星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

颯爽としたポペルカさん: 第2031回 N響定期公演

2025-02-10 | LIVEにまつわるあれこれ
代々木公園近くの街路では 梅の花がほころんでいました。

先月につづいて 今年2度目のNHKホールへ… 大寒波と言われていた日曜日は、 風がやや冷たかったけれども 肌を照らす陽射しには確実に春の気配がかんじられました。

第2031回 NHK交響楽団 定期公演 Aプログラム
指揮:ペトル・ポペルカ

ツェムリンスキー/シンフォニエッタ 作品23
R. シュトラウス/ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調 作品11
 ホルン:ラデク・バボラーク
アンコール ピアソラ/タンゴ・エチュード - No.4 "メディタティーヴォ"

ドヴォルザーク/交響詩「のばと」作品110
ヤナーチェク/シンフォニエッタ




先月のソヒエフさんに続いて とっても聴きたかった指揮者さんポペルカさんの公演に行けて大満足の一日になりました。 

プログラムはチェコ出身のポペルカさんらしい楽曲、ということで クラシック素人の私にはどの曲も初めての曲ばかり。 それぞれの細かな感想は書けませんので おおざっぱに思い出をまとめておきましょう…

指揮者のポペルカさんは 東響さんの公演を見逃して以来、 動画でときどき拝見しては(あぁ 見ておけば良かったな~)と思っていました。 あれよという間に有名な指揮者さんになってしまわれ、、 先日のノーベル賞記念コンサートでも堂々たる指揮ぶりをみせていらっしゃいましたね。

お写真では(動画でも上半身が映るので) お髭もあってとても貫禄ある体格のかたかと想像していましたが、 登場なさる姿は思いのほかすらっとしていて、 颯爽としていらっしゃる、、

指揮ぶりはとても躍動的で、 (なるほどまだ39歳!若々しいのも当然)と思いました。。 左右へ身体を大きく傾けて弦さんに伝えたり、 大きく身を伸ばして打楽器や管へ指示をとばす、、 丁寧で的確な動きは先月のソヒエフさんにも似た感じで すぐに(わぁ素敵!)と魅了されてしまいました。

最初と最後をシンフォニエッタという 管楽器の目立つドラマ性のある楽曲ではさんでいて、、 そちらの多彩なパートが躍動する演奏もすごかったのですが、、

一番聴き惚れたのは ドヴォルザークの「のばと」。 楽曲解説を読むと死や殺人とか おそろしい感じのドラマが描かれているのですけど、、 静けさのなかに哀愁ある音色を丁寧に響かせて、、 ポペルカさんの指揮にもなんだかすごく気持ちがこもっているように見えて、、 メロディがふわっと消えていくところをすごく大切に示しておられた…

、、なんですけど、、 私の席は3階席。。 前にも思ったんですけど、 NHKホールって広さのせいか造りのせいか、《無音》にならないんですよね、、 私の席の加減か 空調の風のような音もつねにしてて、、 せっかく微細な音色をふわっと漂わせて演奏されているのにそこがうまく伝わって来ない… (あぁ~ミューザでこれを聴きたい… ポペルカさんの指揮をガン見しながら繊細な音に浸りたい…)と思ってしまいました。。 きっと震えるほど美しい響きであるはず… やっぱり東響さんとの公演を見逃したのが悔やまれます、、 東響さんとの演奏もぜひぜひ再び、、と。

ポペルカさんは現在引く手あまたな事からも分かるように、 本当に優れた指揮者さんなのだと思います。。 だからこそ、 というか 願わくば、 N響さんでも 東響さんでも、 客演首席指揮者のような形で楽団とのリハを重ねて、 会場と楽曲のプログラムの相性なども理解していけば もっともっと精度の高い演奏になるはず… と、 (めちゃめちゃ身の程知らずなんですけど) 勿体無く思えるハーモニーの雑さというか、 足りなさ、みたいなものが残りました。

 ***

ヤナーチェク、、 と聞いて プログレ好きのお兄さまが教えてくれた、、 エマーソン・レイク・アンド・パーマーが「シンフォニエッタ」をアレンジして歌入りで演奏しているという曲…
 Emerson, Lake & Palmer - Knife-Edge (Official Audio)

、、 笑 、、 相変わらずキース・エマーソンさんのオルガンは脳に突き刺さります…  私はELPにはハマった記憶はないのですが、、 昨日の公演にはその同世代とおぼしきおじ様がたがずらっと休憩中の廊下に列をなしておられたのはそのせいもあったのでしょうか…?

 ***

ともあれ、、 ポペルカさんのきびきびした指揮にはすっかりファンになりました。 プログラムもこういう有名曲ではない、 その国の個性や民族性を感じられる楽曲にはもっと触れてみたいです。。 ん~でも、 ポペルカさんもソヒエフさんもサントリーホール(あるいはミューザ!)のサイド席からじっくり観てみたい… いつかかならず、、


まだまだ 元気でいないとぉーー


そうそう、 先月のソヒエフさん&N響さんの公演が 2028~2030回まで全部 「ベストオブクラシック」と「N響演奏会」で聴くことができます。 今週だけなので私も毎日繰り返し聴こうと思っています… ♪


今週も 素敵な週になりますように



もうすぐ暖かくなるね… 

美しさに秘めたもの…:トゥガン・ソヒエフ指揮 N響第2028回 定期公演 Aプログラム

2025-01-22 | LIVEにまつわるあれこれ
今年最初のお出かけは NHKホールへ。




トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK交響楽団
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」


(いつものように クラシック素人の日記です)

昨年の1月、 ソヒエフさん&N響の演奏を初めて聴いて、 「カルメン」と「ラ・ヴァルス」に感極まって、すぐに次週の「ロメオとジュリエット」にも行くことにして…

あれから1年。 再びソヒエフさん&N響の演奏を体験するのをとても楽しみにしていました。 A、B、Cの各プログラムが発表された時、本当にどれに行くか迷ったのですが、 やはり 今のこの情勢下でソヒエフさんが指揮をなさるのなら「レニングラード」を聴きたい、と。。

ショスタコーヴィチについても 歴史についても詳しくない私が「レニングラード包囲」について知ったのは、 以前に書いた小説『包囲』ヘレン・ダンモア著(読書記>>)を読んでから、のことでした、、 あのときはまだロシアのウクライナ侵攻は起きていなかった。

2022年2月になって、 いろんなロシアの音楽家たちが自分の態度を明らかにすることを迫られて、、 私は当時まだソヒエフさんの事をよく知らなかったけれど、 昨年の公演での誠実かつ熱情あふれる指揮ぶりを拝見してから 現在のソヒエフさんが「レニングラード」という曲をどんな想いで演奏なさるのだろう…と 関心の一方で不安のような感じも抱いていました。 だから前回の日記から繋がるのですけど、 ゲルギエフ氏が振った「レニングラード」の事を想ったりして、、 前日まで緊張してたのです…

 ***

感想を… 先にひと言で言ってしまうと、、 「美しかった~!」

こんなにも美しいところがいっぱいの曲だったんだ… という思いと、 ショスタコーヴィチの現代っぽさというか新しさも随所に感じられましたし、、 弦楽器の美しさには涙しそうに感動しましたし、 管さんのソロパートもみな素晴らしかった。。

ソヒエフさんの導き出す7番には、 悲劇や恐怖やあるいは戦意高揚のような激しさよりも、 人間の営みのドラマとか喜びとか やすらぎとか力強さ、、 そういったもののほうを感じた気がします。

第一楽章の戦争の主題のあとの阿鼻叫喚のような混沌の旋律になっても 音色はそれぞれがとても澄みわたっていたし、 第三楽章のあの鞭が出てくる辺りは すごくシンコペーションを効かせていて、 こんな現代っぽい音楽をショスタコーヴィチは随所に忍ばせていたんだなと気づかされましたし…

もちろん美しいばかりではなくて、 管さんのソロの時には もうひとつの別の旋律が聞こえて、 明と暗のふたつの別々の音楽が流れていると感じるところも幾つもあって、、

最も恐ろしかったのが、 第一楽章の小太鼓さんが入ってくるところで、、 他の指揮者さんの動画も見ていたのですけど、 多くは タタタ・タン! と跳ね上げるようなリズムで、 踵を打ち鳴らして行進するパレードのような印象を受けるのですが、 今回は 極めて静かに平板に タタタタ… とほんとに小さく鳴らされていて、、 その前の日常の楽し気な情景と重なるようにそれが始まって、、 まるで遠くに聞こえる銃声? と一瞬耳をそばだてるような、、 それが背筋が寒くなるほどぞっとして怖かったです。

だから 先ほどの二重の音楽と同様に、 日常と恐怖は隣り合わせなのだろうし、 最終楽章の高まりはどちらがどちらに勝利したという壮大さではなくて、 人の暮らしの回復、 ふたたび自由な日々を取り戻すことを諦めないこと、、そういう力強さなのだろうと… そんな風に感じていました。

 ***

昨日、 N響のサイトにソヒエフさんのインタビュー動画があったのを知り、 それを見て いろいろ成程と思いました。 第二次大戦の音楽、というだけではない、 我々が歴史から学ばなければならない「注意喚起」というソヒエフさんの言葉、、
 https://www.nhkso.or.jp/concert/202501A.html?pdate=20250119

ソヒエフさんがロシアの侵攻で ロシアとフランス双方の楽団を辞任した、という経緯をちゃんと読んだ記憶がなかったので、 あらためてその時の記事とソヒエフさんの声明を読みました。
 ソヒエフがトゥールーズ・キャピトル管とボリショイ劇場の音楽監督辞任(ぶらあぼ)
 トゥガン・ソヒエフからのメッセージ(KAJIMOTO)

、、どちらかの側に立つ、 どちらかを選ぶ、、 それが出来ないから両方を辞任する、、 その選択はとてもつらいものだったでしょう。。 でも私たちはそういう時、選択を迫るのですよね 態度を明らかにしろと。。 一市民、一観衆、、という立場でさえ。。 その恐ろしさ。。

前回の日記にも書いた藤田嗣治。 フランスで成功すれば非国民のように言われ、 帰国して従軍すれば、 戦争画を描いて戦争に加担したと糾弾される。。 同じようなことが今後 世界の音楽家に起こらないように、、と思います…


戦争は日常の顔をしてやってくるものだし、、


ファシズムは大衆とともに生まれるものなのだから、、


怖ろしさは私たち自身の態度のなかにもあるのだと… ソヒエフさんの仰る「注意喚起」という言葉に気づかされました。

 ***

ソヒエフさんとN響さんの誠実かつ熱意あふれる演奏 すばらしかったです。 できれば全プログラムに行きたかったです。 TV放映からじるらじるで聴けたらいいな、と願ってます。


ソヒエフさん 来年の1月もいらっしゃるかしら。。 できればサマーミューザなどでもあの笑顔にお目にかかりたいものです… ♪

見事な日本デビュー♪:パヴェウ・カプワ指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 

2024-12-01 | LIVEにまつわるあれこれ
昨日 11月、二度目のサントリーホール。

前回まだ見れなくて残念だった アークヒルズのクリスマスツリーも飾られ、 ホールの内部もキラキラに輝いてクリスマス気分でした … ☆ …





 ***

パヴェウ・カプワ指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 
第766回東京定期演奏会 11月30日

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83
 ピアノ:セドリック・ティベルギアン

シューマン:交響曲第2番 ハ長調 op.61



ポーランドの若手指揮者パヴェウ・カプワさんの日本デビュー公演。 行って良かったです。 これまでに見た日フィルさんの公演のなかで一番良かった!

指揮者カプワさんを発見したのは偶然でした。。 
今夏、とある曲目について知りたくて動画をみていたら、 それを指揮していたのがカプワさんでした。 なんとなく好印象だったので、(この若い指揮者さん、どなただろう…)と検索したら ちょうどその頃、日フィルさんの定期公演で沖澤のどかさんがご出産のために降板され、 その代役でカプワさんが決まったというアナウンスが出ていたのでした。

指揮者カプワさんの日本デビュー公演とのこと。。 そのような機会はめったに無いので これは神さまが〈見に行っていいよ)とあたえてくれたものと思って早速チケを…

指揮者カプワさん、 オケを操る技量のある、とてもリズム感の良い(指揮者さんだから当たり前ですけど…)堂々とした指揮ぶりでした。 やっぱり良い指揮者さんは身体が激しい動作にもぶれずに ご自身の狙う曲想にむけて的確な指示をなさいますね。

ピアノのティベルギアンさんのほうを余り見ないのに、 しっかりとピアノとオケのタイムングを把握されていて、 ティベルギアンさんもじっくりとオケの演奏をうかがいながら弾いていらっしゃるのが印象的でした。

日フィルさんの弦は本当に綺麗でした。 金管、木管さんが 楽章の抑揚や情感に合わせたもう少し繊細な音色であれば、、と思う部分もありましたが、 初めての指揮者さんの初めての日本のオケとの共演としては素晴らしいものだったのでは、、と 今回の公演を観ることが出来てとても良かったです。

ブラームスの演奏後、 カプワさんとティベルギアンさんが二人ならんで 一緒になってオケの各パートさんを笑顔で称えていらしたのが素敵でした。 

後半のシューマンについては また時間ができたら追記するかも…。 メリハリある速いテンポの第一、第二楽章よりも、 しっとりと聴かせた第三楽章が一番よかったです。 やはり日フィルさんの弦楽器は美しいです。



 ***

今日から12月です。 忙しい月ですね。



街も華やかになりますが 心も華やかに…(できるだけ…) 今年の総決算と来年への展望を心に・・・


よい月にしましょうね











アンドリス・ネルソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 11月16日サントリーホール

2024-11-20 | LIVEにまつわるあれこれ
17日に(また書きます)などと書いて… それから日一日と過ぎていく中で、 私などには何も書けないと思い至りました…ほんと (^ ^;

前回2020年、ゲルギエフさん指揮のウィーン・フィルが初めての体験(そのときの日記>>) あのときに《これは魔法》だとか《楽器じゃない美そのもの》とか書いてますが じつは今回すこし怖かったのです、、 あのときそんな風に感激していたことが(あれ?そうでもない…)なんて醒めてしまったらどうしよう…と。。

今回は曲目で行く日を選びました。 マーラーも 「英雄の生涯」も聴きたかったけれど、 英雄の生涯は東響さんでのニキティンさんの演奏の思い出をまだ取っておきたかったし…
今回の3曲とも とても美しい曲ばかりなので(これらがウィーン・フィルで聴けるなんて)と楽しみにしていました。



ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ 編曲):オペラ『ホヴァンシチナ』第1幕への前奏曲「モスクワ河の夜明け」
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 作品70

ドヴォルジャーク:交響曲第7番 ニ短調 作品70(B 141)


アンドリス・ネルソンス指揮 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


〈アンコール〉
ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『我が人生は愛と喜び』作品263
J.シュトラウスⅡ世:『トリッチ・トラッチ・ポルカ』作品214



どの曲が、、 どのパートが、、 などと本当に何か言えるような知識も耳も持っておりません… ただ前回同様、 (ウィーン・フィルだから)という思い込みはせず まっさらな状態で聴こう… そう思って、、

だけどやっぱり驚きました。。 《魔法?》とは思わなかったけれど、 楽器を聴いているという感覚が全然しないのです。 ベルリンフィルの時にも書いたけれど、 とつぜん音楽が湧きあがってくるのです、、(ジャーン)と奏でられるという表現では無くて、 ネルソンスさんの指揮とともに《音楽がそこに現れる、存在する》、、、なぜ??

弦の艶 とかいう表現も、もはや弦の気配すらしない、、 美しい音楽がそこに在る。。 フルートさんとかも ふっと息を吹き込むそういう気配というのが大抵感じられると思うのだけど、純粋な《音》しか出てこない、、音というか《色彩》みたいなもの。。 例えば、森の中で小鳥のさえずりを耳にする時、 小鳥のくちばしとか呼気とかの気配などせずに、空間に《声》だけが立ち現れるでしょう…(あ、鳥!)って。。 それと同様、ピッコロさんの音色なども楽器じゃない、、声?鳥? そんな感じ。

そういうことが不思議でふしぎで、、。 
それで サントリーホールの公式Xに、今回の公演のマーラーの動画が載っていたので(こちら>>)、ウチのわりと良いイヤホンで聴いてみたのです、、たしかに迫力ある美しい演奏なんですけどやっぱりこれは〈演奏〉として感じられる、〈楽器〉として聞こえる、、ホールで感じたのと全然違う、、 なぜ?

空気を伝わってくる波動とか、 楽器相互の配置とか共鳴とかホールの奥行とか、 音の周波数をこちらの耳だけでなく肉体全部が受けとるその響きとか、、 《生》で体感することの特別さが不思議でならなかったです。。

「モスクワ河の夜明け」の弦とチェレスタの煌めきや、 
ショスタコのフルートやピッコロの色彩、、 手でシンバルを持って奏でた時の《光》そのもののような音色、、

ファゴットさんのソロは なんだかホルンかと思ってしまうような艶があったし、、 そもそも 木管楽器と金管楽器の音色の区別がつかないような、、 どちらかがどちらかに少しずつ近寄って、それですべての音が一体化して《交響曲》というひとつの壮大な《色彩》というか創造物が湧き上がってくる、、 そういう感覚は後半のドヴォルジャークでも強く感じました。

ネルソンスさんの指揮はとても繊細できめ細かい指揮をなさっていて、、 へんな喩えですけど まるで砂絵で曼陀羅を描くような感じで、 両手で大気中の音をうごかして そうすろことで壮大で美しい《交響曲》がそこに生まれる… う~ん、やっぱり《魔法》をそこに見ているような気がしていました。。

ネルソンスさんは一見、 とてもお疲れのように見えました。 ツアーはほぼ毎日、 各地を巡っていらして、 それも3種類のプログラム。。 失礼な言い方ですけど、ウィーン・フィルほどの楽団であれば(それに何度もリハもされているのだし) ネルソンスさんの本番の指揮が少しくらいお休みしても たぶん素晴らしい演奏が自然となされるものなのでは…? そう思うものの、 演奏が始まると ネルソンスさんのお疲れの様子も消え失せ、 前傾姿勢になってもの凄くキメ細やかにオケを操る、、 オケの皆さんも食い入るようにネルソンスさんを見つめて 身体をうねらせて身体じゅうを楽器にするような音を奏でる。。 連日演奏して来られて それでもこんなに集中している、、 そのことにとっても感動いたしました。。 心から演奏することが好きで、 音楽を奏でる喜びを感じておられる、毎日でも、、。 そういう姿勢に感じられました。

アンコールでもそのことは存分と。。 ネルソンスさん、とってもノリノリで楽しそうに、、 本当にニューイヤーコンサートそのもののあの愉しさを 私たちにプレゼントしてくださいました。 もう感謝、しあわせ、、 感動、、よろこび、、 いっぱいです。

でもネルソンスさん、 きっとお疲れだったと思います。 片手を指揮台に乗せて身体を支えるよう.にしてらしたし、、 帰国なさったらゆっくり疲れを癒していただきたいです。




とても美しく幸せな時間でした…  ** °˖✧。*✧。***


感動の背後に…不穏と、不安…:クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 名曲全集第200回/川崎定期演奏会第97回

2024-10-18 | LIVEにまつわるあれこれ
  ** 10/14 記 **

昨日は先週につづいて クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回を聴きに行ってまいりました。 

感想はまた前回とまとめてあらためて書こうと思いますが、 取り急ぎ 思いつくことだけ書き留めておきましょう… (いつものようにクラシック素人の感想です)

ウルバンスキさんの振るショスタコーヴィチは 2019年の東響さんとの4番を聴いていますが、 あの春の日のサントリーホールからの帰り道の、 緊張の余韻がずっと残ったままの 心臓のどきどきが治まらない苦しいような心地良さを今でも思い出します。

昨日のミューザからの帰り道では、 (あぁ ウルバンスキ氏が振るこの6番を、 5番でも10番でもなく6番を 東響さんとの演奏で聴けたのは本当に良かったな…)と とても貴重な演奏を聴くことが出来た感慨でいっぱいでした。

来期、 東響さんのラインナップにウルバンスキ氏がいなかったのは 多忙になる氏のことだからと納得していたのですが、 まさか都響で振ることになっているとはとてもびっくりしました。 都響で振ることになるのは5番。 この意味については今感じていることがやがて明らかになるのでしょう… 来年の5月、、 あっという間です。。 聴くことができると良いのですけれど…

 ***

前半のラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 たしかこの春のニコ響さんでも同曲を視聴させていただきました。 あの時の演奏も素晴らしかったですが、 またあの時とは全く異なる情感の2番でした。

デヤン・ラツィックさんの粘りやうねりのある変幻さを持ったピアノ、 (同行の友人がプログレファンだったこともあり わかる人にしかわからない喩えなんですが) ピアノ界のエイドリアン・ブリュー♪という表現に大きく頷いでしまった私。。 ウルバンスキさんとのコンタクトも的確、、(ウル氏もプログレファンみたいですし…)

前半、後半とも 東響さんのオケの各パートさんには感動しきりでした。 通して感じていたのは 東ヨーロッパの音色、、 ロシアでもない 西側ヨーロッパでもない、、 東欧の音色。 震えるような 揺らぐようなフルートさんの不安を誘う音色や、 憂いをおびた木管陣の音色や、、 

いつもながら見事なティンパニさんの音色が ピアノの打音(⁉)になっていたことも衝撃的な感動でした。

そして微細に 幽かに 消え入る寸前でふるえつづける弦の哀しさや、、


ウルバンスキ氏に導かれた東響さんの名演と ラツィックさんとの競演で、 今回の2曲が聴けたことは またずっとずっと忘れないでしょう。。



20日(日)までニコ響さんで視聴できることも嬉しいかぎりです。 また感動を再確認したいと思います。



三連休最終日、 どうぞよい休日を…




  ** 10/16 追記 **

東京交響楽団 名曲全集第200回 10月5日
 指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ

コネッソン:輝く者-ピアノと管弦楽のための
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
 ピアノ:小林愛実
アンコール:シューマン 子供の情景より「詩人のお話」

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」


小林愛実さんのピアノを生で聴くのは初めて。。 ショパンのしっとりと聞かせる印象が強かったので、 今回のような緩急の変化の激しい曲を聴くのは楽しみでした。 私はピアノの技術のことは何もわかりませんが、 愛実さんが沢山のリサイタルやオケとの共演を続けられる中で、 このコネッソンの激しい曲とラヴェルの2曲というのはなかなかチャレンジングな曲目だったのではないでしょうか…

ラヴェルはやはり、 愛実さんの奏でる第二楽章の ゆったりとした実に叙情的な部分がいちばん愛実さんのピアノには合っている気がして、、 また、第二楽章の表現力があまりに際立っていて、 第一、第三楽章では時にジャズのように大きく揺れ動くピアノとオケとのタイム感が 少し合っていない感じが多々あって、 ウルバンスキさんもタイミングを合わせようとしていた様子が感じられました…

アンコールのシューマンの抒情性は愛実さんの真骨頂のように思えました。

ところで、 (帰宅後)パンフレットを読んで知ったのですが、 この曲はラヴェルの母方のルーツであるスペイン、バスク地方の音楽を取り入れているということで、、あぁ なるほど、 冒頭のムチの一擲から始まる疾走感とか、 あの異国風の雰囲気はバスク、から来ているのですね。。(個人的に はつい先日、バスクの作家さんの読書記を書いたばかりだったので、 バスク繋がり! と嬉しくなりました。

後半の「展覧会の絵」
、、この夏 あぁ次回はミューザでこれを聴くのね、と思っていた頃、 ウクライナとロシアの間で越境攻撃が始まり、 プーチンが核をも辞さない などと言い始めたこともあり、 (これを聴く頃、キーウが破壊されてしまっていたらどうしよう…)と考えたりしていました。 今期のプログラムが発表された当初には、 (これが演奏される頃、もう戦争は終わっていたらいいな…)とも思いましたし、、

この日、 出掛ける前には 最晩年のマルケヴィチがN響さんを振る演奏を見ていました。 キレッキレの「展覧会の絵」、、 あの緊張感のある荘厳な演奏もとても好きなのですが、 たぶんウルバンスキさんは全く違う感じでなさるのでは…? とも思っていました。 

想像通り、 というか 想像していなかったほど 人間味のある、いろいろな絵をウルバンスキさんは見せてくださいました。 この曲が 友人の画家ハルトマンが見た旅先の風景であるということ、 その画家はすでに故人となっていて、「展覧会の絵」はじつは「遺作展の絵」なのだということ、、 今まで解説のなかでだけ理解していた事を、 初めて音としてありありと感じ取ることが出来ました。

冒頭のファンファーレのようなプロムナード。 思い切りの良いトランペットの響きは、 今は亡き友人の回顧展がとうとう開かれる、 そこへやって来たよ!という感動と高揚感なのだと気づきましたし、、

イタリアの古城のおごそかな佇まいや、 公園で遊ぶ子供たちの姿、、 市場の喧騒、、 東響さんの各パートさんの丁寧な演奏によって ほんとうに絵がうかぶ感じがしました。 

そして、 バーバ・ヤーガからキエフの大門にかけて、、 非常にゆっくりと想いを溜めるように、 それから いきなり大音響になるのではなくて 何度も 何度も こみ上げてくるように音楽が湧き上がってくる演奏には こちらも感慨がこみあげて来るようで涙が出そうでした。 

今回、 ウルバンスキさんの「展覧会の絵」を聴いて、 これが亡き友をしのぶ「回顧展」を歩いている、という意味を実感として音の中にしっかりと感じられましたし、 それと同時に現在のかの地を思い、 かの地への「祈り」のような意味もあるようだと、 最後にステージの左右から鳴り響く鐘の音を聴きながら 感じていました。 素晴らしい演奏でした。
 


定期演奏会について つづきはまた、、



 ::** 10/18 追記 **

東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回 10月13日
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18
 ピアノ:デヤン・ラツィック
アンコール:ショスタコーヴィチ 3つの幻想的舞曲より2.Andantino.

ショスタコーヴィチ:交響曲 第6番 ロ短調 op.54


クロアチア出身のデヤン・ラツィックさんが弾く、 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 大好きな曲ですし とにかく沢山の名ピアニストさん達が演奏される曲。 弾くのがとても難しい曲、と言われていますが…

今回聴いた第2番は ピアノばかりでなく音楽としての美しさを強く強く感じました。 なにか壮大な映画の名場面が迫って来るような…。 そんな大雑把は言い方ではうまく表せませんが、テンポは極めてゆっくりと、 微細な音も、超速弾きの部分もあくまでメロディの美しさを確かめるように、、

この楽曲の、どこか異国風の(ロシア的でない)旋律、、 オーケストラ全体の演奏と共に、 古代ローマとか、むしろ西アジアを想わせるような(?)情景をともなって美しく脳裡に広がってくるようで、、 自分でもとにかく不思議でした。 あとでラフマニノフ自身が弾いたこの曲も聴いてみたのですが、、コロコロキラキラとめくるめく速さで奏でられるピアノの音を追うことに耳が傾いて、、(思い込みかどうかはわかりませんが) 眼を閉じるとちゃんとサンクトペテルブルクの冬のような光景が感じられる…  とっても不思議。。(小さい頃からレコードを聴くと風景を感じてしまうのは自分でも何故だかよくわからないけど…)

ラツィックさんのピアノは 大きく溜めが入ったりして、 ウルバンスキさんが身体を斜め後ろに傾けてピアノを窺っている様子が何度もありましたが、 それが不安定なリズムの揺らぎではなくて、 なんと言うんだろ… 音楽的な揺らぎで 聴いていても不安定さは全然なくて…

この曲をラツィックさんは、 2008年にキリル・ペトレンコさんの指揮でライブCD録音をされていて、 そちらの方も聴いてみました。 こちらも素晴らしく情感豊かな演奏で、 最終楽章、ペトレンコさんがオケをぐいぐい引っ張って行くのに対して、ラツィックさんの溜めのピアノが少し遅れてついていく感じも、これもまた味がありました。
聴き直すと、 ウルバンスキさんとの演奏の方が、 さらにさらに溜めが入っていて、 年を重ねた分のラツィックさんの思いが加わっているみたいで面白く感じました♪
 (ちなみに、 ペトレンコさんとの演奏では、 第一楽章後のアタッカはありませんでした。 ウルバンスキさんが指揮棒を上げたまま、 弦か幽かに鳴り続けて 同じ音の第二楽章へ入っていく、、あれはとても素敵だと思いました)

演奏後、 大満足の表情でウルバンスキさんとガシっと抱擁したラツィックさん。 退場後 拍手に応えてステージに現れた時には、 ピアノの椅子をガーっと音を立ててどかして、ウルバンスキさんと並ぶスペースを作るあたり、、なんか勇ましくてエネルギッシュでした(笑)

2009年に王子ホールでリサイタルされた時のインタビューがあって(王子ホール>>) ウルバンスキさんとの意外な共通点を発見しました、 《サッカー》です。 オーケストラとサッカーってもしかしたら共通点あるのかも…。。 ハーフタイムはさんで45分+45分、集中力を保ち続けるところとか、 演奏者相互間のパス回しとかアシストとか、。 ウルバンスキさんもラツィックさんも、とても運動能力の高い音楽家さんだと感じましたし、、 なんだか妙に納得してしまいました。

youtubeにはデヤン・ラツィックさんのチャンネルもあって、、 モーツァルトやブラームスや本当に多彩な曲を演奏されるのですね。 ラヴェルのピアコンもあって、、 あとで観てみよう~ ♪


後半のショスタコーヴィチ:交響曲 第6番

初めて6番を聴いた時(他の指揮者さんで)、、 言葉が悪くてスミマセンなのですが、、 なんだかヤケくそみたいな曲だなと思って…。 
暗鬱な、とても不安定な感じのする長い長い第一楽章から、 性急な第二楽章になって、 第三楽章はもうヤケくそみたいに終わる、、 どうしてこんな構成なんだろう…と。。 ショスタコーヴィチ自身の説明では 「春、喜び・・・」などと書かれているけれど全然そんな感じはしない…。 明るい高音かと思えば マイナーな低音へどーっと下がるし、、。 ウィキとかに書かれているベートーヴェンの6番「田園」のショスタコ版、、みたいなことは私は全然そう思えなくて、、

ウルバンスキさんも始まりからずっと厳しい表情で指揮をしておられました。 第一楽章の不安をさそうような、心の震えのような フルートさんやピッコロさんの音色、、 配信で聴くとそんなに強く感じられませんが、 ホールの静けさの中ではとても緊張感のある、 憂愁を感じる第一楽章でした。 高まっていく弦の哀しい響きは なんだかバーバーの弦楽のためのアダージョみたいで… そこへ打楽器の砲撃みたいな打音が降って来て…

この曲が書かれたのは1939年。
1982年ポーランド生まれのウルバンスキさんにとって、その時代的な意味は欠かせないのでは… とあくまで私の推測なのですけれど…。 1939年のポーランド侵攻によって第二次大戦が始まる、、 ショスタコーヴィチにとっては、この後 あの3年にもおよぶレニングラード包囲戦へと繋がっていく… ソ連にとっても、ポーランドにとっても《地獄の始まり》、、 その時代的な意味と、現代のロシアと東欧をめぐる状況を重ね合わせないわけにはいきません…

ちょっと話は逸れますが、 村上龍さんの『海の向こうで戦争が始まる』という1977年の小説がありますが、 このショスタコーヴィチの6番の特に第二、第三楽章を聴くと、あの小説が思い出されるのです。。 海の向こうで戦争が起こっているのにこちらの浜辺では何事もなく、男女が幻影を見るように戦争を眺めている、、 現在でも、どこかで戦争が起こっていても少し離れた町では人々が賑やかに買い物をし、行楽をし、日常を送っている… どうすることも出来ない隔たりのようなもの…

この曲の第二、第三楽章へと高まっていく混沌、 カオス状態を聴くと、どうにもできない人間の右往左往にも聞こえます。 やっぱり〈春〉とか〈喜び〉なんて情感はまったく感じられなかったです。。 会場ではラスト、 わりとすぐにブラボーの声が起こったのですが、 私は固まったまま すぐには拍手も出来なかったなぁ… そういう緊張状態のかた、結構いらしたと思います。 
.
演奏後は 絶賛の拍手が響いて 楽団員さんを称えるウルバンスキさんも笑顔、 指揮者を称える楽団員さんも足を踏み鳴らす大きな音、、 このひとときが大好きです。 
ひとつになって音楽を創り出そうとする皆さんに拍手を送れる喜び。。 コンサートホールへ足を運べる幸せ。。 それが出来るという状況を、しみじみと有難く思い、 その気持ちは年々高まっていきます。。 平和で、、そして災害の無い日々を…


 ***

来年、 都響でウルバンスキさんがショスタコーヴィチ5番と共に指揮する ペンデレツキ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」、、 この作曲家のことを知らなかったので検索をしたら…

クシシュトフ・ペンデレツキはポーランドの作曲家で、 2013年に ペンデレツキの80歳を祝したコンサートが開かれ、 シャルル・デュトワさんやワレリー・ゲルギエフさんといった大指揮者と共に、 当時31歳だったウルバンスキさんが「 広島の犠牲者に捧げる哀歌」を指揮していらしたのですね。。 アンネ=ゾフィー・ムターさんのヴァイオリンの指揮もされている…

解説が載っていたので HMVのサイトにリンクしておきます>>『ペンデレツキへの捧げもの~80歳記念コンサート』

ゲルギエフさんも大好きな指揮者だったのに・・・


ひとりの指導者が世界を 音楽家を 変えてしまう… 嫌なことですね…



それにしても、 この2013年からウルバンスキさんを首席客演指揮者に迎えた東京交響楽団さんの慧眼は素晴らしいです。 来年は東響さんとは演奏されないけれど、、 また必ず東響さんを振って欲しいな… ウルバンスキさん。


充実した2週間をありがとうございました。

外は猛暑でもホールは冬の透明な輝き:東京交響楽団 名曲全集第199回

2024-09-18 | LIVEにまつわるあれこれ
 ** 9/16記 **

三連休 いかがお過ごしでしたか?

土曜日はミューザ川崎シンフォニーホールで アンドレアス・オッテンザマーさん指揮による 東京交響楽団 名曲全集第199回公演を堪能してまいりました♪ とてもとても充実したコンサートを楽しめました、が と~っても緊張した(謹聴した?)濃密な時間でもありました。
ゆっくり感想を書きたいところだけどちょっと時間がないので、 ひとまず昨夜お友だちにメールしたのをそのまま載せて(笑) あとてまた追記したいと思います~

演奏会の様子は ニコ響さんで次の日曜日まで見られます。 私もまだ何度か楽しみたいです。
 【チャイコフスキー:交響曲 第1番ほか】東京交響楽団 名曲全集第199回 Live from MUZA!≪ニコ響≫

 ***

こんばんは
ニコ生の感想ありがとうございました

さっき、りなさんのバッハと、チャイコだけ視聴しました。
オッテンザマーさんの指揮、ニコ生で時々映ると、スタイリッシュに踊っているみたいに見えますが、一瞬も絶え間なくオケへの指示がピンポイントで次々出ていて、すっごい高度なものを要求してるのがわかるんです。
で、オーボエやフルート、ホルンさんとか、ソロパートも絶対ミスできない処ばっかりでしょう? 息つめるように見てて緊張してしまって とっても疲れました(笑

ベルリン・フィルの完全主義を垣間見てる感じでした。でもオッテンザマーさんもベルリン・フィルではそれを当然の顔してこれまで演奏してきたんだからな~…って。

オッテンザマーさん、 すごくいい指揮者さんだと思います

りなさんはまだハタチなのにとっても堂々として、音色も素晴らしく透明感あって綺麗でしたね♬
あの楽器は、なんと308年前のストラディバリだそうです✨
ニコ生も音はとっても良かったけれど、やっぱりホールの生音のバッハはぜんぜん違いました…
スタッカートみたいに止める音の旋律と、響きが伸びる旋律とが同時に重層的に奏でられていて、一本のバイオリンじゃないようで… バッハのピアノ曲もそうですものね

ニコ生の前半もまた聴きます♬ 
東響さんの演奏もとても良かったです♡ 疲れたけど充実したコンサートでした

 ***


シルバーウィークとは言え 猛暑の休日でしたが、 きょうは少し暑さがやわらいでいますね。 

からだを休めて 

よい休日をお過ごしください。 つづきはまた…





  ** 追記 9/18 **

東京交響楽団 名曲全集第199回 9月14日
ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:アンドレアス・オッテンザマー

ストラヴィンスキー:弦楽のための協奏曲 ニ調
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調K.219「トルコ風」
 ヴァイオリン:中野りな
アンコール:J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン パルティータ第1番から第3楽章

チャイコフスキー:交響曲 第1番 ト短調 op.13「冬の日の幻想」



追記 4日経ってしまいました。。 あらためて思い出すのは、 なんであんなに緊張(謹聴)して聴いていたのかしら… (苦笑) ということと、 中野りなさんのヴァイオリンの透明な木を感じる美しい響き、、 オッテンザマーさんの見事な統率とそれに即応する東響さん。。 とっても見応えあるコンサートでした。

最初のストラヴィンスキーが始まってすぐ、 (うわぁ なんだか指示が凄い…)と。。 この曲では指揮棒を持たずに 手のひら全体で指揮してらっしゃいましたが、 音のニュアンス、 音量、 緩急、 タイミング、、 ひっきりなしに左右の弦楽器さんに向けて細かく指示を出しているのがわかる、、 それが(素人の私にも)意味がくっきりと伝わってくるので 眼と耳が一気に集中してしまって、 (これは高度なものを要求してらっしゃるなぁ…)と感じていたのでした。

ストラヴィンスキーの弦楽のための協奏曲、 予習で聴いてはいたのですが 片手間で聴いていたせいか、 もっと軽やかなサロンでの弦楽みたいに聴いていたのが、 こんな不穏な うにゅうにゅした(?) 不協和音の妖しさもある難曲だったとは… 

この曲、 1946年なんですね、、 もう現代じゃないですか。。 同行のお友だちと話していたんですが、 ストラヴィンスキーがレコード盤の回転をまちがえたか、ヘンな風にしてみたり、 手で動かしてみたりして、 音がうにゅうにゅ変化するのを面白がって それを表現してみようなんて思ったんじゃない? って。。 あらためてとても面白い曲だと思いました。

つづいてのモーツァルトは がらっと雰囲気が変わって、 中野りなさんの奏でる軽やかで透明な音色がすずやかで、、 開演前にみたプログラムで年齢がお若いのに、 演奏する姿はとても堂々としていらして 表現力があって、、 でも決して力んだりせず 音色はどこまでも透明。。

ニコ生での再視聴でも 音色の透明感は伝わるのですけど、 やっぱりホールの空気の中を伝わってくる響きを感じるのとは全然ちがいます。。 308年前のストラディバリウスというのを知ったからか(先入観は持たないつもりだけど) あの透明感は300年を超えた木材ならではの乾いた木が生む響きなのかしら… と とても興味深かったです。

、、 ヴァイオリンの音色って (あくまで個人的に)たまに苦手なものもあるのですが、 りなさんのヴァイオリンの音色はいつまでもずっと聴いていたい清々しさのある音色でした。

 ***

休憩をはさんで 「冬の日の幻想」

前半が弦楽器だけだったので、 管や打楽器さんらも加わって、、 オッテンザマーさんの指揮もさらにまんべんなく精度を増します。 ほんとうに 目配り、 というのか 手配り というのか、 その眼ぢからみたいなものが結構すごいんです。 それで一瞬にして変化をつけるし、、 団員さん達 これでは眼を離せない…

特徴的だったのは 第二楽章のゆっくりさ。。 オッテンザマーさんご自身が管楽器奏者だからかもしれませんが、 オーボエさん フルートさん、 クラリネットさんらを存分に歌わせていらっしゃいましたね、、 じ~~~っくりと。 東響さんの木管さんはいつも素晴らしいので安心して、、とは言え すご~くゆっくり溜めるので 息をつめているこちらが苦しい・・・笑。 でもでも、 オーボエさんとフルートさんの ひらひらと雪片の舞うさまはほんとうに美しかったです。

そしてあのホルンさん! ぴんと張り詰めた突き刺すような音色が響き渡って、、 見事でした!

最終楽章は かなりスピードアップして盛り上げる感じになったんですけど、、 第二楽章も、 最終楽章の始まりも、 あれだけゆっくり溜めて幻想的にメランコリックな感じで奏でたので、 重厚なままどっしりと重い最終楽章にしても良かったのでは…? と。 ちょっと色気出したかなぁ… なんて思ってしまいました。

オッテンザマーさんの指揮は見ていてもとても美しいです。 左右に大きく動いて指示をとばして、 伸びあがったり屈んだりされても 身体がぶれてない。。 ちゃんと音楽のための動きになっている。 こうして欲しい こう奏でて欲しい、、という表現が身体と手と表情一体で伝えようとされているのは、 ソヒエフさんにもそういうところを感じて好きです。 そして 指揮者の想いにしっかり応えようとする東響さんの演奏はほんとうに好き。

オッテンザマーさんの指揮(弾き振りでなく) ぜひまた東響さんと一緒にやって欲しいです(楽団員さんが大変かもしれないですけど…) 演奏後のニコ生のコメントで オッテンザマーさんも、 ひとときも気を抜けず集中を要する、、ということを仰っていましたが、、 私もだから緊張するのもムリはない、、 ですよね?

みごたえある すばらしいコンサートをありがとうございました。



祭りだわっしょい!…からの…:サマーミューザ東京交響楽団 オープニングコンサート

2024-07-29 | LIVEにまつわるあれこれ
パリ五輪開幕とともに、 川崎ではフェスタサマーミューザの開幕です♪

ミューザに行かなくてはならないから、 深夜2時からの開会式を観るのを..どうしようか 迷いましたが、 やっぱり観たい! 10時過ぎに寝て2時に目覚まし、、 でも結局 朝までずっと開会式を見てしまいました。

 ***



東響さん&ノットさんによるオープニングファンファーレは ミューザのサイトで見られます
 https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/

昨年はTシャツ姿でしたが 今年は大バッハさんと同じ真っ赤な法被姿。。 ノット監督もとっても似合っててみなさん素敵。

今年のチャイコフスキーは、 2番と6番。 特に2番はまず演奏されることの無い〈初稿版〉だということに気づいたのは、会場でプログラムを手にしてからでした。 プログラムと曲目解説はサマーミューザのコンサートページにリンクがあります。
 https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=3843

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2024
東京交響楽団 オープニングコンサート

チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 op.17『ウクライナ(小ロシア)』(1872年初稿版)
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op. 74『悲愴』

指揮 ジョナサン・ノット


 (いつものようにクラシック素人の感想です。ご容赦くださいね)

今日の公演は満員御礼とあって、 会場はなんだかいつも以上の熱気に満ちていました。 
第2番(改訂版のほうですが)は予習の印象では(夏!)(明るい)(なんだか元気)、、という印象で、 だからプログラム解説にあったノット監督の言葉「よりクレイジー」な初稿版、というのがどんなことになるのかとっても楽しみに、、

そして、 ホルンによるウクライナ民謡の旋律から第一楽章が始まって、、 その第一楽章の途中から、、吃驚。 改訂版とは別物のすっごい演奏になりました。 (なんだか元気)どころではない、クライマックスの怒涛の盛り上がりかと思うようなエネルギッシュな演奏になって、、 ノットさんも身を前のめりにしてお顔を紅潮させてぶんぶん指揮なさってる… (あらら、ほんとにクレイジーなんだ…)

めったに爆音を出さないノット監督の東響さんには珍しいくらいの音、、だったけれど それぞれの楽器の音色はちゃんと響いていて、決して爆音のように混沌とはしないところがやっぱり東響さんは好きです。
つづく第二、第三楽章では フルート、ピッコロさんや、金管さんら、それぞれに前へ出る音色がどれもキラキラ元気で、 ここではやっぱり(夏)を感じました。 ウクライナの夏。 チャイコフスキーが妹のいるウクライナを夏に訪れた時に聴いたウクライナ民謡などが この交響曲のもとになっているそうですが、 きっとウクライナの夏は美しいでしょう。。 夏祭りとか人々の集まりもきっと賑やかだったでしょう、、 そんな事を感じる曲。

そして極めつけの第四楽章(かえるの大合唱)、、 というのは私の勝手な音印象ですけど、 日本の「かえるの合唱」と同じフレーズは、 ウクライナ民謡の「鶴」という曲だそうですが、 この可愛らしいフレーズがノットさんの初稿版2番では、 すごい速度であちらとこちらの楽器が競い合うように輪唱する、、その大パノラマが延々と。。 ここを聴きながら(やっぱり夏のカエルの大合唱にしか聞こえない…)と思っておりました。 すさまじくクレイジー(笑) 、、すごく勝手な想像を逞しくして…(日本に冬に来る鶴は、夏の間は北にいるのでしょう? きっとウクライナの鶴さん達は夏になるとウクライナでカエルをばくばく啄んでいるに違いない…)と、、休憩中にお友だちと語り合ってしまいました(どうぞお許しを…)

ものすごくエネルギッシュで新鮮で楽しく激しいチャイコ2初稿版、でした。

 ***

休憩後の交響曲第6番「悲愴」。 こちらも今まで聴いた感じとは違った「悲愴」でした。

どこがどう、、とはうまく言えないのですが、 聴きながら思っていたのは (もしかしたら多くの指揮者さんの6番は、「悲愴」というひとつの世界を創り上げようとしているものを聴いているのかな…)と。。 私もチャイコフスキーが大好きだし、6番の胸に迫って来る美しい旋律を何度もうっとりとして聴いたものだけれど、、

なんだかノットさんの6番は、 全体の統一感とか、 ひとつの「悲愴」という曲のイメージとか、そういう全体像よりも、 その楽章、その楽譜、によってノットさんが考えたこと、 表現したいもの、 それを実現してみたい…という場になっていたような そんな気がします。 そういうところがノット監督の好きな部分だし、 それが驚きやわくわくに繋がるから聞き逃せないのですけど、、

前半の2番で、 若々しくエネルギッシュな音を出しまくった余韻が残っているのか、 管パートさんとか つい華やかに奏でそうになるのをノットさんが(抑えて抑えて)と合図するところがたくさん見られました。 そんなノットさんの左手の細やかな指示がうねりまくっていましたね、、 たくさんの想いを込めるように。。

ティンパニさんシンバルさんの絶妙なタイミングも(いつもながら)見事でした。 コントラバスさんの低音部もとてもとても効果的で、 とりわけ最終楽章のしずかな悲しみを支えているこの両方の楽器に心打たれました。

決して「悲愴」ばかりではない 躍動的でもあり、 優美でもあり、 情熱的でもある、、 きっとそれらすべてチャイコフスキーの音楽の持つ三大要素みたいなものだし、 人の人生、 ひとびとの生のなかの醍醐味だと思う、、 そのような時期を経て 最終楽章の「人生」の終わりへと向かう、、 決して悲愴じゃない、、 そんな印象と同時に、、

前半の2番のウクライナの夏のかがやきと合わせて聴いた場合には、 やはりどうしても現在の世界の悲しみも重ね合わせてしまう… しずかに鎮かに奏でられる最終楽章は 痛切な「祈り」のような楽章に感じられました。

 ***

そんなエネルギー溢れるサマーミューザの開幕。。 そして史上最強の「暑さ」!!

オリンピックの舞台では、 熱さも涙も 輝かしく美しいもの、、 と思います
でも、 この地球上の猛烈な暑さや、 あってはならない涙は、、 なんとかならないものでしょうか…

開会式でパリ大会の会長さんが繰り返し繰り返しとなえておられた 「愛」… (開会式フィナーレの愛の賛歌につなげる意味も込められていたかもしれませんが)、、 世界への「愛」が …もっと もっと 必要なんだと思います。。 争いの惨禍などではなくて…



もうすぐ8月。  祈りの月、ですね…




愛と 平和と 音楽を・・・





生きることは愛することと… (ちょっと追記)

2024-05-29 | LIVEにまつわるあれこれ
CDを聴いています。 THE YELLOW MONKEY の5年ぶりの10TH ALBUM『Sparkle X』

ひと月前の4月27日は東京ドームで彼らのライブ「SUPER BIG EGG 2024 "SHINE ON"」を見ていました。 それからのこの1カ月、何をしていたんだろうというくらい時間が矢のように過ぎて、 ライブの事もまだ何も書けず…

今日も何も書けずに夕食の支度する時間になりそうなので、、 少しだけ関係のないことを・・・

このブログの一番最初のほうにジョー山中さんのライブに行った事が書いてあります。 いま見たら、 23年前の4月27日でした。 その年の1月、 イエローモンキーは東京ドーム公演のあといつまで続くかわからない休止状態に入って、、 私は ぽっかりと心に穴が開いた状態から這い上がろうとしていた頃だったんだと思います。

今朝、、 モンキーの『Sparkle X』2周目あたりを聴いていた時、 ふとジョーさんの「ララバイ・オブ・ユー」が聴きたくなって、 動画で探して聴きました。
、、モンキーの映画『パンドラ PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』が公開されたのはたしか2013年でしたね。 その映画に行った猿友が、 映画のなかでジョーさんのその曲が流れたとメールをくれて、 私にもぜひパンドラを見て欲しい、と言ってくれた。 だけど、2013年、そのときの私はパンドラを見る気持ちにはなれなかった。

今朝『Sparkle X』を聴いていたディスクを止めて、 ジョーさんの「ララバイ・オブ・ユー」を聴いて、、 でも昔のレコード録音のものを聴いたから これじゃなくてもっと後のライヴのを聴きたいと思って、 2004年の映像を見ました。 その動画のライブは私は見てないけど、 2008年のFTB復活まで何度かジョーさんのライブでこの曲は聴いていたから。。 ジョーさんの生の歌声はいまでもはっきりと思い出せる。

今なら、、 『パンドラ』のなかで「ララバイ~」が流れた意味もわかるし、、 なぜ自分が 『Sparkle X』を聴きながら、ジョーさんの「ララバイ・オブ・ユー」を聴きたくなったのか、その理由も自分でわかる。。 今朝見た2004年のジョーさんはいまの吉井さんとほぼ同じ年、58歳くらいだと思う。。

 ***

勝手な人間なので勝手なことを書いてしまいますが、、 モンキーの東京ドーム公演 SUPER BIG EGG 2024 "SHINE ON"が決まった時、 (なんてことをさせるの…)と怒りすら感じてました。吉井さんの喉の手術や治療のあと、 その最初がドームでいきなり20曲も歌わせるなんて… って。。 そのころのこと、、 それ以前のことも、、 ここに書き表せない位、ものすごく心配していたから・・・

けれども、、 吉井さんが帰ってくるのは、 やっぱりメンバーの所なのが一番だし、、 だけどそれがゆえに絶対LOVINは無茶をするに決まっているし、、

だからもう… (このコロナ禍の数年を境にして) 自分はこのままイエローモンキーを忘れたままにしてしまおうか、、 自分の身体にしてももうロックコンサートに行けるような体でもないし、、 と、 迷いに迷って、悩みに悩んで、、ぎりぎりまで何も決められずに… 、、でも 結局BIG EGGに行けました。 
バルコニー席があったから、というのと 付き添いの保護者が行ってくれたから。
それに、 もし自分がお別れを言うなら、、 帰って来たLOVINをこの目で見てからでしょ… そう思ったから。。


、、こんな風に  いろんな想いが交錯して

きょうも書く時間がなくなって・・・

 ***

『Sparkle X』、 音の情報量が凄すぎて、 3度聴いてもまだ耳が奪われて 肝心の歌詞のほうになかなか頭がまわりません…

、、聴きながら 25回くらい噴き出して、 15回くらい泣きました。。

三国さんのアルバム…?(笑) ってくらい 三国さんでしか成り立たない曲も。。 エマさんのギターの音色の変幻にも・・・ (THIN LIZZY? サンタナ? ロビロバ?… とか)

探索はまだまだつづきます。。 



23年前のあの日とおなじ言葉を・・・


すばらしいLIVE(生きるってことだよね!)をありがとう。



すばらしいアルバムをありがとう。



おかえり LOVIN





 ** ちょっと追記 5/30 **

・・・ おかえり、 と書いておきながら LOVINの歌声の感想をなんにも書いてなかったことに気づきました。

THE SILENT VISION TOUR から約2年、 歌うことのできない治療の日々を乗り越えられて、、 レコーディングの期間を考えたら よくこれだけの時間でここまでのアルバムを創り上げたなという驚きが一番の気持ち・・・ 

最初に出された「ホテルニュートリノ」を配信で聴いた時には正直、 胸がいたくなりましたが、、 

アルバムで聴くと その直後の4曲目とか LOVINらしい甘い艶のある声が出ていて安心する、、 (「SHINE ON」が出た時に安堵はしていたけれど…)
MVが公開されたばかりの「罠」がもっとも最近の歌声なのかな、、 すごくクリアな力強い声で

アレックス・ターナーみたいな、喉元を鳴らすようにして歌う10曲目 エマさんの曲、 この歌い方もすごく好きです、、 とても前向きな気持になれる… (あ…昨日書いた部分もふくめて、 アーティストの名前を挙げた所は全部良い意味で使ってるんです、 悪い意味じゃぜんぜんなくて…)

エマさんで思い出しました・・・
東京ドームで、 LOVINの声がちょっときびしくなったとき、、 (それまでもずっとエマさんはロビンの様子を見守りながら弾いていたんだけど、 ロビンの声がつらそうだった時、 エマさんは定位置で物凄く厳しい表情してギターをかかげて懸命に弾いてた。 あんな表情を見たのは(スクリーン越しだけど) 1・8のドームの時以来だった。。 今回のドームでも 花道でファンに向けて弾いてくれる時はずっと優しい笑顔だったけどね…

なんだかわけもなくあの時、 このメンバーがいるから大丈夫… ドーム来た甲斐があった… って独り勝手に思っていました。

、、 今回のアルバム、、 なんだかとてもラテン(とか南国)の匂いを感じるのは、 困難な時こそ強い光を、 優しさよりも灼熱の生命力を、、 そんな気持ちからなのかな…  それができてしまう猿兄さんたちはエライ。。

音の情報量が凄い、、ときのう書きましたけど、 その濃密(かつ緻密)なプレイでロビンの歌声を取り巻いて支え上げているような、、 個々というより かたまりの生命力にあふれたアルバムだと思う、、


長いツアーも発表されて、、 きっとまた進化していくのでしょうね…



(ホテルニュートリノから罠へビジュアルが急加速で変わるのもなんか光速の旅してるみたいで… らしい笑)

陶酔と 感涙と 感謝…:マーラー「大地の歌」東京交響楽団

2024-05-13 | LIVEにまつわるあれこれ
GWから続いたコンサート週間のラストは 東京交響楽団&ノットさん。 
振り返れば、 東響さんの公演は昨秋の ニキティンさん「英雄の生涯」以来⁈ ノットさんはじつにサマーミューザ以来です。 ニコ響はずっと楽しませていただいていたので そんな空白があった感じはしませんでしたが、 かる~く東響さん渇望が募っていました。

書き忘れていましたけど、 4月のニコ響での サカリ・オラモさん指揮の公演が素晴らしくて、 フィンランドの湿原の鳥の声をテープで流しながら演奏するという「カントゥス・アルクティクス(鳥とオーケストラのための協奏曲)」も、 鳥のさえずりのように声を震わせて歌う「サーリコスキの詩による歌曲集 」も、 初めて聴く曲でしたが歌も演奏もとても楽しめました。 もちろんドヴォルザーク8番も。 、、それで 今年初(!)の東響さんを聴きに行けるのを楽しみにしていました。


川崎定期演奏会 第96回 5月11日(土)

武満徹:鳥は星形の庭に降りる
ベルク:演奏会用アリア「ぶどう酒」
  ソプラノ:髙橋絵理

マーラー:大地の歌
  テノール:ベンヤミン・ブルンス
  メゾソプラノ:ドロティア・ラング

東京交響楽団 指揮:ジョナサン・ノット





結論はタイトルの通りです、、 陶酔し 感涙し 感謝でいっぱいになったコンサートでした。 特に「大地の歌」はもう こんな素晴らしいものを聴かせていただいたという感動に唯々 浸っていました。 歌唱も、 そこに寄り添う繊細きわまりないオケの各パートさんも、 ノットさんの魔法のように翻る指揮も。。

ほんとノット監督の指揮はいつも美しいですが、 このマーラーでの指揮は 指先のすべての指示に意味があって そのすべての指示が(こんな素人の私にも)その意味が伝わって何一つ無駄なくオケさんか応える。 ほんと魔法をつくり出す左手でした。

「大地の歌」は今まで聴いたことが無くて、 しばらく前から3種類くらいの演奏を視聴していたのですが、 (耳が悪いせいか)歌唱を聞くと演奏が頭に入ってこないし、 演奏に集中すると歌唱とどう溶け合っているのかピンと来なくて、 これは困った… と出掛ける寸前まで悩んでいました。 けれどもそんな心配はあっさり消え、、 演奏が始まったら もう驚き、、 (歌と溶け合ってる!!)

中国の漢詩がもとになっている歌詞も事前に読みながら動画を見ていて、 なんだか 大きな樽酒を飲み干してもまだ足りないという感じの迫力のテノールではない方が良いなぁ… 仙境で酌み交わす盃のような趣が感じられたらいいなぁ… と、 1曲目の武満を聴いている時から思っていましたが、 ブルンス さんの澄んだお声で良かった!

一方 ラングさんのメゾソプラノは 憂いも湿度もあるお声で、 第二楽章の憂愁はしっとりと、 牧歌的な第4楽章では瑞々しく、、 ブルンス さんの明るいお声は第三楽章の東洋的な自然が生き生きと見えるようで、、 歌唱とオケの色彩(色彩ってヘンかしら…?)が美しく溶け合うときが何度もあって なんて美しいのだろう…と。。 これまでいくら聴いても分からなかったのに なんでこんなにくっきりと情景がみえるのだろう… と感動しまくりでした。

そして東響さんの各パートさん、、 オーボエさん クラリネットさん そしてフルートさん。 こんなに心の行き渡った精度の高い演奏を あのホールのその瞬間限りの緊張感のなかで奏でられるなんて、 なんてなんて楽団員さんは凄いのかしら…と。 歌唱の方はうしろを振り向くわけにはいかないので正面を見ていらっしゃるけど、 まるで向かい合って眼差しを交わし合っているような、 フルートさんの寄り添いの演奏も見事としか言いようが無く… その瞬間にはノットさんも指揮棒を下ろして演奏をまかせていらっしゃいましたね…

別離を歌う最終楽章のあいだ、、 すばらしい歌とオケの融合を聴きながら、 やっとこの歌の意味が自分なりにみえてくる気がしました。 公演のポスターにある「人生此処にあり。」、、 歌曲のなかで繰り返されるのは 生の苦しみ はかなさ それゆえに酒を呑むということ。 最後まで酒がでてくるので (ずっと呑んでばかりやん…)と思っていたのですけど、、

生の憂愁と 人間のはかなさ、 酒はひとときの夢、 やがて自分はここを去っていくが自然は永遠にあるだろう… そのような歌曲の解釈と、 ノットさんの写ったポスターの「人生此処にあり。」の言葉が じぶんの中でうまく嚙み合っていなかったのですけど、 この日の演奏を聴いていてなんとなくわかったんです。 人生の意義みたいなもの、、 
この歌曲の「酒」を呑むというのは呑むのが重要なのではなくて、 美しいものに「酔う」 という事が真意なのかも…と。 忘却や逃避の「酩酊」でなく、 「陶酔、夢見心地、感動、歓び」  それこそが生きているという恩寵、 人生の意義でしょう…? そしてその歓びの気持ちを誰かに伝えられること、 その気持ちをわかる誰かと共有できること。。

前回のマーラー6番で ノットさんは人生に降り下ろされる悲劇のハンマーを表現されました、、 5回も(!) あのときも書きましたが 確かに人生には予期せぬ悲劇が降りかかります、何度も。 でもそのたびに立ち上がるんです。 そうしてこんなにも美しい音楽を人と人とが融け合って創り出す力が、 ひとにはあるんです。 それこそが「人生此処にあり。」 、、ちがいますか? ノットさん… と、 最終楽章を聴きながらずっとそんなことを考えていました。

泣くと妙な音をたててしまいそうで 必死に泣くのをこらえてましたが、 「泣いてもいいよ」と言われたらどーーっと泣きたい気持ちでした。 ノットさんに、 歌手の方々に、 オケのみなさんに、、 一生懸命手を叩きながら (幸せだなぁ…)と思っていました。 音楽という人を虜にする美しい魔法があるから、 それを禁止する世界もこの世にはあるんだということを 頭のどこかで思いながら、、、

 ***

前半について、 ちゃんと書く能力が無いですが、 ベルクの「ぶどう酒」 複雑きわまりない難しい曲を あんなに情感たっぷりに、 ときに凄みを感じるほど豊かに表現できる髙橋絵理さんに感嘆、でした。

この感動をのこしたまま、 今週末はまたニコ響で東響さん&ノットさんの演奏が観られます。 二週つづきで出掛ける事ができないので諦めた公演が、こちらも見られるのでほんとニコ響中継は嬉しいです。 今度はヴィオラの演奏が楽しみです。


楽曲の詳しい解説の載っている冊子 「Symphony」5月号はこちら
 https://tso.futureartist.net/Symphony2405pdf


4月末からのコンサート週間 体調くずさずにすべて楽しむことが出来ました。 よかった… 


これからの夏に向けても 毎日努力していきます。



美しいものに たくさん出会えるように。




それこそが生きるよろこび…

緑のなかで…  ラ・フォル・ジュルネ

2024-05-07 | LIVEにまつわるあれこれ
GW いかがお過ごしでしたか?

コロナ禍のあと、 ようやく自由に旅行など出来る連休になり、 一斉に出かけなければまるで休日を無駄にしているかのごとく行楽地やイベント会場の混雑ぶりをTVなどで報道していましたね、、 なんだか煽られてるみたいに… 笑

、、わたしはのんびりしていました。 お出かけは5日のラフォルジュルネのみ…




とっても気持ちの好い 暑さよりも清々しい日でした。 ラフォルジュルネの公式youtubeに、 開催3日間の各日のダイジェスト映像が載っていて、 編集もとっても素敵で 大人もちいさな子供さんもすっごく楽しそうに映っています。 見ているだけで幸せになれそうな…
 https://www.youtube.com/@LFJTOKYO/featured

私もほかの予定や体調などがゆるせば もっと長時間、 別の日も行きたかったくらい プログラムを選ぶのに迷いました。 話題のピアニストさんや ラストイヤーの道義さんの公演も、、 とっても行きたかった…

でも迷いに迷って 今年はフランスのピアニスト ジャン=バティスト・ドゥルセさんの公演にしました。 92年生まれ、 即興演奏を得意とするピアニストさん。 今年出演のピアニストさんらの動画をそれぞれ観てみた中で このかたのピアノに最も詩情を感じたので決めたのです。



演奏は上記のプログラムを逆にして グリーグ、 ヤナーチェク、 シベリウスの順で演奏されました。 変化のあるグリーグ、 ドラマチックなヤナーチェク、 詩情のあるシベリウス という印象でした。 ジャン=バティスト・ドゥルセさんの音色は 落ち着きのある情感のなかにも(私が感じたところでは)男性的な凛々しい輪郭があって、 やはりドラマ性というか、 絵画的。

会場のホールGは ガラス棟の4階にあって 普段は会議室のようなつくりのお部屋。 なので残響音がほとんど無い。 ピアノのペダリングによって音の膨らみ、 揺れ、 停止、 そういう変化が手に取るように聞こえる。 グランドピアノの周りに椅子を並べた配置で、 近くは2~3mの距離で音を聴くというのも私には音楽室以来の体験。 とても良い体験ができました。

一度 どの曲だったか、、 エネルギッシュに弾きこなして 和音が伸びていって、、 そのときにまるでエレキギターのフィードバックみたいな音に変わった時があって(私の耳のせい…?) 増幅器など無い筈なのに、、 不思議でした。 ピアノを弾く方ならいろいろ発見があったことでしょう…

ラストのシベリウスは それぞれ樹木のタイトルが付いているように 音楽とともに自然を感じる楽曲で、 この日 国際フォーラムの広場に入っていった時、 新緑が風にそよいで 光を揺らしていた その情景ととても似合っていると思いました。

時間が限られているのでアンコールは無いと思っていたら、 インプロヴィゼーション と呟いて即興曲を弾いてくださいました。 グリーグ~シベリウスの今日の流れを損なわない音楽でした。

ジャン=バティスト・ドゥルセさんはこの日の午後、 小津安二郎の映画を上映しながら、そのイメージを即興演奏する という公演もされて、 当初どちらを観ようか本当に迷ったのですが、 小津映画との即興演奏も良かったようです。

 ***

この日、 ピアニストのお友だちは 小林愛実さん&群響のホールAの公演を観に行っていましたが、 ステージにスクリーンがあって 愛実さんが弾く手元などの映像も映し出されて とても参考になったと喜んでいました。 ホールAは大きな会場ですから このような見せ方もクラシックコンサートでは新しいですね。 

私はジャン=バティスト・ドゥルセさんを観た後、 ホールEのカフェでランチをいただきながら、 ステージでの第九の演奏を聴くという贅沢なお昼休み。 ホールEはひろびろしていて、 赤ちゃん連れのご家族が食事をされたり、 年輩のご夫婦がビールを楽しんでおられたり、、。 地上広場ではキッチンカーの屋台も美味しそうなメニューで賑わっていましたね。

都会のまんなかで楽しむ クラシック音楽のフェス。 しかも連休中に朝から晩まで楽しめる。 ほんと素敵な音楽フェスです。 来年はもっと長時間たのしんでみようかな、、と思いました。





連休最終日の昨日は、 お家でのんびりしながら 4月末からの東京ドームと(この日のことはまたいずれ…)、 ラフォルジュルネの音楽の日々の余韻に浸っていました。

気持ち的に今度はJAZZ というわけで、 ARTE CONCERT の イタリアのジャズフェスの映像からこちらを…
 Enrico Rava & Fred HerschPiacenza Jazz Fest

このトランペットとピアノが お休みの最後の昼下がりにとても心地良くて。。 あぁ~ 楽しいGWだったなぁ… と。。 このピアニストさん、 ブラッド・メルドーさんのお師匠さんなのですって、、 なるほど。 とっても心地良くこころに馴染む音楽でした。


私のGWは あとほんのちょっとだけ続きます。 あとひと公演。



素敵な週になりますよう…


寒~い一日でしたが

2024-03-25 | LIVEにまつわるあれこれ
土曜日はサントリーホールへ出かけました。

前回の日記で、 来週は桜の花も… と書いて、 例年ならこの時期にアークヒルズへ向かう道すじの桜が美しかったから とても楽しみにしていたのだけれど…

とっても寒い寒~~い真冬のような一日でした。 桜の蕾もまだまだほころぶ気配もなく…。 土曜日にはカラヤン広場ではマルシェが開催ということで、 この日もお店が並んでいたのですが、 ゆっくり見て歩くには余りにも寒すぎて… 残念。。

傘いらずの晴れ女のワタシなのに、、 なんだかサントリーホール行く時に限って 雨だったり寒かったりの記憶が…。 たしかにこの日も家から駅まで《傘いらず》だったんですが 何故かホール前では雨模様。。 もしやカラヤンさんが雨おとこでいらしたとか…?

コンサートホールにドレスコードはありませんけれど、 静寂をたいせつにするクラシックコンサートでは 衣擦れの音の大きな素材や、カチャカチャ金具のついたライダースなどは控えます。 座席を埋めるような大きなコートも。。 この日はショート丈のアンゴラウールのジャケットでしたが寒かったわ~~(ホール内は暖かでしたよ) はやく暖かいお洒落がしたいです。。

 ***

1月のソヒエフさんのN響以来 2カ月ぶりのコンサート。 
この日は日フィルさん。 日フィルさんは二度目なのですがオープニングがちょっと不思議、、 開演前のステージに、ぽつぽつ音出しの団員さんが登場して 一旦はけるのかな~と思いきや、 そのうちにだんだん楽団員さんが増えてきて全員集まったところで始まる~~ というのがなんだか不思議でした、前回もそうでしたし、 今回も…

しんと静まったステージに開演アナウンスが流れて、 扉がひらいて拍手とともに団員さんたち入場~ コンマスのチューニングA音♪ そして静寂。 緊張して待つ… と、指揮者さん登場。 というのに慣れているので。。
登場のしかたは楽団さんによって違うのですね…

曲目は

三善晃:魁響の譜
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番 Op.35
 ヴァイオリン 辻彩奈さん

シューマン:交響曲第3番「ライン」 変ホ長調 Op.97

指揮 アレクサンダー・リープライヒ
日本フィルハーモニー交響楽団 第758回東京定期演奏会
2024年3月23日 サントリーホール



魁響の譜ははじめて耳にする難解な でも壮大な楽曲。 混沌としているようでどこか《和》というか 《雅》というか そんな響きを感じる曲でした。

シマノフスキは ソリストの辻彩奈さんのヴァイオリンがじつに幽玄かつ豊かな音色で素敵でした。 はじまりはなんとなく幻想的で、 その音楽にふるえるような揺らめくような 艶めかしい弦の旋律が加わって、、 とても陰影ある辻さんの音色に魅了されました。

少~しオーケストラが大きかった気も。。 バルコニー席で見ていたのですが、 指揮者のリープライヒさんが ここは抑えてという感じの仕草を何度もされていたようなのですがあまり微音にはならず、、 でも辻さんの音色は埋もれるようなことは無く、 美しく歌っていました。

楽しみにしていたシューマンの「ライン」 指揮のリープライヒさんは楽章の合間をじっくりと時間をとって それぞれの楽章の気持ちの準備を(楽団さんに)ととのえていた印象。 とても丁寧な指揮をされていました。 …なんだけど、、 その指揮の指示に対してそれほどオケ全体の音色が変化していない感じがもったいないような… 

打楽器陣、金管セクション、 それと弦楽器陣とが うまくハーモニーになっていない感じもしました。 それぞれ力を込めて演奏しているのだけど 全体が融け合っていないような…。。 あくまで素人の耳で感じた印象ですが、、

リープライヒさんの指揮で違う楽団だとどう変わるんだろう… とついそんなことを考えてしまうのでした。 あ、そうそう リープライヒさんの長めのジャケット、 内側の赤い裏地がちらりちらりと翻って、 ちょっと東欧的な? ゴシック風な? 伯爵のようで素敵でした…

 ***


やっぱり ホールで聴く音楽は嬉しいです。 心にひびきます。 わくわくします。

昨日の日曜日、 6月のリサイタルもお友だちと行く約束をして、、 GWにはラフォルジュルネにも行きますし、 東響さんの秋の公演や、 これで随分たくさんの今年の公演チケットが揃いました。 あとは明日、 サマーミューザの日程が発表されるそうですし、、

新シーズンはどんな音楽と出会えるでしょう。。 とても楽しみ。 それには元気でいなくては…



新しい週の始まり。 早く春らしくなって欲しいな…




これは十日ほど前の綺麗だった辛夷の花 大好きな花です。


曲想とは…? むずかしい。。:NHK交響楽団 第2002回 定期公演 Cプログラム

2024-01-24 | LIVEにまつわるあれこれ
前回のつづきです。

14日にトゥガン・ソヒエフさんの N響第2001回 定期公演でカルメンとラヴェルのバレエ音楽を聴いた日、 あまりに素晴らしかったので帰ってすぐに次回のCプログラムも買い求めたのです。

今度はプロコフィエフによるバレエ音楽「ロメオとジュリエット」 どんな音楽のドラマを創り上げてくださるのか、 とてもわくわくしていました。

NHK交響楽団 第2002回 定期公演

リャードフ/交響詩「キキモラ」作品63

プロコフィエフ(ソヒエフ編)/バレエ組曲「ロメオとジュリエット」
 モンタギュー家とキャピュレット家 
 少女ジュリエット
 修道士ロレンス
 踊り
 ロメオとジュリエットの別れ
 朝の踊り
 アンティル諸島から来た娘たちの踊り
 朝の歌
 ジュリエットの墓の前のロメオ
 仮面
 タイボルトの死


「ロメオとジュリエット」は昨年の春、 東京交響楽団でクシシュトフ・ウルバンスキ指揮のものを聴いていました。 そのときの日記はこちら>> 
あの日以来「ロメオとジュリエット」の楽曲は聴いていませんでしたし、 今回(ソヒエフ編)とあったので、 何も予習せず初めて聴く感じで出かけました。 そして・・・

結論から言ってしまえば、、 前のカルメンとはまったく違った感想でした。 「カルメン」も予習なしに聴いたけれども まるで物語を味わっているようで、 ラストには涙がこみあげてくるほどでした。 「ロメオとジュリエット」は、、 そうではなかった、、 何が違うの…? 自問自答でした…

まず音の鳴らし方がぜんぜん違う印象。。 バレエ音楽というよりも 壮大な交響曲を奏でるよう。 金管楽器を鳴り響かせる時などは振動音までしそうなほどの爆音の迫力。 迫力はあったのだけど… 
ひとつひとつの曲が短いために、 曲がおわると咳ばらいが聞こえる。 一度誰かがそれをすると まるで許可を得たかのように、 つぎの曲の間でも、 次も。。 だんだん咳ばらいの音も気になるくらい大きくなってせっかくの緊張がそがれる… そのせい…?

N響さんの演奏は決して悪くなかった気がします。 ソロの部分もとても美しかった。 フルートさんや弦楽器さん。 金管楽器は思い切り良く。

では何なのだろう… と考えて、、 やっぱり曲順。 たぶんそうだろうと思いました。 曲展開のドラマ性が「カルメン」のようには感じられなかったのです。 最後はティンパニーの連打など曲調も高まって終わる、、 けれども結局どんな音楽を聴いたのかという印象が伴わない… なぜなんだろう…

、、 あのあと、 ベストオブクラシックの聞き逃し配信で何度も聴いてみました。 やっぱり曲順の問題なのだと思います。 

楽曲に物語性が必要、とは必ずしも思いません。 でも、ぜんぜんタイトルなど知らなくても、 音楽を聴いて感じるイメージ、、 「悲しい」とか「楽しい」「軽快」「壮大」「わくわくする」「陰鬱そう」、、 そういうイメージを音楽を聴いて自然に浮かべてしまうのは避けられない、 そのイメージを残したまま次の曲が聞こえてくる… こういう「流れ」が今回の「ロメオとジュリエット」にはじゅうぶん感じられなかったこと。。

今回の「ロメオとジュリエット」の構成は なんとなく、ですが 長めで壮大な感じのする曲のあいだに 短い軽めの曲がはさまれている、という印象なのですが、 そのためにかえって印象がぶつ切りになって「流れ」というものが感じられない。。 特にラスト4曲くらいはとっても違和感。。 「仮面」があそこに入るのは何度聴いてもなんか奇妙…

「タイボルトの死」で終わるほかのロメジュリも聴いてみました、 ゲルギエフさんのとか。。 でも違和感はありませんでした。
、、 ソヒエフさんのこの「ロメオとジュリエット」の構成は今までにも演奏なさったのかしら、と検索してみましたが 過去には見つからず、どうやら2月にドイツで公演があるようです。 もしも同じ曲順で演奏されるのだとしたら、 ドイツの聴衆のかたがどんな感想を持たれるかすごく知りたいところです。

ごちゃごちゃ書きましたが、 N響さんの演奏力をすごく発揮させるような指揮をソヒエフさんがなさったことは間違いないような気がします。 とっても生き生きとした演奏でエネルギーに溢れていた。 きっと、今日のBプログラム 、 モーツァルトとベートーヴェンも聴き応えある演奏になることでしょう。 できれば全部聴いてみたかった。。

毎日クラシックナビにCプログラムのレポートが載っていました。 圧巻の迫力、、 その通りだったと思います⤵
https://classicnavi.jp/newsflash/post-13716/


誠実と熱意…:NHK交響楽団 第2001回 定期公演 Aプログラム

2024-01-19 | LIVEにまつわるあれこれ
トゥガン・ソヒエフさんを初めて拝見したのは ARTE Concert の映像だったと思います。

なんと誠実に、 そして熱意を込めて指揮をなさるかただろうかと、 ひと目で好感をもった指揮者さんでした。 

そして昨年暮れ、 念願だったベルリン・フィルの演奏会に出かけたすこし後、 同じころ来日していたウィーン・フィルについて、 そういえばご病気のメストさんの代わりに指揮をしたのはどなただったのかしら… と思って検索したら、 トゥガン・ソヒエフさんでした。 (ソヒエフさんも観てみたかったなぁ…)と思いつつ、、 つぎの来日予定をみたら、、

なんと明けて新年1月、すぐにN響さんの定期公演で来日されると知ったのでした。 さっそく早速…

 ***

昨夜の NHK-FM ラジオ「ベストオブクラシック」で その公演の模様が放送されました。 らじる☆らじるの聴き逃し配信で25日まで聴くことができます。

いま聴いていたのですが、 この録音を聴いているだけでも 涙がこみあげてきます。 シチェドリン編の「カルメン組曲」、、 映像もなにもないのに、 なんだか映画館でたまらないシーンにハンカチを握り締めて息をつめて見入っているような…

そしてラストの鐘の音がひいていった後は、 まるで一冊の長編小説を読み終えたような 深い余韻が胸に迫ってきて、、 これは会場での私の想いでした。。 胸がいっぱいですぐには立ち上がりたくなかったくらい、、

ソヒエフさんの指揮は やはりとてもとても誠実で ものすごく熱情をこめてその想いを伝えるような、 そんなすばらしい指揮でした。




ビゼー(シチェドリン編)/バレエ音楽「カルメン組曲」

ラヴェル/組曲「マ・メール・ロワ」

ラヴェル/バレエ音楽「ラ・ヴァルス」


(追記)
ラヴェルの2曲もとても素晴らしかったです。 「マ・メール・ロワ」は繊細でうつくしく、 「ラ・ヴァルス」のほうはワルツ音楽が次第に変化して 混沌の乱舞へと展開していくさまが面白く、 N響さんの怒涛の演奏にあっぱれ、でした。


 ***

昨日に続いて、 今夜の公演も NHK-FM で生中継されるのですって。。 今夜は プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」(ソヒエフ編)です。 

ロメオとジュリエットは 昨年4月にウルバンスキ指揮の東響さんで聴いています。 キレッキレの鮮やかな… (こんなロメオとジュリエット きっともう二度と聴けない!)というのがあの時の感想でした。。 たぶん、 ウルバンスキ氏とはまったく違うロメオとジュリエットをソヒエフさんは聴かせてくれるような気がします…


 ***

つい20日前のこと…

N響の第九演奏会、 下野竜也さんの指揮で最初にバーバーの弦楽のためのアダージョがしずかに奏でられたのがとても印象的で、 そしてこの晩の第九合唱 新国立劇場合唱団 のみなさんが素晴らしかった。 その迫力を楽しんで、 そしてジルベスターコンサートで コバケンさんの熱いチャイコ5 …

そんな楽しい一夜が、、 数時間後には…


いろんなことがつぎつぎに起こって かなしくなったりもしました。。



それでも あの「カルメン組曲」には胸がふるえて、、 その気持ちは美しさへの感動や こんな名演奏に出会えたことへの歓びや嬉しさ… すばらしい演奏を見せてくださった楽団員さんたちへの感謝や称賛… こんなドラマを創り出せる指揮者さんへの驚きと感嘆… いろいろな熱い想いがいっぱいでした… 


ロメオとジュリエット、、 このつづきはまた明日以降に書くことにしましょう…



雪になるかもしれないという東京です。



あたたかくして… くださいね

緊張とやすらぎの呼吸…

2023-12-04 | LIVEにまつわるあれこれ
12月になりました。

先月のベルリン・フィル公演につづいて、 先週の土曜日 ベルリン・フィル八重奏団の公演を聴いてまいりました。 ベルリンフィルメンバーの個々のかたの音色を、 一度間近で聴いてみたかったんです。

ベルリン・フィル八重奏団 ミューザ川崎シンフォニーホール

シューベルト:6つの楽興の時op.94 D780(ハンズ・アブラハムセンによる八重奏編曲版)
細川俊夫:《テクスチュア》八重奏のための(2020)日本初演
シューベルト:八重奏曲へ長調D803

樫本大進 :第1ヴァイオリン
ロマーノ・トマシーニ :第2ヴァイオリン
パク・キョンミン :ヴィオラ
クリストフ・イゲルブリンク :チェロ
エスコ・ライネ :コントラバス
ヴェンツェル・フックス :クラリネット
シュテファン・ドール :ホルン
シュテファン・シュヴァイゲルト :ファゴット



ぴったりと呼吸の合った同じ楽団メンバーによる八重奏は、 やはり言うまでもなく素晴らしいものでした。 それぞれの音色がクリアに際立つ部分と、 ひとつのハーモニーとして湧きあがる(そう、ここでも音色が湧き上がる、 空間に生まれ出る、という)感覚を味わいました。 全体が響き合った様子は、8人のソリストによる演奏というよりも まるでオーゲストラの演奏のように壮大で、あんなに大勢のオーケストラがいつもは並ぶミューザのステージが こんなに小さかったかしら… と不思議に思えるほどでした。

前半2曲目の、細川俊夫氏作曲の《テクスチュア》がとりわけ良かったです。 第一ヴァイオリンが主旋律を奏でるというような音楽ではなくて、 円を描くように立ち 向かい合った8人が、 いろんな対角線上で音色を交錯させ、 掛け合い、 響き合い、 その緊張や交歓や響き合いがアラベスクのように複雑な絵を描いているようで…

 ***

ヴァイオリン、ビオラ… 低音弦の響き… 管楽器の透明さ… 楽器に対する自分の感じかたや好みについてなど、 あらためて自分で知るというような発見もありました。 それはきっとこれからのオーケストラやリサイタルの聴き方にも生かされていくような気がします。






さあて、、
自分へのご褒美を楽しませていただいた後は、 年末までの日々のおしごとに精を出しましょう。

音楽を歓びをもって聴くこと 聴きに行けることの幸せ。 朝起きて、きょうもいつも通りの朝食が作れてお掃除お洗濯をして、 ひとやすみの珈琲が飲める幸せ。。 そんな風になにごともなく身体がうごけることのあたりまえで無い幸せ。


こんな貴重で有難いことは無いと自分でわかっているから。


感謝を…






ミューザ会場内のツリーも可愛らしかったです♪

霧につつまれて…

2023-11-28 | LIVEにまつわるあれこれ
今年1年がんばった自分へのご褒美…(なにを頑張ったかよくわからないけど、ともかくちゃんと生きたから) すこし早いクリスマスプレゼント。

日曜日、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演を聴きに行って来ました。 いつものようにちゃんとした感想など書けませんから、 思い出だけのこしておきます。


思えば、 2020東京。 あれはオリンピック関連の特別な企画だったのですね、、 ドゥダメル指揮のベルリン・フィル@新宿御苑での第九、 という本当に夢のようなコンサートを夢見て、 コロナ禍で夢と消えたあの日以降…

今年、キリル・ペトレンコさん指揮での来日公演があると知って、、秋の旅行予定をキャンセルする気でチケット争奪戦へ。。 ほんとに瞬殺の勢いでした、、 求めるのはもちろんP席、、ただひとつ取れたのが最終日だったのはラッキーでした。 できたらBプログラムも行きたいと思っていましたけれども、それは神さまの思し召し。。 一夜かぎりでも至福の時でした。

キリル・ペトレンコ指揮 11/26 (日) サントリーホール

モーツァルト:交響曲第29 番 イ長調 K.201
ベルク:オーケストラのための3 つの小品 Op.6
ブラームス: 交響曲第4 番 ホ短調 Op.98





 ***

2020年、 コロナのロックダウン・自主隔離を経て大変な努力をして来てくださったウィーン・フィル、 その演奏を聴いた時の驚きは前のこのブログに残っていますが(>>)、 
今回、とっても不思議だったのが、 ウィーン・フィルとベルリン・フィル、どちらも世界最高峰のオーケストラ。 だけど、その音色をはじめて耳にした時の感じ方がそれぞれまったく違っていたことがとても不思議でした。 さらに言えば、 小澤征爾さんが指揮されたドイツ・グラモフォン・ガラ・コンサート、 あの時のサイトウキネンの印象とも、、それぞれみんな異なっていて…

ウィーン・フィルは以前の感想にも書きましたが、まるで光が目の前ではじけるような印象。。 そしてサイトウキネンは、喩えて言うなら波。 音の波がコンマ何秒かの差で右へ左へ動くようなさざ波。 もちろん、楽曲もそれぞれ異なるので音色がちがうのは当然なのかもしれませんが…

今回、 ベルリン・フィルは…?
1曲目のモーツァルトが始まった時にやっぱり驚きました。。 なんだろう… 私が感じていたのは「霧」みたいなもの。。 音が奏でられる、というより、湧きあがってくる…  生まれてくる… なんだかおおきな塊になって、、だけどかたい物質的なものじゃなくて霧のように私を包み込む、、形を自由に変えて、、湧きあがって、、全身を包み込んだかと思えばふっと遠ざかる…

特に音の立ち上がりが今まで聴いたどの楽団さんとも全然ちがっていました。 立ち上がり、って書きましたけど 立ち上がりじゃないの、、 湧きあがる感じ。。 その場所の空気のなかに音楽が湧きあがる。。 ウィーン・フィルの時にも、楽器を聴いているのではなくて 魔法がつぎつぎにあらわれているみたい、と感じましたが、 あのときのきらめく魔法とはまた違って、 深いゆたかな霧につつまれた大きな森にいるみたいで…


ぜんぜん音楽の感想になっていませんけど、、それが正直な感想でした。

キリル・ペトレンコさんの指揮は初めて。。 要所をおさえて余り大きな振りはされない感じで、 実際には拝見したことないけれどティーレマンさんに似た感じ…? 

ブラームス4番は 前に私の大好きなウルバンスキさん指揮の東響さんを聴いていて、 きっちり明確に指示をとばすウルバンスキさんとペトレンコさんでは 全く雰囲気は真逆みたいなのですが、意外とブラ4の表現には近いものがあるように私には感じられて… それも不思議でした。 緻密に細かく指示を出さなくても、 ペトレンコさんの指先やてのひらの微妙なニュアンスでこういう最高度の楽団員さんたちには伝わっているのかと… 素人の私にはそんなことも驚きで。。

特に弱音の抒情的な部分をゆっくりゆっくりと 繊細に聴かせて下さって、それがとても印象的でした。

低音弦の深み、、 金管隊の充足感、、 フルートさんのソロ、、 息をのんで聴き惚れていましたが、、 やっぱり思うのは全体から湧きあがってくる一体となった音楽の 霧のような深み、、柔らかいのに圧倒される重み、、

ベルリン・フィルは 壮麗な「霧」でした。