尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「皮膚を売った男」、アートと政治をめぐる奇想

2021年12月05日 21時01分37秒 |  〃  (新作外国映画)
 「皮膚を売った男」という映画が公開されている。チュニジアの女性監督カウテール・ベン・ハニア(1977~)の作品。今まで劇映画、ドキュメンタリー映画を何作か作っているが、日本では紹介されていないので、名前も全く知らない。今年の米国アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート作品である。今年は受賞作「アナザーラウンド」の他に「少年の君」「コレクティブ」「アイダよ何処へ」とノミネート作品が全部すぐに公開された。僕は「皮膚を売った男」が一番面白かった。

 2011年のシリアサムアビールは同級生どうしで愛し合っている。しかし、アビールの親は外交官の男と結婚させたいと考えている。サムは何とか彼女の心を捕まえたいあまり、電車の中で結婚しようと言い出す。自分たちは自由だ、革命だと叫びだし、車内では皆が踊り出す。しかし、この時の言葉が密告されたらしく、電車で革命を呼びかけたとして逮捕されてしまう。何とか逃げ出したものの、もうシリアでは生きていけない。姉の車で隣国のレバノンに逃れる。アビールとはスカイプで連絡を取るものの、会えないうちに結婚を強要されて夫とベルギーに住むらしい。

 難民のサムには当然出国のすべもなく、パソコン越しに話をするだけである。そんな時に現代美術のアーティストと出会って、ある提案を受ける。「背中」をアート作品として売る契約を結びたいというのである。背中にタトゥーを入れることで、彼自身が生きるアート作品となって、国境を越えられるというのである。そして背中を売ったサムは特別なヴィザを得られて、アビールが住むベルギーで開かれる美術展に出掛ける。それは彼にとって彼女に近づく手段だったはずだが、契約に縛られて美術館でずっと座っていなければならない。背中はアートかもしれないが、背中だけを曝し続けることで屈辱感も起きてくる。
(サムの背中)
 ここで「難民」の苦闘を描く作品から、現代アートとは何かというメタアート作品の性格を帯びてくる。「背中」だけを売ったわけだが、皮膚には吹き出物が出ることもある。美術家は作品を売って生活するわけだが、じゃあサムの背中を売ることは出来るのか。オークションでサムの背中が売れたときに、彼は驚くべき行動に出る。そのことからアビールとの関係も二転三転、二人の関係はどうなるんだろうか。シリア難民という政治的テーマと現代アートをめぐる奇想天外な発想が見事に溶け合った傑作だ。

 これは現代アーティストのヴィム・デルボアという人の実際の作品にインスパイアされているらしい。彼は様々な物議を醸す作品を作っているらしいが、その中に豚にタトゥーをするというのがあったらしい。この作品には美術館の撮影などでアドバイザーを務めた他、映画に出たくなって弁護士役で出ているとのこと。主演のヤヤ・マヘイニはシリアの弁護士で、俳優経験はないとのことだが、非常に達者な演技をしている。ヴェネツィア映画祭オリゾンティ部門で男優賞を獲得した。アーティストの助手役でモニカ・ベルッチが出ている。ラストになって、シリアのラッカに戻ると決めるが、そこで驚愕の展開が…。
(カウテール・ベン・ハニア監督)
 今年は「モロッコ、彼女たちの朝」という未婚で妊娠した女性を描く映画があった。マリヤム・トゥザニという女性監督の作品で、イスラム圏でも女性監督の活躍が著しい。シリアはアサド政権の独裁が長く続いていたが、社会主義を掲げるバース党政権だからか、冒頭の電車シーンでもアビールはスカーフをしていない。客の中には頭を覆っている女性が半分ぐらいで、そうじゃない人もいる。映画はフィクションだけど、恐らくシリアの現実を反映していると思う。

 結婚は親が決めるものという考えと当事者による恋愛結婚という考えが相克している。それは過去の日本でも同様だが、アビールの場合外交官である夫と結婚しないと内戦下のシリアから出国できないという悲しい現実があった。シリア内戦を描く映画はかなりあるが、全く異色のフィクションになっている点が興味深い。チュニジア人監督という点でも見逃せない。
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