尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

原一男渾身の372分、「水俣曼荼羅」を見る

2021年12月29日 23時40分36秒 | 映画 (新作日本映画)
 原一男監督監督の「水俣曼荼羅」をようやく見た。11月27日公開だから、もう一ヶ月経つが何しろ上映時間が372分と6時間を越える。途中に休憩が2回はさまって、計3部に分かれる濃密な時間である。そうそう見に行けるものではない。料金も3900円均一だし、時間も長大だから、観客を選ぶ映画だ。こういう公開方法が良いのかどうか判断は難しいが、6時間超も見続けることの充実感も間違いなくある。前作の「ニッポン国VS泉南石綿村」も215分に及ぶ長い映画だった。「水俣曼荼羅」はそれをしのぐ長さだが、これは原一男監督の最高傑作なのではないか。長いだけの価値はある。

 水俣病をめぐっては、多くの裁判が起こされ、特に1973年の第一次訴訟の原告全面勝訴判決は有名だ。その後も幾つも訴訟が続き、1995年には村山政権のもとで「最終的解決」が図られた。しかし、それに従わず訴訟を継続したグループもあって、2004年10月に水俣病関西訴訟の最高裁判決が下った。映画はその日から描かれるが、環境省交渉に出て来る環境大臣が小池百合子だったのは忘れていた。以後、いくつもの裁判が出て来て、そのたびに環境省や熊本県との確認交渉が行われるが、役人の対応はいつも一緒。中でも蒲島郁夫熊本県知事が自身の政治資金パーティと重なっているとして欠席した時には唖然とした。

 第一部では病像論を見直すとして、脳に有機水銀が蓄積して感覚障害が起きるメカニズムが説明される。その後、何人かの患者を取り上げて、その人生を振り返る。中では土本典昭監督が70年代初頭に発表した水俣シリーズも引用される。チッソの株主総会に一株株主として出席して「怨」の旗を掲げた有名なシーンも出てくる。(この映画は土本監督に捧げられている。)しかし、当時は「水俣市」に起きた病気だと皆が思っていた。同じ不知火海に面して漁業を行っているんだから天草にも被害が及ぶとは思ってなかった。また水俣では生きていけぬと大都市圏に移住した患者が多くいたということも気付かなかった。関西訴訟は関西圏の患者たちが訴えた裁判だった。

 上の写真の生駒さん夫妻は映画内に出て来る多くの人の中でも特に印象的。水俣病で結婚も難しいと思っていたのに、見合いで結婚出来た。嬉しくて、水俣市の湯の鶴温泉に泊まったが、何もなかった「初夜」。また3部で出て来る胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんは、ストックホルムで開かれた国連環境会議に出席するなど常に自らをさらして闘ってきた人と思われている。彼女が作った詩が入賞し、歌になった。それには自立への強い意志が書かれていた。しかし、その後は彼女がいかに多くの男性に一目惚れしてしまうか。相手を順に訪ねるという原一男ならではのユーモラスなシーンがある。思いもよらぬ人間性の深さを見せてくれる。
(坂本しのぶ)
 長いけれど、途中から出て来る患者や医者、支援者などになじみが出て来ると、あっという間。長さは感じずに見てしまう。裁判の行く末を確認する意味でも、この長さは必要かなと思う。だが、長すぎて見る者を遠ざけるならば、途中まででまとめて発表するやり方もあっただろう。どっちが良いかは僕には判断出来ない。原一男はこれまでは主に「ゆきゆきて、神軍」と「全身小説家」、つまり奥崎謙三井上光晴の密着ドキュメンタリーを作った監督として、世界に知られてきた。

 しかし、これからはアスベスト公害水銀中毒、二つの長大なドキュメンタリーを撮影した監督として認知されるべきだろう。特に水俣では自らダイビング装置を買って、水中撮影して水俣湾のヘドロを見せている。その努力には驚くしかない。最後に天皇、皇后の水俣訪問がテレビで出て来て、石牟礼道子を取材する。どうもその位置づけがはっきりしないまま終わるのが残念な気がしたが、全体としてはドキュメンタリー映画を見る魅力に引き込まれる映画だ。
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