「羊飼いと風船」という映画が上映されている。「チベット映画」とタイトルに書いたけど、「チベット」という国はないわけで、もちろん「中国映画」である。中国では映画製作に脚本の検閲がある。この映画も最初は通らなかったが、監督が一度小説にして、その後もう一回脚本を書いたら通過したという。その問題は後でまた考えたいが、うっかり「大自然の中で生きる人々を雄大に描いた映画」を期待すると、実は「女性の生き方と伝統文化」を厳しく見つめる映画だった。
「羊飼いと風船」なんて題名は、いかにも「メルヘンチック」(ドイツ語と英語を組み合わせた造語)な世界を想像させるが、実は全然違う。ところは中国の青海省(チベット自治区の東北にあり、チベット族の自治州がある)、時は1980年代初頭。全国で人口抑制が行われていた時代である。診療所ではコンドームを無料で配布していたが、母が枕の下に隠していたコンドームを二人の男の子が見つけて取ってしまう。何も知らずに風船だと思い込んで、膨らませて遊んでいる。父が見つけて叱りつけるが、もちろん子どもたちは判らない。
(子どもたちと父親、祖父)
季節は夏になる頃で、羊の種付けを行わないといけない。父親は友人から「種羊」を借りてくる。その羊は凄いと言われているが、確かに見るからに精悍で精力が強そうだ。父親タルギェも見るからに精悍そうで、最近の日本の芸能人にはいない。妻のドルカルからも「種羊みたい」なんて言われている。昔の日本映画なら三船敏郎とか勝新太郎みたいなエネルギッシュなタイプだ。もっとも父役のジンバは北京電影学院で学んだ俳優で、詩人でもあるという。
夏になって、学校に行っている長男が夏休みになり、尼になっている妻の妹と一緒に戻ってくる。その妹が学校に行くと、昔、わけがあったらしき男性教師と巡り会う。教師は小説を書いたと言って、本を渡される。教師はその後村を訪れてくるが、詳しくは語られないので判らない。まあ多分「許されざる恋愛」関係だったのかと思うし、その結果妻の妹は尼になったのだろうと思ったけれど、映画は何も語らない。顔を隠した尼の姿が珍しい。妻のドルカルは両親が亡くなり、妹も尼になって寂しかったというが、教師が書いた本をかまどに投げ入れたりする。
(ドルカルとタルギェ)
ドルカルは診療所に行って「女先生」に避妊手術を相談する。それはすぐ出来ないが、代わりのコンドームを一個貰ってくる。そのコンドームも子どもたちが風船にして騒動になるが、やがて伝統を尊んで生きてきた祖父が亡くなってしまう。高僧に相談すると、お祈りすると家族に転生出来るという。長男は昔なくなった祖母と同じ背中にホクロがあって、祖母の転生と皆が信じている。折しもドルカルが妊娠するが、子どもが3人いて経済的に育てられないと思う。しかし夫はそれは転生だと信じて、父を殺すのかと詰め寄り手を出してしまう。
チベット族の伝統文化(チベット仏教)を信じて生きている人々の中で、女性の「自己決定権」は認められない。チベットなど中国共産党支配下の少数民族では「民俗文化の抹殺」が非難されることが多い。しかし、この映画では伝統が女性にとって抑圧的である様子も描く。それが検閲を通過した理由なのだろうか。そこら辺はよく判らないけど、妻のドルカルも妹の「自己決定権」を無視している点がある。また女性たちに限らず、「性」にまつわること、ここでは特にコンドームが口に出せない。そんな様子も描かれている。
ペマ・ツェテン(1969~)は東京フィルメックスで「オールド・ドッグ」(2011)、「タルボ」(2015)とこの作品と3回最優秀作品賞を受賞している。商業的公開は初めてだが、力量は確かだ。手持ちカメラも使いながら、厳しく人間を見つめながら、時には幻想的シーンも織り込む。特に窓に映り込む空をとらえたシーンが美しく哀しい。父は子どもたちに町でホンモノの風船を買ってきてやるというが、ようやくラストでその約束を果たす。子どもたちが赤い風船を持って草原を駆け回り、やがて空の彼方へ飛んでいく。それは何の象徴だろうか。フランス映画で「赤い風船」(アルベール・ラモリス監督)という詩情豊かな映画が昔あったが、この風船映画はシビアな世界を映し出している。監督による原作を含む短編集「風船」も翻訳されている。
「羊飼いと風船」なんて題名は、いかにも「メルヘンチック」(ドイツ語と英語を組み合わせた造語)な世界を想像させるが、実は全然違う。ところは中国の青海省(チベット自治区の東北にあり、チベット族の自治州がある)、時は1980年代初頭。全国で人口抑制が行われていた時代である。診療所ではコンドームを無料で配布していたが、母が枕の下に隠していたコンドームを二人の男の子が見つけて取ってしまう。何も知らずに風船だと思い込んで、膨らませて遊んでいる。父が見つけて叱りつけるが、もちろん子どもたちは判らない。
(子どもたちと父親、祖父)
季節は夏になる頃で、羊の種付けを行わないといけない。父親は友人から「種羊」を借りてくる。その羊は凄いと言われているが、確かに見るからに精悍で精力が強そうだ。父親タルギェも見るからに精悍そうで、最近の日本の芸能人にはいない。妻のドルカルからも「種羊みたい」なんて言われている。昔の日本映画なら三船敏郎とか勝新太郎みたいなエネルギッシュなタイプだ。もっとも父役のジンバは北京電影学院で学んだ俳優で、詩人でもあるという。
夏になって、学校に行っている長男が夏休みになり、尼になっている妻の妹と一緒に戻ってくる。その妹が学校に行くと、昔、わけがあったらしき男性教師と巡り会う。教師は小説を書いたと言って、本を渡される。教師はその後村を訪れてくるが、詳しくは語られないので判らない。まあ多分「許されざる恋愛」関係だったのかと思うし、その結果妻の妹は尼になったのだろうと思ったけれど、映画は何も語らない。顔を隠した尼の姿が珍しい。妻のドルカルは両親が亡くなり、妹も尼になって寂しかったというが、教師が書いた本をかまどに投げ入れたりする。
(ドルカルとタルギェ)
ドルカルは診療所に行って「女先生」に避妊手術を相談する。それはすぐ出来ないが、代わりのコンドームを一個貰ってくる。そのコンドームも子どもたちが風船にして騒動になるが、やがて伝統を尊んで生きてきた祖父が亡くなってしまう。高僧に相談すると、お祈りすると家族に転生出来るという。長男は昔なくなった祖母と同じ背中にホクロがあって、祖母の転生と皆が信じている。折しもドルカルが妊娠するが、子どもが3人いて経済的に育てられないと思う。しかし夫はそれは転生だと信じて、父を殺すのかと詰め寄り手を出してしまう。
チベット族の伝統文化(チベット仏教)を信じて生きている人々の中で、女性の「自己決定権」は認められない。チベットなど中国共産党支配下の少数民族では「民俗文化の抹殺」が非難されることが多い。しかし、この映画では伝統が女性にとって抑圧的である様子も描く。それが検閲を通過した理由なのだろうか。そこら辺はよく判らないけど、妻のドルカルも妹の「自己決定権」を無視している点がある。また女性たちに限らず、「性」にまつわること、ここでは特にコンドームが口に出せない。そんな様子も描かれている。
ペマ・ツェテン(1969~)は東京フィルメックスで「オールド・ドッグ」(2011)、「タルボ」(2015)とこの作品と3回最優秀作品賞を受賞している。商業的公開は初めてだが、力量は確かだ。手持ちカメラも使いながら、厳しく人間を見つめながら、時には幻想的シーンも織り込む。特に窓に映り込む空をとらえたシーンが美しく哀しい。父は子どもたちに町でホンモノの風船を買ってきてやるというが、ようやくラストでその約束を果たす。子どもたちが赤い風船を持って草原を駆け回り、やがて空の彼方へ飛んでいく。それは何の象徴だろうか。フランス映画で「赤い風船」(アルベール・ラモリス監督)という詩情豊かな映画が昔あったが、この風船映画はシビアな世界を映し出している。監督による原作を含む短編集「風船」も翻訳されている。