東京都武蔵野市で「住民投票条例」を制定する案が市議会に提出されたが、12月21日に否決された問題を考えたい。この条例案のことは、衆院選終了後に急に保守派、右派から大きな問題として大反対運動が起こっていると報道された。それは住民投票の投票権を「3ヶ月以上在住している外国人」にも付与するという方針が問題視されたわけである。この問題に関して自分の考えを書いてみたいと思っていたが、それは21日の採決後にしようと思っていた。基本的には「地方自治」の問題だから、他地域の住民があれこれ口を出すことには違和感があるのである。
かつて自分の住む地域で、保守が分裂して共産党系区長が当選したことがあった。3年後、区政がもめて不信任、議会解散、区長選などが続いた。選挙戦中には共産党区政の評価をめぐってビラの配布合戦が行われた。明らかに動員された人たちが配っていたので、僕はあなたは区民なのかと問い質したところ、その人たちは「連合」の組合員だった。質問しても、今回の選挙に至った事情を詳しく知らない。僕はこれは区民が判断する問題で、他地域の人がビラ配布だけに来るのはおかしいと批判した。(もちろん国政選挙なら誰がどこで運動してもいい。「連合」はずっと前から、「反共」の立場で選挙に関わっているのである。)
僕はこの条例案には賛成だったから、否決というのは残念な気がしたが、ある意味「やむを得ない」のかなあとも思った。僅差で可決しても、住民には分断、混乱が残るだろう。その結果、「住民投票条例の廃止を求める住民投票」が求められた場合、かえって混乱が広がってしまう。この条例によれば、有権者の4分の1の賛成で住民投票が行われる。自民党や公明党が反対だったから、その条件はクリアーするのではないか。その結果行われる住民投票の結果がどうなるかは読めない。もしも「廃止賛成派」が勝った場合、住民投票賛成派は深刻なジレンマに直面することになってしまう。
(住民投票条例否決を報じるニュース)
東京都武蔵野市は、東京駅から八王子、甲府方面へ続く中央沿線で23区を出て最初にある市である。人口15万人ほどで、昔から住民自治の伝統がある地域だ。当然のことながら、市内に米軍基地があるわけではなく、原発やカジノや産廃処理場の誘致計画があるわけでもない。それどころか、東京ではいわゆる「平成の大合併」が一つも行われず、他市との合併計画もない。具体的に何か大きな問題があって、それで住民投票を行おうという話ではない。そうじゃなくて、市長、市議会という「二元代表制」ではすくい上げられない多くの問題があることを前提にして、あらかじめ「常設型の住民投票」を定めておこうということなのである。
だから「理念優先」というか、自治の発展的形態としての住民投票という仕組みになる。そのため、「住民とは誰のことか」ということから、外国人も地域の住民だという観点にたって外国籍住民にも投票権を認めることになる。国政選挙ではなく、地方選挙ですらなく、単に市民の意向を確認するという「決定権のない意思表明」である。そのような外国籍住民にも投票権を認める住民投票条例は、川崎、静岡、広島など40近い市で制定されている。それどころか、東隣の杉並区、西隣の三鷹市、小金井市にもあって、武蔵野市に今まで無かった方が不思議である。全国では合併問題で、実際に外国籍住民や中学生が投票した例もある。
(市民アンケートでは賛成が圧倒的)
上記アンケートでも外国籍住民への投票権付与に賛成が圧倒的である。しかし、コロナ禍ということもあって、それまでの経緯をあまり知らないという市民も多かったようだ。近年では保守派が「外国人地方参政権」に極端に反対していて、地方参政権につながるなどという思い込み的な反対論が広がる余地があった。(僕は定住外国人への地方参政権に賛成の立場だが、それには公職選挙法の改正が必要である。国会が決めることで、各市町村が条例で対応出来る問題とは全然違う。)報道によれば、「武蔵野市が外国人に乗っ取られる」などと、そこまで言えばヘイトスピーチになるような反対論もあったという。
武蔵野市で特に外国人関連の問題も起こっていないのに、何で「外国人が大挙してやって来る」などというのか。先に書いたように、武蔵野市の東も西もすでに外国籍住民への投票権を認めているのである。どこが乗っ取られているのか。もし本当に乗っ取られるぐらい外国人がやって来たら、武蔵野市は大もうけ出来る。家賃は上がるし、多くの消費活動が行われる。なんで保守派はこの問題を「地方創生」に利用しないのだろう。地方の繁華街は今ではシャッター通りになっている。乗っ取られるぐらい外国人が住み着いてくれれば、大歓迎ではないだろうか。
昔の「保守派」は「革新派」をあり得ない幻想(革命とか非武装中立など)を追い求めると非難して、世の中は「レアル・ポリティーク」(現実政治)で動いていると諭したものだった。その意味では、今の「保守派」は「保守」ではない。現実をリアルに認識する能力と努力を怠っている。ただし、今回判ったのは、保守派であっても武蔵野市などでは「住民投票は議会制民主主義の否定だ」とは言えないらしいことだ。日本の多くの場所では、まだそういう理由で住民投票そのものが否定されるだろう。今回は「3ヶ月しかいない外国人が市の未来を決めてよいのか」的な煽動が大きかった。
この「3ヶ月」というのは、恐らく「日本人とそろえる」ということだろう。日本籍住民の場合は、国や地方の選挙に使う「有権者名簿」を使うのが手っ取り早い。選挙権はその地域に3ヶ月以上住んでいる者にある。(転居間近の人は新住所では投票できない。)日本人と外国人の基準を同じにするべきだという理念によって「3ヶ月」なんだと僕は思っている。だけど、本来は市の将来を決めるという意味では、日本人だって3ヶ月では短いのではないか。特に大都市では人口の流動性が高い。武蔵野市には亜細亜大学や成蹊大学があるから、当然学生も多く住んでいるだろう。もともと単に仕事や学校の都合、あるいは「そこにマンションがあったから」という住民が大都市では多い。日本人も含めて、住居期間要件を延ばすというのも一案かもしれない。
そもそもこのような住民投票条例は不要だという考えもあるかもしれない。出来ても、使われないだろう。常設型条例がある地域でも、ほとんど実際には行われていないはずだ。4分の1というハードルが結構高い。じゃあ、無くてもよいのか。いや、僕は存在価値は大いにあると思う。使われなくて良いのである。「伝家の宝刀」というものである。今後少子化、人口減に伴って、小中学校の統廃合、文化・福祉施設の閉鎖、福祉水準の切り下げなどが今以上に避けられないだろう。そんな時に、いざという時は住民投票出来るというのが、行政当局の対応を丁寧なものにすると思う。住民投票条例があることによって、地域を二分するような暴挙を事前に防ぐのである。
かつて自分の住む地域で、保守が分裂して共産党系区長が当選したことがあった。3年後、区政がもめて不信任、議会解散、区長選などが続いた。選挙戦中には共産党区政の評価をめぐってビラの配布合戦が行われた。明らかに動員された人たちが配っていたので、僕はあなたは区民なのかと問い質したところ、その人たちは「連合」の組合員だった。質問しても、今回の選挙に至った事情を詳しく知らない。僕はこれは区民が判断する問題で、他地域の人がビラ配布だけに来るのはおかしいと批判した。(もちろん国政選挙なら誰がどこで運動してもいい。「連合」はずっと前から、「反共」の立場で選挙に関わっているのである。)
僕はこの条例案には賛成だったから、否決というのは残念な気がしたが、ある意味「やむを得ない」のかなあとも思った。僅差で可決しても、住民には分断、混乱が残るだろう。その結果、「住民投票条例の廃止を求める住民投票」が求められた場合、かえって混乱が広がってしまう。この条例によれば、有権者の4分の1の賛成で住民投票が行われる。自民党や公明党が反対だったから、その条件はクリアーするのではないか。その結果行われる住民投票の結果がどうなるかは読めない。もしも「廃止賛成派」が勝った場合、住民投票賛成派は深刻なジレンマに直面することになってしまう。

東京都武蔵野市は、東京駅から八王子、甲府方面へ続く中央沿線で23区を出て最初にある市である。人口15万人ほどで、昔から住民自治の伝統がある地域だ。当然のことながら、市内に米軍基地があるわけではなく、原発やカジノや産廃処理場の誘致計画があるわけでもない。それどころか、東京ではいわゆる「平成の大合併」が一つも行われず、他市との合併計画もない。具体的に何か大きな問題があって、それで住民投票を行おうという話ではない。そうじゃなくて、市長、市議会という「二元代表制」ではすくい上げられない多くの問題があることを前提にして、あらかじめ「常設型の住民投票」を定めておこうということなのである。
だから「理念優先」というか、自治の発展的形態としての住民投票という仕組みになる。そのため、「住民とは誰のことか」ということから、外国人も地域の住民だという観点にたって外国籍住民にも投票権を認めることになる。国政選挙ではなく、地方選挙ですらなく、単に市民の意向を確認するという「決定権のない意思表明」である。そのような外国籍住民にも投票権を認める住民投票条例は、川崎、静岡、広島など40近い市で制定されている。それどころか、東隣の杉並区、西隣の三鷹市、小金井市にもあって、武蔵野市に今まで無かった方が不思議である。全国では合併問題で、実際に外国籍住民や中学生が投票した例もある。

上記アンケートでも外国籍住民への投票権付与に賛成が圧倒的である。しかし、コロナ禍ということもあって、それまでの経緯をあまり知らないという市民も多かったようだ。近年では保守派が「外国人地方参政権」に極端に反対していて、地方参政権につながるなどという思い込み的な反対論が広がる余地があった。(僕は定住外国人への地方参政権に賛成の立場だが、それには公職選挙法の改正が必要である。国会が決めることで、各市町村が条例で対応出来る問題とは全然違う。)報道によれば、「武蔵野市が外国人に乗っ取られる」などと、そこまで言えばヘイトスピーチになるような反対論もあったという。
武蔵野市で特に外国人関連の問題も起こっていないのに、何で「外国人が大挙してやって来る」などというのか。先に書いたように、武蔵野市の東も西もすでに外国籍住民への投票権を認めているのである。どこが乗っ取られているのか。もし本当に乗っ取られるぐらい外国人がやって来たら、武蔵野市は大もうけ出来る。家賃は上がるし、多くの消費活動が行われる。なんで保守派はこの問題を「地方創生」に利用しないのだろう。地方の繁華街は今ではシャッター通りになっている。乗っ取られるぐらい外国人が住み着いてくれれば、大歓迎ではないだろうか。
昔の「保守派」は「革新派」をあり得ない幻想(革命とか非武装中立など)を追い求めると非難して、世の中は「レアル・ポリティーク」(現実政治)で動いていると諭したものだった。その意味では、今の「保守派」は「保守」ではない。現実をリアルに認識する能力と努力を怠っている。ただし、今回判ったのは、保守派であっても武蔵野市などでは「住民投票は議会制民主主義の否定だ」とは言えないらしいことだ。日本の多くの場所では、まだそういう理由で住民投票そのものが否定されるだろう。今回は「3ヶ月しかいない外国人が市の未来を決めてよいのか」的な煽動が大きかった。
この「3ヶ月」というのは、恐らく「日本人とそろえる」ということだろう。日本籍住民の場合は、国や地方の選挙に使う「有権者名簿」を使うのが手っ取り早い。選挙権はその地域に3ヶ月以上住んでいる者にある。(転居間近の人は新住所では投票できない。)日本人と外国人の基準を同じにするべきだという理念によって「3ヶ月」なんだと僕は思っている。だけど、本来は市の将来を決めるという意味では、日本人だって3ヶ月では短いのではないか。特に大都市では人口の流動性が高い。武蔵野市には亜細亜大学や成蹊大学があるから、当然学生も多く住んでいるだろう。もともと単に仕事や学校の都合、あるいは「そこにマンションがあったから」という住民が大都市では多い。日本人も含めて、住居期間要件を延ばすというのも一案かもしれない。
そもそもこのような住民投票条例は不要だという考えもあるかもしれない。出来ても、使われないだろう。常設型条例がある地域でも、ほとんど実際には行われていないはずだ。4分の1というハードルが結構高い。じゃあ、無くてもよいのか。いや、僕は存在価値は大いにあると思う。使われなくて良いのである。「伝家の宝刀」というものである。今後少子化、人口減に伴って、小中学校の統廃合、文化・福祉施設の閉鎖、福祉水準の切り下げなどが今以上に避けられないだろう。そんな時に、いざという時は住民投票出来るというのが、行政当局の対応を丁寧なものにすると思う。住民投票条例があることによって、地域を二分するような暴挙を事前に防ぐのである。