いつかよく考えてみたいと思っている事があって、、、
子供の頃に、「尼寺へ行け!」という台詞を何処からか憶えて、
それがシェイクスピア劇だと知ったのはずっと大きくなってからだけれど、それまでは〈寛一〉〈お宮〉と同じ世界の台詞だと思っていたのです。寛一が下駄でお宮を蹴飛ばしながら「尼寺へ行け!」、、、記憶の中のセリフは、人情劇を演じる役者さんが、ポーズを決めつつ吐くような、そういうものだったのです。。お陰で私のシェイクスピア観はずいぶんと狭められました。
でも、作品を本で読むようになって、
あの言葉は、そんな冷酷な仕打ちの言葉ではないんじゃないかと、、そう思うようになりました。おぼろな疑問を、ちょっと確信に近づけてくれたのが、ペーター・シュタイン演出のロシア語劇「HAMLET」(公演当時の案内>>)。とってもナイーヴな、音楽好きの王子と、可憐で儚げな妖精のようなオフィーリア。・・・少し記憶が曖昧になってしまったけれど、あの劇では王子はオフィーリアのそばに屈みこんで、耳元に囁くように、その台詞を言ったような気がします。
王子は復讐を遂げたら、たぶん死ぬ覚悟でいたのではないかしら。。だから、、あの台詞は、永遠の愛をたむけた台詞、、。自分は、ずっと一緒にいてあげることは出来ないけれども、、オフィーリアには、生涯、祈りの場で自分を想っていてくれ、、と。
オフィーリアは、彼を失った悲しみで、夢の世界の住人になってしまったのだろうか、、、? なんだか、そうではないような気がする。。 オフィーリアは、彼の言葉を、理解できたのではないかしら、、、。 どうかな。
きょうはそんなことを考えていました。
子供の頃に、「尼寺へ行け!」という台詞を何処からか憶えて、
それがシェイクスピア劇だと知ったのはずっと大きくなってからだけれど、それまでは〈寛一〉〈お宮〉と同じ世界の台詞だと思っていたのです。寛一が下駄でお宮を蹴飛ばしながら「尼寺へ行け!」、、、記憶の中のセリフは、人情劇を演じる役者さんが、ポーズを決めつつ吐くような、そういうものだったのです。。お陰で私のシェイクスピア観はずいぶんと狭められました。
でも、作品を本で読むようになって、
あの言葉は、そんな冷酷な仕打ちの言葉ではないんじゃないかと、、そう思うようになりました。おぼろな疑問を、ちょっと確信に近づけてくれたのが、ペーター・シュタイン演出のロシア語劇「HAMLET」(公演当時の案内>>)。とってもナイーヴな、音楽好きの王子と、可憐で儚げな妖精のようなオフィーリア。・・・少し記憶が曖昧になってしまったけれど、あの劇では王子はオフィーリアのそばに屈みこんで、耳元に囁くように、その台詞を言ったような気がします。
王子は復讐を遂げたら、たぶん死ぬ覚悟でいたのではないかしら。。だから、、あの台詞は、永遠の愛をたむけた台詞、、。自分は、ずっと一緒にいてあげることは出来ないけれども、、オフィーリアには、生涯、祈りの場で自分を想っていてくれ、、と。
オフィーリアは、彼を失った悲しみで、夢の世界の住人になってしまったのだろうか、、、? なんだか、そうではないような気がする。。 オフィーリアは、彼の言葉を、理解できたのではないかしら、、、。 どうかな。
きょうはそんなことを考えていました。