キエフから逃れようと 車でぎっしりの道路、 国境をめざす荷物を抱えた女の人やちいさな子供、 ただただ歩いていく姿を見て胸がつまる、、
昨夜は地下壕のような場所に身を潜めている夢をみました、、 わたしにできるのはそんな心配をすることだけ、、
侵攻が始まろうという時の、 西をめざすひとびとの列を見て、、
第二次大戦のナチスによるフランス侵攻を描いた ピエール・ルメートル著 『われらが痛みの鏡』を昨年読んだ時のこと 思い出してしまいました。
パリにナチス軍が近づいてきて ひとびとは一斉に南へ逃れようする。。 荷物を積んだ車、 その脇をあるく人々、 その様子が一昨日のニュースの様子と重なって見えてしまった。
国境つづきの大陸を軍隊が侵攻してくるという状況が、 島国の者にはなかなか実感できなくて、、。
戦争が主題ではないけれど イアン・マキューアンの『贖罪』ではダンケルクへ退避する兵士たちの列また列の様子がリアルに描かれていた。 ただただ歩く、 海をめざして、、 その傍らには作物の植えられた畑や田園がひろがっている。 戦場とはこんな場所なのか、、と虚をつかれた。。
でも いまの世界でこんな光景を目にするなんて。。
ルメートルの戦争三部作は、 戦争の愚かしさ、 くだらなさ、 俗悪さをカリカチュアしてみせる一方で、 登場人物たちは悲惨な状況を逆手に取るかのように ふてぶてしく、 逞しく、 生き延びてみせる。
最強の砦といわれた ベルギー国境のマジノ線もドイツ軍に攻撃され、 ルメートルの描く軍隊の司令部はあっけなく大混乱に陥る。 指揮系統もめちゃくちゃの中で 兵士もとにかく逃げる。。
、、 でも 現代の戦争は、 逃げる時間さえ与えない。。 たった一日でもう状況が酷いことにになっている。。 成人の男性は国内にとどまり国を守れというけれど、、
そうして欲しい気持ちにはなれない、、
、、 どうか逃げ延びて。 生き延びて。
それしか考えられない。
***
ワレリー・ゲルギエフさんは今 ウイーンフィルと共にNYにいるのですね。。 公演の指揮者が急遽、 カナダの指揮者に変更になったと、、
メディアでは ゲルギエフさんとプーチンとの交友関係を指摘しているけど、 マリインスキー劇場を率いているトップとしては、、。 それに 今までの言動からして ゲルギエフがこの状況を支持しているとは思えない。。 さすがに今 アメリカで指揮するのは 本人も米国にとっても 双方にとって良くないと判断しただけでは…?
このまま亡命してしまえ・・・ できるものなら。。
、、しないだろう、、
ゲルギエフさんはロシアの中から世界をつないていくよう頑張ってきたんじゃないのか、、 と私は思っているのだけど・・・
もちろんこの侵攻は世界中から非難されるべき、、
こんなことは長く続かない。 まちがっていると皆がわかっていることだもの。
ピエール・ルメートルの大戦三部作 『天国でまた会おう』『炎の色』『われらが痛みの鏡』
、、 愛するひとのもとへ みなが帰れることを……
昨夜は地下壕のような場所に身を潜めている夢をみました、、 わたしにできるのはそんな心配をすることだけ、、
侵攻が始まろうという時の、 西をめざすひとびとの列を見て、、
第二次大戦のナチスによるフランス侵攻を描いた ピエール・ルメートル著 『われらが痛みの鏡』を昨年読んだ時のこと 思い出してしまいました。
パリにナチス軍が近づいてきて ひとびとは一斉に南へ逃れようする。。 荷物を積んだ車、 その脇をあるく人々、 その様子が一昨日のニュースの様子と重なって見えてしまった。
国境つづきの大陸を軍隊が侵攻してくるという状況が、 島国の者にはなかなか実感できなくて、、。
戦争が主題ではないけれど イアン・マキューアンの『贖罪』ではダンケルクへ退避する兵士たちの列また列の様子がリアルに描かれていた。 ただただ歩く、 海をめざして、、 その傍らには作物の植えられた畑や田園がひろがっている。 戦場とはこんな場所なのか、、と虚をつかれた。。
でも いまの世界でこんな光景を目にするなんて。。
ルメートルの戦争三部作は、 戦争の愚かしさ、 くだらなさ、 俗悪さをカリカチュアしてみせる一方で、 登場人物たちは悲惨な状況を逆手に取るかのように ふてぶてしく、 逞しく、 生き延びてみせる。
最強の砦といわれた ベルギー国境のマジノ線もドイツ軍に攻撃され、 ルメートルの描く軍隊の司令部はあっけなく大混乱に陥る。 指揮系統もめちゃくちゃの中で 兵士もとにかく逃げる。。
、、 でも 現代の戦争は、 逃げる時間さえ与えない。。 たった一日でもう状況が酷いことにになっている。。 成人の男性は国内にとどまり国を守れというけれど、、
そうして欲しい気持ちにはなれない、、
、、 どうか逃げ延びて。 生き延びて。
それしか考えられない。
***
ワレリー・ゲルギエフさんは今 ウイーンフィルと共にNYにいるのですね。。 公演の指揮者が急遽、 カナダの指揮者に変更になったと、、
メディアでは ゲルギエフさんとプーチンとの交友関係を指摘しているけど、 マリインスキー劇場を率いているトップとしては、、。 それに 今までの言動からして ゲルギエフがこの状況を支持しているとは思えない。。 さすがに今 アメリカで指揮するのは 本人も米国にとっても 双方にとって良くないと判断しただけでは…?
このまま亡命してしまえ・・・ できるものなら。。
、、しないだろう、、
ゲルギエフさんはロシアの中から世界をつないていくよう頑張ってきたんじゃないのか、、 と私は思っているのだけど・・・
もちろんこの侵攻は世界中から非難されるべき、、
こんなことは長く続かない。 まちがっていると皆がわかっていることだもの。
ピエール・ルメートルの大戦三部作 『天国でまた会おう』『炎の色』『われらが痛みの鏡』
、、 愛するひとのもとへ みなが帰れることを……
大好きなピアニスト Alexander Romanovsky さんは ウクライナ出身だったな…
と思って、 今朝 いくつか検索していたら つい先日、 2月10日付のリサイタル動画が公開されていました。 フランスの auditorium fondation louis vuitton で行われたそうです。
https://www.fondationlouisvuitton.fr/fr/evenements/recital-alexander-romanovsky
PCでこのリサイタルを見ながら、 ロマノフスキーさんのピアノの音色に 別ウィンドウから 侵攻のBBCニュースの音が重なっています。。 なんて異常な世界…
年老いた指導者は 老い先が不安で、疑心暗鬼が昂じてこんなふうに愚かになるのでしょうか…
たくさんの優れた音楽家がどちらの国にもいっぱいいるのに…
ロマノフスキーさんのピアノ、、 ショパンを弾いても どこかラフマニノフな匂いのする… でも 好きです…
***
3度目のワクチンも打ったので 3月にはコンサートに行くんだ、と 先日 交響楽のチケットを取りました。。 4月にも できれば行きたい。。
毎年のGWの クラシックの祭典 ラ・フォル・ジュルネ、、 コロナ禍の影響で今後の開催がなくなってしまった、、と。。 残念なことです。。
国境を越えて、 音楽祭のためにいろんな国から演奏家が集まる・・・ サイトウキネンなどでもずっとそれが 毎年の当たり前の光景だと思っていたのに。。
いいえ、、 音楽はコロナには負けない。
こんな時は こんな密なライヴの映像がすごく素敵に見えます。 ギャーーー! って叫んでいる女の子たち、、 男の子たち、、 すごく愛しい。。
Thirty Seconds To Mars - Hail to the Victor (Official Music Video)
たとえ 以前と同じかたちにはいかなくても 時間がかかっても。。
愛しいものは いのちを強くしてくれるから。。
負けない ♡
14日と8日に書いた マイケル・オンダーチェ著『アニルの亡霊』のこと。 読後記をなんとかまとめてみます。。
『アニルの亡霊』マイケル・オンダーチェ著 小川高義・訳 新潮社 2001年
衝撃を受けた、、 感動した、、 苦しかった、、 泣いた
、、しばらく どうしていいかわからないほど、、
と14日に書いて あの後、、 頭のなかに『アニルの亡霊』の登場人物たちのことがずっと取り憑いていました。 夜ねむっている間にも なにやらそのことを考えていて、、 考えてもなにか結論に至る筈はなく、、 それくらい複雑で 容易い救いなど在り得ないのがわかっているのに、 考えずにはいられなくて… そうした日々が数日つづき…
このことが タイトルでもある《亡霊》なのだ、、と気づきました。
タイトルではアニルの、ですが 読者の心に取り憑くのは アニルひとりではありません。 アニルとは、 内戦のつづくスリランカへ 国際機関からの派遣で 政府による虐殺の実態を調査するためにやってきた法医学者の女性のこと。。 いわば、 西側諸国にすむ私たちと同じ視点の人間。。
読み終えて、 私たちの脳裡にいつまでも取り憑いて消えないのは、 アニルがスリランカでの調査で出会う人たち、 彼らの生活、 彼らの記憶、 彼らの死、 彼らの愛、、 その全ての上にのしかかる内戦という不可解。 ありとあらゆるわけのわからなさ、、。
小説の語り口は 他のオンダーチェ作品と同様に、 いく人かの登場人物の物語を断片的に挿入していくという形です。 主要な登場人物は、
アニルの現地調査に同行する、 スリランカ側の考古学者《サラス》
サラスの学問の師だという修験者のような老人《バリバナ》
アニルとサラスの調査に、遺骨の修復家として加わる《アーナンダ》
救急病院の外科医でサラスの弟である《ガミニ》
それ以外にも過去や記憶の物語に登場する多くの人物、、
、、 読み始めて最初のうちは、 スリランカの内戦が主題なのか、 アニルという女性の成長物語か、 つぎつぎに断片的に語られる登場人物がどう物語にかかわってくるのか、 なかなかストーリーが掴めずに、、 それが(8日に書いたように) 三分の一を過ぎた辺りから 一気に物語世界に吸い込まれ、、
読み終えてみると、 ばらばらにみえた登場人物の過去や、 それぞれの生き様がひとつの大きな物語世界を構築し、、 そのなかで 彼らは生身の血肉をもった人間として生き、 傷つき、、 やがて 衝撃の展開をむかえる……。 その場に放り込まれた読者は、 しばし言葉を失い、 成すすべの無い自分に放心し、 涙する。。
そうして 決して消えることの無い傷痕のように 物語は心の奥深くに突き刺さっていました。。
***
、、 読んでいる間、 そして読み終えてから、 ずっと限りない疑問が頭に渦巻いていました。 なぜ? どうして… と。
なぜ、 なんのために内戦をしているのか そのことがまずわからない。
歴史を知らないからだろうとウィキのスリランカの内戦の項をみてみても、 その記述の複雑さに 政情を理解するのは無理と諦めました。 物語のなかの記述だけを頼りに読み進め、、
法医学のアニルの調査に同行する相手がなぜ考古学者なのだろう・・・
遺骨から身元や死因を特定したとして、殺し殺される内戦下でどうやってそれが意図的な虐殺だと証明できるんだろう・・・
内戦のなかでサラスは考古学者として何をしているのだろう… 遺跡の発掘とか考古学の調査とか成り立つのだろうか・・・
テロや報復や際限のない殺し合いのなかで、ガミニはどうして医者を続けていられるのか・・・
学問とか 医学とか、 学会とか 大学とか、 そんなものがどうやって成り立っていけるんだろうか・・・
さらに、、
彼の、 また彼女の、 愛の記憶を語るのは なにを意味するのだろう・・・
なぜ彼は、 あの女性を愛したのだろう… あの愛してはいけないひとを・・・
内戦下の状況とは繋がりのない 愛の物語が語られるのはなぜだろう・・・
こんな世界で、 人は宗教とか 寺院とか 仏像とかに なにを思い なにを信じるのだろう・・・
最後の場面は、、 わたしたちに何を伝えようとしているのだろう・・・
ばらばらにみえる登場人物たちが最終的にはひとつの大きな物語世界を構築し… とさきほど書いたけれども、 この物語世界でオンダーチェさんが示そうとしたものは 何だろう・・・
こうした際限のない疑問に、 ひとつの答えを出すことなどできそうもないし、 そもそも答えられるものであれば オンダーチェさんはこれを小説という形になどしないだろう。 読み手がいだくであろうこうした疑問 全てを念頭に、オンダーチェさんはこの作品を書いていらっしゃるだろうと思うのです。
なぜ、 どうして、、という疑問は消えない。 けれども 衝撃の展開と、 ラストの場面のなかに さし示す何かがある・・・
忘れられない場面、、 悲惨な状況下であるのに 崇高さを感じる描写は いくつもありました(もっとも鮮烈に記憶に残った部分は ストーリーに重要な部分でここに挙げられませんが)
外科医であるガミニの物語はとりわけ心に残りました。 初めのほうの一部を…
ひとしきり攻撃があると一週間で鎮痛剤が底をついた。 そういうときは損得を忘れる。 苦しい叫びがあがるなかで、ただ夢中である。 いくらかでも整然としたものを大事にしたくなる―――(略) ガミニは深夜の手術を終えると東側の病棟へ歩いていった。 病気の子供がいる。 母親の姿もある。 簡便な椅子に腰かけた母親が、頭と上体を子供のベッドにもたせかけ、小さな手を握ったまま眠っているのだった。 (略) 祖国の原理だとか、所有権のプライドだとか、個人の権利でさえも、ことごとしく言い立てる者は嫌いだった。 そういう動機で行動すれば、結局は薄情な権力に取り込まれる。 自分も敵も善悪の度合いはどっちもどっち。 信ずるに足るものは子供に寄り添って寝る母親くらいしかない。 あの姿には子供に夜を越させようという優しい生命維持の営みがある。
今、こうして書いてきてみて、、
なぜだろうと上に書いたさまざまの疑問、、 内戦下の考古学とか 医学とか、 学問とか、 宗教とか、 愛とか、、
そういうものはすべて、 戦争の対極にあるものなんだ…と ふと思いました。 人間が 人間として受け継いでいける、 よりどころに出来る、、 (絶望的生活のなかでどうやってよりどころに出来るかはわからないけれど…) ガミニの言う 「信ずるに足るもの」。
母親にとっては握りしめている病気の子供の手。 この夜をなんとか越させようとする、 命を明日へつなげようとする想い。。
***
本の紹介文のところにこうあります。
内戦の深傷を負うスリランカで、生死を超えて手渡される叡智と尊厳―
ストーリーを思うと、 一瞬 なんのことだろう、、 と ちょっと不思議な感じがします。。 でも、 オンダーチェさんの「謝辞」を読んだ時に、 はっとしたことを思い出しました。
「謝辞」には 参考文献として スリランカの遺跡や美術に関する論文や、 外科医療に関する論文などが列記されていて、 そこには 小説の登場人物とおなじ《アーナンダ》や 《ガミニ》 という執筆者の名前がありました。
小説のなかの人物がその人のこと、というわけではないのかもしれません、、 論文の著者からたまたま名前を借りたということかもしれません。 でも、 長い内戦下にあっても、そのように論文を書いてのこした人がいるということに、 深い感動をおぼえました。 そのような人たちがいたから この小説は書かれたのだと。
叡智と尊厳、、 受け渡す、、 明日へつなげていく、 ということの意味を感じました。
内戦のなかで考古学や医学をどうやって成り立たせていけるのか… などと考えた私への答えがこの「謝辞」にあったのです。
そして、、 ラストの場面の意味にも・・・
***
『アニルの亡霊』の世界は スリランカというひとつの国のことではないとあらためて思う。。
先日までつづいていた、平和の祭典であるオリンピックのさなかから、、 そして今日も、、 不穏な軍事侵攻のニュースが届きます…
なんのために…
どういう理由や権限があって そんなことが許されるのだろう…
未知の感染症などという 人類共通の敵というものが現れたら、 少しは世界が協力して 人類全体を明日へつなげる努力をするんじゃないか、、と
そんなことを想ったりもしたのにな。。
人間て、、 愚かなんだろうか… 尊いものなのだろうか…
pray for peace...
『アニルの亡霊』マイケル・オンダーチェ著 小川高義・訳 新潮社 2001年
衝撃を受けた、、 感動した、、 苦しかった、、 泣いた
、、しばらく どうしていいかわからないほど、、
と14日に書いて あの後、、 頭のなかに『アニルの亡霊』の登場人物たちのことがずっと取り憑いていました。 夜ねむっている間にも なにやらそのことを考えていて、、 考えてもなにか結論に至る筈はなく、、 それくらい複雑で 容易い救いなど在り得ないのがわかっているのに、 考えずにはいられなくて… そうした日々が数日つづき…
このことが タイトルでもある《亡霊》なのだ、、と気づきました。
タイトルではアニルの、ですが 読者の心に取り憑くのは アニルひとりではありません。 アニルとは、 内戦のつづくスリランカへ 国際機関からの派遣で 政府による虐殺の実態を調査するためにやってきた法医学者の女性のこと。。 いわば、 西側諸国にすむ私たちと同じ視点の人間。。
読み終えて、 私たちの脳裡にいつまでも取り憑いて消えないのは、 アニルがスリランカでの調査で出会う人たち、 彼らの生活、 彼らの記憶、 彼らの死、 彼らの愛、、 その全ての上にのしかかる内戦という不可解。 ありとあらゆるわけのわからなさ、、。
小説の語り口は 他のオンダーチェ作品と同様に、 いく人かの登場人物の物語を断片的に挿入していくという形です。 主要な登場人物は、
アニルの現地調査に同行する、 スリランカ側の考古学者《サラス》
サラスの学問の師だという修験者のような老人《バリバナ》
アニルとサラスの調査に、遺骨の修復家として加わる《アーナンダ》
救急病院の外科医でサラスの弟である《ガミニ》
それ以外にも過去や記憶の物語に登場する多くの人物、、
、、 読み始めて最初のうちは、 スリランカの内戦が主題なのか、 アニルという女性の成長物語か、 つぎつぎに断片的に語られる登場人物がどう物語にかかわってくるのか、 なかなかストーリーが掴めずに、、 それが(8日に書いたように) 三分の一を過ぎた辺りから 一気に物語世界に吸い込まれ、、
読み終えてみると、 ばらばらにみえた登場人物の過去や、 それぞれの生き様がひとつの大きな物語世界を構築し、、 そのなかで 彼らは生身の血肉をもった人間として生き、 傷つき、、 やがて 衝撃の展開をむかえる……。 その場に放り込まれた読者は、 しばし言葉を失い、 成すすべの無い自分に放心し、 涙する。。
そうして 決して消えることの無い傷痕のように 物語は心の奥深くに突き刺さっていました。。
***
、、 読んでいる間、 そして読み終えてから、 ずっと限りない疑問が頭に渦巻いていました。 なぜ? どうして… と。
なぜ、 なんのために内戦をしているのか そのことがまずわからない。
歴史を知らないからだろうとウィキのスリランカの内戦の項をみてみても、 その記述の複雑さに 政情を理解するのは無理と諦めました。 物語のなかの記述だけを頼りに読み進め、、
法医学のアニルの調査に同行する相手がなぜ考古学者なのだろう・・・
遺骨から身元や死因を特定したとして、殺し殺される内戦下でどうやってそれが意図的な虐殺だと証明できるんだろう・・・
内戦のなかでサラスは考古学者として何をしているのだろう… 遺跡の発掘とか考古学の調査とか成り立つのだろうか・・・
テロや報復や際限のない殺し合いのなかで、ガミニはどうして医者を続けていられるのか・・・
学問とか 医学とか、 学会とか 大学とか、 そんなものがどうやって成り立っていけるんだろうか・・・
さらに、、
彼の、 また彼女の、 愛の記憶を語るのは なにを意味するのだろう・・・
なぜ彼は、 あの女性を愛したのだろう… あの愛してはいけないひとを・・・
内戦下の状況とは繋がりのない 愛の物語が語られるのはなぜだろう・・・
こんな世界で、 人は宗教とか 寺院とか 仏像とかに なにを思い なにを信じるのだろう・・・
最後の場面は、、 わたしたちに何を伝えようとしているのだろう・・・
ばらばらにみえる登場人物たちが最終的にはひとつの大きな物語世界を構築し… とさきほど書いたけれども、 この物語世界でオンダーチェさんが示そうとしたものは 何だろう・・・
こうした際限のない疑問に、 ひとつの答えを出すことなどできそうもないし、 そもそも答えられるものであれば オンダーチェさんはこれを小説という形になどしないだろう。 読み手がいだくであろうこうした疑問 全てを念頭に、オンダーチェさんはこの作品を書いていらっしゃるだろうと思うのです。
なぜ、 どうして、、という疑問は消えない。 けれども 衝撃の展開と、 ラストの場面のなかに さし示す何かがある・・・
忘れられない場面、、 悲惨な状況下であるのに 崇高さを感じる描写は いくつもありました(もっとも鮮烈に記憶に残った部分は ストーリーに重要な部分でここに挙げられませんが)
外科医であるガミニの物語はとりわけ心に残りました。 初めのほうの一部を…
ひとしきり攻撃があると一週間で鎮痛剤が底をついた。 そういうときは損得を忘れる。 苦しい叫びがあがるなかで、ただ夢中である。 いくらかでも整然としたものを大事にしたくなる―――(略) ガミニは深夜の手術を終えると東側の病棟へ歩いていった。 病気の子供がいる。 母親の姿もある。 簡便な椅子に腰かけた母親が、頭と上体を子供のベッドにもたせかけ、小さな手を握ったまま眠っているのだった。 (略) 祖国の原理だとか、所有権のプライドだとか、個人の権利でさえも、ことごとしく言い立てる者は嫌いだった。 そういう動機で行動すれば、結局は薄情な権力に取り込まれる。 自分も敵も善悪の度合いはどっちもどっち。 信ずるに足るものは子供に寄り添って寝る母親くらいしかない。 あの姿には子供に夜を越させようという優しい生命維持の営みがある。
今、こうして書いてきてみて、、
なぜだろうと上に書いたさまざまの疑問、、 内戦下の考古学とか 医学とか、 学問とか、 宗教とか、 愛とか、、
そういうものはすべて、 戦争の対極にあるものなんだ…と ふと思いました。 人間が 人間として受け継いでいける、 よりどころに出来る、、 (絶望的生活のなかでどうやってよりどころに出来るかはわからないけれど…) ガミニの言う 「信ずるに足るもの」。
母親にとっては握りしめている病気の子供の手。 この夜をなんとか越させようとする、 命を明日へつなげようとする想い。。
***
本の紹介文のところにこうあります。
内戦の深傷を負うスリランカで、生死を超えて手渡される叡智と尊厳―
ストーリーを思うと、 一瞬 なんのことだろう、、 と ちょっと不思議な感じがします。。 でも、 オンダーチェさんの「謝辞」を読んだ時に、 はっとしたことを思い出しました。
「謝辞」には 参考文献として スリランカの遺跡や美術に関する論文や、 外科医療に関する論文などが列記されていて、 そこには 小説の登場人物とおなじ《アーナンダ》や 《ガミニ》 という執筆者の名前がありました。
小説のなかの人物がその人のこと、というわけではないのかもしれません、、 論文の著者からたまたま名前を借りたということかもしれません。 でも、 長い内戦下にあっても、そのように論文を書いてのこした人がいるということに、 深い感動をおぼえました。 そのような人たちがいたから この小説は書かれたのだと。
叡智と尊厳、、 受け渡す、、 明日へつなげていく、 ということの意味を感じました。
内戦のなかで考古学や医学をどうやって成り立たせていけるのか… などと考えた私への答えがこの「謝辞」にあったのです。
そして、、 ラストの場面の意味にも・・・
***
『アニルの亡霊』の世界は スリランカというひとつの国のことではないとあらためて思う。。
先日までつづいていた、平和の祭典であるオリンピックのさなかから、、 そして今日も、、 不穏な軍事侵攻のニュースが届きます…
なんのために…
どういう理由や権限があって そんなことが許されるのだろう…
未知の感染症などという 人類共通の敵というものが現れたら、 少しは世界が協力して 人類全体を明日へつなげる努力をするんじゃないか、、と
そんなことを想ったりもしたのにな。。
人間て、、 愚かなんだろうか… 尊いものなのだろうか…
pray for peace...
火曜日のワクチン追加接種はファイザーでした。 3回ともファイザー。
(交差接種というのも経験してみたかったような…?)
副反応は 腕痛い、、 頭かるく痛い、、 眠い、だるい、、 というのが二日くらい。 だけど 発熱はまったくありませんでした、、 全然。。
あまりにもだるくて眠いので、 もし仕事に行く人だったらつらいな、とは思いましたが、 クリニックから帰って速攻で(腕が痛くなる前に)家事は済ませて 副反応さぁ来い!と 準備していたので大丈夫。。
それでも 昨日、 だるいのと熱は無いのにぞくぞくするので、 例の(先週の)ヴィンデージの輝石で ホットワインつくってみました。 桃エスプレッソカルピスというのがあったので それで割って温めたら、、 もうとろけるように甘くて美味しくて…
写真撮っておかなかったので 今日もう一度つくってみました。
ひとりでいただくには甘美すぎる チョコ&ワイン♡
… 誰かにつくってあげたくなります…
…
***
そして冬の夜 水の底で
眼を見開いた儘眠る 銀色と紅に光る魚
凍る水面に覆われて なお
いちずに真っ直ぐに 輝こうとしている光
(A.S.バイアット著『抱擁』より 栗原行雄・訳)
寒い夜に ホットワインをいただきながら読みたい御本。 いまは絶版なんて勿体ない。。 スーザン・バイアットさんの著書も もっと翻訳されればよいのに…
詩人コールリッジの詠う両性具有の魂の持ち主…
胸に鱗もつ あやかしの姫を想いながら…
(交差接種というのも経験してみたかったような…?)
副反応は 腕痛い、、 頭かるく痛い、、 眠い、だるい、、 というのが二日くらい。 だけど 発熱はまったくありませんでした、、 全然。。
あまりにもだるくて眠いので、 もし仕事に行く人だったらつらいな、とは思いましたが、 クリニックから帰って速攻で(腕が痛くなる前に)家事は済ませて 副反応さぁ来い!と 準備していたので大丈夫。。
それでも 昨日、 だるいのと熱は無いのにぞくぞくするので、 例の(先週の)ヴィンデージの輝石で ホットワインつくってみました。 桃エスプレッソカルピスというのがあったので それで割って温めたら、、 もうとろけるように甘くて美味しくて…
写真撮っておかなかったので 今日もう一度つくってみました。
ひとりでいただくには甘美すぎる チョコ&ワイン♡
… 誰かにつくってあげたくなります…
…
***
そして冬の夜 水の底で
眼を見開いた儘眠る 銀色と紅に光る魚
凍る水面に覆われて なお
いちずに真っ直ぐに 輝こうとしている光
(A.S.バイアット著『抱擁』より 栗原行雄・訳)
寒い夜に ホットワインをいただきながら読みたい御本。 いまは絶版なんて勿体ない。。 スーザン・バイアットさんの著書も もっと翻訳されればよいのに…
詩人コールリッジの詠う両性具有の魂の持ち主…
胸に鱗もつ あやかしの姫を想いながら…
8日に書いた マイケル・オンダーチェの小説 『アニルの亡霊』は、 金曜日に読み終えました。
、、しばらく どうしていいかわからないほど、、 でした。。 なんと言えばよいのでしょう…
衝撃を受けた、、 感動した、、 苦しかった、、 泣いた
なにかを書いておこうと思うのだけれど まだ どう書いていいのかわかりません。。 もう少し 考えたい… というか、 いまは考えるのをやめたいです。。 正直、 苦しい 考えるには。。
でも、
小説として すばらしい作品であるには間違いないです。 読んで良かった。 こんな力のある作品はめったに出会えない。
マイケル・オンダーチェさん、、 今 78歳。 、、さらに 新作を読みたいと願うのはむずかしいでしょうか…。 、、 あぁ でも もう少し時間をおいたら 、、 『アニルの亡霊』も再読しなければ、、 まだ わかっていないところが たくさんある気がするから。。
***
左サイドバーの音楽を替えてみました。 年が明けたら新譜がいろいろ出てきたみたいですね。。 それにしても、、 Spoonや エディ・ヴェダーの新曲に混じって、 ディランとザ・バンドの74年ライブの破壊力よ。。 この弾きまくっているギター、 ロビー・ロバートソンなんでしょう…? (吃驚)
明日、 3回目のワクチン接種です。 先に3回目を受けた知人は 38度超えの発熱が2日間だったそうです モデルナだったそうですけど…
私は ファイザー? (そういえばクリニックで聞いてない… まいいや どっちでも) 、、 というわけで 数日ダウンしてるかもしれません。。
Happy Valentine's Day ...
幸せをよぶ というダーラナホースがあまりにも可愛くて、 自分のために買ったチョコ。
ながめてるだけで 食べれません。。
もうしばらく とっておく… 笑
wishing you happiness ...
、、しばらく どうしていいかわからないほど、、 でした。。 なんと言えばよいのでしょう…
衝撃を受けた、、 感動した、、 苦しかった、、 泣いた
なにかを書いておこうと思うのだけれど まだ どう書いていいのかわかりません。。 もう少し 考えたい… というか、 いまは考えるのをやめたいです。。 正直、 苦しい 考えるには。。
でも、
小説として すばらしい作品であるには間違いないです。 読んで良かった。 こんな力のある作品はめったに出会えない。
マイケル・オンダーチェさん、、 今 78歳。 、、さらに 新作を読みたいと願うのはむずかしいでしょうか…。 、、 あぁ でも もう少し時間をおいたら 、、 『アニルの亡霊』も再読しなければ、、 まだ わかっていないところが たくさんある気がするから。。
***
左サイドバーの音楽を替えてみました。 年が明けたら新譜がいろいろ出てきたみたいですね。。 それにしても、、 Spoonや エディ・ヴェダーの新曲に混じって、 ディランとザ・バンドの74年ライブの破壊力よ。。 この弾きまくっているギター、 ロビー・ロバートソンなんでしょう…? (吃驚)
明日、 3回目のワクチン接種です。 先に3回目を受けた知人は 38度超えの発熱が2日間だったそうです モデルナだったそうですけど…
私は ファイザー? (そういえばクリニックで聞いてない… まいいや どっちでも) 、、 というわけで 数日ダウンしてるかもしれません。。
Happy Valentine's Day ...
幸せをよぶ というダーラナホースがあまりにも可愛くて、 自分のために買ったチョコ。
ながめてるだけで 食べれません。。
もうしばらく とっておく… 笑
wishing you happiness ...
書棚の中で眠っていた
2005年のアイスワイン。
たしか 2006年の私の大学卒業のお祝いにいただいたのだったかと…
凍らせた葡萄からつくるとても糖度の高いワイン。 、、赤と白の2本があって、先に白を開けて、、 でも その後 心臓の手術と長い療養があって、 赤の方は未開封のまま、、
時が経って、、、 忘れてしまっていた。。
今年、 手術から丸15年が経過したんだな、、と気づいた時、 ふっと 書棚の奥に仕舞ったままの このワインのことを思い出して 箱から取り出してみた。 それがこの新年のこと。。
瓶の内側に、 いっぱい澱のようなものが沈んでいた。 ワインについて詳しくないので、 飲めるのかどうか、 どうやったら良いのか調べて、 飲めるんだってわかったので、 、 15年経った手術日と、 その後に心臓が止まって ペースメーカーで生きつないで、、 ようやく 命の危険が無くなって一般病棟へ戻れた2月に、、
15年後の2月になったら このワインでお祝いしようと考えていました。
今朝、 封を開けてみました。 2005年産のアイスワインは まるでブランデーのようになっていました。
濃厚な薫り。 ルビー色だったはずが、 ブラウンがかって ほんとうに ワインというより ブランデー。。
美味しかったです。
まだ少し 残してありますけど、、 あまりに濃厚で しかも糖度が高いので、 チョコレートを作ってみました。。 ダークチョコレートで。
ホワイトチョコとカステラもちょっと使って。
さきほどお味見、、、
くらくらするほど、、 美味。 熟成された 大人のお味。
あとは バレンタインデーのためにとっておきます。。。
17年後の 輝石。
15周年 おめでとう…
ここしばらく、読書放浪者になっていました…
読みたいと思っていた何冊かの本を手もとに置いて読み出すのだけど、 なんだかちがう、、 別の本を、、 これも ちがう、、 こちらでもない、、 と どうしても気持ちが入りこまずに、、
それは決して本が悪いのではなくて たぶん 今の自分のせいなのでしょう。。 いくつかの気になる事、、 気にかけている友、、 ちいさな心配ごと、 頭のなかのちいさな頭痛、、
そんなときは、、 未知の作家さんよりも すでに信頼を置いている作家さんに助けをもとめよう…
、、と マイケル・オンダーチェの未読の小説 『アニルの亡霊』を先週から読み始めたのですが、、 こちらも遅々として進まなくて、、
***
オンダーチェさんは スリランカに生まれ ロンドンのパブリックスクールを経て、 カナダへ移住した作家。 『アニルの亡霊』は 初めて故国スリランカを舞台にした作品。 、、ということだけを頭に読み始めました。
、、どうやら内戦が続いているらしい、、 重い。。
政府や武装勢力や、 とても複雑な状況下にあるらしい。。 でも 政治の物語ではない おそらく。。 ある女性の物語? いや、 別の人物にも焦点があたる。。 誰かの過去が挿入される。 この人は誰? 、、どんな話なのか なかなか掴めない。 どうしようか、、
そうして 時間がかかりつつ、 何日もかかってようやく三分の一くらいまで読んだあたりで急に 物語に吸い込まれるように世界が感じられるようになってきました。 (いま後半にさしかかったところ…)
、、 投げ出さなくてよかった、、
***
彼の肩にふれた。 すっと彼の手が上がったと思うと、頭がずれて、もう寝入ったようだった。 この頭蓋、ぼさぼさの髪、疲れているらしい重みを、膝枕に受けてやる。 眠りよ、私を解き放て。 と歌の文句が浮かんだが、メロディを忘れていた。 眠りよ、私を解き放て……。
(『アニルの亡霊』 小川高義・訳 より)
前に、 オンダーチェさんの『ライオンの皮をまとって』を読んでいた時、(あのときも読んでいる途中でしたが) 印象深い文章を抜き書きしましたね。
あのとき抜き出した文章も、 男性が《寝落ちる》シーンでした。。 オンダーチェさんが寝落ちる場面が好きなのか、 私が好きなのか、、笑。
以前の『ライオンの皮をまとって』の場面の補足をします…
高架橋の建設をしている場面。。 男が一本の命綱で橋からぶら下がり、宙に浮いたかっこうで橋げたの作業をしている。 その男にしか出来ない危険な作業。
夜の現場。 ある不注意から上を通りかかった尼僧のひとりが橋から落下してしまう。 それを橋からぶら下がっていた男が片手で受け止める。 衝撃で男の肩がはずれるが、尼僧を抱きとめたまま 命綱を伸ばして地上へなんとか降り、 腕を脱臼した男は 助けた尼僧にささえられて 知り合いのいる近くの酒場へと辿り着く。 、、そのあとのシーンが以前に引用した部分。 (>>10月になりました…)
、、 前にこの《落下》につづく酒場の部分を読んだとき、、 その情景と詩的な文章があまりにも鮮烈で、 すっかり魅了されてしまい、 本を読み終えるまでずっとこの場面が頭から離れませんでした。。 落ちていく尼僧。 命綱でむすばれ下へ落ちて(下りて)いく二人。 痛みを酒でごまかして不意に寝落ちていく男。。 はっきりとは書かれていないけれども、 この場面には 恋に落ちていく匂いも漂って読む者をどきどきさせる。。
、、 どうしてこんな鮮烈な場面を思いつくのだろう…
、、 もちろん、、 オンダーチェさんが詩人でもあるから。。
さきほどの『アニルの亡霊』から引いた 《ぼさぼさの髪》の男が寝入る場面も、とても美しい場面でした。 死があり、 傷ついた肉体があり、、 不可解な謎があり、、 見通せない霧に覆われているような重い物語のなかに、 吸い込まれるような透明感のある文章があることに気づく。。 気づいたときにはもう吸い込まれている。。
20数年前、、 初めて読んだオンダーチェさんの『イギリス人の患者』の、 大火傷を負った患者のひとり語りに引き込まれる、、 あの感覚を思い出します。。 オンダーチェさんの小説がもつマジック。。 こうした詩的な言葉で魔法のように語られるイマージュは、 『ライオンの皮をまとって』の時もそうでしたが、 決して物語の主筋ではなかったりします。 でもそんなことは関係ないのです。。 ページにしてほんの数ページの場面だったりするにもかかわらず、 その人物の書かれていない過去や、 ときには一生まで リアルに感じさせてしまう、、 忘れられない鮮烈さで胸をうつ一場面。。
、、さきほどの『アニルの亡霊』の、 寝入った《ぼさぼさの髪》の男が このあとの物語でどうなっていくのか、、 どういう役回りなのか、、 それはまだなにもわかっていないのですけれど…
先を読むのが楽しみで かつ 読んでしまうのがもったいない。。 そういう小説に出会いたいがために本を読む。。
そして、 一年に一冊でも、、 一冊でいいから、 永遠に心に刻まれるような作品に出会えたら、、 それこそ 生きていることには意味がある、 と いまの私は思います。。
小説にかぎったことではなくて、、 音楽でも、、 出会う人のことでも。。
***
最初に書いた、、 ちいさな心配ごと、、 そのなかの一つ。。 或るお友だちの元気が先ほど確かめられて、、 よかった。。 ひとつクリア、、
これは先週の夜明けの星。
あさってには東京でも雪になるとか…?
風邪ひかないでくださいね。。
読みたいと思っていた何冊かの本を手もとに置いて読み出すのだけど、 なんだかちがう、、 別の本を、、 これも ちがう、、 こちらでもない、、 と どうしても気持ちが入りこまずに、、
それは決して本が悪いのではなくて たぶん 今の自分のせいなのでしょう。。 いくつかの気になる事、、 気にかけている友、、 ちいさな心配ごと、 頭のなかのちいさな頭痛、、
そんなときは、、 未知の作家さんよりも すでに信頼を置いている作家さんに助けをもとめよう…
、、と マイケル・オンダーチェの未読の小説 『アニルの亡霊』を先週から読み始めたのですが、、 こちらも遅々として進まなくて、、
***
オンダーチェさんは スリランカに生まれ ロンドンのパブリックスクールを経て、 カナダへ移住した作家。 『アニルの亡霊』は 初めて故国スリランカを舞台にした作品。 、、ということだけを頭に読み始めました。
、、どうやら内戦が続いているらしい、、 重い。。
政府や武装勢力や、 とても複雑な状況下にあるらしい。。 でも 政治の物語ではない おそらく。。 ある女性の物語? いや、 別の人物にも焦点があたる。。 誰かの過去が挿入される。 この人は誰? 、、どんな話なのか なかなか掴めない。 どうしようか、、
そうして 時間がかかりつつ、 何日もかかってようやく三分の一くらいまで読んだあたりで急に 物語に吸い込まれるように世界が感じられるようになってきました。 (いま後半にさしかかったところ…)
、、 投げ出さなくてよかった、、
***
彼の肩にふれた。 すっと彼の手が上がったと思うと、頭がずれて、もう寝入ったようだった。 この頭蓋、ぼさぼさの髪、疲れているらしい重みを、膝枕に受けてやる。 眠りよ、私を解き放て。 と歌の文句が浮かんだが、メロディを忘れていた。 眠りよ、私を解き放て……。
(『アニルの亡霊』 小川高義・訳 より)
前に、 オンダーチェさんの『ライオンの皮をまとって』を読んでいた時、(あのときも読んでいる途中でしたが) 印象深い文章を抜き書きしましたね。
あのとき抜き出した文章も、 男性が《寝落ちる》シーンでした。。 オンダーチェさんが寝落ちる場面が好きなのか、 私が好きなのか、、笑。
以前の『ライオンの皮をまとって』の場面の補足をします…
高架橋の建設をしている場面。。 男が一本の命綱で橋からぶら下がり、宙に浮いたかっこうで橋げたの作業をしている。 その男にしか出来ない危険な作業。
夜の現場。 ある不注意から上を通りかかった尼僧のひとりが橋から落下してしまう。 それを橋からぶら下がっていた男が片手で受け止める。 衝撃で男の肩がはずれるが、尼僧を抱きとめたまま 命綱を伸ばして地上へなんとか降り、 腕を脱臼した男は 助けた尼僧にささえられて 知り合いのいる近くの酒場へと辿り着く。 、、そのあとのシーンが以前に引用した部分。 (>>10月になりました…)
、、 前にこの《落下》につづく酒場の部分を読んだとき、、 その情景と詩的な文章があまりにも鮮烈で、 すっかり魅了されてしまい、 本を読み終えるまでずっとこの場面が頭から離れませんでした。。 落ちていく尼僧。 命綱でむすばれ下へ落ちて(下りて)いく二人。 痛みを酒でごまかして不意に寝落ちていく男。。 はっきりとは書かれていないけれども、 この場面には 恋に落ちていく匂いも漂って読む者をどきどきさせる。。
、、 どうしてこんな鮮烈な場面を思いつくのだろう…
、、 もちろん、、 オンダーチェさんが詩人でもあるから。。
さきほどの『アニルの亡霊』から引いた 《ぼさぼさの髪》の男が寝入る場面も、とても美しい場面でした。 死があり、 傷ついた肉体があり、、 不可解な謎があり、、 見通せない霧に覆われているような重い物語のなかに、 吸い込まれるような透明感のある文章があることに気づく。。 気づいたときにはもう吸い込まれている。。
20数年前、、 初めて読んだオンダーチェさんの『イギリス人の患者』の、 大火傷を負った患者のひとり語りに引き込まれる、、 あの感覚を思い出します。。 オンダーチェさんの小説がもつマジック。。 こうした詩的な言葉で魔法のように語られるイマージュは、 『ライオンの皮をまとって』の時もそうでしたが、 決して物語の主筋ではなかったりします。 でもそんなことは関係ないのです。。 ページにしてほんの数ページの場面だったりするにもかかわらず、 その人物の書かれていない過去や、 ときには一生まで リアルに感じさせてしまう、、 忘れられない鮮烈さで胸をうつ一場面。。
、、さきほどの『アニルの亡霊』の、 寝入った《ぼさぼさの髪》の男が このあとの物語でどうなっていくのか、、 どういう役回りなのか、、 それはまだなにもわかっていないのですけれど…
先を読むのが楽しみで かつ 読んでしまうのがもったいない。。 そういう小説に出会いたいがために本を読む。。
そして、 一年に一冊でも、、 一冊でいいから、 永遠に心に刻まれるような作品に出会えたら、、 それこそ 生きていることには意味がある、 と いまの私は思います。。
小説にかぎったことではなくて、、 音楽でも、、 出会う人のことでも。。
***
最初に書いた、、 ちいさな心配ごと、、 そのなかの一つ。。 或るお友だちの元気が先ほど確かめられて、、 よかった。。 ひとつクリア、、
これは先週の夜明けの星。
あさってには東京でも雪になるとか…?
風邪ひかないでくださいね。。
2月になりました。
今朝 なんとなく やさしい気持ちになる本を読みたくて、、 ポプリ研究家でエッセイストの熊井明子さんの懐かしいご本を開きました。 古い本なのでカバーがどこかへいってしまいましたが、 花の美しいイラストが沢山あしらわれた素敵な本です。
花の香りと、 さまざまな文学作品に登場する花のエピソードなど、 それから 熊井さんが育った信州松本市の思い出なども綴られていて、 こんな風に ご自身の研究された知識を季節に沿って いろんな文学と共にやさしく語れるのって なんて素晴らしいことでしょう。。
アイルランドの古い伝説では、タンポポは二月生まれの聖ブリジッドの花で、人々は二月二日を聖ブリジッドの日として、春を迎える祝いをしたらしい。
(『香りの百花譜』 熊井明子著 主婦の友社 1991年
現在は『新編 香りの百花譜 (熊井明子コレクション 1) 』千早書房 2010年)
きょうはアイルランドの女性聖人 聖ブリジッドの日なのだそうです。 貧しい人に小麦や乳を惜しみなく与え、 しまいには宝石のついた父の剣まで与えてしまったというキルデアのブリギッド、 父の怒りで修道院にやられたのちは、 アイルランド各地に修道院をいくつも建て、 そうしたことからアイルランドで女性唯一の守護聖人に加えられたそうです。
キルデアのブリギッド>>wiki
上記の熊井さんのエッセイにも書かれている《春を迎える祝い》 というのが 「インボルク」だそうで、 2月1日あるいは 2日に 聖ブリギッドをお祝いするそうです。 この「インボルク」の日からアイルランドでは春が始まる、 命が生まれ始める、と考えられているそうで、 もうすぐ訪れる日本の節分・立春と少し似ていますね。
インボルク>>wiki
「インボルク」のウィキにも書かれていますが、 聖ブリギッドは「太陽の光に加え、健康(医療)と鍛冶をつかさどり、芸術や収穫と家畜、自然にも関わっている」 とのことで、 「ヒツジが子を産む季節や乳に大きな役割を担っており、子ヒツジが生まれるとインボルクが近いと言われた」そうです。
英文の検索をしていたところ、 スコットランドの伝承では 「聖ブリギッドはたんぽぽのミルクで子羊を育てた」とあり、 それで たんぽぽと羊とが聖ブリギッドの象徴になったのですね。
***
聖ブリギッドを祝う「インボルク」には まだ続きがあって、 これもいくつかのサイトや本の記述で見たのですが、 聖ブリギッドに捧げる聖樹が 「ナナカマド」なのだそうです。
なるほど・・・!
昨年の暮れ、 「クイックン・ツリー」と呼ばれているナナカマドのことを書きましたね、 クレア・キーガン著の「クイックン・ツリーの夜」という短編小説に書かれていたこと (>>12月は雨とともに…) あの短編もアイルランドのお話でした。
七竈(ななかまど)= 「七回かまどで燃やしても燃えない」というくらい燃えにくい木、、 と日本では考えられていますが、 実際はよく燃えるそうで、 クレア・キーガンの小説では「ナナカマドの火にかなうものはないからな」と書かれていました。 その、とてもよく燃えて身体を暖めてくれるナナカマドの木が、 豊穣や光をつかさどる春の聖人ブリギッドに捧げられているのですね。 なるほど。。
そして 「子ヒツジが生まれるとインボルクが近い」という事も、 ナナカマドが《胎動》を意味する「クイックン・ツリー」と呼ばれていることと関係があるというわけです、、 いろいろつながっているんですね。
きょうは 春が生まれる日…
光が生まれる日…
命が生まれる日…
窓から差し込む朝陽も 日に日に力づよく 暖かくなってきましたよ。
今朝 なんとなく やさしい気持ちになる本を読みたくて、、 ポプリ研究家でエッセイストの熊井明子さんの懐かしいご本を開きました。 古い本なのでカバーがどこかへいってしまいましたが、 花の美しいイラストが沢山あしらわれた素敵な本です。
花の香りと、 さまざまな文学作品に登場する花のエピソードなど、 それから 熊井さんが育った信州松本市の思い出なども綴られていて、 こんな風に ご自身の研究された知識を季節に沿って いろんな文学と共にやさしく語れるのって なんて素晴らしいことでしょう。。
アイルランドの古い伝説では、タンポポは二月生まれの聖ブリジッドの花で、人々は二月二日を聖ブリジッドの日として、春を迎える祝いをしたらしい。
(『香りの百花譜』 熊井明子著 主婦の友社 1991年
現在は『新編 香りの百花譜 (熊井明子コレクション 1) 』千早書房 2010年)
きょうはアイルランドの女性聖人 聖ブリジッドの日なのだそうです。 貧しい人に小麦や乳を惜しみなく与え、 しまいには宝石のついた父の剣まで与えてしまったというキルデアのブリギッド、 父の怒りで修道院にやられたのちは、 アイルランド各地に修道院をいくつも建て、 そうしたことからアイルランドで女性唯一の守護聖人に加えられたそうです。
キルデアのブリギッド>>wiki
上記の熊井さんのエッセイにも書かれている《春を迎える祝い》 というのが 「インボルク」だそうで、 2月1日あるいは 2日に 聖ブリギッドをお祝いするそうです。 この「インボルク」の日からアイルランドでは春が始まる、 命が生まれ始める、と考えられているそうで、 もうすぐ訪れる日本の節分・立春と少し似ていますね。
インボルク>>wiki
「インボルク」のウィキにも書かれていますが、 聖ブリギッドは「太陽の光に加え、健康(医療)と鍛冶をつかさどり、芸術や収穫と家畜、自然にも関わっている」 とのことで、 「ヒツジが子を産む季節や乳に大きな役割を担っており、子ヒツジが生まれるとインボルクが近いと言われた」そうです。
英文の検索をしていたところ、 スコットランドの伝承では 「聖ブリギッドはたんぽぽのミルクで子羊を育てた」とあり、 それで たんぽぽと羊とが聖ブリギッドの象徴になったのですね。
***
聖ブリギッドを祝う「インボルク」には まだ続きがあって、 これもいくつかのサイトや本の記述で見たのですが、 聖ブリギッドに捧げる聖樹が 「ナナカマド」なのだそうです。
なるほど・・・!
昨年の暮れ、 「クイックン・ツリー」と呼ばれているナナカマドのことを書きましたね、 クレア・キーガン著の「クイックン・ツリーの夜」という短編小説に書かれていたこと (>>12月は雨とともに…) あの短編もアイルランドのお話でした。
七竈(ななかまど)= 「七回かまどで燃やしても燃えない」というくらい燃えにくい木、、 と日本では考えられていますが、 実際はよく燃えるそうで、 クレア・キーガンの小説では「ナナカマドの火にかなうものはないからな」と書かれていました。 その、とてもよく燃えて身体を暖めてくれるナナカマドの木が、 豊穣や光をつかさどる春の聖人ブリギッドに捧げられているのですね。 なるほど。。
そして 「子ヒツジが生まれるとインボルクが近い」という事も、 ナナカマドが《胎動》を意味する「クイックン・ツリー」と呼ばれていることと関係があるというわけです、、 いろいろつながっているんですね。
きょうは 春が生まれる日…
光が生まれる日…
命が生まれる日…
窓から差し込む朝陽も 日に日に力づよく 暖かくなってきましたよ。