学会」初代会長だという。
赤川次郎「悪夢の果て」は、大学教授が敗戦直前の1945年の東京にタイムスリップする。家族構成は同じ、本人も同じ大学教授なのだが、東京はもう空襲で破壊されている。食糧難の中で息子に召集令状が来る。冒頭は現代で、主人公が教育関係の審議会に出ているが意見は何も取り入れられない。過去の教訓をないがしろにして国家主義的教育を進める日本(発表は2001年)への、ほとんどナマの批判のような小説だ。それでも心に刺さるものがある。
非常に珍しく貴重だったのは、高橋新吉「うちわ」という作品。高橋新吉(1901~1987)は、1923年に「ダダイスト新吉の詩」で一躍有名になった新進詩人だった。ヨーロッパで起こったダダイズムを日本で名乗った詩人である。その後仏教に傾倒したが、ずいぶん後まで長生きしていたのは知らなかった。入手しやすい本はないと思うし、僕も初めて読んだ。戦争中に「狂気」に駆られた男の物語で、1949年の作品。作中の人物は日米戦争開始の号外を見るが、それは自分を狂気に陥れるために作られたフェイク号外だと思い込んでいる。戦時中でも「戦争」を意識しない(できない)生があったのである。
(高橋真吉)
他にも入っているが省略。各巻の終わりにインタビューが付いている。元の本は2011年から2012年に刊行されたが、この10年の間にインタビューされた人がずいぶん亡くなっている。列挙すれば、林京子、水木しげる、伊藤桂一、小松左京、小沢昭一、大城立裕の6人である。存命なのは美輪明宏と竹西寛子だけ。この10年で戦時中を肌で知っている人がどんどんいなくなってしまった。それでも本の中に残された言葉を我々が引き継いで行くことは出来る。