「ザ・プロム」に続き、Netflixに権利を売られた映画「シカゴ7裁判」。これはアメリカ現代史で非常に有名な裁判を描いている。アメリカでの評判は高く、アカデミー賞作品賞ノミネートは確実だと言われている。「ソーシャル・ネットワーク」でアカデミー賞脚本賞を受賞したアーロン・ソーキンの脚本、監督。非常によく出来た考えさせられる映画だが,アメリカでは「史実と違う点が多い」という批判もあるという。(ウィキペディアによる。しかし、「史実離れ度」は日本映画「天外者」ほどじゃないだろう。)限定上映だが、どこかで見ておきたい映画。
まず時代の解説を先に書くと、1968年のアメリカはベトナム戦争の激化で、本当に激動の年だった。この年は大統領選の年だが、現職のジョンソン大統領(民主党)は戦争激化の責任を取って再選出馬を断念した。4月にはキング牧師が暗殺され、6月には民主党の大統領選レースでトップを走っていたロバート・ケネディも暗殺された。その結果、民主党は現職のハンフリー副大統領の候補指名が確実になった。正式に決まる民主党大会は8月にシカゴで行われたが、当時のシカゴは民主党のデイリー市長(1955年から1976年まで在職)の独裁下にあった。
当時の反戦運動家、学生運動家はベトナム反戦の声を民主党の現職副大統領に伝えなければとシカゴに集結した。デイリー市長が強硬な警備体制を敷くことが予想され、デモ隊側も挑発は避けようとしていた。しかし、結局警官隊とデモ隊の大規模な衝突が発生し、流血の惨劇が起こったのである。僕は当時中学生だったが、新聞やテレビのニュースを関心を持って見ていたから、衝突のニュースも覚えている。しかし、全く同時期にソ連軍(ワルシャワ条約軍)のチェコスロヴァキア侵攻事件が起こっていて、僕の主要な関心もそっちに向かっていた。
流血の衝突の責任が誰にあったのか。大統領選の結果は共和党のニクソンが勝利した。映画の冒頭でニクソン政権の新司法長官ミッチェルが出てきて、「シカゴ暴動」の責任者を起訴しろと命じる。前任のクラーク司法長官はFBIの調査で、衝突の原因は警察の過剰警備にあったと報告を受けていた。その正式の報告を無視して、まさに「政治裁判」として「シカゴ7裁判」が行われたのである。ところで今回の映画を見て、当初は「シカゴ8」だったことに驚いた。
(被告と弁護士)
裁判は当初、3つのグループの被告人たちが「共謀」して暴動を起こしたとして起訴された。学生運動家の「SDS」のトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)ら、「青年国際党」(イッピー)のアビー・ホフマン(サッシャ・バロン・コーエン)、ジェリー・ルービン(ジェレミー・ストロング)、黒人の武装闘争を呼びかける「ブラック・パンサー党」のボビー・シール (ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)である。思想的に全然違う3グループが「共謀」するとは、いくら何でも無理だろう。
そして裁判長が偏見丸出しのムチャクチャな訴訟指揮をするのも驚きだ。まあ、日本の場合も同じような強権的訴訟指揮はよくあったけれど、ここまでではないと思う。特に徹底的に逆らうボビー・シールは目の仇にされる。しかし、ボビー・シールの弁護士は入院中で開廷延期を申し入れたのに裁判長は無視したのである。裁判長が最終的に強権を発動し、ボビー・シールは猿ぐつわと手錠をはめられる。映画はそのボビー・シールに多くの時間を使っている。結局検察側が分離を申し出る。もともと「衝突」にブラック・パンサーは関与してなくて、ボビーもシカゴには4時間しか滞在していなかったという。起訴自体が無理だった。
(裁判長)
それ以後は7人の裁判になったので、「シカゴ・セブン」と言われて、アメリカ現代史の伝説となった。映画でもジョン・セイルズ監督「セコーカス・セブン」という映画などに使われている。クラーク前司法長官の証人喚問、トム・ヘイデンの演説テープ暴露、アビー・ホフマンの証言と裁判は進み、判決の日を迎える。最終陳述を行うヘイデンはどういう行動を取ったのか。裁判映画だから、それらの詳しいことは書かないけれど、見応えたっぷりだった。「60年代」の文化革命の時代相をここまで描き出した作品は久しぶりに見た感じがする。
SDSは白人青年中心の社会主義的学生運動グループだったが、イッピーは「反体制」というより「カウンター・カルチャー」グループだった。法廷に裁判官しか着られない法服を着てきたり、裁判長にLSDを勧めたりした。裁判自体をパロディ化するようなやり方で、両派には対立もあった。ホフマンとルービンは裁判で有名になって作家となった。マジメなヘイデンは政治を通してしか世界を変えられないと主張し、実際後にカリフォルニア州で議員となっている。
(後年のトム・ヘイデン)
映画の最後に主要な被告人の「その後」が出てくるが、そこに出て来ない司法長官のその後。起訴を命じたミッチェルは後にウォーターゲート事件に連座して有罪となった。司法長官経験者で拘束された初めての人物だった。前任のラムゼイ・クラークは93歳となった今も存命で活躍している。司法長官辞任後にどんどん「過激化」していって、ベトナム反戦運動に参加してハノイを訪問したりした。その後も誰も弁護しないような物議をかもす人物を弁護することで知られた。サダム・フセインとかミロシェビッチとか。
まず時代の解説を先に書くと、1968年のアメリカはベトナム戦争の激化で、本当に激動の年だった。この年は大統領選の年だが、現職のジョンソン大統領(民主党)は戦争激化の責任を取って再選出馬を断念した。4月にはキング牧師が暗殺され、6月には民主党の大統領選レースでトップを走っていたロバート・ケネディも暗殺された。その結果、民主党は現職のハンフリー副大統領の候補指名が確実になった。正式に決まる民主党大会は8月にシカゴで行われたが、当時のシカゴは民主党のデイリー市長(1955年から1976年まで在職)の独裁下にあった。
当時の反戦運動家、学生運動家はベトナム反戦の声を民主党の現職副大統領に伝えなければとシカゴに集結した。デイリー市長が強硬な警備体制を敷くことが予想され、デモ隊側も挑発は避けようとしていた。しかし、結局警官隊とデモ隊の大規模な衝突が発生し、流血の惨劇が起こったのである。僕は当時中学生だったが、新聞やテレビのニュースを関心を持って見ていたから、衝突のニュースも覚えている。しかし、全く同時期にソ連軍(ワルシャワ条約軍)のチェコスロヴァキア侵攻事件が起こっていて、僕の主要な関心もそっちに向かっていた。
流血の衝突の責任が誰にあったのか。大統領選の結果は共和党のニクソンが勝利した。映画の冒頭でニクソン政権の新司法長官ミッチェルが出てきて、「シカゴ暴動」の責任者を起訴しろと命じる。前任のクラーク司法長官はFBIの調査で、衝突の原因は警察の過剰警備にあったと報告を受けていた。その正式の報告を無視して、まさに「政治裁判」として「シカゴ7裁判」が行われたのである。ところで今回の映画を見て、当初は「シカゴ8」だったことに驚いた。
(被告と弁護士)
裁判は当初、3つのグループの被告人たちが「共謀」して暴動を起こしたとして起訴された。学生運動家の「SDS」のトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)ら、「青年国際党」(イッピー)のアビー・ホフマン(サッシャ・バロン・コーエン)、ジェリー・ルービン(ジェレミー・ストロング)、黒人の武装闘争を呼びかける「ブラック・パンサー党」のボビー・シール (ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)である。思想的に全然違う3グループが「共謀」するとは、いくら何でも無理だろう。
そして裁判長が偏見丸出しのムチャクチャな訴訟指揮をするのも驚きだ。まあ、日本の場合も同じような強権的訴訟指揮はよくあったけれど、ここまでではないと思う。特に徹底的に逆らうボビー・シールは目の仇にされる。しかし、ボビー・シールの弁護士は入院中で開廷延期を申し入れたのに裁判長は無視したのである。裁判長が最終的に強権を発動し、ボビー・シールは猿ぐつわと手錠をはめられる。映画はそのボビー・シールに多くの時間を使っている。結局検察側が分離を申し出る。もともと「衝突」にブラック・パンサーは関与してなくて、ボビーもシカゴには4時間しか滞在していなかったという。起訴自体が無理だった。
(裁判長)
それ以後は7人の裁判になったので、「シカゴ・セブン」と言われて、アメリカ現代史の伝説となった。映画でもジョン・セイルズ監督「セコーカス・セブン」という映画などに使われている。クラーク前司法長官の証人喚問、トム・ヘイデンの演説テープ暴露、アビー・ホフマンの証言と裁判は進み、判決の日を迎える。最終陳述を行うヘイデンはどういう行動を取ったのか。裁判映画だから、それらの詳しいことは書かないけれど、見応えたっぷりだった。「60年代」の文化革命の時代相をここまで描き出した作品は久しぶりに見た感じがする。
SDSは白人青年中心の社会主義的学生運動グループだったが、イッピーは「反体制」というより「カウンター・カルチャー」グループだった。法廷に裁判官しか着られない法服を着てきたり、裁判長にLSDを勧めたりした。裁判自体をパロディ化するようなやり方で、両派には対立もあった。ホフマンとルービンは裁判で有名になって作家となった。マジメなヘイデンは政治を通してしか世界を変えられないと主張し、実際後にカリフォルニア州で議員となっている。
(後年のトム・ヘイデン)
映画の最後に主要な被告人の「その後」が出てくるが、そこに出て来ない司法長官のその後。起訴を命じたミッチェルは後にウォーターゲート事件に連座して有罪となった。司法長官経験者で拘束された初めての人物だった。前任のラムゼイ・クラークは93歳となった今も存命で活躍している。司法長官辞任後にどんどん「過激化」していって、ベトナム反戦運動に参加してハノイを訪問したりした。その後も誰も弁護しないような物議をかもす人物を弁護することで知られた。サダム・フセインとかミロシェビッチとか。