平野啓一郎「決壊」を読んで、心が暗澹たる思いに囚われてしまった。「暗い」というよりも、「恐ろしい」という方が近い。それが現代であり、あるいは人間性の深淵であるとは言え、ここまで心の闇に踏み込んでこられると、どうしたらいいのだろうか。そこで11月新刊の文春文庫、奥泉光の「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」を読むことにした。このシリーズは、簡単に言えば「学園ユーモアミステリー」というジャンル小説だけど、そのおバカ度において現代最強(凶?狂?)レベルの域に達している。今まで書くまでもない感じで、一人で楽しんでいたけど、今回は是非紹介しておきたい。
主人公の桑潟幸一、通称クワコーは、千葉県権田市にある「たらちね国際大学」情報総合学部日本文化学科の准教授である。最初に登場した「モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」(2005)では東大阪にある敷島学園麗華女子短期大学(通称レータン)という短大に勤めていた。大阪で一番「低レベルの短大」であるゆえに、ほとんど研究意欲に欠けるクワコーでも勤めていられたが、折からの少子化進行に伴い短大経営は苦しくなるばかり。そこに同僚だった鯨谷教授から「たらちね」への転勤話が持ち込まれクワコーは飛びついた。鯨谷は元サラ金の取締役で、主著は「ヤクザに学ぶリアル経営術」である。
たらちね国際大学は元短大が4年制大学に昇格したばかり。レータンに勝るとも劣らぬ底辺大学で、元短大だけにほぼ女子学生ばかり。男子学生は立った一人しかいない。なんかかんだで諸手当がどんどん引かれ、クワコーは准教授という名にふさわしからぬ低賃金にあえいでいる。便意は極力ガマンして、「大」は家ではしないようにして水道代を節約している。近年はますます研究意欲が蒸発して、ついに倹約のため学会は全部辞めてしまった。クーポンが時々手に入ると、近所のトンカツ屋でロースカツ定食を食べるぐらいが楽しみ。出来るだけ食費を浮かせようと、今年はついに昆虫食に挑んでセミを捕っている。
クワコーはなぜか「文芸部」の顧問を押しつけられ、研究室はほぼ部室と化している。文芸部といっても、内実はコミケに出すマンガを描いている「腐女子」集団である。木村部長はまだ「クワコー先生」と呼ぶが、いつも「クワコー」と呼び捨てにするのが「ホームレス女子大生」ジンジン。理由も不明ながら、港区に実家があるはずが、なぜかキャンパスの裏でテント生活を送っていて、本名神野仁美から「Call me JINJIN」と言っている。他にも「ナース山本」「ギャル早田」「オッシー押川」「ドラゴン藤井」など、個性豊かすぎる面々が研究室を占領している。
(奥泉光)
今までに「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(2011)、「黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」(2012)が書かれ、ちょっと間が開いて「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」(2019)が書かれた。クワコー周辺では、なぜか必ず「日常の謎」や「学園をめぐる陰謀」が発生し、クワコーがそれを解決できるはずもないわけで、ジンジンが快刀乱麻を断つごとく名推理を披露するというのがお約束の展開になる。「スタイリッシュ」というのは、普通は「オシャレスタイルで統一されている」ような場合に使われる用語だが、クワコーの場合「クワコー的低レベル生活様式に純化されている」という点で、ある種スタイリッシュではある。
僕はミステリー的には「黄色い水着の謎」が面白かったと思っている。今回は「ゆるキャラの恐怖」「地下迷宮の幻影」の2短編が収められているが、現代日本のキャンパス事情を風刺する意味合いが強い。大学教員の3大業務は、「教育」「研究」「行政」だと書かれているが、クワコーの場合、教育1、行政9、営業90になっている。(ちなみに研究はゼロ。)営業というのは、高校に説明に行ったりだが、クワコーの場合鯨谷教授に命じられるまま、ティッシュ配りでも何でもやるハメになる。今回はたらちね国際大学がゆるキャラ「たらちね地蔵くん」を作ったので、その着ぐるみに入って地域のお祭りなどに行ってこいとの厳命である。
そんなクワコーの苦難の夏を描いていくが、最後には大学対抗ゆるキャラコンテストまであって、出場せざるを得なくなる。そこで埼玉まで出掛けていくが、その当日になぜかクワコーのもとに脅迫状が…。そして「鹿のいるキャンパス」を舞台に、みうらじゅんが審査員を務めるコンテストで、準備中にはスズメバチが着ぐるみに仕込まれ(?)、本番ではクワコーを鹿が襲ってくる。これがどうも仕組まれた事件らしい。たらちね近くの「房総工業大学」通称ボーコー大は、底辺のたらちねからさえ下に見られる唯一の大学だが、ここもコンテストに出てるからどうも怪しい。そんなこんなの真相は如何に。
今の大学、そこまでやるか的な「ゆるキャラの恐怖」に対し、「地下迷宮の幻影」はさらに風刺がヒートアップしている。鯨谷教授からは、文科省のお達しにより教授たるもの研究論文なしではダメだと言われる。が、しかし、それを何とかバイパス出来る方法はある。オープンキャンパスなどでいつもお世話になってる教育産業「ペネッセ」に頼むとか。さらに今追い上げを図っているJED(日本教育開発)に依頼すれば、論文を書いてくれるとか。それに加えて、鯨谷のライバル、国際コミュニケーション学科の馬沢教授からも呼ばれ、秘密裏のミッションを依頼される。
来年からテレビでも知られる島木冬恒が来年から大学に来るらしいというのである。島木は教育勅語を教育に生かせという主張の持ち主で、総理とも親しいとか。ところでなぜか「ウスゲマン」薄井教授とも親しいらしく、島木が早くもキャンパスに出没しているらしい。島木の父は旧軍人で、たらちねキャンパスは戦前は陸軍の秘密研究所だったという。今もキャンパスの隣にある産廃会社の地下には、秘密の地下迷宮があって何か秘密のもの(麻薬とか?)が隠されているという噂も…。だから、クワコーにはウスゲマンを見張って、島木との交流の中身を探り出せと密命が下ったわけ。特別手当も出るが、出所は「ペネッセ」?
そして何気なく見張っていると、本当にウスゲマンがキャンパスの隣に出没しているではないか。そして研究室には金庫があって、時々島木が訪問するのも間違いない。それは一体なぜ? クワコーも隣接土地に忍び込むと、謎の土地にはキノコがあるではないか。タダの食材には目がないクワコーは、それを取ってくるのだが、それは「メイテイダケ」らしい。(架空のキノコ。)そして、島木はたらちねに正式に来る前に、一度講演会を開きたいと言ってきた。教育勅語に関する講演である。学生との質疑も欲しいと言ってる。クワコーはその担当も命じられるが、もちろんキョーイクチョクゴなんて名前を聞いたことがあるぐらい。しかも、たらちね学生と質疑? それも男女一人ずつ希望というが、そもそも男子は一人しか居ないじゃないか。
ということで、JED派遣の「家庭教師」(大学教員向けに論文を代筆してくれる有り難い存在、その若き女性の描写が絶品)とクワコーが組んで準備を進める。男子学生というのは、門司(もんじ)君といって文芸部員でもあるが、女子ばかりのたらちねより、最近はほとんどボーコー大とつるんでいる。そして、モンジ君とその彼女(!?)アンドレ森(プロレス部)が教育勅語をめぐる準備会に呼ばれてくるんだけど…。ここが爆笑、爆笑で、ここまで見事な右翼的風潮批判も珍しいほどの上出来になっている。ここだけでも読む価値あり。まあ、登場人物になじむためには、順番に読む方がいいけれど。
奥泉光(1956~)は僕と同学年である。芥川賞の「石の来歴」とか、『「吾輩は猫である」殺人事件』『グランド・ミステリー』『シューマンの指』などは読んでいるが、なんせ作品が多いので近年の『東京自叙伝』『雪の階』など読んでない本が多い。いっぱい持ってるんで、これも来年の課題。それにしても、「決壊」の「悪魔」に対抗できるのは、やはり笑いだと思った次第。
主人公の桑潟幸一、通称クワコーは、千葉県権田市にある「たらちね国際大学」情報総合学部日本文化学科の准教授である。最初に登場した「モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」(2005)では東大阪にある敷島学園麗華女子短期大学(通称レータン)という短大に勤めていた。大阪で一番「低レベルの短大」であるゆえに、ほとんど研究意欲に欠けるクワコーでも勤めていられたが、折からの少子化進行に伴い短大経営は苦しくなるばかり。そこに同僚だった鯨谷教授から「たらちね」への転勤話が持ち込まれクワコーは飛びついた。鯨谷は元サラ金の取締役で、主著は「ヤクザに学ぶリアル経営術」である。
たらちね国際大学は元短大が4年制大学に昇格したばかり。レータンに勝るとも劣らぬ底辺大学で、元短大だけにほぼ女子学生ばかり。男子学生は立った一人しかいない。なんかかんだで諸手当がどんどん引かれ、クワコーは准教授という名にふさわしからぬ低賃金にあえいでいる。便意は極力ガマンして、「大」は家ではしないようにして水道代を節約している。近年はますます研究意欲が蒸発して、ついに倹約のため学会は全部辞めてしまった。クーポンが時々手に入ると、近所のトンカツ屋でロースカツ定食を食べるぐらいが楽しみ。出来るだけ食費を浮かせようと、今年はついに昆虫食に挑んでセミを捕っている。
クワコーはなぜか「文芸部」の顧問を押しつけられ、研究室はほぼ部室と化している。文芸部といっても、内実はコミケに出すマンガを描いている「腐女子」集団である。木村部長はまだ「クワコー先生」と呼ぶが、いつも「クワコー」と呼び捨てにするのが「ホームレス女子大生」ジンジン。理由も不明ながら、港区に実家があるはずが、なぜかキャンパスの裏でテント生活を送っていて、本名神野仁美から「Call me JINJIN」と言っている。他にも「ナース山本」「ギャル早田」「オッシー押川」「ドラゴン藤井」など、個性豊かすぎる面々が研究室を占領している。
(奥泉光)
今までに「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(2011)、「黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」(2012)が書かれ、ちょっと間が開いて「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」(2019)が書かれた。クワコー周辺では、なぜか必ず「日常の謎」や「学園をめぐる陰謀」が発生し、クワコーがそれを解決できるはずもないわけで、ジンジンが快刀乱麻を断つごとく名推理を披露するというのがお約束の展開になる。「スタイリッシュ」というのは、普通は「オシャレスタイルで統一されている」ような場合に使われる用語だが、クワコーの場合「クワコー的低レベル生活様式に純化されている」という点で、ある種スタイリッシュではある。
僕はミステリー的には「黄色い水着の謎」が面白かったと思っている。今回は「ゆるキャラの恐怖」「地下迷宮の幻影」の2短編が収められているが、現代日本のキャンパス事情を風刺する意味合いが強い。大学教員の3大業務は、「教育」「研究」「行政」だと書かれているが、クワコーの場合、教育1、行政9、営業90になっている。(ちなみに研究はゼロ。)営業というのは、高校に説明に行ったりだが、クワコーの場合鯨谷教授に命じられるまま、ティッシュ配りでも何でもやるハメになる。今回はたらちね国際大学がゆるキャラ「たらちね地蔵くん」を作ったので、その着ぐるみに入って地域のお祭りなどに行ってこいとの厳命である。
そんなクワコーの苦難の夏を描いていくが、最後には大学対抗ゆるキャラコンテストまであって、出場せざるを得なくなる。そこで埼玉まで出掛けていくが、その当日になぜかクワコーのもとに脅迫状が…。そして「鹿のいるキャンパス」を舞台に、みうらじゅんが審査員を務めるコンテストで、準備中にはスズメバチが着ぐるみに仕込まれ(?)、本番ではクワコーを鹿が襲ってくる。これがどうも仕組まれた事件らしい。たらちね近くの「房総工業大学」通称ボーコー大は、底辺のたらちねからさえ下に見られる唯一の大学だが、ここもコンテストに出てるからどうも怪しい。そんなこんなの真相は如何に。
今の大学、そこまでやるか的な「ゆるキャラの恐怖」に対し、「地下迷宮の幻影」はさらに風刺がヒートアップしている。鯨谷教授からは、文科省のお達しにより教授たるもの研究論文なしではダメだと言われる。が、しかし、それを何とかバイパス出来る方法はある。オープンキャンパスなどでいつもお世話になってる教育産業「ペネッセ」に頼むとか。さらに今追い上げを図っているJED(日本教育開発)に依頼すれば、論文を書いてくれるとか。それに加えて、鯨谷のライバル、国際コミュニケーション学科の馬沢教授からも呼ばれ、秘密裏のミッションを依頼される。
来年からテレビでも知られる島木冬恒が来年から大学に来るらしいというのである。島木は教育勅語を教育に生かせという主張の持ち主で、総理とも親しいとか。ところでなぜか「ウスゲマン」薄井教授とも親しいらしく、島木が早くもキャンパスに出没しているらしい。島木の父は旧軍人で、たらちねキャンパスは戦前は陸軍の秘密研究所だったという。今もキャンパスの隣にある産廃会社の地下には、秘密の地下迷宮があって何か秘密のもの(麻薬とか?)が隠されているという噂も…。だから、クワコーにはウスゲマンを見張って、島木との交流の中身を探り出せと密命が下ったわけ。特別手当も出るが、出所は「ペネッセ」?
そして何気なく見張っていると、本当にウスゲマンがキャンパスの隣に出没しているではないか。そして研究室には金庫があって、時々島木が訪問するのも間違いない。それは一体なぜ? クワコーも隣接土地に忍び込むと、謎の土地にはキノコがあるではないか。タダの食材には目がないクワコーは、それを取ってくるのだが、それは「メイテイダケ」らしい。(架空のキノコ。)そして、島木はたらちねに正式に来る前に、一度講演会を開きたいと言ってきた。教育勅語に関する講演である。学生との質疑も欲しいと言ってる。クワコーはその担当も命じられるが、もちろんキョーイクチョクゴなんて名前を聞いたことがあるぐらい。しかも、たらちね学生と質疑? それも男女一人ずつ希望というが、そもそも男子は一人しか居ないじゃないか。
ということで、JED派遣の「家庭教師」(大学教員向けに論文を代筆してくれる有り難い存在、その若き女性の描写が絶品)とクワコーが組んで準備を進める。男子学生というのは、門司(もんじ)君といって文芸部員でもあるが、女子ばかりのたらちねより、最近はほとんどボーコー大とつるんでいる。そして、モンジ君とその彼女(!?)アンドレ森(プロレス部)が教育勅語をめぐる準備会に呼ばれてくるんだけど…。ここが爆笑、爆笑で、ここまで見事な右翼的風潮批判も珍しいほどの上出来になっている。ここだけでも読む価値あり。まあ、登場人物になじむためには、順番に読む方がいいけれど。
奥泉光(1956~)は僕と同学年である。芥川賞の「石の来歴」とか、『「吾輩は猫である」殺人事件』『グランド・ミステリー』『シューマンの指』などは読んでいるが、なんせ作品が多いので近年の『東京自叙伝』『雪の階』など読んでない本が多い。いっぱい持ってるんで、これも来年の課題。それにしても、「決壊」の「悪魔」に対抗できるのは、やはり笑いだと思った次第。