昨日の試験は自爆してきました。。。存在の耐えられない軽さの著者、ミラン・クンデラのことを思い起こしつつ、解説書などろくに読んでいないのでさっぱり答案用紙は埋まらず、自らの存在の耐えられない無知加減に笑い出しそうでありました・・・とほほ。学生の本分とは勉強することと痛感した午後でした。(←当たり前)
その後ゆっくり書店に行けたので、何を買おうかと品定めしつつ、買ったのはユリイカのバックナンバーの「ヴィアン」と「サン・テグジュぺリ」その他・・・白水社の復刊で、何冊も出ていますね。ロジェ・グルニエで「シネロマン」「水の鏡」、レイモン・クノーで「はまむぎ」など。新刊で気になったのが同じく白水社の「死んでいる」・・タイトルもすごいですが、死そのものを描く、という内容に関心が。心配性の友のために言っときますが、ワタシが死を描いたり、死に関する本を読んだりするのは自分の死をみつめてるからではありませんです。人はみんな死まで等距離のような気がしますし。人を好きになったり、人と暮らしたり、人を育てたり、そういう繋がリを持つことで死を怖れたりもするようになります。今年はちょっと死を描くのが怖くなった時期もあったし・・でも、秋が来て、恐ろしい事件が起こって、パフォーマンスとしての攻撃と、姿を見せない攻撃とのいつ終るともしれない陰鬱な時間の中でも、胸が熱くなる喜びや、思い掛けないめぐり合わせはずっと続きながら世界はうごいていく。ようやくね・・死を描くのが怖くなくなりそうです。死を見つめながら命を愛する、そうありたいです。
イスラムを感じるために自ら旅をされた藤原新也さんの「全東洋街道」をやはり読み返してしまった。砂漠、荒野、凍土、怒りと憎しみを秘めた瞳・・憎悪宗教という言葉・・ボーダーレスという言葉が流行り、敬愛するトランペッタ-近藤等則さんが「聖なる地球に線を引いて牛肉の部分名称マップを作るみたいなことやれるもんならやってみろ」と世界を駆け巡っていたのが90年頃? やはり世界にボーダーは必要だったのか、やり方が間違っていただけなのか・・10年前の協会報を見て尖りまくっている自分の発言に赤面し、(でも10年前から考えておくべき問題だったことは確か・・)やっぱり謙虚に勉強します。