2021年のヴェネツィア映画祭銀獅子賞(審査員グランプリ)を獲得したイタリア映画、パオロ・ソレンティーノ監督の「Hand of God -神の手が触れた日-」が12月15日からのNetflix配信を前に一部劇場で上映されている。先に紹介したジェーン・カンピオン監督の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」に比べれば、イタリア映画やコアなアート映画ファン向けの作品かなと思うが、やはり興味深い作品だったので紹介しておきたい。パオロ・ソレンティーノ監督(1970~)の自伝的な映画で、80年代のナポリが舞台になっている。題名は当時サッカーチーム「SSCナポリ」に所属していたディエゴ・マラドーナに因むが、サッカー映画ではない。

映画はナポリ湾を上空から撮影した美しい映像で始まる。そこがナポリだと判っているけれど、名前が有名な割には案外ナポリのことを知らない。マッテオ・ガローネ監督「ゴモラ」(2008)という映画があったが、ナポリのギャング組織カモッラをめぐる物語だった。今度の映画は80年代の庶民生活を描くが、南部イタリアの濃密な親族関係、今もカトリック信仰が強い社会構造がちょっと判りにくい。親戚一同が結婚相手の紹介に集まるシーンが最初に出て来るが、人間関係が飲みこみにくい。監督自身を思わせる少年と兄、両親を中心に進むが、少年を演じたフィリッポ・スコッティがヴェネツィア映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞した。親戚一同が集まると、船があるから海に出ようとなって裸で船に乗ってるシーンが下の画像。

この時期のナポリ人の話題の中心は、噂に出ている「マラドーナがナポリに来るのか」問題。バルセロナにいたマラドーナがナポリに来るわけがないというのが大方の結論。マラドーナは厳しいマークに怒って暴力を起こし出場停止3ヶ月になっていた。クラブとの関係が悪化し放出が決定的となっていたが、ナポリは決して有力チームではなかった。1926年創設以来、ほとんどセリエAに所属していたとはいえ優勝したことはなかった。イタリアにはもっと有力なチームが幾つもあったが、結局ナポリは当時最高の1300万ドルの移籍金を払ってマラドーナを獲得した。(現在ではこの金額は100位にも入らない。史上最高はネイマール。)
映画の中で父親は銀行に勤めていて、ある夜同僚から電話を貰う。銀行が保証してマラドーナがナポリに来ることに決まったというのである。映画のシーンが真実ならば、ソレンティーノはナポリ人最高の秘密情報を最も早く知った一人になる。ウィキペディアには以下のように記述されている。「(1984年)7月5日にスタディオ・サン・パオロで行われたお披露目会見にはスタジアムに7万人のサポーターが駆け付け、マラドーナはヘリコプターからピッチに降り立つパフォーマンスで登場し、「僕はナポリの貧しい少年たちのアイドルになりたい。なぜって彼らは、アルゼンチン時代の僕と同じだからだ」とコメントした。」1986-87シーズンにはナポリは初の優勝をとげ、ワールドカップでもアルゼンチンが優勝し、マラドーナは唯1回の世界最優秀選手に選出された。
監督も当然ファンだったわけだろうが、86年ワールドカップの「神の手ゴール」が題名の由来ではない。生と性のドラマを、時には幻想的に、時には狂騒的に描いてきたドラマは、半ばで暗転する。ある夜、友人たちとつるんでいると、兄が呼びに来る。両親が病院に運ばれたと。別荘に居た両親は一酸化炭素中毒で亡くなったのである。彼は遺体に会わせても貰えない。その日、彼はナポリのホーム戦を見に行っていたのである。マラドーナを見たかったから。そのため彼は難を逃れたのだ。その日こそが、「神の手が触れた夜」なのだった。しかし、何のために彼は「神」によって生かされたのか。
(パオロ・ソレンティーノ監督)
そして実在の映画監督アントニオ・カプアーノと出会って、映画監督になりたいと思う。今まで数本しか見ていなかったのだが。カプアーノ監督はイタリア新作映画祭で上映された映画もあるが、日本では正式公開作品はないようだ。美しき親戚の人妻は精神病院に囚われ、上階に住む老婦人に誘われるように初体験を済ませて、もう彼の「青春」は過ぎ去っていく。ナポリを舞台にある少年の青春彷徨を描きながら、こうして映画は苦い終わりを迎えるが、いつものように映像美に見とれながら、青春のはかなさを感慨をもって見ることになる。
ソレンティーノは現代イタリアの中堅監督として映画祭で受賞も多いが、日本では今ひとつ人気がないようだ。僕は「グレート・ビューティー/追憶のローマ」(アカデミー賞外国語映画賞)が非常に面白かった。しかし、それよりもアンドレオッティ元首相を描く「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男 」やベルルスコーニ元首相を描く「LORO 欲望のイタリア」などイタリア現代政治を取り上げた作品で知られている。重厚な上、イタリア社会やイタリア政治を知ってないと、よく判らない描写が多い。でもすごく充実した映画体験が出来る重要な映画監督だ。

映画はナポリ湾を上空から撮影した美しい映像で始まる。そこがナポリだと判っているけれど、名前が有名な割には案外ナポリのことを知らない。マッテオ・ガローネ監督「ゴモラ」(2008)という映画があったが、ナポリのギャング組織カモッラをめぐる物語だった。今度の映画は80年代の庶民生活を描くが、南部イタリアの濃密な親族関係、今もカトリック信仰が強い社会構造がちょっと判りにくい。親戚一同が結婚相手の紹介に集まるシーンが最初に出て来るが、人間関係が飲みこみにくい。監督自身を思わせる少年と兄、両親を中心に進むが、少年を演じたフィリッポ・スコッティがヴェネツィア映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞した。親戚一同が集まると、船があるから海に出ようとなって裸で船に乗ってるシーンが下の画像。

この時期のナポリ人の話題の中心は、噂に出ている「マラドーナがナポリに来るのか」問題。バルセロナにいたマラドーナがナポリに来るわけがないというのが大方の結論。マラドーナは厳しいマークに怒って暴力を起こし出場停止3ヶ月になっていた。クラブとの関係が悪化し放出が決定的となっていたが、ナポリは決して有力チームではなかった。1926年創設以来、ほとんどセリエAに所属していたとはいえ優勝したことはなかった。イタリアにはもっと有力なチームが幾つもあったが、結局ナポリは当時最高の1300万ドルの移籍金を払ってマラドーナを獲得した。(現在ではこの金額は100位にも入らない。史上最高はネイマール。)
映画の中で父親は銀行に勤めていて、ある夜同僚から電話を貰う。銀行が保証してマラドーナがナポリに来ることに決まったというのである。映画のシーンが真実ならば、ソレンティーノはナポリ人最高の秘密情報を最も早く知った一人になる。ウィキペディアには以下のように記述されている。「(1984年)7月5日にスタディオ・サン・パオロで行われたお披露目会見にはスタジアムに7万人のサポーターが駆け付け、マラドーナはヘリコプターからピッチに降り立つパフォーマンスで登場し、「僕はナポリの貧しい少年たちのアイドルになりたい。なぜって彼らは、アルゼンチン時代の僕と同じだからだ」とコメントした。」1986-87シーズンにはナポリは初の優勝をとげ、ワールドカップでもアルゼンチンが優勝し、マラドーナは唯1回の世界最優秀選手に選出された。
監督も当然ファンだったわけだろうが、86年ワールドカップの「神の手ゴール」が題名の由来ではない。生と性のドラマを、時には幻想的に、時には狂騒的に描いてきたドラマは、半ばで暗転する。ある夜、友人たちとつるんでいると、兄が呼びに来る。両親が病院に運ばれたと。別荘に居た両親は一酸化炭素中毒で亡くなったのである。彼は遺体に会わせても貰えない。その日、彼はナポリのホーム戦を見に行っていたのである。マラドーナを見たかったから。そのため彼は難を逃れたのだ。その日こそが、「神の手が触れた夜」なのだった。しかし、何のために彼は「神」によって生かされたのか。

そして実在の映画監督アントニオ・カプアーノと出会って、映画監督になりたいと思う。今まで数本しか見ていなかったのだが。カプアーノ監督はイタリア新作映画祭で上映された映画もあるが、日本では正式公開作品はないようだ。美しき親戚の人妻は精神病院に囚われ、上階に住む老婦人に誘われるように初体験を済ませて、もう彼の「青春」は過ぎ去っていく。ナポリを舞台にある少年の青春彷徨を描きながら、こうして映画は苦い終わりを迎えるが、いつものように映像美に見とれながら、青春のはかなさを感慨をもって見ることになる。
ソレンティーノは現代イタリアの中堅監督として映画祭で受賞も多いが、日本では今ひとつ人気がないようだ。僕は「グレート・ビューティー/追憶のローマ」(アカデミー賞外国語映画賞)が非常に面白かった。しかし、それよりもアンドレオッティ元首相を描く「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男 」やベルルスコーニ元首相を描く「LORO 欲望のイタリア」などイタリア現代政治を取り上げた作品で知られている。重厚な上、イタリア社会やイタリア政治を知ってないと、よく判らない描写が多い。でもすごく充実した映画体験が出来る重要な映画監督だ。