大阪府の吉村洋文知事の選挙演説をテレビで放送していたのを見たら、大阪10区で大人数を前にしてこんなことを言っていた。「ここは強い人がいるんです。名前は言わないけど。(小声で)辻元清美。」ところで、また別の日にテレビを見たら、こんなことを言っていた。「大阪でコロナが増えたのは知事が悪いからって言う人がいて、ホント腹立ったなあ。誰とは言わないけど、立憲民主党の人。(小声で)枝野幸男。」表現は少し違ってるかもしれないが、要するに「笑わせ方」のツボが同じ。大阪では選挙演説でも、まずは笑いでツカミを必要とするらしい。ちゃんと初めから名前を言えばいいじゃないかと思うけど、それが大阪の政治風土なのか。
もう忘れている人が多いと思うから、ちょっと「維新の会」の歴史を振り返っておきたい。まずは2008年1月の大阪府知事選で、橋下徹が当選した。すべてはそこから始まったわけだが、その後橋下知事は大阪市を解体して大阪府と一体化する「大阪都構想」を主張するようになって、2010年4月に地域政党「大阪維新の会」を結成した。橋下知事は大阪市長だった平松邦夫と対立を深め、2011年11月に知事を辞任して大阪市長選に立候補、再選を目指した平松を大差で破った。この時の府知事選には松井一郎が出馬して、大差で当選した。こうして2011年末段階で「大阪維新の会」が府市のトップを握ることに成功したわけである。
「大阪維新の会」は2012年末の衆院選で国政進出を図り、「立ちあがれ日本」と合同して「日本維新の会」(第一次)を結成した。この時は石原慎太郎が代表を務めて、橋下徹が代表代行だった。選挙では一挙に54議席を獲得して第3党となった。しかし、石原系と維新系の対立が絶えず、2014年夏に「みんなの党」との合同をめぐって分裂した。石原系は分党して「次世代の党」を結成し、後「日本のこころを大切にする党」と改名、2018年に自民党に合流した。一方、維新系は「みんなの党」の中の合流派が結成した「結いの党」と合同して、2014年8月に「維新の党」を結成した。(橋下徹、江田憲司が共同代表。)
2015年5月17日に、大阪都構想の住民投票(1回目)が行われた。それに先だって、住民投票に専念するとして橋下共同代表、松井幹事長が辞任して、江田代表、松野頼久幹事長となった。大阪都構想否決によって、江田代表も辞任し、松野代表、柿沢未徒幹事長となるも、大阪系と対立が絶えず、離党も相次ぐ。両者の対立は泥沼化したが、結局大阪系議員が2015年11月に「おおさか維新の会」を結成し、残った「維新の党」は民主党と合同して「民進党」となった。この間、橋下は2015年12月の大阪市長の任期終了をもって政界を引退し、松井一郎が代表となった。2016年の参院選後、「おおさか維新」では党勢拡大が望めないとして、「日本維新の会」に名称を変更した。他の野党との連携をめぐって分裂抗争を繰り広げた結果、結局大阪系のみの党になったわけである。
そのため、どうしても大阪中心のローカル勢力という感じが否めず、2017年の衆院選では11議席に落ち込んだ。その勢いが復活したのが、2019年の統一地方選だった。2015年の橋下後任を選ぶ大阪市長選で当選していた吉村洋文と、大阪府知事を2期務めていた松井一郎が、ともに辞任してお互いの後任選挙に出るという超奇策に打って出たのである。これが思いのほかに成功して、吉村知事が全国的に注目されるきっかけともなった。この「クロス辞任」など何の意味があるのか全然判らないけれど、それが大受けするのだから大阪の政治風土を熟知しているのだろう。それまでも府市とも維新が握っていたのから、知事と市長を交換することの意義を理解出来ないというのが僕の感想だったのだが。
(「身を切る改革」を訴える)
その「維新」は常に「身を切る改革」が大好きである。「大阪都構想」と言っても、要するに「大阪市解体」なんだから、解体される大阪市民からすれば福祉などの住民サービスの後退が心配である。だからこそ、2回にわたる住民投票もともに否決されたわけだろう。特にもう終わったと言っていたのに、コロナ禍に2度目の住民投票を行った政治責任は大きい。それは大阪で年末に大阪の新規感染者を増やす原因になったのではないかと思う。それはともかく、「身を切る改革」と言うと潔い感じがするけれど、切られる側も存在するということをどう思うんだろう。
特に「議員定数を減らす」というのは、その結果「少数派の代表が減ってしまう」ということを意味する。「税金の無駄遣いをなくす」ようなことを主張して「多数派の主張を通りやすくする」ものだ。この間、大阪市営地下鉄を民営化したり、大阪の文化施設、文化行政を「虐待」してきた。「民間ではあり得ない」が口癖だが、民間じゃないんだから当然ではないかと僕は思う。「身を切る改革」で不採算部門を切り捨てれば、企業だったら決算に好影響を与える。しかし、行政は全国民(全住民)が対象なので、切り捨てたとしても今度は福祉の対象になってしまう。
もともと大阪で維新を立ち上げた勢力は、自民党の地方議員が中心だった。だから「維新は自民から出た」わけだが、自民党の中の二つの潮流、「新自由主義的な競争政策」と「国家主義的な国家観」を今でも純粋培養しているのが「日本維新の会」ではないか。「青は藍より出でて藍より青し」ではないが、「維新は自民より出でて自民より自民らしい」とでも言うような感じがする。その「出生」からどうしても大都市中心で、「切られる」側の地方では支持が伸びないような気がするが、その切られる側への想像力の不足には注意が必要だ。
もう忘れている人が多いと思うから、ちょっと「維新の会」の歴史を振り返っておきたい。まずは2008年1月の大阪府知事選で、橋下徹が当選した。すべてはそこから始まったわけだが、その後橋下知事は大阪市を解体して大阪府と一体化する「大阪都構想」を主張するようになって、2010年4月に地域政党「大阪維新の会」を結成した。橋下知事は大阪市長だった平松邦夫と対立を深め、2011年11月に知事を辞任して大阪市長選に立候補、再選を目指した平松を大差で破った。この時の府知事選には松井一郎が出馬して、大差で当選した。こうして2011年末段階で「大阪維新の会」が府市のトップを握ることに成功したわけである。
「大阪維新の会」は2012年末の衆院選で国政進出を図り、「立ちあがれ日本」と合同して「日本維新の会」(第一次)を結成した。この時は石原慎太郎が代表を務めて、橋下徹が代表代行だった。選挙では一挙に54議席を獲得して第3党となった。しかし、石原系と維新系の対立が絶えず、2014年夏に「みんなの党」との合同をめぐって分裂した。石原系は分党して「次世代の党」を結成し、後「日本のこころを大切にする党」と改名、2018年に自民党に合流した。一方、維新系は「みんなの党」の中の合流派が結成した「結いの党」と合同して、2014年8月に「維新の党」を結成した。(橋下徹、江田憲司が共同代表。)
2015年5月17日に、大阪都構想の住民投票(1回目)が行われた。それに先だって、住民投票に専念するとして橋下共同代表、松井幹事長が辞任して、江田代表、松野頼久幹事長となった。大阪都構想否決によって、江田代表も辞任し、松野代表、柿沢未徒幹事長となるも、大阪系と対立が絶えず、離党も相次ぐ。両者の対立は泥沼化したが、結局大阪系議員が2015年11月に「おおさか維新の会」を結成し、残った「維新の党」は民主党と合同して「民進党」となった。この間、橋下は2015年12月の大阪市長の任期終了をもって政界を引退し、松井一郎が代表となった。2016年の参院選後、「おおさか維新」では党勢拡大が望めないとして、「日本維新の会」に名称を変更した。他の野党との連携をめぐって分裂抗争を繰り広げた結果、結局大阪系のみの党になったわけである。
そのため、どうしても大阪中心のローカル勢力という感じが否めず、2017年の衆院選では11議席に落ち込んだ。その勢いが復活したのが、2019年の統一地方選だった。2015年の橋下後任を選ぶ大阪市長選で当選していた吉村洋文と、大阪府知事を2期務めていた松井一郎が、ともに辞任してお互いの後任選挙に出るという超奇策に打って出たのである。これが思いのほかに成功して、吉村知事が全国的に注目されるきっかけともなった。この「クロス辞任」など何の意味があるのか全然判らないけれど、それが大受けするのだから大阪の政治風土を熟知しているのだろう。それまでも府市とも維新が握っていたのから、知事と市長を交換することの意義を理解出来ないというのが僕の感想だったのだが。
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その「維新」は常に「身を切る改革」が大好きである。「大阪都構想」と言っても、要するに「大阪市解体」なんだから、解体される大阪市民からすれば福祉などの住民サービスの後退が心配である。だからこそ、2回にわたる住民投票もともに否決されたわけだろう。特にもう終わったと言っていたのに、コロナ禍に2度目の住民投票を行った政治責任は大きい。それは大阪で年末に大阪の新規感染者を増やす原因になったのではないかと思う。それはともかく、「身を切る改革」と言うと潔い感じがするけれど、切られる側も存在するということをどう思うんだろう。
特に「議員定数を減らす」というのは、その結果「少数派の代表が減ってしまう」ということを意味する。「税金の無駄遣いをなくす」ようなことを主張して「多数派の主張を通りやすくする」ものだ。この間、大阪市営地下鉄を民営化したり、大阪の文化施設、文化行政を「虐待」してきた。「民間ではあり得ない」が口癖だが、民間じゃないんだから当然ではないかと僕は思う。「身を切る改革」で不採算部門を切り捨てれば、企業だったら決算に好影響を与える。しかし、行政は全国民(全住民)が対象なので、切り捨てたとしても今度は福祉の対象になってしまう。
もともと大阪で維新を立ち上げた勢力は、自民党の地方議員が中心だった。だから「維新は自民から出た」わけだが、自民党の中の二つの潮流、「新自由主義的な競争政策」と「国家主義的な国家観」を今でも純粋培養しているのが「日本維新の会」ではないか。「青は藍より出でて藍より青し」ではないが、「維新は自民より出でて自民より自民らしい」とでも言うような感じがする。その「出生」からどうしても大都市中心で、「切られる」側の地方では支持が伸びないような気がするが、その切られる側への想像力の不足には注意が必要だ。