星のひとかけ

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悲劇と夢

2003-08-20 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)

 「僕は一面に於て俳諧的文学に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈(はげ)しい精神で文学をやって見たい。」(夏目漱石の手紙・明治39年)


 維新の主役のひとりでもある土方歳三が函館で死んだのが、明治2年5月。生き残っていれば、この年(明治39年)土方72歳。漱石と同時代を生きることも可能だった。が、生きられるはずも無かった。

 日曜日、遠方から来てくれた友人とともに日野の土方歳三資料館へ行った。俳句をたしなんだ土方だけれど、辞世の句(歌)があった事は憶えていなかった。「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらん」・・・東は東京だろう。君は・・・? すでに幕府は解体して明治も2年。東京には土方の志を必要としているものなど誰もいないのに、一体何を守ると言うのだろう。ただ「誠」と「魂」に自分が背く事だけは我慢がならず、ただ自己貫徹のために死地を求めて北へ北へと向かった悲劇の終末。

 「道義の観念が極度に衰へて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。是(ここ)に於て万人の眼は悉(ことごと)く自己の出立点に向ふ。始めて生の隣に死が住む事を知る」『虞美人草』

 漱石はこのような生と死のぎりぎりの地点に立つ台詞を『行人』や『こころ』や他の作品でも言わせている。土方が剣に幾人もの人の血を吸わせて戦闘を繰り返していた時代から40年。文明開化の急激な波は、戦後の焼け野原から歩き始めた昭和の急変にも劣らない。技術と享楽を追いかけた過程で培われてこなかったのは、、、文化。それもお上が創り上げたハコものの文化ではなく。

 「悲劇は突然として起る。・・・始めて生の隣に死が住む事を知る」という台詞に、諦めはない。漱石は悲劇というカタルシスによる浄化の力を信じていた。それを受け入れる人間の知力を信じていた。漱石のいう悲劇とは、維新の志士のような現実世界で起こることとしてではなく、小説という想像力が開化した(はずの)人間の知へおよぼす作用として。
 今や悲劇はそこらじゅうで起きている。それはもう悲劇、とはいえない。

 漱石は失望しつつ、絶望しつつ、小説を書き続けた。
「(創作をする者は)夢をみるべきだとは思われませんか?」と、ことしの春に私宛に先輩からいただいた手紙にも書かれていた。ここで私が漱石とポール・オースターは似ているかもしれない、と書いていた頃のことだ。「夢をみるべきだとは思われませんか?」とは、世界の果てで見るような、どんな絶望的な夢であっても、という意味。安直ないたわりに、人を浄化し、考えさせ、先へ進ませる力は、ないから。
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