星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

光の中のバレリーナ。

2008-06-24 | アートにまつわるあれこれ
ほんとにここもほったらかしにしていて、スミマセンでした。

梅雨の晴れ間。 陽射しのまぶしい一日。
、、今朝、、出掛けたら、 マンションの木立の間から、揚羽蝶が踊るように舞い出てきて、 ひらひらと、 歩いて行く私の周りを大きくぐる~っと一周して、 しばし付き添ったあと、 光の中に戻っていきました。 バイバイ、と離れて行く蝶々に、手を振って。。
こんな日は、 ぜったい妖精さんに出会ったんだと思うことにしてる。。 揚羽蝶って、羽の下の方が細く長く突き出しているでしょう? 今日はそれが本当にバレリーナの脚みたいに見えたんだもの。

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この1週間、、、
お仕事行って、病院行って、週末は某大学へ行ってお勉強して、またお仕事行って、、
ハタ!と忘れていた原稿の催促が昨日メールで来てて、 大急ぎで宿題やって、、みたいな。。

この夏は、美術館がとっても気になっています。
いま、出光美術館では、「ルオー大回顧展」が8月まで開催されています(HP>>)。

8月からは、BUNKAMURAミュージアムで「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」があります。
漱石が『草枕』に登場させた、「オフィーリア」は観に行かなくてはなりませぬ。。(漱石同様、私もさほどこの絵は好きじゃありませんが、、笑)。(HP>>
、、と、、今、HPの方を見たら、来春、「トレチャコフ美術館展」をやるのですって! 見たい。こちらこそぜったい見たい。 到底行けそうもないトレチャコフ美術館がこちらへ来てくれる。なんて嬉しいこと。。

そして、超混雑しそうな、東京都美術館の「フェルメール展」。一挙7点、展示、、だなんて、 その人込みを想像しただけで、具合が悪くなりそうですが、、 フェルメールこそ、TVや写真で見るのと、現物の「光」を見るのとでは全く違うものですから、、さあて、いつどのようにして行くべきか、、悩みます。

でも、ほんとうは、 平日のひっそりとした時間を、小さなひと気の少ない美術館で独り過ごすのが好き。。そういえば、、 好きな場所のひとつ、「東京ステーションギャラリー」は、駅の修復工事とともに現在休館中なのだそう。。 またあの赤レンガのしんと鎮まった佇まいが戻ってくれますように。

わたしの、『夢或る夜』

2008-06-17 | アートにまつわるあれこれ
これはおとといの夕空。
肉眼では、もっと深みのある、燃え立つような薔薇色が空いっぱいに拡がっていましたが、
携帯で撮ると、どうしてもオレンジが強く出てしまいます。

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、、こんな夢をみた、、、 は、漱石の『夢十夜』ですが、(そして、あれは夢日記ではなく、 フィクションですが)、、 私のはノンフィクションで、「こんな夢を見ました」。。

先に夢解釈からしてしまいますが、 おととい日曜美術館で、酒に酔いつつ書を書くという、三輪田米山のことをやっていて、 その終りの方で、米山が書いた「幟」を大事に保存していて、祭にはそれを神社に立てて、子供たちが獅子舞を披露する、という素朴なお祭りの様子を見たのと、、
土曜日の地震や、 このところ災害や悲しい事件がひっきりなしに起ることや、、
『方丈記』で、鴨長明が、京に起る疫病や災害のことを書いていたことを思い出したりしたことや、、
たぶん、そんなこんなの記憶が頭の中でごちゃごちゃになったのだと思いますが、、、

どこか地方の神社のお祭りで(たぶん京都?)、、 夜、素人演芸会みたいなのをやっていて、 おばちゃん方の民謡などと一緒に、 どうやら「空也上人」が「踊念仏」をご披露してくださる、、と、どこかで聞いてきて、 旅の連れに、「ねえ、空也上人が出るんだって! 見に行こうよ、行こうよ」、、と慌てて、その社へ急ぎつつ、、「本当に空也上人がお出になるのかしら」、、「本当に鹿の皮ころもと、鹿角の杖でいらっしゃるのかしら」、、「本当にお念仏を唱えると、口から阿弥陀さまが出てくるのかしら」、、と、、どきどきしながら向かっている、、というところで目が覚めました。

、、私は、特別信仰をもっている者でもありませんが、でも、悪戯なふざけた気持ちで夢見ていたわけではないと思います。。とだけ弁解。

今年の新年、 この「空也上人像」のある「六波羅蜜寺」に立ち寄りました。そこで、有名な「空也上人像」を見て、 それがとても小柄で細身であったことや、 醍醐天皇の皇子であったという出自のいわれや、 京に疫病が蔓延したとき、 お薬になるお茶を病人らに飲ませては、お念仏を唱えて街中を歩いた、という伝承を読んできた記憶が、なぜか今頃になって夢にあらわれたのですね。。

漱石の「運慶」が像を彫るのを見に行く、、という『夢十夜』の話にもちょっと似ているかも。(「六波羅蜜寺」には「運慶像」もありました)

「空也上人」については、「六波羅蜜寺」の「寺史」のほうをどうぞ>>

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カラーが、 また増えました。 (今朝になったら、5つ咲いていました)
また写真、載せましょう。。


プルーストとバレエ・リュス☆

2008-06-11 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
毎朝、 窓辺をのぞくと、 まるでジョージア・オキーフのような絵が私を楽しませてくれます。
ベランダのカラーが今年も咲いてくれて、曇り空の多いこの季節でも、
お水が大好きなこの花は、 やわらかい薄緑の葉と、なんともいえない形状の花の姿が
心にお水を、気持ちにほっと、安らぎを与えてくれます。

、、、でも、、
TVでニュースを見たりすると、とてもいたたまれない気持ちになるのが嫌ですね。。

人間は、
たった500gの赤ちゃんが、大きな手術を乗り越えたり、
何十センチも縫う傷を、 いくつも身体に受けたりしても尚、 再び生きようとする力があるのに、
たった一瞬の出来事でも、奪われてしまう命もあるなんて、、 なんて儚い。なんて脆い。
それだからこそ、 ほんとうに大事にしなくてはならないのに、、。

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悲しい話はよしましょうね。




少し前から気になっていた本を見つけてきました。
『プルーストと身体―「失われた時を求めて」における病・性愛・飛翔』
(吉田城 著/吉川一義 編/ 白水社 2008年2月)

20年以上も透析を続けながらお仕事をなさっていたという吉田城先生の遺稿集です。
プルーストと、『失われた時を求めて』の中の、「病」や「身体」への考察も、とても興味深いものでしたが、 「読みたい!」と思った理由が、 プルーストと、「バレエ・リュス」との関係が書かれている、、とあったから。。
「バレエ・リュス」と言えば、昨年、庭園美術館で見て感激したこと、ニジンスキーの美しさのこと、、 こちらに書きましたね(>>

私が、プルーストを余りに知らな過ぎるのもあるんですけど、『失われた時を求めて』にバレエ・リュスや、ニジンスキーの事が書かれていたとはつゆ知らず、、、 10年ほど前にプルーストをちょびっと齧った頃には、バレエ・リュスの方を知らなかったし、、

これを読んだら、バレエ・リュスの1910年代と、プルーストの時代が、自分の中でふわ~~~~っと重なっていくのが感じられました。なんだか、今まで、プルーストが19世紀末みたいに思えていて、逆にバレエ・リュスは、ロシア・アバンギャルドに通じる感覚で、全然ズレていたのに。。。 こういう、文学作品と、時代文化や芸術の背景が頭の中で重なり合うのはとっても重要です。 やっと『失われた時・・・』が、身近になってきた感じです。

本当はゆっくりプルーストを読んでいる場合じゃないんだけど、、 いい本見つけたので、旧知の先輩に教えてあげよう、っと思っていまする。