尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

旧東京音楽学校奏楽堂を見る

2018年11月08日 23時02分41秒 | 東京関東散歩
 最近散歩をしてなかった。夏は連日の猛暑で、9月になったら10月半ばまでほぼ毎日雨。どうも出かける気がしない。ようやく秋晴れが続いているので、上野公園にある「旧東京音楽学校奏楽堂」に行ってみた。5年前から保存活用工事で休館していて、11月2日にリニューアルオープンしたばかり。実は一度も行ったことがなくて、数年前に上野公園を散歩した時は閉まっていた。国立博物館と都美術館の先、芸大の手前に移築されている。重要文化財指定。
   
 1893年に建設された日本最初の本格的ヨーロッパ式音楽ホールである。東京音楽学校、つまり今の東京芸術大学の演奏会場で、ここで多くの有名な音楽家が学んできた。滝廉太郎がピアノを弾き、三浦環が日本最初のオペラを演じた。1971年まで使われたから、戦後に活躍した音楽家もたくさん演奏したのである。老朽化で使用中止となり、一時は明治村への移築も検討されたが、保存運動が起きて地元の台東区が中心となって上野公園に移築された。1987年のことで、東京でも早い試みだった。現在も音楽会に使用される施設となっている。
   
 一階に展示施設があり、階段を上るとホールがある。舞台正面にはパイプオルガンがあり、天井には大きなシャンデリア。演奏会がある日は公開していないが、やってないときは座席にも座れる。入館料300円なりが必要だが、動物園や博物館は座って見る場所が少ないから奏楽堂もいいかなと思った。歴史を感じながら物思いに浸れる。まあ見物客は時々は来るが。
  
 窓から外を見たり、廊下を撮るのも面白い。外には滝廉太郎の銅像があった。展示室は写真を撮れないところもあるが、日本の音楽史に貴重な史料がいっぱい。奏楽堂自体は小さな施設だが、他にいっぱいある中で、ここも立ち寄るのも面白い。一度演奏会にも行ってみたい。隣の都美術館でムンク展を見ようかと思ったけど、どうもすごい混雑なので敬遠することにした。上野公園のあちこちをブラブラ歩きながら、松坂屋新館だったところにできたTOHOシネマズ上野で「ビブリア古書堂の事件手帖」を見て帰った。
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一期一会の傑作、「日日是好日」

2018年11月08日 22時06分01秒 | 映画 (新作日本映画)
 樹木希林が忘れがたい茶道の師匠「武田先生」を演じている「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)はとても感動的な映画だ。どこに感動するのか、うまく言語化できないような映画だが。茶道の細々とした所作がていねいに描写される。全然知らないんだけど、まったく退屈せず、次第にひきこまれてゆく。お茶は判らなくても、和菓子は美味しそう。季節は移り行き、人々は去りゆく。まさに一期一会で、現実に樹木希林はもういない。一人ひとりがその人なりの感慨を覚えて見る映画。

 森下典子の自伝的エッセイが原作。典子黒木華)は同い年のいとこ、美智子多部未華子)と一緒にお茶を習うことになる。地方から出てきている女子大生の美智子は時々典子の家に遊びに来る。そんな席で、親戚の武田先生はなんでもすごい茶道の先生だという話が出て、じゃあ習ったらという成り行きになった。学生向けに特別に土曜日に教えてくれることになり、地図を見ながら複雑な道をたどって町の中に隠れたような一軒家に着く。

 この出だしのリズムがよく、何だかこちらもドキドキしながらもお茶の世界に魅せられてゆく。最初は若い二人だけだから、果たして所作を失敗せずにできるようになるのか、それだけでドラマが成立する。黒木華と多部未華子はタイプが違うわけだが、その組み合わせもうまい。お茶は「形から入る」ということで、昔はそういう世界に反発もあったけど、それもまたよしという思いが今はある。季節ごとにお茶のあり方も変わり、そんな日本文化の面白さも感じる。ほとんど茶道の場面だけで進行してゆくが、次第に卒業、仕事、恋愛などの人生シーンも点描されてゆく。

 学生時代は美智子と一緒だったが、やがて典子ひとりが習うシーンが多くなる。季節や風景の移り変わりを見ながら、小さな茶席が「世界」のように感じられてくる。そこで成長してゆく黒木華演じる典子の人生行路を一緒に眺めているような映画で、ユニークな構成だけど非常に気持ちがいい。こういう映画こそ、外国の映画祭に出品して評価を聞いてみたい。武田先生を演じる樹木希林は、本当に茶道の先生としか思えない素晴らしい存在感。最後の最後に作られた映画だけど、これもまた代表作だろう。見事の一言に尽きる。

 監督は大森立嗣(たつし)で、「ゲルマニウムの夜」でデビュー以来、フィルモグラフィを調べて見ると全部見てるんで驚いた。「さよなら渓谷」が最高傑作で、「まほろ駅前多田便利軒」(2011)、「まほろ駅前狂騒曲」(2014)が一番有名か。近年も「セトウツミ」(2016)「」(2017)と毎年作ってるけど、今ひとつ納得できなかった。「日日是好日」は今までの作風とかなり違っているが、安定した力量を証明している。今後も期待したいと思う。
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日韓それぞれの「国家の体」-徴用工判決考①

2018年11月07日 23時50分21秒 |  〃  (国際問題)
 一週間ほど前になるが、2018年10月30日に韓国大法院(最高裁)が元徴用工が新日鉄住金に相手に起こした損害賠償請求を認める判決を出した。日本の安倍首相はただちに「あり得ない」と反発したが、韓国政府は今の段階で反応を示していない。この判決について様々な意見が出ているが、どう考えればいいのだろうか。外国人受け入れ法案やアメリカ中間選挙についても書きたいんだけど、まずは「徴用工判決」について何回か。他の記事がたまっていて断続的に書く予定。
 (大法院に向かう原告団)
 この判決について、31日に自民党外務部会で中曽根弘文参議院議員(元外相、文相)が「韓国は国家の体をなしていない」と発言したという。「国家の体(てい)」という時の「体」を辞書で見ると、「体裁」「外から見たありさま」といった意味で使われる。最初に判決そのものではなく、このような保守派からの反発の意味を考えてみたい。

 31日付各紙朝刊は、トップで徴用工判決を報じたが、第2トップとして「辺野古問題」が掲載されている。「沖縄県の承認撤回 国が効力停止」である。31日の東京新聞は「法治国の否定に等しい」という社説を掲げたが、それは徴用工判決じゃなくて、辺野古問題に対するものだった。(徴用工判決に対しては「日韓摩擦減らす努力を」という社説を掲載している。)

 沖縄県が辺野古基地工事の埋め立て承認を撤回したことに対し、防衛省は行政不服審査法に基づいて国土交通省に効力停止を申し立てた。その申し立てを30日に国土交通省が認めたわけである。もともと国民が申し立てるケースを想定した法律を行政機関が使うことに批判があった。政府機関が政府機関に審査を求めたら、認められるに決まってる。逆に国交省が防衛省の申し立てを却下したら、今度は「閣内不統一」という問題が生じる。前にも使われた手で、安倍政権が「奇手」を使うことに慣れてしまった感じだが、どう考えてもおかしな話だ。

 判決の出た元徴用工の裁判は、これほど日本政府が反発するところから、日本政府対韓国政府の争いのように誤解している人もいるんじゃないだろうか。しかし、この裁判は民事訴訟である。元徴用工4人対新日鉄住金という私人間の裁判である。韓国政府は請求権協定について、日本政府と同じ解釈を取っている。しかし、大法院は別の法解釈を採用し、原告側勝訴の判決を下した。三権分立なんだから、裁判所が民事訴訟で政府と違う判断をすることもあるだろう。どうして「国家の体をなしてない」と言うんだろうか。

 トランプ政権が人権無視の大統領令を連発し、それに対し州政府が裁判所に効力停止を求めて提訴した。裁判所がそれを認めた判決がいくつも出た。そういう時にも日本の保守派は「アメリカは国家の体をなしていない」というのだろうか。いや、多分「さすがにアメリカは民主主義の国で、三権分立が生きている」などともっともらしく解説するんじゃないだろうか。でも、日本ではほとんど政府に都合の悪い判決が出ない。時々下級審では原発の一時停止などの決定が出たりする。しかし上級審ではいつの間にかひっくり返るのである。それが「国家の体」というものだろうか。

 この裁判はもともと一審、二審で原告敗訴の後、2012年に大法院は新しい法解釈を行って審理を差し戻した。それに基づいて、2013年にソウル高裁が賠償を認める判決を下していた。以来5年経つが、今回の判決は当然予想できた。判決が延びたのは、パク・クネ政権時に大法院に不当な圧力を掛けていたからという。東京新聞でさえ、一面の解説記事で「司法判断に政治影響」と見出しを掲げた。しかし、韓国政府は今回の判決と違う立場であり、そのような「政治の影響」を排したからこそ原告勝訴の判決になるのだと思う。

 河野外相は韓国政府に対し「きぜんとした対応を」と発言した。不可解な発言だ。誰に対してきぜんとすべきなのか。三権分立の民主国家では、行政府は司法府の判断に従うのが当然である。だから「きぜん」とするなら、日本政府に対して以外にあり得ないはずだ。ここで判ることは、自民党政権では「最高裁判決に対してきぜんとした対応をする」ということが当然視されていることだ。議員定数の違憲判決が出ても、小手先の改善を繰り返すのも当然だ。最高裁判決より政府の方が上だと思っているんじゃないだろうか。

 判決そのものに対しては、日本には日本政府の考え方があり、それは理解できる。しかし、韓国には韓国の法解釈があり、別の解釈が出てくることもありうる。反発するだけではなく、どうしてそうなるのか「理解」しようとすることが必要だと思う。そもそも「徴用工判決」と略することにも問題があると思うが、題名だけで長くなっても困るので一応そう書いておく。韓国大法院や日本政府の解釈に関しては今後書いていきたい。裁判所に訴えても何も聞いてくれないような日本の裁判に慣れてしまうと、このような韓国の裁判がおかしなものに見えてしまう。でも、こういう判決が出るということに、裁判が生きている証があるように思う。
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輪島、下村脩、江波杏子、長部日出雄等ー2018年10月の訃報

2018年11月06日 21時58分47秒 | 追悼
 2018年10月の訃報特集。最近長くなってるので、できるだけ簡素に書きたい。まず第54代横綱輪島大士(わじま・ひろし)が9日死去、70歳。73年から81年にかけて横綱を務めた。55代北の湖と並び「輪湖時代」と呼ばれた。日大出身で、唯一の学生出身横綱で、本名も唯一。「黄金の左」という言葉は当時よく知られていた。不遇の後半生を送ったけど、ずいぶん報道が大きかった。

 2008年のノーベル化学賞を受賞した下村脩が、19日に死去、90歳。クラゲから緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見した。GFPを作る遺伝子を細胞のDNAに組み込むことで、細胞を生かしたままタンパク質の働きを観察できるようになった。米国西海岸でオワンクラゲを1万匹を採取して見つけた成果だった。長崎で被爆した体験を持ち、核兵器廃絶を主張した。

 女優の江波杏子が27日に死去、76歳。1959年に16歳で大映と契約したから経歴は長い。大映は角川に買収され、60年代の映画がデジタル版でよく上映されているが、ずいぶんいろいろな映画に脇役で出ている。「女賭博師」(1966~71)シリーズの主役として人気を得たが、その頃はもちろん僕は知らない。1973年の「津軽じょんがら節」(斎藤耕一監督)でキネ旬主演女優賞を得たのはよく覚えている。その後も多くの映画、テレビ、舞台に出て活躍した。
  (2番目は若いころ)
 作家の長部日出雄(おさべ・ひでお)が18日に死去、84歳。読売記者で映画評を書いてたので、名前は早くから知っていた。その後小説を書いて、「津軽世去れ節」「津軽じょんがら節」で73年に直木賞を受けた。江波杏子が主演した「津軽じょんがら節」と同年で、原作かと思ったら同名異作。89年には津軽三味線の世界を描く「夢の祭り」という映画を監督した。津軽を舞台に多くの本を書いたが、「鬼が来た 棟方志功伝」(1979)や「桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝」(2002)は評伝の大傑作だった。晩年は右傾化して天皇崇拝みたいな本を書いた。

 国際法学者の大沼保昭が16日死去、72歳。東大法学部で学び、国際法学者として戦争責任問題に取り組んだ。80年代頃からいろいろな場で名前を聞くようになったと思う。特にサハリン残留朝鮮人の帰還に尽力した。慰安婦問題には「アジア女性基金」理事として関わった。一般書しか読んでないけど、中公新書で江川紹子がインタビューした『「歴史認識」とは何か-対立の構図を超えて』が、良くも悪くも興味深いと思った。

 民主党政権で官房長官などを務めた仙谷由人(せんごく・よしと)が11日死去、72歳。90年に社会党から立候補し、93年には落選、96年に民主党から当選した。実務的手腕を発揮して、民主党内の実力者とされたが、僕はこの人がよく判らなかった。要所要所で官僚寄りの判断を示すことがあり、困ったなと思っていた。自衛隊を「暴力装置」と言って自民党から問責されたけど、突っぱねればよかったのに。徳島出身だから、三木睦子さんの葬儀に来ていた時に見た。

 ファッションデザイナーの芦田淳が20日死去、88歳。77年にパリ・コレクションに参加し、89年には出店した。96年のアトランタ五輪の日本選手団ユニホームを手掛けた。

・映画監督の古川卓巳が4日死去、100歳。「太陽の季節」の監督として名が残った。
・俳優の穂積隆信が19日死去、87歳。「積み木くずし」で知られた。
・女優の角筈和枝(つのはず・かずえ)が27日死去、64歳。「東京乾電池」に所属し、柄本明と結婚した。テレビにもずいぶん出ていた。
・映画撮影監督の吉田貞次が28日死去、100歳。「仁義なき戦い」を撮影した。
・「ミスター半導体」と呼ばれた西沢潤一が21日死去、92歳。ずいぶんいろんな発明をした研究者で、文化勲章を受けた。でも石原都知事のもとで「首都大学東京」の学長になった印象が第一。
・初代内閣安全保障局長の佐々淳行(さっさ・あつゆき)が10日死去、87歳。退官後はずいぶん本を書いて映画にもなった。一貫して公安の人間という感じ。

・香港の作家、金庸が30日に死去、94歳。いわゆる「武侠小説」で大人気を得た。金庸にはいろいろな背景もあるようだけど、中華圏ではもっとも有名で読まれた作家の一人だと言う。日本でも翻訳されている。映画化作品も多く、直接ではなくても多くの影響を世界に与えたと言える。
・ベトナムのド・ムオイ元書記長が1日、101歳で死去。90年代にドイモイ政策を進めた。
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映画「止められるか、俺達を」、若松プロの時代

2018年11月05日 23時22分01秒 | 映画 (新作日本映画)
 若松孝二監督(1936~2012)が突然交通事故で亡くなって、早くも6年近く。若松プロ再始動企画として、白石和彌監督が「止められるか、俺たちを」という映画を作った。1969年から1971年にかけての「政治の季節」を駆け抜ける若松プロを熱っぽく描いている。白石監督の「孤狼の血」を見たとき、白石監督は何でも作れる監督になったと書いた記憶がある。しかし次作がこのような映画になるとは思ってなかった。この映画をどう考えればいいのだろうか。

 若松孝二監督は晩年になって、連合赤軍事件や三島由紀夫事件など政治的テーマの映画を作った。戦争の愚かさを描いた「キャタピラー」では、寺島しのぶがベルリン映画祭で女優賞を獲得した。もう巨匠という扱いだったと思うけど、60年代にはピンク映画、つまり性的な刺激を与えるポルノグラフィーを作る監督とみなされていた。その中で斬新な表現の映画を連発し、だんだん「知る人ぞ知る」存在になっていったけど。この映画はそんな時代に若松プロに助監督として入った女性、吉積めぐみ門脇麦)を中心に描いてゆく。

 めぐみは新宿でフーテン生活をしていて、仲間に誘われたのである。そこで出会った人々は毎日毎日酒と煙草に明け暮れながら、映画や革命について熱く語っていた。そんな中で何も知らないめぐみも、足立正生監督の「女学生ゲリラ」の撮影に参加する。現場は実質的に、監督よりもプロデューサーの若松孝二(井浦新)が仕切っていた。若松プロの悩みは、政治的なテーマを入れると客が入らない、館主からクレームが来るということ。よって、時々は「やるだけ」映画を作って、その金で自分たちの映画を作るんだと言う。それでいいのかとまた皆は議論を続ける。

 その問題はこの映画にも言えると思った。最近の白石監督は、全国で拡大公開される映画を多く作ってきたが、その合間に小規模な映画も作る。今回の映画は単館上映で、客を選んでいる。僕は日本に実名で同時代を描く映画、あるいは「バックステージ」もの(舞台の裏で起こるドラマを描く演劇。ここでは映画作りそのものをテーマにする映画といった意味)が少ないのを残念に思っている。だからこの映画は面白かったんだけど、やはり「知識を持っている人向け」だと思う。

 例えば、足立正生がその後どういう人生行路をたどるか。それを知ってないと、この映画は面白くないと思う。めぐみもどうやら足立監督に憧れていたようだが、全然相手にされてない。多くの人が知ってると思うけど、足立正生は若松プロから跳躍してパレスチナの地へと飛び立ってしまった。その後獄中より帰還し、よくトークに出ているから僕も何回か話を聞いている。いかにもそれっぽい大島渚高岡蒼祐)は時々酒場で同席し、若ちゃんの製作で映画を撮るのが夢と語る。それが「愛のコリーダ」だって知ってないと面白くないだろう。

 この時代には多くの血が流れた。映画にほんのちょっとだけ「遠山美枝子」が出てくる。やがて連合赤軍に参加し、山岳ベースでの「総括」で死ぬ。後の映画、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で大きく取り上げられる。そんな一人ひとりのその後をラストに出しても良かったんじゃないか。三島事件の日に、井浦新演じる若松監督がテレビをつけると、そこに自衛隊で演説する三島の姿があった。井浦新主演で若松監督の「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」という映画がある。その映像を流せば、井浦新が井浦新を見るシーンが見られたんだけど、さすがにそれはまずいと思ったか、白石監督自身が三島を演じる映像をわざわざ作っている。

 最近の日本に関して、何だか閉塞感を強く感じている。だから50年前が輝いて見えたりもする。確かにあの頃は多くの人が世界は変えられると思っていた。しかし、こういう映画を見ると、多くの若者はやっぱり貧しかったし、未来が見えなかった。あんなにみんながタバコを吸っていた時代はよくなかったなあと思う。学生運動から組合運動を続けた多くの活動家も、やっぱりタバコを吸い続けた。肺がんなどで亡くなった人も多い。そんな時代だったんだでは済まされない。
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マイケル・ムーア「華氏119」は必見の傑作である

2018年11月04日 21時06分23秒 |  〃  (新作外国映画)
 アメリカのドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアの新作「華氏119」(Fahrenheit 11/9)は必見の傑作だ。トランプ大統領を生み出したアメリカの病根に鋭く迫った映画で、怒りと涙なしには見られない。そして日本の惨状をどうすればいいのかを嫌でも考えてしまう。そんな映画だった。

 公開直後に見ることは少ないが、中間選挙前に見たいな思った。ムーアの知名度と反トランㇷ゚というテーマから、「華氏119」は全国で公開されている。東京での単館上映でもおかしくない内容だから、早く見ないと上映終了もある。こういう政治的な映画が今後上映されるためにも、ぜひ若い人が連れ立って見に行って欲しい。見れば、これは若い人こそ見るべき映画だと判るだろう。
 (マイケル・ムーア)
 マイケル・ムーア(Michael Francis Moore、1954~)は、コロンバイン高校銃乱射事件をテーマにした「ボーリング・フォー・コロンバイン」(2002)で、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受けた。次の「華氏911」(2004)はブッシュ大統領の再選を阻止を目的に作った映画だが、なんとカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した。この映画は情報的には興味深いところもあったけど、ムーア監督が反ブッシュなのは判り切っている。結論が事前に予測できる映画は面白くない。

 その後は医療問題を扱った「シッコ」(2007)や「キャピタリズム~マネーは踊る」(2009)などが公開されたが見ていない。あまり評判にならずに、いつの間にか上映が終わっていた。それも「見なくても結論が判りそう」だからかもしれない。今回の「華氏119」も、ムーアが反トランプなのは判り切っている。だけど実際に見てみたら、ムーアの故郷、ミシガン州フリントの水道問題など、あまり日本で報道されていない問題もたくさん出てきて、今のアメリカの抱える問題がよく判る。

 ムーアが生まれたフリントは、ゼネラルモーターズ(GM)の創業地で、父はGMの労働者だった。ヒューロン湖を水源としていたが、財政が破たんしてフリント川の水源に変わったところ、水が茶色く濁るなどの被害が起き、基準以上の鉛も検出された。しかし、市は検査結果を改ざんし対策を取らなかった。一方で、GM工場だけはヒューロン湖の水に戻した。経営者出身の共和党知事は、改ざんを知りながら握りつぶしていた。ムーアは知事公邸に向かってフリント市の水道水を撒く。

 冒頭でテレビニュースがふんだんに引用されるが、党派を問わずヒラリー・クリントンの勝利を予測していた。当のトランプ自身も、敗北を予測していたらしい。そもそも立候補もジョークみたいなものだった。でもなぜトランプが勝ち、ヒラリー・クリントンは負けたのか。そこにムーアは民主党の堕落を見ている。フリントにもオバマ大統領がやってきたが、住民には失望しか与えなかった。ミシガン州はわずか1万1千票差でトランプが勝った。ほんのちょっとだけ、人々が投票に行けば結果は変わっていた。しかし、政治に失望した人々は投票に行かなかったのである。

 この映画は自分で立ち上がることに大切さを教えてくれる。ウェストバージニア州では、低賃金と馬鹿げた医療保険制度(腕に毎日の運動を記録する装置を付けないと加入できない)に怒った教師たちがストライキに起ち上る。学校で朝食と昼食を取っている多くの子どもため、スト中は教師たちが食事を作った。バス運転手など連帯ストも広がり、ついに「ジャスティス」(正義)という名前の共和党知事も教員給与の5%アップを認めた。しかし、教師たちはバス運転手と給食調理員の給与がそのままだったので、ストを継続した。「カントリー・ロード」を歌いながら人々が州議会に詰めかけ、ついに知事は全面的な賃上げを認めた。

 フロリダ州の高校で起きた銃乱射事件をきっかけに、多くの若者たちが銃規制を訴えて起ちあがったことは日本でもかなり報道されている。でも銃規制に賛成する議員たちに若者たちが詰め寄るシーンはこの映画でないと見られない。自らの顔と名前を公に出して戦う若者の勇気に、年長者も応えないわけにはいかない。選挙権の登録をする人も増えているという。そうしてみると、日本では高齢者が国会前で抗議することはあるけれど、ストライキと若者が決定的に欠けていると強く思った。日本の教師たち、若者たちは怒ることさえ忘れてしまっているのか。

 明らかにウソをばらまくトランプは、21世紀型のヒトラーだとムーアは訴えている。ヒトラーの演説を引用しながら、なかなか説得力がある。トランプはすでに再選を目指している。ジョーク交じりにフランクリン・ルーズベルトは16年やったぞ、中国の習近平は終身大統領だぞと言っている。どっちもウソだ。ルーズベルトは戦時中を理由に4回当選したが、13年で亡くなった。習近平は国家主席は2期までという規則を変えたけど、それは3期以後もできると言うだけで終身ではない。安倍晋三も2期までという党内ルールを自分で変えて、2021年まで首相をできるようにした。トランプは中国や日本がうらやましいのだろう。

*なお、華氏は温度の数え方の一つで、ドイツのファーレンハイトが1724年に考案した。その中国表記から華氏と呼ばれる。ブラッドベリの「華氏451」は紙の燃え上がる温度を指し、読書が禁じられた世界を描いた。ムーアは、恐怖社会を描く意味で使っている。「911」は2001年の同時多発テロ、「119」はトランプが大統領に当選した日である。ちなみに、華氏451度は摂氏232.77度、華氏911度は摂氏488.33度、華氏119度は摂氏48.33度である。意味はないけど。
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地方の青春、映画「ここは退屈迎えに来て」

2018年11月02日 23時15分41秒 | 映画 (新作日本映画)
 最近ずっと映画の話だけど、まだもう少し。「ここは退屈迎えに来て」という映画が公開されている。廣木隆一監督の意欲作で、とても面白かった。山内マリコのデビュー作の映画化で、富山県各地で撮影された映像がとても新鮮。映画は2004年から2013年までの時間と人物をバラバラにしてモザイク状に配置する。最初は人間関係がよく判らないけど、だんだんそういうことだったかと判ってくると、「地方」の青春の焦燥が見事にあぶりだされてくる。

 橋本愛門脇麦成田凌らの若手人気俳優が活躍しているのに、限定的な公開でもったいない。「スター映画」の趣は全然なくて、廣木監督の「作家の映画」になっているからだろう。冒頭で「」(橋本愛)がカメラマンの須賀さん(村上淳)運転の車に乗っている。東京に住んでいたけど、最近戻ってきてタウン誌の記者をしていてラーメン屋の取材に行くところ。このあと、友だちと会って高校時代に皆の憧れだった「椎名君」(成田凌)に会いに行くと言ったら、須賀も付いてくる。

 友だちのサツキ柳ゆり菜)が乗り込んでくると、自分も東京へ行きたかったとしゃべり始める。この映画はほとんどが登場人物たちのおしゃべりで、それがとっても面白い。「私」は東京で別れた彼がいたらしく、東京はそんないいとこばかりじゃないと言う。でもそれは東京へ行った人が言えることでしょ。こうしてこの映画は「東京と地方」という問題がテーマだなと思う。しかし、だんだん他の人物が出てくると、この「椎名」という男が影の主人公だと判ってくる。

 高校時代の椎名は輝いていた。クラスの人気者で下級生からも憧れられていた。「あたし」(門脇麦)は高校時代から椎名と付き合っていて、判れた今もその思い出を引きずっている。遠藤という椎名グループにいた同級生と付き合っているけど、心は離れている。「プライドのない」遠藤はいつまでもくっついていたいらしいが。一方、「私」たちは懐かしのゲームセンターがまだあるのを見て、つい寄ると、そこに同級生の「新保」(渡辺大知)がいた。高校時代「チンポ」とからかわれていたが、彼の紹介で椎名はいま自動車教習所の教官になったのだという。
 (左から椎名と「私」と「あたし」)
 大阪に行った椎名も結局は戻ってきて、思うようにならない人生だったらしい。椎名の元カノの「あたし」も同じ。高校時代にヒーローだった男の、栄光と凋落。そこに「地方でくすぶる」人生が浮かび上がる。もう一組、東京でアイドルだった「森繁あかね」と友だちの「山下南」がファミレスで時々おしゃべりしている。彼女たちの「役割」は最後に判る。いくつもののエピソードが時間を行き来して語られる。オール富山ロケの風景が効果をあげて、見ていてまったく退屈しない。

 廣木隆一監督(1954~)はピンク映画出身で長いキャリアがある。最近は商業映画のヒット作を連発していて、2017年は「PとJK」や「ナミヤ雑貨店の奇蹟」、2018年は「伊藤君 A to E」や「ママレード・ボーイ」と人気作を作った。その間に「彼女の人生は間違いじゃない」や「ここは退屈迎えに来て」のような、妥協なく日本の現実を見つめる映画を作っている。そこがすごいと思う。

 原作の山内マリコは原作通り富山県の出身。小説第2作の「アズミ・ハルコは行方不明」も蒼井優主演で映画化された。小説を読んだことはないけど、大映で映画化された源氏鶏太「青空娘」がちくま文庫で再刊されたときの解説を読んでいた。昔の日本映画ファンになって東京のあちこちの映画館に通ったとあった。僕もよく行く映画館ばかりだから、どこかですれ違ってたのかも。

 ちなみに源氏鶏太も富山県出身。正力松太郎立川志の輔が真っ先に思い浮かぶ富山県出身者も今後は山内マリコになりそうだ。(そう言えば僕の大好きな作家、堀田善衛も富山出身だった。)東京と地方という問題も語りたい気があるけど、長くなるから止めておこう。僕の実感からすれば、東京東部も「地方」のような気がしてる。
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「まぼろしの市街戦」4K版でリバイバル

2018年11月01日 22時30分02秒 |  〃  (旧作外国映画)
 1966年のフランス映画、フィリップ・ド・ブロカ監督の「まぼろしの市街戦」が4Kデジタル修復版でリバイバルされている。(東京では新宿のケイズ・シネマ。)これはいわゆる「カルト・ムーヴィー」として語り継がれる傑作で、僕も昔何回か見ている。(一回はテレビかもしれない。)改めて久しぶりに見ても、やはり非常に面白かった。でも、これはちょっと違うかなと思う点もあった。

 フィリップ・ド・ブロカ(1933~2004)は「リオの男」(1964)が世界的にヒットした監督で、「カトマンズの男」「おかしなおかしな大冒険」など、ジャン=ポール・ベルモンドが主演する娯楽映画で知られる。特にアート系の映画作家ではなく、「まぼろしの市街戦」も判りやすくユーモラスな映画である。でも、戦争の不条理を徹底的に笑っている点、愚かな軍人より精神病院の患者の方がずっと心豊かで自由に生きているという皮肉なストーリーが特にベトナム戦争中のアメリカで大受けした。

 第一次大戦末期の北フランスのある町で、ドイツ軍は真夜中に爆発する爆弾を仕掛けて撤退する。床屋がそれを聞いていて、イギリス軍(スカートを履いたスコットランド兵)に通報する。英軍はフランス語が話せる伝書鳩の通信兵フランピック(アラン・ベイツ)を派遣するが、残留ドイツ軍に発見される。逃げ回る中で取り残されていた精神病院に紛れ込んで患者の一員のふりをして助かるものの、「ハートの王」を名乗ったため患者たちから王に祭り上げられる。

 独軍はいなくなり住民も避難した町で、残されたのは患者たちだけ。病院を抜け出し、サーカスの動物たち(熊やラクダや象など)も解放し、町は狂気の祝祭空間となる。患者たちはフランピックを王に戴冠しようとするが、彼は爆弾探しが気になって仕方ない。英軍、独軍ともに無能な上官に振り回される中、フランピックを愛してしまった「娼婦」(と思い込んでいる)コクリコ(ジュヌヴィエーブ・ビジョルド)の言葉から、フランピックは爆弾の仕掛けに気付くのだった。

 そしてどうなるかは書かないけど、ここまで軍人の愚かさを笑いのめした映画も少ない。ハンバーガー少尉とかアドルフ・ヒトラー伍長(監督本人がやってる)とか、ドイツ軍の名前もふざけている。ジュヌヴィエーブ・ビジョルドは、ケベック系カナダ人の女優で「1000日のアン」でアカデミー賞にノミネートされた。米仏で活躍し、その頃はずいぶん人気があった。黄色い傘を差しながら、電線を綱渡りするシーンは素晴らしい。フェリーニや寺山修司なんかの郷愁に満ちたサーカスではなく、ひたすら明るく楽しい祝祭シーンがいっぱい。

 戦争をしている軍人の方がホントは狂っていて、精神病患者の方が心の豊かさを持っている。世の中の常識を軽やかに転倒させたことで、この映画はカルト映画として語り継がれる名作となった。公開当時は評判にならず、60年代末の「反乱の季節」に再発見されたわけである。日本の1967年キネ旬ベストテンを調べてみたら、一人だけ5位に入れた選者がいて6点で第34位になっていた。「アルジェの戦い」や「気狂いピエロ」「華氏451」「冒険者たち」なんかと同じ年である。

 引っかかるのは「狂気」の描き方。「狂気」(精神疾患)に「自由」を見出すわけだが、今では「ロマンティックな狂気観」と言うべきものだ。患者たちは牢獄のような檻に閉じ込められているが、精神的な錯乱は見られず、ただ妄想を抱いて生きているだけ。自分を公爵とか将軍と思い込んでいるところが正常ではないけど、毎日楽しくトランプをしている。しかし、実際に妄想を抱くというのは、自分の思いのままにならない人生を送っているということだ。精神的にも肉体的にも苦しい。病気なんだから当然苦しいのである。そういう現実の姿を捨てたところに成立するファンタジーで、楽しめればいいと言えばそうなんだけど、苦難の人生を送っている人も忘れちゃいけない。
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