去年、母が「お前これを覚えてる?」と言ってエアメールの束を出して来た。物置から見つけたと言う、1976~78年ごろまでペンパルだったCherry(愛称)の手紙。
ところで、試験明けの今日は、サム・シェパードの『ローリング・サンダー航海日誌』を一気に読みながら、先頃発売されたディランの『ローリング・サンダー・レヴュー・ツアー』を聴いていた。(私に沢山の事おしえてくれた人、資料を送ってくれた友だちに感謝!)・・これは75~76年のツアー。そしてディランが来日したのが78年だったのかな? サムの本を読みながら今度のCDを聴いているとあのツアーの様子が眼前に浮かんでくるよう。見たはずもないアレン・ギンズバーグやジョーン・バエズや、Tボーン・バーネットなどと一緒にブロンドの英国人ミック・ロンソンが歩いている写真が不思議でしょうがない。けれどもサムの詩的な形容と、ウィットに富んだ人物描写のおかげで、ありありと現実味をもって2年にわたる全米各地への旅が想像できるのがとてもとても嬉しい。本の中に盛んにマサチューセッツ州の地名が出てくるので、不意に、そこに住んでいた少女からの手紙を思い出して、中を開けてみる。
「あなたの国の成績評価はどういうシステムなのですか? 私はオールAをとりました」と書いているCherry。そしてサムの本を読み進めて行くと、ディランとギンズバーグが、ジャック・ケルアックの出身地のロウエルで、ケルアックの墓の前にひざまずいて歌を歌い、詩を朗読する。。ん? ロウエル? Cherryの手紙を見るとまさにそのLowellに彼女は住んでいたのでした。詩人ギンズバーグが瞑想する横をCherryが学校から帰ってくるような、そんな想像さえしてみたり。
「サタデーナイトフィーバーを先週見ました。この映画は大好き。でも、中で使われている汚い言葉は嫌いです。あなたの好きなシンガーは誰?」・・私はこの手紙に何て返事を書いたのだろう。。PUNKが好き、中でもパティ・スミスとか・・書けなかっただろうなあ。
サム・シェパードとパティ・スミスはNYで70年代の初め頃、一緒に暮らし、一緒に戯曲を書いて舞台をやっていたそう。サムの当時の妻をパティは追いやってしまったとか。76年にはPUNKのヒロインになっていたパティが、ディランのツアーに訪れた事を、サムは1行だけあっさり書いている。
「あなたの家にはプールはありますか?」Cherryからの手紙には、こんな日米間のギャップをまざまざと感じさせてくれる言葉がたくさん綴られていて、70年代の田舎の少女は、だんだんとお手紙を書き続けるのがつらくなっていったのでした(笑)。「マサチューセッツにはハーヴァード、イェール、ボストン大ほか、たくさんの大学があります。私もそのうちのどこかへ行くつもりです」と将来を語るCherryは、本当にその中のどれかへ進学したのかもしれません。送ってくれた写真は、オリビア・ニュートンジョンをおちびちゃんにしたような、とても可愛らしく利発そうな女の子だったのだもの。今はきっと素敵なお母さんでしょう。
ところで、試験明けの今日は、サム・シェパードの『ローリング・サンダー航海日誌』を一気に読みながら、先頃発売されたディランの『ローリング・サンダー・レヴュー・ツアー』を聴いていた。(私に沢山の事おしえてくれた人、資料を送ってくれた友だちに感謝!)・・これは75~76年のツアー。そしてディランが来日したのが78年だったのかな? サムの本を読みながら今度のCDを聴いているとあのツアーの様子が眼前に浮かんでくるよう。見たはずもないアレン・ギンズバーグやジョーン・バエズや、Tボーン・バーネットなどと一緒にブロンドの英国人ミック・ロンソンが歩いている写真が不思議でしょうがない。けれどもサムの詩的な形容と、ウィットに富んだ人物描写のおかげで、ありありと現実味をもって2年にわたる全米各地への旅が想像できるのがとてもとても嬉しい。本の中に盛んにマサチューセッツ州の地名が出てくるので、不意に、そこに住んでいた少女からの手紙を思い出して、中を開けてみる。
「あなたの国の成績評価はどういうシステムなのですか? 私はオールAをとりました」と書いているCherry。そしてサムの本を読み進めて行くと、ディランとギンズバーグが、ジャック・ケルアックの出身地のロウエルで、ケルアックの墓の前にひざまずいて歌を歌い、詩を朗読する。。ん? ロウエル? Cherryの手紙を見るとまさにそのLowellに彼女は住んでいたのでした。詩人ギンズバーグが瞑想する横をCherryが学校から帰ってくるような、そんな想像さえしてみたり。
「サタデーナイトフィーバーを先週見ました。この映画は大好き。でも、中で使われている汚い言葉は嫌いです。あなたの好きなシンガーは誰?」・・私はこの手紙に何て返事を書いたのだろう。。PUNKが好き、中でもパティ・スミスとか・・書けなかっただろうなあ。
サム・シェパードとパティ・スミスはNYで70年代の初め頃、一緒に暮らし、一緒に戯曲を書いて舞台をやっていたそう。サムの当時の妻をパティは追いやってしまったとか。76年にはPUNKのヒロインになっていたパティが、ディランのツアーに訪れた事を、サムは1行だけあっさり書いている。
「あなたの家にはプールはありますか?」Cherryからの手紙には、こんな日米間のギャップをまざまざと感じさせてくれる言葉がたくさん綴られていて、70年代の田舎の少女は、だんだんとお手紙を書き続けるのがつらくなっていったのでした(笑)。「マサチューセッツにはハーヴァード、イェール、ボストン大ほか、たくさんの大学があります。私もそのうちのどこかへ行くつもりです」と将来を語るCherryは、本当にその中のどれかへ進学したのかもしれません。送ってくれた写真は、オリビア・ニュートンジョンをおちびちゃんにしたような、とても可愛らしく利発そうな女の子だったのだもの。今はきっと素敵なお母さんでしょう。