星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ずっと 隣に。。

2017-11-25 | MUSICにまつわるあれこれ
おととい、、

あれから初めて、、 あの日からひと月半以上経って初めて、、 マイクとベンモントさんのコメントが Tom Petty & The Heartbreakers のオフィシャルサイトに出されました。

どんな気持ちでいたか… あらためてコメントを読むまでもなく、、 想像はできます。。 あくまで想像だけれど、、 彼らが一緒だった時間の長さは 私にも実感できるから。。
そして、 マイクの 「on my right shoulder...」というのを見て、 また泣きました。

 ***

あれから、、

たくさんのミュージシャンがトムの楽曲をカヴァーしたりしてトリビュートしていると思いますが、、 絆の深かった人たちのもの、、 私が聴くことが出来て嬉しかったものを、、 少しだけ載せますね。

ボブ・ディラン御大による “Learning to Fly”>> または>>

ボブの歌声、、 トムのキーは高いと思うんですが 丁寧に同じように歌っていますね。 ボブ御大、 やっぱり歌唱力ある人です。 チャーリーのギターソロもマイクの雰囲気そのまま。

ハートブレイカーズの今年の夏ツアーは、 ピーター・ウルフさんと一緒だったそうです。 今までのツアー、 本当に私も大好きな人たちとばかりツアーしていて、 どんなに観たかったか、、 ブラック・クロウズ、 パール・ジャム、 スティーヴ・ウィンウッド、、 最後になってしまったツアーがピーター・ウルフ。 ツアー中にはステージ上での共演映像は見つけられなかったんですが、 ピーターのその後のライヴからトムの曲を、、
Don't Do Me Like That >>

ピーター・ウルフさんは歌巧いと思うんですよ、 ブルースもロックンロールも歌いこなせるなんたってJ・ガイルズ・バンドのヴォーカリストですから。。 だけどトムの歌って難しいんですよね(笑)、、 見ててめちゃめちゃ可笑しい、、どうしても笑ってしまう。。 でも歌ってくれて嬉しいですピーター・ウルフ爺さま…

この曲は、 Petty Fest の時、 チャーリーがカヴァーしました。 前に書きましたけど、 もう一度載せちゃう>>
、、チャーリーはかっこいいのに、ピーター・ウルフさんだと何故笑ってしまうんだろう…w

ハートブレイカーズのDVDにも出ていたデイヴ・グロール、、 フー・・ファイターズはアメリカン・ガールなんかもLIVEでやっていましたね。 このトリビュートは彼ららしくヘヴィでかっこいいです。 Breakdown >>

、、トムに関係無いですが、 フー・ファイターズによるフレディ&ボウイトリビュートもあったので。。 もうテイラー・ホーキンス君のVo大・大好き! Under Pressure (Queen Cover & David Bowie)>> 最高。。

元気をもらったところで、、 

ハートブレイカーズのマイク・キャンベルさんと、 私の好きなジョナサン・ウィルソンさんが クリスマスの時期に好きなミュージシャンを集めて開催していた Merry Minstrel Musical Circus 今まで4回開催されました。 このライヴについての過去ログはこちら>>

2015年の時には、 トム・ペティさんまで参加して、、 トムと、マイクと、ベンモントさんとで、、 それでハートブレイカーズの曲をやるなんてズルいじゃないか(笑)、、 とあの時書きましたが、、 あんな小さなハコで、、 あんな楽しそうに、 お客さんのすぐ目の前で、、 あれが最後になってしまったなんて…

あの日の ジェフ・リンさんとの Runaway>>

ハートブレイカーズの曲をこの日はたくさん演っていたようです。 その中から、、 Dogs on the Run>> トムと、マイクが、、 頭をくっつけるようにして、、 ギターを合わせる。。 ステージでも見慣れた姿だけど、、 今見ると泣いてしまいます。。 そして、 オルガンを弾くのはベンモントさん、、 ずっとずっと一緒のメンバー。 トムの隣でギターを合わせるマイクの表情は、 40年前から全然変わらずいつも楽しそうで、、 これがずっとずっとこの先も続いていくものと思ってた。。。

ハートブレイカーズのDVDで、 初めて出会った時のハイスクール時代の事を話していたのが思い出されます。 「この曲弾ける?」 「うん、弾けると思うよ」 それが始まり。。


 ***

バンドって、、 なんだろうね。。。 という話を、 以前にもこのブログには書きました、 自分の思い出も含めて。。 だから、、 

わかっていてくれる…


チャボさんの歌みたいに、、 ね、、


何も言わなくても、、 わかっていてくれる… きっと。 

there's no need for explanations... Dogs On The Runの歌詞にも出てくる。。 

 ***

今年の、 Merry Minstrel Musical Circus はどうなるのかな。。 淋しいな。。 でも、 できたらやって欲しいです、 マイクが淋しいだろうから。。 ジョナサン達と一緒に、 やって欲しいです。





今朝の Horizon... オレンジ色の夜明け。

ゆっくりと… ふぅ… ふぅ……

2017-11-22 | …まつわる日もいろいろ
北からは 雪のたより、、

西からは 鮮やかな彩りの、、

秋と冬とが一緒にあるいているようないまの季節。。 このままとどめておきたいような 美しい今の季節。。

 ***

、、 今朝、クリスマスの飾りを出しました。 
少し早いかなと思ったけど、 たった今 ネットradio を聴いていたら、 鐘の音とともにジングルベルが流れてきたから OKとしましょう。。





夏に飾っていた花もこんな素敵なドライフラワーに、、




 ***

クリスマスシーズンは大好き。。 だから お願いだから地球がゆっくり ゆっくり まわってくださいますように…

これから年末までの日々、、 楽しみなこと、 しあわせなこと、 やっておきたいこと、、 行っておきたい場所、、 いっぱいいっぱいあるのに… 身体もいっぱいいっぱいになってしまう…


ふぅ… ふぅ……

ゆっくりと息を吸い込んで、、 


ふぅ…… ふぅ…

両手でこころを暖めて、、


ふぅ……  ふぅ………

あったかいミルクティーを飲むように、、



ゆっくり


ゆっくり、、





、、一緒に あるいていこう

fantasy は、phantasy…:堀辰雄『羽ばたき』

2017-11-18 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
昨日は、、 人に逢いに出掛けました… 大好きな「人」に、、

、、 帰り道はそろそろ夕暮れ。。 街路樹や植え込みがもう、 イルミネーションで飾られているのでした。 こんなふうに…



(歩きながらのピンボケ…)

 ***

tweet のほうに少し書きましたが、 

堀辰雄の初期ファンタジー傑作集 『羽ばたき』(長山靖生編、彩流社 2017年2月)という短編集を読んでいます、、(というか読み終えました)

前回、 椿實全作品を読んでいた時にも書きましたが、 前田愛先生の 『都市空間のなかの文学』(筑摩書房 1982年)という本に、 昭和初期の浅草「カジノ・フォーリー」を舞台にした小説 川端康成『浅草紅団』や、堀辰雄の幻想的な短編「水族館」などのことが書かれていて、、
『風立ちぬ』の堀辰雄が、 浅草の踊り子に夢中になる学生や、 男装の麗人かどうかわからない妖しい男(?)の話を書いているのも意外な気もしましたし、、 前からこの堀辰雄のファンタジー短篇集 の事が気になっていたので、 椿實の後にぜひ読もうと。。




新しい本なので、 内容には余り触れないでおきましょう。。
(以下、「水族館」や個々の作品を示すものではありません)

、、 この短編、 あるいは掌編とも言えるような小さな物語を読みながら、、「ファンタジー」という言葉に、 人はどんなものを求めているのだろう… とふと考えたりしていました。 ファンタジー短篇集という言葉、、 そしてこの装画。 可愛らしくもあり、 優しい童話のようでもあり、、 美しい表紙なのですけど…

この表紙画、、 堀辰雄のこの本の中身をうまく表現しているように思います。 少年期から大人への階段をのぼっていく、、 瑞々しい知覚、 甘やかな思慕、 かと思えばひややかな想像、、 静かで美しい彩りでありながらどこかシュールでもある、、 
見ると…  その足元には…

、、 よく知られているように 堀辰雄は肋膜炎や肺結核で長い療養生活を強いられました。 そうした自身の事ばかりでなく、 関東大震災で母を亡くしたりもしていたのですね。。 そして、昭和二年 帝国大学在学中に師と仰いでいた芥川龍之介の自死。 そのような時期に生み出された「ファンタジー」の文学、、


英語の fantasy は、 「phantasy」が古い語だそうです。 ギリシャ語源の 「幻・像・見えるもの image」という意味がもともとにあって、 phantom 、 phantasm は、 「幻、幻影、幽霊」ですね、

実在(という言葉も何をもって実際に在るというかむずかしいですが…)しないものを、 感じること、 見ること、 想うこと、、 目の前の世界がプリズム越しの世界に変わる、、 そういう「phantasy」
、、では なぜそれを「見る」「想う」かというと… 自分の前の「現実」がそれを必要としているから、、 想わずにはいられないから、、 光が屈曲せずにはいられないから、、 また、 翳の中に襲われるように あちらから勝手にやってくるから、、

だから、 その世界はほんとうは 「在る」のです。 貴方はいるのだし、、 花は匂っているのだし、、 声はとどいているし、、 像は姿を変えた、、 のです。。 

子供らが眠る前にお話をきいて、 おやすみなさい… 楽しい夢の世界へ、、という夢への通い路としての物語ではないのですね、、 白日夢のように、 或は狂気のように、、 現実と並んでともに歩いているもの、、

そういう 「phantasy」について、、 読みながら考えさせられていました。


編者の長山靖生さんの解説がとても詳しく、 創作当時の堀辰雄の背景、 時代や取り巻く人々… 作品を味わった後も、 関心の枝葉を大きく伸ばして下さるような解説でした。
『菜穂子』などの長編作品や、 師芥川にも繋がる軽井沢文学圏の人々… もう昔読んだきりだから、 あらためて辿り直してみたい気持ちになっています。




 ***

以前に書いた R・L・スティーヴンスンの幻想的な物語 『幻の人 "Will O' the Mill"(水車小屋のウィル)』(>>)も、  前回書いた 『椿實全作品』も、 そして 今回の 堀辰雄の短編の中にも、、 「香り」が見せる 「phantasy」の物語がいくつか不思議と連鎖しました。 (椿實は、 最初 生物学を志そうと考えてもいたそうで植物の記述の繊細さ、秀逸さには驚きます、、)


香りと記憶…  香りは 記憶である…
、、またいつか それについても書いてみたいと思いますが、、


雪の匂い…


針葉樹の森の中の 雪の匂い、、、 そろそろ そんな匂いも懐かしく思い出される季節になってきました。。 


では またね… 風邪ひきませんように





椿實全作品: ランボーの語るうたかたの日々か…

2017-11-09 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
ようやく 『椿實全作品』のことを書くことができます。



『椿實全作品』 立風書房 1982年
『メーゾン・ベルビウの猫』 幻戯書房 2017年


前回も書きましたが、 今年は春先から漱石の『吾輩は猫である』の読書にとりかかり、 いろいろと調べつつ7カ月ほどかかって読み終えたのが8月。
その頃、 古い知り合いの澁澤龍彦贔屓の友人や、 三島由紀夫や安部公房論をかつて書かれた先輩と、 この秋に久しぶりにお会いできる予定が立ち、、 そこで思い出したように家の本棚の奥に何冊も重ねてある 河出文庫の澁澤シリーズを引っ張り出してあれこれ見ていたのです。

三島や安部の短編も収録されている 澁澤龍彦編のアンソロジー 『暗黒のメルヘン』1998年



手に取るのはもう十五年以上ぶりかと… でも表紙もちゃんと見覚えあったし、 いくつか読んだ記憶も、、 なのに 椿實 『人魚紀聞』という作品には全く記憶が無かったのです。。 誰なんだろう…? と読み始めて、、

(え? …なぜ私はこの作家を知らなかったの??)

小説を読んでこんな風に居ても立っても居られなくなったのは久々の事です。。 その日のうちに『椿實全作品』を探して…、、 さきほどの友人らに「椿實って作家を知ってる?」とメールして…

 ***

三島由紀夫とは同い年、 吉行淳之介らと終戦後の昭21年、同人誌『葦』創刊、 昭22年『新思潮』に発表した 「メーゾン・ベルビウ地帯」が三島や、中井英夫、柴田錬三郎らに絶賛され、 以降、次々に作品を発表。 しかし、作家としての活動は昭和22年から27年頃だけで、 わずか17作品が上記の 『椿實全作品』にまとめられた。(それも雑誌初出から 30年以上経って)

… でも、そんな作者の経歴や作品数など問題ではないのです。

当時、 三島が「天才です」というハガキをよこしたとか、 同人誌の会合で原稿を読んだ中井英夫が 「完全に負けた」と日記に記したとか、 『全作品』の解説などに書かれていましたが、、 「メーゾン・ベルビウ地帯」を読んだ私も、

「(この作品においては) 三島以上に天才です」と、 少なくとも4人くらいに速攻メールを打ちました(笑)

椿の作品群は、 終戦直後の焦土と化した東京、 上野・浅草周辺が主な舞台なのだけれど、 私たちが想像する(報道写真などの記憶としての) モノクロの焼け野原などとは全く異なり、 無になった青空から太陽が照り、 植物は瓦礫や泥沼の中から生長し、 空気を橙色に染めて日は暮れ、 夜はお客を呼ぶバラックの店にアセチレン灯が揺れる。。 その色彩の描写には生命の熱が溢れ、 廃墟から街へ変わりつつある都市の記述は生々しく鮮やか。。

そんな街に息づく踊り子や男娼や行き場のない若者たちは夜光虫のように妖しくせつなく描き出されているし、、 また、敗戦の後の空虚をかかえて、半ば焼け落ちた本郷の学び舎と浅草の劇場街をさまよう学生の「私」の霊魂(プシュケー)は、 ときにギラギラと熱をおび、 ときに優しく詩を語り、 ときに哲理を思索する。。

「メーゾン・ベルビウ地帯」の冒頭の二行だけを…


  「桜の木には桜の臭(にほひ)、椎の木には椎の匂(にほひ)、そして私も女も植物なのであつた。人間が植物に近くなるやうな、上にのみ開かれて身動きならぬ世界にゐて、ひろみは私の腕の中でだんだんにやせた。」


… たったこの二行だけでも、 三島が「天才です」と書き、 中井が「完全に負けた」と言った気持ちがわかる。

… すごく手前勝手に表現させてもらうとしたら、、 その色彩的な描写は ロートレックが彩る墨東奇譚、、 詩的文体は ランボーが語る『うたかたの日々』(ボリス・ヴィアン)、、みたいかなと。。

、、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』は、 肺の中に睡蓮の花が咲く奇病にかかったクロエとの 「優しさと諧謔に満ちた笑いで描く、現代で最も悲痛な恋愛小説」と言われているけれど (早川書房>>) この紹介文はそのまま 椿實の作品群にも当て嵌まる気がする。 終戦直後の街で生きる少女らは痩せ、 命を削っていく、、 デューク・エリントンのJAZZの代りに、 並木さんの「リンゴの唄」が流れているけれど…


  「細君はそれで、白鳥買へないかなしみで、涙ぐんでしまふ。この女の頬は絹のやうにつめたい。

  ・・・庭の凹みに、ロオマ風にまるいセメント池に、オレ、羽を切った白鳥を抱へていつて浮ばせてやらうかな」 (「三日月砂丘」)


リアリズムの独白にはほど遠い、、 現実があまりに狂気と紙一重であるとき、 青年はこんな風に夢想できるのだろうか… 悲劇と喜劇、、 醜悪と崇高が入り乱れる饒舌な文章の中に、 こんな儚いロマンチシズムがふっと語られる。。

… そして読んでいる私はその文体に眩暈しながら、 ときにもらい泣きしてしまう。。


 ***

三島由紀夫と椿實とは、 先に書いたように同い年で22歳頃から交遊が始まり、 椿の結婚式にも三島が参列した写真が 今年出版された拾遺集 『メーゾン・ベルビウの猫』に載っている。

「三島由紀夫の未発表原稿」という椿のエッセイも、『全作品』の附録の中に載っていて、 三島作品の 『永すぎた春』や『潮騒』執筆と、椿との関連の興味深いエピソードも書かれている。

… 私事で言えば、 三島の短編作品は十四・五歳の頃にとくに好きで読んでいて、 『葡萄パン』という作品に出てくる ロートレアモンの詩集「マルドロールの歌」をすぐに探したこととか、 以前このブログにも書いた(>>

三島が 日本のビート族を描いた『月』や『葡萄パン』の短編は、 昭和37、8年の発表作だそうだから、 37,8歳になった(もう中年の)三島が実際にビート族の若者と一緒に渋谷だの、 鎌倉の海岸だのへ出かけたのか考えると妙な気もする。 こじつけのようだけれども、 椿作品をこうして読んだ後だと、 三島が椿實風の短編を書いてみたかっただけなのでは? と思ったりもする、、

 ***

27歳くらいで小説の発表をやめてしまった椿は、 東大大学院から教師の生活に入り、 専門の古代宗教の研究をつづけ、 日本宗教学会の発行している『宗教研究』という学会誌には、 40篇余りの論文が掲載されているようだ (日本宗教学会HP>>
古いものはすでにアーガイヴとして読むことが可能だし、 論文のデータベース化が現在すすんでいるので、 三島や芥川作品について宗教研究者の立場から椿実が書いた論文も、近いうちに読むことができるかもしれない。

他には、 椿の関係者のかたが 「椿實の書架」というホームページ上に掲載している遺稿の中に 「三島由紀夫と「天人五衰」」という論考があって、 これは三島の最期の作品 『豊穣の海』で語られる仏教思想や、 第四部「天人五衰」の意味、 転生のこと、 空のこと、 少年のこと、、など、 あらためて重要な意味を示唆している論考だと思いました。 検索すれば読めますので、関心のあるかたは是非。。





ちょっと話はとびますが、 前田愛先生の 『都市空間のなかの文学』という名著があります(amazon>>)。 その中に 川端康成の 『浅草紅団』を扱った 「劇場としての浅草」という章と、 終戦直後のその界隈について書かれた「焦土の聖性」という文があります。 

前田先生の本には 椿實のことは出てきませんが、 文学テクストの中の都市空間を考える素材としても、 終戦直後に書かれた椿作品の 上野、浅草、本郷界隈の細密な描写はものすごく貴重なものだと思うのです。

もちろん短編小説としての描写の見事さ… 中井英夫の解説にある 「焼跡も闇市もたちまち虹彩を帯びて輝き出すような作風」の価値から言っても、 『椿實全作品』が絶版のまま入手困難なのは残念なことだし、 都市小説という資料的価値からみても、 ぜひ再版あるいは 文庫化されることを期待したいものです。

漱石読者としては、 三四郎の学び舎や、 弥生町とか 周辺の坂とか、 上野の森や不忍池などが、 昭和の大戦直後にどのようであったか、、 椿作品のリアルな描写に胸を突かれる思いがいたしました。。

まだまだこれから先も読んでいくでしょうし、 椿と三島、 中井英夫作品や稲垣足穂作品など、、 新しい視点でまた読み直したい欲求が強まってきました。 『全作品』の出版が82年ですから、 かなり遅きに失すという出会いでしたけど、 めぐりあえて良かったです、 椿實という人に…

、、 蛇足ながら、、

『椿實全作品』がとても入手困難だからといって、 今年出版の 『メーゾン・ベルビウの猫』のほうを先に読むということは止した方がいいと思います、絶対に。。 なんとしてでも『全作品』の方から先に読んでください。

  ほんとに「天才です」から…


11月はなつかしい集まりから…

2017-11-06 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
11月になりました。

この連休、 西のほうでは沢山のお友だちが素敵な音楽パーティーに集まっていたようです。 何人くらい集まったのかしら… 少なくとも10人近く? お天気にも恵まれて、 しあわせな夜になったことでしょう。 私は参加できなかったけれど、 楽しい報告を12月にきかせてもらうことができるかな。。

 ***

私のほうは 十数年ぶりに十七歳年長の 長年の文学の先輩と、私の友と、 語らいの席を設けることが出来ました。

今年は春先からずっと、 漱石読書や英文学や翻訳文学ばかりに首をつっこんでいた私だけど、、 三島由紀夫論や 安部公房論をなさった先輩にお会いするために、 この二週間ほど (二週間程度で足りるわけはないのだけど) 戦後の作家らの著作をひっくり返したり、 検索などでネットの海をあっちへ流され こっちへ漂い、、 

それでも おかげさまで自分にとってもとても興味のある新しい繋がりを見つけることが出来たので、、 友にも手伝ってもらって一杯プリントして、、(先輩はネットをご覧にならないから…) お土産に持っていっていただこうと、、 半ば押し付けのように…(笑)



 ***

前にも少し書きましたが、、 長年おつきあいをさせていただいた大先輩のかたがたには、 やはりネット環境とは無縁の世界におられる方もたくさんいて、、 でも 私などに較べたら文学における造詣・知慧 その熱意と時間、、 

もっともっとお会いしてお話をうかがいたいと思うし、 あと何年(それは先方の意味ではなく、私という意味で) お目にかかれるかと思うと、 年にたとえ一度でも二度でも 貴重な機会をけっして無駄にしたくはない、、と思うのです。

そのような方との繋がりが、 このSNS時代の中でも大切だと思うし、 できうる範囲で私が溺れそうになりながらネットの海で見つけた小さなうつくしい貝でも、 なにかしらお役に立つもの、 関心につながるもの、 伝えられたらいいなと思うし、、 

やっぱりお話していると、 まだまだ私の知らない作家や作品のことなど どんどん出てきて、、 あ~~ぁいつになっても私は二十歳そこそこの小娘の頃と変わりないのだなぁ、、と 反省もしきり…


幸い、、 楽しい時間がながれ、 美味しそうにヱビスを何杯も召し上がられ、、 お渡ししたお土産のファイルを、、

「まったくね ネット社会のスピードと情報量にはついていけないよ…」と苦笑いされながらも、、

「今夜はいっぱい宿題を貰ったね」 と(ちょっと嬉しそうに)鞄に仕舞って下さいました。


 ***

今度は、、
べつの場所にお住いの、 やはり十数年もご無沙汰をしている先輩をふくめて、 ぜひ美しい季節に(半年後くらいに)、、 泊りがけで語り明かしましょう、、と ほんとにほんきで計画をしているのです。

、、帰り際、 混雑する駅には、 びっくりするくらい10mおきくらいに警備の姿。。 そんな人の行き交う駅のコンコースで再会を約束して、、

「つぎにお会いする時までに、 今度はカズオ・イシグロの新作『忘れられた巨人』を読んでおくことにしましょうか、、お互いに…」 と握手しました。



語らいの時間は いつでも二度と無い だいじな時間。。


・・・ めぐりあいの時間を、 どうもありがとうございました。