テレホンカードというものがあった。というか、今もあるけど、ずいぶん使ってない。買ってもない。でも念のため一応持ち歩いてはいる。大災害にあってスマホが使えない時などを想定しているのである。そんな時でも公衆電話が生きていたこともあった。念のため書いておくと、テレホンカードというのは公衆電話に差し込むと通話が可能になるプリペイドカードである。
調べてみると、テレホンカードは1982年に登場した。(テレフォンカードと書くべきかもしれないけど、あのころはテレホンカード、略してテレカと言っていた。)学校にも公衆電話があって、生徒だけではなく教員も個人的な用事の場合は使っていた。90年代前半は「ポケベル(ポケットベル)」の全盛時で、若い世代でもテレカは必需品だった。その後携帯電話(まだメール機能もカメラもない)が一般化し、21世紀初頭にはテレカの需要も減ってしまった。
80年代後半から90年代にかけて、「私製テレカ」、つまり写真を持ち込んで記念品や宣伝のテレカを作ることが盛んだった。僕も卒業記念品を製作したことがある。小学生時代に切手ブームがあって、僕もずいぶん集めていたが大人になって止めてしまった。代わりというわけでもないけれど、90年代にはテレカのコレクターだった。旅行の記念品にお菓子やお酒を買っても腹の中に消えてしまう。(まあパッケージやラベルを収集してる人もいるけれど。)
登山記念に山小屋で「ペナント」を売っているけど、かなりかさばるので買う気にならない。部屋に飾る場所もない。そこである時気が付いた。テレカを買えばいいじゃないか。電話代としては大体五百円か千円で、そこに少しプレミアムが加わっていることもあった。それでも記念品としては安いし、そのうち電話代に出来るんだから損にはならない。まさか10年ちょっとで「ケータイ」なるものを皆が持つ時代が来るなんて想像も出来なかったのである。
買わないからずっと忘れていたけど、年末にふとテレカをたくさん持っていることを思いだした。「日本の山」を書いてきて、自分が撮った写真がたくさんあるはずなのに、整理してないから見つけられない。そんな時にテレカのコレクションを突然思い出した。こんなに買っていたのか。これでスマホ代が払えればいいのに。自宅に公衆電話を設置したいぐらいだ。山のテレカは過去にさかのぼってアップしたので、ここでは山以外のテレカを紹介してみたい。写真をテレカにして、それをさらにスキャンするんだから画像は良くない。
2回に分けて、1回目は自然風景、2回目はお城や博物館などを中心に。灯台は本来は建造物だが、岬の風景ということで1回目に入れた。90年代初期は毎年のように夏に北海道をドライブしていたので、北海道のテレカが多い。まず「美瑛町」の風景。こんなにキレイな時には当たってないけど、丘の町をドライブするのは本当に楽しかった。ドライブと言えば、左右に海を見ながら進んで行く道東の野付半島は忘れられない。
(丘のまち美瑛)(野付半島)
道北で利尻山を望むサロベツ原野も凄いところだった。荒涼たる風景が延々と続き、日本とは思えない。ところどころに原生花園や湖沼が点在する。また行きたいところだ。
(サロベツ原生花園)(サロベツ原野)
「岬めぐり」も昔から好きで、突端に一人立つ灯台のファンなのである。北海道の岬をまとめて。下の左から最北の宗谷岬、東端で北方領土が見える納沙布(のさっぷ)岬、歌で知られた襟裳(えりも)岬、室蘭にある地球岬である。
湖では冬の摩周湖は素晴らしかった。夏に行ったときはいつも霧だったので、湖面を望むために冬の旅行に参加したのである。冬の北海道は自分でドライブする気にはならないので、団体旅行である。サロマ湖も広々して素晴らしい。釧路湿原も遠望したり、丹頂鶴を見たり。道東も広大な大地をドライブするのが面白いが風景が変わらないので速度出し過ぎに注意。
(摩周湖)(サロマ湖)(釧路湿原)
書いてない山を載せると、羊蹄山は見て良いだけでなく山麓の湧水が素晴らしい。知床の羅臼岳は登ってるんだけど、途中で自分だけ調子を崩して登頂目前で止めてしまった。また別の機会に知床湖散策に行って、そこで遠くにヒグマを見た。ただ一回のことである。
(羊蹄山)(羅臼岳と知床湖)
北海道でいっぱいになったので、他は簡単に。岬と灯台ではまず下北半島東北端の尻屋崎。ここは冬の馬が「寒立馬」(かんだちめ)と呼ばれているが、それは見てない。宮崎県の都井岬は野生馬で有名で、これは大迫力だった。ここは是非一度は行くべき場所だ。続いて、静岡県の御前崎、福島県いわき市の塩屋崎。ここは「喜びも悲しみも幾年月」のモデルになった灯台がある。
他に良く行ったのは「名水」や「鍾乳洞」だ。鍾乳洞では岩手県の龍泉洞が素晴らしい。テレカも持ってるが、うまくアップできないので断念。名水のテレカは少ないが、阿蘇の「白川水源」を。龍泉洞の水に続き、羊蹄山麓や白川水源がそれに続くレベル。島では小笠原の母島に行ったときのテレカ。天然記念物の鳥「メグロ」がいる。最後に四国の山、剣山。
(白川水源)(母島)(剣山)
調べてみると、テレホンカードは1982年に登場した。(テレフォンカードと書くべきかもしれないけど、あのころはテレホンカード、略してテレカと言っていた。)学校にも公衆電話があって、生徒だけではなく教員も個人的な用事の場合は使っていた。90年代前半は「ポケベル(ポケットベル)」の全盛時で、若い世代でもテレカは必需品だった。その後携帯電話(まだメール機能もカメラもない)が一般化し、21世紀初頭にはテレカの需要も減ってしまった。
80年代後半から90年代にかけて、「私製テレカ」、つまり写真を持ち込んで記念品や宣伝のテレカを作ることが盛んだった。僕も卒業記念品を製作したことがある。小学生時代に切手ブームがあって、僕もずいぶん集めていたが大人になって止めてしまった。代わりというわけでもないけれど、90年代にはテレカのコレクターだった。旅行の記念品にお菓子やお酒を買っても腹の中に消えてしまう。(まあパッケージやラベルを収集してる人もいるけれど。)
登山記念に山小屋で「ペナント」を売っているけど、かなりかさばるので買う気にならない。部屋に飾る場所もない。そこである時気が付いた。テレカを買えばいいじゃないか。電話代としては大体五百円か千円で、そこに少しプレミアムが加わっていることもあった。それでも記念品としては安いし、そのうち電話代に出来るんだから損にはならない。まさか10年ちょっとで「ケータイ」なるものを皆が持つ時代が来るなんて想像も出来なかったのである。
買わないからずっと忘れていたけど、年末にふとテレカをたくさん持っていることを思いだした。「日本の山」を書いてきて、自分が撮った写真がたくさんあるはずなのに、整理してないから見つけられない。そんな時にテレカのコレクションを突然思い出した。こんなに買っていたのか。これでスマホ代が払えればいいのに。自宅に公衆電話を設置したいぐらいだ。山のテレカは過去にさかのぼってアップしたので、ここでは山以外のテレカを紹介してみたい。写真をテレカにして、それをさらにスキャンするんだから画像は良くない。
2回に分けて、1回目は自然風景、2回目はお城や博物館などを中心に。灯台は本来は建造物だが、岬の風景ということで1回目に入れた。90年代初期は毎年のように夏に北海道をドライブしていたので、北海道のテレカが多い。まず「美瑛町」の風景。こんなにキレイな時には当たってないけど、丘の町をドライブするのは本当に楽しかった。ドライブと言えば、左右に海を見ながら進んで行く道東の野付半島は忘れられない。
(丘のまち美瑛)(野付半島)
道北で利尻山を望むサロベツ原野も凄いところだった。荒涼たる風景が延々と続き、日本とは思えない。ところどころに原生花園や湖沼が点在する。また行きたいところだ。
(サロベツ原生花園)(サロベツ原野)
「岬めぐり」も昔から好きで、突端に一人立つ灯台のファンなのである。北海道の岬をまとめて。下の左から最北の宗谷岬、東端で北方領土が見える納沙布(のさっぷ)岬、歌で知られた襟裳(えりも)岬、室蘭にある地球岬である。
湖では冬の摩周湖は素晴らしかった。夏に行ったときはいつも霧だったので、湖面を望むために冬の旅行に参加したのである。冬の北海道は自分でドライブする気にはならないので、団体旅行である。サロマ湖も広々して素晴らしい。釧路湿原も遠望したり、丹頂鶴を見たり。道東も広大な大地をドライブするのが面白いが風景が変わらないので速度出し過ぎに注意。
(摩周湖)(サロマ湖)(釧路湿原)
書いてない山を載せると、羊蹄山は見て良いだけでなく山麓の湧水が素晴らしい。知床の羅臼岳は登ってるんだけど、途中で自分だけ調子を崩して登頂目前で止めてしまった。また別の機会に知床湖散策に行って、そこで遠くにヒグマを見た。ただ一回のことである。
(羊蹄山)(羅臼岳と知床湖)
北海道でいっぱいになったので、他は簡単に。岬と灯台ではまず下北半島東北端の尻屋崎。ここは冬の馬が「寒立馬」(かんだちめ)と呼ばれているが、それは見てない。宮崎県の都井岬は野生馬で有名で、これは大迫力だった。ここは是非一度は行くべき場所だ。続いて、静岡県の御前崎、福島県いわき市の塩屋崎。ここは「喜びも悲しみも幾年月」のモデルになった灯台がある。
他に良く行ったのは「名水」や「鍾乳洞」だ。鍾乳洞では岩手県の龍泉洞が素晴らしい。テレカも持ってるが、うまくアップできないので断念。名水のテレカは少ないが、阿蘇の「白川水源」を。龍泉洞の水に続き、羊蹄山麓や白川水源がそれに続くレベル。島では小笠原の母島に行ったときのテレカ。天然記念物の鳥「メグロ」がいる。最後に四国の山、剣山。
(白川水源)(母島)(剣山)