星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

大戦下の友情: ユッシ・エーズラ・オールスン著『アルファベットハウス』/ ピエール・ルメートル著『天国でまた会おう』

2019-09-30 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『アルファベット・ハウス』ユッシ・エーズラ・オールスン著、鈴木恵 訳、ハヤカワミステリ文庫
『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル著、平岡敦 訳、ハヤカワミステリ文庫


両者ともにミステリ小説界の人気シリーズをもつ作家。 オールスンは『特捜部Q』シリーズがベストセラーとなったデンマークの作家で、 一方のルメートルは、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズで人気のフランスの作家。 、、とのことなのですが、私、 両シリーズ共読んでいません。 そして今回の両作品は ハヤカワミステリ文庫から出ていますが ミステリ小説というわけでもありません。

殺人事件や 犯罪といったものが登場する意味では 広義のミステリ小説かもしれませんけれど、 大戦を背景にした(日本で言うなら)純文学作品になると思います。 だから、 両作品とも 出版者の謳い文句では 「特捜部Q」の作者… 、 「その女アレックス」の作者… 、、と掲げられて そちらを経由して読む方も多いと思うのですが、 クライムノヴェルのスリルや謎解きなどのミステリ要素を求めて読むと ちょっと期待と違うことになるでしょう。 特別ミステリファンでない読者のほうが興味深く読めるのではないかしら、、 例えば カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』に関心を持った方など…  

大戦に出征した若者たちの悲劇と友情をテーマにした物語、、 という点で 両作品には共通するところがあるのですが、 作品の趣きというか 雰囲気というか、 読んだ印象は正反対に感じるものでした。 片やドイツが舞台、 片やフランスが舞台の違い?、、 というより、 作家さんの《戦争の持つ悲劇性》へのアプローチの違い、、 そんな風にも感じました。

 ***


『アルファベット・ハウス』ユッシ・エーズラ・オールスン著


第二次大戦末期。
英国空軍のパイロット、 ブライアンとジェイムスは ドイツ上空の偵察中に撃墜されパラシュートで脱出する、、 敵地の領内で命からがら彼らが乗り込んだ列車は ドイツ軍兵士の負傷者や病人を運ぶ車両だった。 英国人であることを隠すために 二人は言葉もなにも理解できないほど精神に障害を負ったドイツ兵のふりをして病人たちに紛れ込み、 ナチ監視下の精神病院に送られる…

そこで二人がいかに見つからずに生き抜き  生還への道を探るか、、 その精神病院の日々の描写が、、 (著者は父が学者で、幼少時に精神病院の様子を見て育ったというだけに) ナチの実験的な精神療法の事など、 シリアスな面もリアリティがあって読み応えはあるのですが、、 とても重い… そして 二人を取り巻くほかの患者たちとの日常が、、 とても悲惨、、。 上巻の終わりのほうまでその毎日の描写がひたすら続くので、、 いつまでこれが続くんだろう… とちょっと読むのをやめようかと思ってしまいました、、

しかし、、 そのあと物語が動いて 舞台は急に1970年代へ…
精神病院に身を隠していた二人のうち、 英国へ生還したのはブライアンだけでした。。 時は流れ、 第二次大戦は遠い過去のものとなり ブライアンはビジネスマンとして成功もしている、、 しかし、、 かつての相棒 ジェイムスの事は片時も頭を離れることは無かった…

、、 戦時下という異常な状況がふたりの運命を分け、 そして それぞれに繁栄を遂げ戦争が過去のものとなった英国とドイツの現在の状況が、 過去の記憶を遠く深い霧の中に沈ませる、、 その中でかつての友の消息を追い求めるブライアン。。 そこから先の話はサスペンスフルな動きのある物語になって一気に読ませますが、、 心に残るのはずっしりとした重さと せつなさ、 悲しさ。。

、、ストーリーからは少し逸れますが、、
幼い日の友情というのは、 友も自分も同じ速度で時間が過ぎていくものだと(少なくともそう感じていたと) それが子供時代なのだと思います。 しかし大人になり、 互いの環境が変わり、 例えば一方は急激な変化を強いられ、 また一方は時が止まったまま生きていくこともあるかもしれない、、。 戦争のような特殊な状況下でなくとも、 それぞれが別々に生きていけば 時間の経過の速度や自身の変化は同じではいられない、、。 それと共に 私の中の君の記憶と、 君の中の私の記憶とは、、 まったく同じものではいられなくなる… その差が生まれてしまうのは《罪》なんだろうか…  
、、互いにいつまでも変わらない《友情》って (そう信じたそのままの友情って)有り得るんだろうか…
 
、、と、、 遠い子供時代の友情など振り返り、、 そのような事まで考えてしまう物語でした。。


 ***

『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル著

第一次大戦末期の西部戦線。
気弱な一歩兵アルベールは、 膠着した塹壕戦の末、 武功をたくらむ上官プラデルの突撃命令で塹壕を飛び出すが、、 上官プラデルの不正を目撃した為に 爆撃に見せかけた生き埋めにされてしまう、、 アルベールは仲間の青年エドゥアールによって助け出されるが、エドゥアールは顔の半分を失うほどの傷を負ってしまう…
野戦病院に送られたアルベールとエドゥアール、、 しかしそこでも二人を生還させまいとする上官プラデルの策略が…。 肺血症で死にかけているエドゥアール、、 自分の命を救ってくれた友を助けるためにアルベールは…

こちらも生死を賭けた深刻な物語なのですが、、 語り口は前述の作とは異なりスピーディーで ややもするとコミカルなほどです。 気弱なアルベールが必死で策をめぐらせて エドゥアールを助けようと奔走する様子、、 悪役を絵にかいたような上官プラデル、、 帰還兵を扱う政府機関のお役所仕事ぶり、、 死んで帰れば英雄で、傷病兵はただの厄介者という戦後の困難、、 そういった戦争のおぞましさくだらなさ不毛さをカリカチュアしてみせる、、

顔を半分失ったエドゥアールと、 彼のためにどこまでもお人よしなアルベールのキャラクターがとても魅力的です。 エドゥアールは上流階級の出身でお金に困ったことが無い、、 絵の才能があり芸術家のような彼と、 何をやっても不器用で臆病でただ生真面目なだけのアルベールとが、 戦後の困難を生き抜くために一世一代のとてつもない計画に挑んでいく… 

このスリリングな風刺画のような物語を読みながら、、 もしこれを映像化するなら、 エドゥアールは 若き日のデヴィッド・ボウイみたいな人がいい、、 と思っていました。(ボウイが第一次大戦の兵士を演じた『ジャスト・ア・ジゴロ』という映画のイメージが頭にあったせいもあるのですが) 
こんな描写があります…

 「…エドゥアールは長椅子に色っぽく寝そべり、紐で縛った包みのひとつに素足をのせている。 ルイーズはその端にひざまずき、エドゥアールの足指に真っ赤なエナメルを塗っていた。… エドゥアールは歓喜の笑い(ラァフゥウルゥゥゥ)を轟かせると、満足げに床を指さした。出し物が大成功したあとのマジシャンのように…」

、、口も顎も失くしてしまったエドゥアールが発する奇妙な笑い声、、 1920年代に足の爪に真っ赤なエナメルを塗っているエドゥアール、、 富裕な生まれの彼は子供の頃から美しく着飾ることが大好きだったけれども、 エドゥアールには決して得ることの出来なかったものが…

破天荒な物語でありながら、 ピュアでせつない、美しい物語だと思いました。 悪役プラデルを始め、若者二人を取り巻く人々の運命が同時進行で転がっていくのも面白いです。


、、とここまで書いてきて、、 さっき検索したら 
『天国でまた会おう』は映画化されて、 今年の3月に日本でも公開されていたのですね、、 知らなかったです。 映画化できたなんて、 あの個性的なエドゥアールを映像化できたなんて、、 素晴しいわ、、

ピエール・ルメートル原作の仏映画「天国でまた会おう」 ラストを変えた理由(好書好日 Asahi.com) インタビュー

映画 オフィシャルページ


↑上記のインタビューに、 「ラストを変えた」って書いてありますけど、 どんな風に変えたんだろう… 小説のラストは私はとてもとても素敵だと思っていますが、、 

『天国でまた会おう』は、 フランスで最も権威ある文学賞 ゴンクール賞受賞作。 たしかに受賞にふさわしい(でも決して堅苦しい文学作品ではなく) エンターテイメント性と文学性を兼ね備えた傑作だと思いました。

そして、 この作品は三部作で もうすでに昨年、 第二部の『炎の色』上下巻が翻訳されているのだということもさきほど知りました(←無知) 第二部は、 エドゥアールの姉マドレーヌを主役にした続編なのだそうです。

、、でも、 まだ翻訳されていない 第三部のほうが楽しみかな、、。 エドゥアールの爪に赤いエナメルを塗っていたあの少女、、 エドゥアールが唯一心を開いた少女ルイーズの成長してからの物語だそうで、、 とても気になります。


映画の予告編もなんだか素敵だった、、 プライムビデオですぐに見られるのですね… (プライム会員ではないんだけど、ね)


、、 観てみたい映画もたくさんあるなぁ…


でも 秋の夜に読むべき本も次々に控えているのです、、 


頑張ろ…

感謝...

2019-09-23 | …まつわる日もいろいろ

サラシナショウマ(晒菜升麻)




ゴマナ(胡麻菜)




エゾノコリンゴ 



、、 来年は どんな花を咲かせてくれるのかな…


、、 自分もまた その花を眼にすることが できるのかな…


 
一歩、、


また 一歩、、





道は... ずっと 続いている...








… おつかれさま …


山... 森...

2019-09-22 | …まつわる日もいろいろ

おはよう…




バラ色の夜明けと、、




やがて 青空、、




晴れ女だもの、、


spoonful...

be happy

2019-09-21 | …まつわる日もいろいろ

台風17号接近中…  



11℃ 、、

心はいつも…

2019-09-19 | …まつわる日もいろいろ

16日の秋空です。



こちらは 今朝の空。 美しい鰯雲ですね。(ちょっと山女魚っぽい…?)


 …雨は夜のうちにあがり、天気は回復にむかっている。雲のようすを見て、みんな口々に予想をした。 気苦労の種は尽きないけれど、毎朝こんなだったら、生きているのも悪くないと感じられる。…

、、いま読んでいる本の一節。。 まだ上巻を読み終えたところだから、 本についてはまた今度、ということにいたしますね、、

雲を見上げるの好きです。 小学生のときの自由研究では《雲とお天気》の観察もやったことありました。。 上の引用のなかの「雲のようす」がどんなかはわからないけれど、、 でも 今朝のような美しい雲が見られた朝は、 ほんとうに 「生きているのも悪くない」と思えます、、

だから、、 今週末の連休も、 房総や九州や、 降らないでいて欲しい場所の大雨がないことを切に 切に願ってます、、。 私もちょっとお出かけのつもりなのだけど… 天気の予想が難しいので 今の時期、 身支度には悩みますね、、


 ***

 …どんな大きな喜びにも、わずかな悔いが残る。 人生はいつも、なにかもの足りずにすぎていく。…

、、さきほど読んだ部分に、 こう書いてありました。。 そうなのかな… そうなのかもしれないね…

、、やり遂げた、、 満ち足りた、、 達成した、、 最高の気分…!! 、、ほんとうにそこが終着だったら、 もうその先には進めないものね、、 燃え尽きてしまうから。。 どんな大きな喜びのなかでも きっと 心のどこかに《わずかな悔い》が残るからこそ、、 また次は、、 今度は、、 これからは、、 って頭をもたげる力になるのかも… ね

「悔い」という字は 「心」と 「毎」でできているから、、 心がいつもいつも感じることが「悔い」なのかもしれない。。 くよくよするのは惨めな(心がまいってしまう)ことのように感じるけれど、、 心はいつも「悔い」ていて良いのかもしれない。。 自分に足りないもの、、 至らないところ、、 いっぱいで、 いつもいつもダメな気分になること沢山あるけれど、、 日々 悔いていても良いのかもしれない…

 ***

、、 この夏の読書の流れで 第二次大戦、 第一次大戦、、 出征によって大きく損なわれた人生、、 引き裂かれた物語をふたつ、 続けざまに読んだら 読書とはいえ少し心が影響されて落ち込み気味になりました。。 物語の中でも、 傷ついたり 苦しんだりする人に寄り添うのはこちらの力を試されます、、

そして、、 本当にほんとうは、、 戦争という概念とか無機質なものが人生を砕いたのではなくて、 そこに存在する(そして何処にでも存在している)邪悪な心を持った《人間》こそが 誰かの心を、 肉体を、 破壊するのだと… それがわかっているから、、 同じ人間としてのやるせなさに 心が痛くなるのです…


、、 今の本を読み終えたら 今度は 詩人の本を読もうかな、、と思っています。 詩人が書いた小説を。。



たいせつな秋の日々…


たいせつに。。



心はいつも


彼方へ…    その先へ…

もし天が空つぽであるなら… :『ニイルス・リーネ 死と愛』④

2019-09-14 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
ニイルス・リーネについて 前回書いたのはもうふた月前のことでした(>>

本は 8月のうちには読み終えているのですが、、 感想を書くのは 今度、 新訳として出版される 世界文学のシリーズ〈ルリユール叢書〉『ニルス・リューネ』 を読んでからにしたいと思っています、、

幻戯書房NEWS >>

 ***

読み終えて現在思っていること、、 少しまとめてみてもいいかな、とも思うのですが…
じつは なんと、、



↑240頁の次が 257頁… (苦笑)
、、糸綴の部分もしっかり止まっているので 抜け落ちたり破れたりしたのではなく、 製本の時から綴られていなかったみたいなんです。。 ニイルスと愛する人と親友と、、 その三者をむすぶ重要な会話の場面、、 十七頁ぶんが欠落しているので、 やっぱりきちんと読み直してから感想を書くことにしよう、、 そう思っています。

でも、、 なぜ 山室静さんが この作品に 『死と愛』という邦題をつけたのか、、 ニイルス・リーネ(ニルス・リューネ)にとっての 《愛》そして《死》とはどういうものであるのか、、 それは 不完全とはいえ読後の今、 私の中に形づくられています、、 光を見た後の瞼裏を照らす残像のような、、 何か不意に転倒しそうになったような (あるいはもっと鋭く… 銃弾がかすめた後のような) 驚きに胸郭を内側から叩く動悸のような、、 そんな すこしの衝撃と痛みをともなって…

 ***


194頁 のニイルスの言葉から… 

「だが、君は思ひませんか、」とニイルスは叫んだ。「何時か人間が高らかに『神はない』と歡呼できる日には―― その日には、まるで魔法のやうに、新しい天と地とが浮び上りはしないでせうか? …(略)… 


、、このあと ニイルスの言葉は長くつづきます、、


 … いま神の方へ向つてゐる愛の力強い流れは、もし天が空つぽなら方向を大地のほうへとつて、その愛の手で人間の高貴な本質や能力を守り育て、さうすることで我々の神性を見事に飾り立てて、それを我々の愛に値ひするものにまでしたことでせう。 …(略)… 人間がもし天国への希望や地獄への恐怖なしに、自由にその生を生き、その死を死ぬことが出来るとしたら …


まだ続きがありますが ここまでにしておきます。

5月に引用をした、 まだ最初のほうの部分で 子供のニイルスはこう叫んでいました、、

 「神様、待つて下さい、待つて! (『ニイルス・リーネ 死と愛』②>>


5月に、、この部分を読んだ時、 こう私は書いています、、
 「この病床に伏す女性の傍らでの 神様への祈りが、 そしてその結果が、、 ニイルスの神への信頼に、 その後の生き方に、 きっと大きな變化をもたらすことは想像されます。。」 と… 

、、あのときの幼いニイルスの言葉は たしかにここまで、 そしてニイルスの生涯を貫いて 繋がっていたのでした。。

 ***


今はまだ、、 この成人したニイルスの主張、 《神》や《人間の愛の力》というものに対する私の気持ちはまだ書かないでおきます。。 でも、、 子供のニイルスの叫び、 そして今度の大人のニイルスの叫び、、 それらには 私自身もたぶんずっとずっとちいさな子供の頃から感じ、 考えてきたことと やはりどこかで結びついていたのだと思っています。


もし天が空つぽであるなら、、

ひとは、、

そして 地上は、、

 ……


人の《愛》は、、?   そして《死》は、、



今も、、 今だから、、 


考えたい事です。。


 ***

 
〈ルリユール叢書〉『ニルス・リューネ』の発行日は まだのようですけれど、、 新しい訳と解説を得て、 今、この本が読める偶然? 《めぐり合せ》を、 しあわせなことと思って待っているのです…

 

 心やすらぐ連休になりますように…


はやくよくなって…☆彡

2019-09-12 | …まつわる日もいろいろ
今日はすこし涼しくなってよかったですね。。

、、ここのところ色々と気懸りなことや なにやらですっかり遠ざかっていたMLBの様子、、。 ワタクシ そんなにオオタニさ~んには関心が無くて(というか DHというのが余り好きでない。。 投手も打順に入るべき、、という考えはバムガーナーと一緒です。 マエケンさんだって打席に立つ、、それが野球と思うぞ) なので できればもっと マエケンさんや ユウセイさんや ダルビッシュさんや マー君や いろいろなチームを見たい、、 でも今年ほとんど見てない…

そんなこんなで 気がつくと ドジャーズは早くも地区優勝しているし、、 V7って。。 さっき、 優勝決定場面をネットで見ましたら、 べつにベンチから奔り出して抱き合うわけでもなく、 毎日の試合の終了みたいに ふつーに選手が出てきて並んでハイタッチして、、 って

、、 ドジャーズにとっては 10月こそが本番なんですものね、、 毎年…


それよりも、、 イェリッチが骨折していたなんて、かなしい。。 イチローさんと一緒だったマーリンズ時代から、 きっと良い選手に育つだろうな、、と期待してて ヤンキースに行ったスタントンより絶対イェリのほうが 使える選手になる! と確信していたら、 本当に 昨年、今年の大活躍はすごくて…

、、 あいかわらず走り方は女の子みたいに可愛らしくて、 四球を選んでバットをそうっと置いて一塁に向かう仕草もなんともキュートで… 笑 、、マーリンズ時代よりは少しは太ったかな、、と思うけど、 でもまだまだスリムだから身体を痛めなければ… と願っていたら、、

自打球だから 誰にも文句も言えません、、、涙


今期の イェリッチ選手の活躍場面の総集編が載っていました。 ほんとにイェリは今期も素晴らしかった…
Christian Yelich 2019 Highlights - NL MVP candidate's season cut too short


はやくよくなってね、、 イェリ。。 来年も待ってるよ…


今後は(ドジャーズも、ですが)、 ナショナルリーグのワイルドカード争いを(カブスもブリュワーズも頑張って欲しいね) 注目してみたいと思ってます。。


… 秋が来た、、

少しずつ…

2019-09-10 | MUSICにまつわるあれこれ
東京湾をまっすぐに上って来た強烈な台風…  そして 昨日 今日の猛暑… 、、 

先ほど 月を見上げて、 今年の中秋はもう今週末だと気づきました。。 こんなに暑い名月の季節ってあったかしら… 


、、台風の晩はうまく眠れなくて、 翌日は列車の混乱の心配をしたり、、 停電の地域のかたの心配をしたり、、 少しくたびれたので今日はゆっくり音楽を聴いて、 読書をしながら甘いものをいただくことにしました。。


HINDI ZAHRA / Handmade

前回書いた インディ・ザーラさんの音楽を聴きながら…

2010年のアルバム「ビューティフル・タンゴ」というのが 日本盤のタイトル。 今 左サイドバーの音楽に載せている新しいMVとは 髪型もちがっていて、 パリジェンヌぽい雰囲気のフォトになっていますね。 大家族でいつも音楽に囲まれて育って、 myspace に自作を載せたことがデビューのきっかけだったというのは現代っ子らしいところ、、 パリという都会で聴かれる音楽と モロッコの伝統音楽の要素がとても心地良く溶け合っていて、、 今日のような気怠い猛暑の中でも やすらぎをあたえてくれます。

、、歌詞は 日本語にするととても直截な、、 でも自然な、 と言っていいのでしょうね、、 艶めかしさもある愛のことば…

2015年に より地域色を深めた「Homeland」というアルバムを出しているので そちらも聴いてみたいな、、

 ***


甘いお菓子はじつはあまり得意ではありません、、 上のフォトのは お友だちといただく為に買ったタルトが余って、、 ほんとうは濃い珈琲と一緒が良いんですけど(このところ 珈琲は飲まなくなったとは言え、スイーツ過ぎるスイーツには珈琲が欲しくなります、、) でも 今日はとっても暑かったので アイスのジャスミン茶にしました、、 それでもとっても甘くて…

スイーツも 愛のささやきも、、 ほどほどが好き。。



i will take the train
leave the sun for the rain
and come downtown

というリフレインのある 「Imik Si Mik」 の詞が好きです。。


少しずつ

手と手をつなぎ…


生・此処・地… :『イタリアン・シューズ』ヘニング・マンケル著 / 『ある一生』ローベルト・ゼーターラー著

2019-09-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)


人生… 生き方… 生涯…

呼び方はいろいろですが ひとりの人間の生き方を描いた、 三つの異なる時代の、異なる国々の小説を読みました。 この夏に読んだものですが、 別にテーマを意識して続けて選んだ本ではなく たまたまだったのですが、、 それぞれが 《一生》 つまり「ひとりの人間の生涯」 あるいは「一度限りの生」 というものを考える小説なのでした。。

ヘニング・マンケル著『イタリアン・シューズ』 東京創元社 柳沢由実子・訳 は、 時代は現代(ほぼ戦後世代)。 国はスウェーデン。

ローベルト・ゼーターラー著『ある一生』 新潮クレストブックス 浅井晶子・訳 は、 時代は二十世紀の約80年間(ふたつの大戦を生きた世代)。 国はオーストリア。

イェンス・ペーター・ヤコブセン著『死と愛(ニイルス・リーネ)』 は、 時代は19世紀後半。 国はデンマーク。 (ニイルス・リーネについての読書記はまた別の機会にします)


 ***

ヘニング・マンケルさんは 警部クルト・ヴァランダー・シリーズで著名な作家。 ヴァランダーシリーズ含め、 マンケルさんのミステリ―作品はほぼ全部読み終えてしまい、、 唯一 ヴァランダー作品の『ファイアーウォール』以降は (これを読んだらもう楽しみが無くなってしまうのがイヤで)読まずに残してあるのです。。

そのマンケルさんの未訳だった小説『イタリアン・シューズ』は ミステリ作品ではなく、 66歳の初老の男の、 生き直し、、 というか 人生の《再始動》の物語。 解説の中に、 本国での評価として「究極の恋愛小説」というふうに書かれているけれど、 この小説は 私は恋愛小説ではないと思う… 

66歳の男が暮らしているのは、 ストックホルムの東側にある群島の中のひとつの島。 ストックホルム群島というのは 2万4千も(!)島が存在するそうで… 、、以前読んだミステリ小説『静かな水のなかで』ヴィヴェカ・ステン著 では その群島のことを (ガラスを叩き割って散りばめたような…) という感じに表現されていたと思います(うろ覚えですが)

そんな細かな島の一つに、 男はもう十二年間 たった独りで住んでいる、、 世捨人のように、、 或は 引きこもりのように。。 何処へも行かず、 口をきくのは数日おきに船で来る郵便配達人だけ。。 かつては都会で有能な多忙な職業人であった彼は、 とある大きな《挫折》をきっかけに 一切を棄ててこの島に引っ込んだ。 その日から男の心も時が止まったように停止した…

その島にある日、、 男が遠い過去に棄てた女が現れる、、 病に侵された年老いた姿で…。。 
長い年月 心のすべての扉を閉ざしていた男の、 ひとつのドアが急に開かれ、 いやおうなく吹き込む風に男の心はかき乱され翻弄される、、 しかし、 ひとたび吹き込んだ風は 次の扉を また次の扉を… 

、、 世捨て人のような頑固で偏屈な老人が、 人とのつながりをきっかけに次第に心を開いて変わっていく… そういう物語は わりと何処にでもあるような気がする。。 日本の映画とかでもなんだかありそうな気がする。。 生き直し… 再生の物語… たしかにそうなのだけれど、、 ヘニング・マンケルさんらしいなと思うところは、 66歳の主人公も相当に《身勝手な》男なのだが、、 物語の運び、、 つまりは書いている作家さんの筆も相当に《身勝手な》書きっぷりというか、 強引な(?)展開で…

クルト・ヴァランダー警部シリーズを読んでいる人間には、、 この初老の男って、、(ヴァランダーだよ…)とつい笑ってしまう。。 とつぜん気が変わる、 とつぜん怒る、 とつぜん思い込む、 とつぜん逃げる、、 とつぜん決意する、、 とつぜん… (笑
… ヴァランダーシリーズで、 ある事件をきっかけにヴァランダーが精神的に追い詰められ 休職に至るのですが、、 そのあと警察に復帰できずに辞めてしまっていたら きっとこの島に引きこもりの男みたいになっていたと思う… 、、そういう ヴァランダーらしい、 実に 身勝手で、 ダメで、 弱くて、 でも強がりで、、 孤独を選んだくせに 心の中には消すことの出来ない何か 悔いや おさまりのつかない抗いや 誰か、、 そういうものが燻っている、、熱く… (だから氷の海に毎日入ったりするんだ、、きっと…)


 ***

ゼーターラー著『ある一生』の主人公は、 正反対のような人物。。 この人物は自分に降りかかるすべてを受け入れて生きる、、

オーストリアの山岳地帯。 男は生まれながらに何も所有していなかった、、 みなし児になり、 遠い町からこの地へもらわれてきた。 厳しい労働も、 折檻も、 そのせいで身体に障害が残っても、、 すべてを受け入れて生きる、、 そもそもこの世に 疑いとか 抗いなどという概念が存在しないかのように…

この男の物語には《神》への信頼とか信仰については何も触れられないけれど、 男の人生に次々に起こる悲劇や苦難、、 愛、 死、 戦争、、 さながら「ヨブ記」のように男の身を翻弄する… それでも生きる、、 淡々と、 一歩一歩、、 巨大な岩を永遠に山頂へ運び続けるシジュフォスみたいに… 

その姿はやはり、、 この物語の舞台、 男が暮らす地、、 山岳地帯の風景にどこか似ているのかもしれない… 、、山は一瞬にして嵐が吹き荒れる、、 雪崩が起き、 霧に包まれ、、 氷に閉ざされ、、 それでも正しい季節になるとひっそりと花は咲き、 どこかで生き物は冬を乗り越え、、 そして 毎日、 太陽は正しく昇り、 山腹を黄金に染める… 

『ある一生』の男の人生は、 もしかしたら20世紀の困難な時代の中では たぶん何処にでも存在し、、 語られることもなくこの世を通り過ぎて行った 名もなき人々すべての人生なのかもしれない。。

この小説を読んでいると、 「小さな村の物語 イタリア」というTV番組が脳裡にうかびます。。 土曜の夕や日曜の朝にやっているので しばしば観ることがあるのですが、、 イタリアの小村の風景も美しいですし(とりわけ北イタリアの山岳地帯は、この小説を思い出させます)、、 取り上げられる村人は羊飼いだったり、 農家だったり、 バールの経営だったり、 様々だけど  皆 自分の暮らしに納得し、 その地を愛して長い年月を生きてきた満足感というか、 決してひけらかすことの無い誇らしさに満たされている… そんな無名の人々の尊い人生のことを想います。。


 ***

小説としては どちらも価値のある小説だと思うけれど、、 人生も初老に近くなったとは言え いまだにダメダメな自分としては 『イタリアン・シューズ』のおっさんの方により感じるものがありました。
何より、 『イタリアン・シューズ』の魅力的な点は、 このおっさんと関わることになる登場人物のいずれもが どこか勝手に生きていて、 それぞれ我儘で、 でも自分の道というものを持っていて、、 そんな個性のある登場人物たちと このおっさんとの距離感(この後の物語のつづきを想像させる上でも) なんだかいい距離感を感じるのです。。 おっさんの暮らす群島のことを 《ガラスを叩き割って散りばめたよう…》だと 先ほど書きましたが、 ちょうどそんな風に、 少しずつ離れていて、 ばらばらなんだけど なんだか一つ一つ輝いている、、 そんな群島。。


、、 人とのつながりは大事… (だいじ、とも おおごと、とも) だけど、、 この日本の中での人と人との距離感、、 密度に、、 たま~~に 息苦しくなること、、 ありませんか…?


ストックホルム群島も憧れる…


オーストリア山岳地帯も素敵…


、、 自分の人生の中で 自分にとっての 最善のいごこちを感じられる場所、、 生・此処・地… そして ともに生きる人との距離感…  あらためて自分の身もふりかえり、 この先の生き方も想ってみる読書でした。。



一度きりの人生だものね、、