星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

全体像、を見ること、それを見通すこと、、?

2006-11-23 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
文芸春秋社の冊子、『本の話』に丸山健二のインタビューが載っている。
ひさしぶりの書き下ろし短篇集『落雷の旅路』が出版されて
そのことについて語ったもの。

その中で、なるほど、、と思ったこと。略して書くと、、

長篇小説は「登山」、、準備してベースキャンプ張って、天候みて、、最後に登頂のアタック隊を出す。
短篇小説は「穴掘り」、、書きたいテーマ(植えたい木の根)に沿った大きさの穴を掘る。大きすぎても小さすぎてもまずい。

まあ、当り前と言えばそうですが、私小説のように体験から書くことを膨らませていくのと違い、彼のような作家は、作品づくりの段階は「書くこと」ではなくて頭に「構想すること」だろうし、原稿にすることは、云わば、演奏家が楽曲を「披露」するようなもの。楽器構成から曲構成まで、完成形を把握していなくてはならないんだと思う。

そう思うと、音楽家というのは、レコード(CD)制作、と、演奏会、という2段階の表現ができるのはいいなあ、というか有利だなあ、、というか。
日本の作家、、最近あまり読んでいないので、『落雷の旅路』、年内には読んでみたいと思っています。

 ***

昨日、午前の病院と午後の仕事の間に、
ちょっとだけ時間があり、どうしようかなあと眺め回したら、、タワレコ発見。。
そこで聴いてきました、集成作3品。

まず、The Who の新作。
ベスト盤とかリイシュー盤ではない、、新作。
その名も「Endless Wire」、、、エンドレスなワイヤーです、The Whoです。

ピートとロジャーふたりになったThe Whoで、こんなに新しくて、しかも過去の名曲の匂いいっぱいの、壮大な新作アルバムを創ってしまうなんて、、。9・11後のLIVE、オデッセイの来日で見た衰え知らずのザ・フーの姿がこれになったんだなあ、、嬉しいなあ、、という思いでした。

その隣で、DVDが流れていたのは、U2。
もうすぐ私は、U2モード全開になることでしょう。





「18singles」。(みんなカワイイ、、)
買う必要も無いほど、知られた曲ばかりですが、、これは既にオーダー済み。新曲として入ってるグリーンデイとの共作もカッコ良い曲です。
、、、古いCDも、余り聴き過ぎると音が壊れるのね。うちのCDではもう「約束の地」が聴けません、音ループしちゃって。。 来週、、あのイントロが生で鳴り出す瞬間、今までの人生の何かがきっと、ちょっとだけ変化するのでしょう。。。

あっ、もう行かなきゃ、、と、帰ろうとして、振り返ったら、oasis のベスト盤があって、ちょっとだけ聴きました。私はギャラガーさんの声が苦手で、アルバムは聴いたことないのだけれど、ずっと兄貴の弟分だし、ね(、、←ってこの文、ヘン)
曲名で、「ん?」、、、と思ったことがあったのですが、、これはまた文学がらみの話(なのかもしれない?の)で、また書くことにしましょう。

明日はぐっと寒くなるみたい、、。 どうぞ暖かくしてね、、おやすみなさい。

ちょっと早いですが、、

2006-11-22 | …まつわる日もいろいろ
玄関のUMAちゃんが、X’masバージョンになりました。

前の姿と較べてみて、、(>>)。

これから年末までの日々、

楽しいこと幸せなこと、いっぱいありますように。。

Wish You...

KING OF GRACE !! KING OF ROCK'N'ROLL !!

2006-11-20 | 映画にまつわるあれこれ
いろんなことに時間がかかった一日。。
じつは、けっこうひきずるタイプなんです、、、私。
(あ、、LIVEのことは書きませんのでね、友よ、ご安心を)

リハビリ用に、昨夜からたくさんPrimal Scream を聴きましたが、
あの日のアンコールでやった「Damaged」の
ボビーのとろけるような甘い声をききながら、、全然べつのこと考えていたり、、。
(それにしてもこの歌には弱い、、)

 ***

夜になって、これもリハビリ用に、、とレンタルしておいた幾本かのDVDの中から、どれにしようかなあ、、と考えて、先ほど見終えたばかりの『グレイスランド』。
これにして、正解、でした。





簡単に言うと、、
つらい過去の思い出のために、現実に向き合えないでいる男(と男)のロード・ムーヴィーなんだけど、、。ひろった男(ハーヴェイ・カイテル)は、、エルヴィス。
もちろん、プレスリーは既に死んでいて、ただ自分がエルヴィスだと思い込んでるのか、真似っこしてるだけなのか、、。

前に書いた『ライフ・アクアティック』もそうだったし(>>)、、ずっと前に書いた、これも泣き笑い映画『プリシラ』や(>>)、、音楽つながりで言えば、私の好きな『デュエット』(Amazon.com>>)なんかもそうだけど、現実に真正面から向き合えないでいる、そういう時間を乗り越えて、自分自身を受け入れていく映画って、なんか好きです。もう一度、新しい時間がそこからはじまっていく映画。 人生の、遠回り、というか、迂回路っていうか、、そういう時間もありなんだ、っていう映画。

『グレイスランド』とは勿論、キング・エルヴィスのお家。
この映画、、途中にね、エルヴィス(ハーヴェイ)のLIVEシーンがあるんだけど、可笑しくてたまらないの。。安岡力也さんの方が全然カッコいいよ(いえ、力也さんは素晴らしいです)、、、、もうお腹がよじれるくらい涙流して笑っちゃっていたのだけど、、それが、、終いには号泣に変わってた。。

作中、、ずっと違うアーティストの音楽が流れていて、ラストシーンにはエルヴィスの(あの!)歌が流れるの。。もう、それ聴いた途端、ダーーーーーっと、涙・涙・涙、、泣いてる自分が今度は可笑しくて、笑いながら、涙。。昨夜、ティッシュ買ってくれば良かったかも(笑)。 
こんなコメントでも興味をひかれた方は、どうぞ観てみて下さいませ。
(今からまた観ようかなぁ、、)

前にエルヴィスのラヴバラードCDのこと書きました(>>)。 
今日は、そのアルバムジャケの写真載せてしまいます。。


妄想と、、煩悩と、、だけど笑顔で、ね。

2006-11-18 | 映画にまつわるあれこれ
駅の構内にたくさん貼ってある
新ジェームズ・ボンド=ダニエル・クレイグの写真が素敵。
キャストについていろいろ言われましたが、
色気が溢れ返ってる人より、一見クールな新ボンドが私は好きよ。
、、それに、、着痩せするダニエルは時に、…(!)…な程、色っぽいと思うし。。

 ***

今日見たのでも、最近見たのでもない映画の話を。

ここで度々お名前を出してるjazzピアノのブラッド・メルドーさん。
メルドーさんのピアノを初めて知ったのがこの映画『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』でした。

ママン(バーキン)はいつも憧れの人でしたが、シャルロットは余りに可愛すぎて、彼女の映画って一度も見たこと無かったのです。どうしてコレ観たんだっけ、、あ、、テレンス・スタンプ目当てだったのね。。この映画は邦題のとおり、実物そのままの女優のシャルロットを妻に持つ、イヴァン(スポーツ記者の役)の、超有名人の夫ゆえの苦悩や嫉妬をコミカルに描いた映画。

新作の映画の撮影がロンドンで行われることになって、シャルロットの相手役が、プレイボーイで名高い俳優(テレンス・スタンプ)。時間待ちの間、「寒くないかい?」とか言ってシャルロットの肩を思わせぶりに摩ったりする、すっかりジィさんになったテレンスが適任(笑)。そしてまた、シャルロットが、いつのまにか大人の女性になってたとは言え、子馬のような長い手足、ママン譲りの大きな前歯をちらとのぞかせた、少年みたいなあどけない表情で、、それがじつに可愛くて、、こんな可愛らしい妻では、心配なのもよぉ~く解るわ、イヴァン。。

で、、この映画の音楽を担当したのがブラッド・メルドーさんでした。
Amazonを見て知ったけど、書き下ろしの曲がほとんどで、メルドーさんのオリジナルのアルバムと言っても良いほど。。今、とってもこのサントラが欲しいのです。。(じゃ、買えば良いでしょ、、と簡単に注文できないのが今の事情なのよ、、)、、映画を見てて、メルドーさんのピアノ曲ももちろん素敵だったのですが、、私のツボだったのが、、奥さんの事が心配でたまらないイヴァンが、パリからロンドンへ、列車で乗り込む時に流れる、クラッシュの「ロンドン・コーリング」!!
ザ、ザ、ザ、ザ、、と鬼気迫るイントロ、、普通なら、コメディ映画にこの曲使うなんて許せない!と怒るであろう私ですが、、この時のイヴァンの切羽詰った(笑)気持ちがとってもわかるので、許しますとも。 ザ、ザ、ザ、ザ、、、が始まると、「行けぇぇぇ~っ!!!」と叫びたくなる。

余談ですが、DVDの監督コメンタリー(実の夫であるイヴァン)を見てるとね、シャルロットのこの表情がいいとか、彼女の無邪気なところを撮りたかったとか、、本編以上のお惚気が聞けて、、面白いですよ。

 ***

そして、イヴァン&シャルロットによる続篇とでも言うような『フレンチなしあわせのみつけ方』。
このあいだ、何年くらい経ってるのかしら、、。今度の設定は女優じゃないけれど、シャルロットには小学生の子供がいて、イヴァンはすっかり中年の雰囲気、、顎のラインとか身体つきとかに丸みが増えて、、。男の人って変わるのね、、と妙なところに関心したりして。。

あらすじはとり立てて書くほどの事は無く、、たまには、心ときめく想いをしてみたいな~~、、と、、そう感じてしまうのは、家庭の妻も同じ、、職場の夫もまた同じ。。前作は特別なセレブの物語だったけれど、今作は、ごく普通の夫婦が3組(4組?)出てきて、、

あのね、、。有り得ないはずなのに身につまされてしまった場面といえば、、。(以下、ネタバレです)
シャルロットが、CDショップの試聴をしていると、、、隣に来て、、もうひとつのヘッドホンを耳にあてる男性、、が、ジョニー・デップ! 
ふたりで同じ曲を聴いて、、(レディオヘッドでした)
有り得ないでしょ?
、、でも、、でもね、、。

というわけで、、日常の中の、ささやかで、はてしない、そしてせつない妄想と煩悩の物語なのでした。。。

シャルロットは、やっぱり、とっても可愛かったです。。くたびれた表情も、怒った顔も見せたけど、誰よりもいちばん可愛く描かれてるもの。。なんだかんだ浮気心をつのらせても、、必要なのは、無心の笑顔、そういう心持ちかな、、。 無関心とか、諦めとか、ましてや皮肉とか、、じゃなくて、ね。パートナーに対しても、憧れの人を想うのでも。。。

 ***

明日は横浜いってきます。

『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』(CD)

『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』(DVD)

『フレンチなしあわせのみつけ方』(DVD)

ボルヘス、ホイットマン、カニンガム、それから漱石、覚え書。。

2006-11-15 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
また少し髪を切った。
切りたて(?)の姿のまま、買い物の用事に出掛けたら、その髪に合いそうな服を見つけて
(超リーズナブルだったし)ちょっと嬉し。

 ***

前に『ボルヘスのイギリス文学講義』の「解説」にあった、「無限後退」のことに触れました(>>)が、中村先生はこう書いています。

   「無限後退」(regressus in infinitum)は、時代と国を異にする作家や作品を
   繋げていくさいのモチーフとして、評論家ボルヘスがもっとも頻繁に用いているものです。

そして、次のようにも述べてます。

   無限後退が原型への遡及であること

これを読んだとき、ふ~む、そうなの、、?? と半ば納得、半ば疑問で、、なぜならボルヘスの作品って「原型」の不確実さとか、曖昧さをこそ語っているのではないかしら、などと思っていたから。。故郷でもちらと「無限後退」の話をして、それがギリシア的意味と、東洋的意味もあるようなことを聞かされ、ますますなんだかよくわからなくなり、それで、戻ってからボルヘス・コレクションの中の『論議』というエッセイ集を読んでいるところです。その中に、「アキレスと亀の果てしなき競争」というエッセイがあって、これなどが、ヒントになるのかなあ、、と考え始めているところ、、。

ところで、先日、マイケル・カニンガム氏の講演会に行って来ましたが(>>)、『星々の生まれるところ』で重要なキーになっているホイットマンの詩について、、。なんと、ボルヘスの先の『論議』の中に、ホイットマンに関するエッセイが2つ載っていて、なんだか不思議な巡り合わせ。
「ウォルト・ホイットマンに関する覚え書」というエッセイで、ボルヘスはこう書いています。

   バイロンとボードレールは、それぞれの卓越した作品においてみずからの不幸を劇的に
   歌い、ホイットマンはその幸福を歌った。…(略)…ホイットマンは謙虚に、そして熱烈に、
   万人と似通うことを願望する。

たぶん、このボルヘスの言葉には(ホイットマンを読んだ)多くの人が同意するでしょう。ボルヘスだけの特別な意見ではないし、、でも、(だから)、ちょっと意外でもあり、嬉しくもあったのでした。ボルヘスがホイットマンを好んでいたみたい、、(!?)。さあて、、ここから先の「無限後退」に視点を戻すと、、、「時代と国を異にする作家や作品を繋げていくさいのモチーフ」としての「無限後退」というキーワードが、ほんの少し、見えた気がした。

そして、カニンガムさんが「9・11以後の世界」で「書く」、という為にホイットマンを引いてきた意味にも、なんとなく通じる気がしたのです。カニンガムさんは講演会で語っていました。小説家は、作品でどんなに救いの無い世界を描こうとも、基本的に小説家はペシミスティックでは無いのだと思う。小説家に限らず、ものを創り出すアーティストはすべてそうであるはずだ、、と。

あ、、ちなみに、講演会で集英社の方のお話にもありましたが、かの漱石も「文壇に於ける平等主義の代表者『ウォルト、ホイットマン』Walt Whitman の詩について」という論考を明治25年に書いています。帝国大学の学生時代(25才)の、若書きの文章ですが、かなりの熱血ぶりが見える文章で面白いです(現在の全集なら第13巻に入ってます)。
ウォルトを何と評しているかというと、、

   去らば「ホイットマン」の平等主義は如何にして其(その)詩中に出現するかと云ふに
   第一彼の詩は時間的に平等なり次に空間的に平等なり人間を視ること平等に山河禽獣を
   遇すること平等なり。・・・

ね、、カニンガムさんにまでつながる、「異なる時代と国をつなげるための鍵(キー)」が、ここにも。。

 ***

さて、新しいお洋服着て、お仕事行こうかな。  


しんどかっTALI、、

2006-11-14 | …まつわる日もいろいろ
体調をコントロールすることにはわりと気を使ってはいるんだけど、

そうしないといろいろな事をクリアできないのだけど、

いったん歯車がくるうと、もとの状態になるまでにとっても時間がかかって、

そういう身体だからしょうがないけど、、

いまは一生懸命調整中。

DVDで映画を見たり、

ブラッド・メルドーさんを聴いたり、

ボルヘスを読んだり、

ベルグソンをかじったり、

白部屋tourの映像を観たり、

あったかいスープを飲んだり、

もうちょっと、、ね。

ホイットマンと折口信夫?

2006-11-07 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
きょうは嵐の一日。
病院へ行かなければならなかったので出かけたけど、
プラタナスの巨大な葉がばっさばっさと舞い狂い、、あれは余り風情の無いものですね。。

私の咽喉も嵐。。
(あなたの咽喉に嵐はあるが…と詠んだのは高村光太郎だ)
自分の体力の許容量を超えると途端にしっぺがえしが来るって情けない。
でも、疲れが出るのを見越して休日にしておいたから、ソファベッドに黒猫のように丸まって、ひたすら読書。

『星々の生まれるところ』マイケル・カニンガム著/集英社

10月に出たばかりの新刊とは知らずに、図書館でぱっと目に留めてぱっと持ってきた。そしたらその直後に、新聞で広告とか、著者カニンガム氏の来日講演とか、記事を目にするようになった。こんな風に、本が「自分を読んで」と言ってくることがたまにある。
以前には、、藤原新也氏の初小説『ディングルの入江』が書店でぱっと目に入り、その直後に講演会があってひと晩で読んで行ったことがあったっけ。

『星々の~』、、は、あの『めぐりあう時間たち』の著者。
時間、時代を超えて、人の心を支配するもの。それを描くという共通項が両書にある。
そして、9・11以後の文学、、として『星々~』は書かれた、と書評にはある。

『星々の~』のベースには、ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』が使われている。
2,3年前、ちょうどホイットマンを原語で読む機会があって、その言葉を辞書を引きつつ味わっていた時、、、それはやはりNYを詠ったものだったけれど、、、私勝手流に味わうと、R.E.M.のマイケルはもしかしたらホイットマンにとても似ているんじゃないかな、なんて思ってた。現代に蘇えったウォルトだ。ディランでもない、スプリングスティーンでもない、、マイケル。
『星々の~』には、過去/9・11後の今に近い時/近未来、の3つの物語があり、それぞれの物語に、ウォルト・ホイットマンの再来、という存在がある。ホイットマンという存在が特別に重要、というわけではないと思うけれど、ホイットマンが人類や、この地球上の存在に対して向けた視線、その精神がたいせつなものになる。それを何て呼ぶかは、、読んだあと、その人のこころにそっと芽生えるんだろう。。

ちょうど今、教育TVで中沢新一氏が、古代学者・国文学者、折口信夫について喋っている。古代人が持っていた世界理解の方法、世界の森羅万象を「別化性能」ではなく「類化性能」に於いて理解する、ということについても、ホイットマンはつながる、、と思うのは私だけかしら、、。この番組面白そう、、次週も見よう。

NHK教育TV『私のこだわり人物伝 折口信夫 古代から来た未来人』

ボルヘスとイギリス文学

2006-11-02 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
数年前に、
「オレが読むより、必要だろうと思って、、」と
故郷の友人が貸してくれた本、
『ボルヘスのイギリス文学講義』

今度、会いに行くので返さねば、、と思い、もう一度開いた。
中世から、現代まで、、、チョーサーから、エリオットまで、、さまざまな文学者について
ボルヘスのひとことコメント、のような形で、書かれている。
ひととおりは読んだ記憶があったが、今読んで、いちおうボルヘスの言わんとしてる事がわかるくらいには自分が成ったような気がする。本当に、ひとことコメント、という感じなので、「ああ、ボルヘスはコールリッジをこう見てるのね」という風な、、。
だから、これを読んだからといってイギリス文学が解るか、というと、それはまるで解らない。
色んな事が書かれているけれども、何かが解るわけではない、、というのは、ボルヘスの小説と同じですね。

読み飛ばしていた、訳者中村健二先生による解説「ボルヘスと英文学」、、これを読み始めたら、「いかん、、こんな大事な事が書かれていたのに!」、、と、返す前にコピーでもとっておかないと。。鋭いご指摘の数々、、。ボルヘスの文学の基盤は〈英文学〉にある、というのは、他からも聞かされていて、私もそう思うのですが、中村先生の解説では、ボルヘスとイギリスロマン派、そしてルイス・キャロルの〈アリス〉との相関など、書かれています。それを読んでて、はた!と思った。。

私の幼少時、、丸い手鏡を二つ向き合わせて、「ほら、タイムトンネル」と、兄と遊んだ事があった。。当時のTVでやってた『タイムトンネル』なんだけど、、あの鏡合わせは極めて意味深かったのだなあ、、と。。中村先生によるボルヘスのキーワードに、「無限後退」というのがある。総てであり、無限である『バベルの図書館』にも繋がる。。〈アリス〉にも繋がる。。そして、アラン・ポーの「渦巻き」(これはポーがイギリスロマン派から得た象徴だと私は感じているのだけど、、)にも繋がる。。

そういえば、、9月末に、早稲田で「ボルヘス会」の会合があって、、あとひと月後だったら行けたのになあ、、という、ボルヘスの「迷宮」をテーマにした講演などあった(と思う)。故郷の知人は、昨年「ボルヘス会」に行ったとか、行きたかったとか、、。帰ったら聞いてみよう。

ボルヘス会について>>

想いがとどくといいなあ。

2006-11-01 | …まつわる日もいろいろ
今夜も2通のお便りを書いた。
ずっとずっとご無沙汰をしてしまっているけれど、とても大事な人たちへ。

不義理のお詫び、、というのもあるけれど、
想いがとどくといいなあ、、という気持ち。そして感謝と。。

 ***

日付は変わってしまったけれど、、万聖節の夜。
エリック・ドレイヴンがよみがえる夜。Poeの詩を口ずさみながら。
(ザ・クロウの話。。本当は万聖節の前夜だった?、、よみがえるのは)
眠らなきゃいけない時間だけれど、、Louの『The Raven』でも聴こうかな。

夢の中で逢えればいいね。エリックとシェリーの思い出みたいに。
Vanishing Act みたいに。。
   To always be looking forward
   Never look over your back


すべての人の、想いがとどくといいなあ。

   Looking for a kiss...