星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

河の生涯・水車の夢 : 『幻の人』スチブンスン作

2017-09-28 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
夏目漱石は 『予の愛読書』の中で、

 「西洋ではスチブンソンの文がいちばん好きだ。力があって、簡潔でくどくどしいところがない… スチブンソンの文を読むと、はきはきしてよい心持ちだ。
話もあまり長いのがなく、まず短編というてよい。句も短い。殊に、晩年の作がよいと思う。Master of Ballantrae などは文章が実に面白い。
スチブンソンは句や文章に非常に苦心をした人である。…スチブンソンの書いた文句は生きて動いている。かれは一字でも気に入らぬと書かぬ。 …また、かれは字引を引繰り返して、古い、人の使わなくなったフレースを用いる。そうして、その実際の功能がある。スコットの文章などは、とうてい比較にならぬと思う」

と、ロバート・ルイス・スティーヴンスンの事を語っています。
前回、漱石が倫敦の下宿で読み耽っていたという 『誘拐されて  'Kidnapped'』1886年 について書きましたが(>>) 'Kidnapped'は、上記で漱石が語っているような《短編》とは言えないような…

漱石が好きと挙げている 'Master of Ballantrae' 『バラントレーの若殿』1889年も、長編冒険小説の部類かと…。 「まず短編というてよい」のは、漱石が 『吾輩は猫である』や『彼岸過迄』で挙げている 『新・アラビア夜話』1882年 におさめられた「自殺クラブ」や、今日書こうとしている『幻の人 "Will O' the Mill"(水車小屋のウィル)』1877年のほうかと… (だから「晩年の作」というのは長編が多いと思うのだけど… ま、そんなことは良いとして…)

 ***


『幻の人』(戸川秋骨訳注 アルス英文叢書 1925年)

この短編は、 現在では岩波文庫の 『マーカイム・壜の小鬼 他五篇』(高松雄一,高松禎子 訳 岩波文庫)の中に、「水車屋のウィル」という題で入っています。 
私も以前、 岩波だったか、別の短編集だったか定かでありませんがこの作品を読んで、何とも言えないせつないような、儚いような、、 説明し難い読後感に包まれ、記憶に強く残っている作品です。

このアルス叢書では、 左頁に英文、 右頁に訳、 下に脚注、という構成になっていて、 従って、漱石先生が語っているスチブンソンの文章の特徴が(私でも)すこしは味わえるのではないかと、 あと、大好きな秋骨先生の翻訳でもう一度、 あの不思議な読後感を確かめてみたいと… そう思って古書を探しました。

「水車小屋のウィル」という原題を、 秋骨先生がなぜ 『幻の人』と訳したのか、については既にツイートにも載せましたが、 この小説が「幻のやうな趣」をもっているから、と秋骨先生は注釈で説明していて
「併しこの題名は、鬼火狐火などいふ Will o' the Wisp に関係をもたしてあるのかもしれぬ」と付け加えています。

ここを読んで、Will o' the Wisp を辞書で調べ、 「Will o' the Wisp」 という語には「鬼火」の意味から派生して「人を惑わす望み」とか「到達できない目標」という意味があるとわかり…。
だから Will O' The Mill という《語感》の結びつきにより、ウィルは鬼火を追い求める人=幻を求める『幻の人』との意味をも持たせているのだと分りました。 そして、この「Will O' The Mill」の中に、 ウィルの夢、 ウィルの生き方、 ウィルの死に様までが込められていたのだ、 なんと深い意味があったのか、と。。 



秋骨先生は 「巻後に」(あとがき)の中で、この作品を
「それは実に英文学中の花であり又宝玉である。その長さから言えば僅か数十頁に過ぎないが、その内容から言えば、寔(まこと)に偉大なる傑作である」
「…その俗情を超脱した趣はやがて著者の人世観であらう。而もこれに配する星や花を以てし、處々に…刺すやうな警句を以てする處、全く得難い作である」… と、 まだほかにも引用したい程、言葉をかさねて書いておられます。

… その秋骨先生の仰る 「著者の人世観」、、 これをスティーヴンスン自身の「人世観」と言っていいのかどうか、 読み終えた今でも私にはまだ判断つきかねています。。 
ともかく、内容に移りましょう…

 ***

大きな山と松林の谷間に住む少年ウィルは、 来る日も来る日も下流へとくだる河の流れと、里のほうへ下る人々を見て暮らしていました。 すべては downward 下へ、下へと去っていく。 そして登ってくる者はほんの一握り。 みな何処へ行くのだろう… 流れ下る河の先には一体何があるのだろう…

水車小屋の主人は、 平原の果てでは川が大河となり、 海へ交わることをウィルに教えます。 ウィルは その遠い場所にある街を想像します、 噴水や、宮殿や、大学や、 軍隊や… 
まるで故郷を離れた者が「故郷を望むが如き病」にかかったように、 焦がれる想いでまだ見ぬ街に憧れるのです。

He was like some one lying in twilit, formless pre-existence, and stretching out his hands lovingly towards many-coloured, many-sounding life.

このような文章を日本語に訳すのはとても難しいと思いますが、 原文ならウィルの想いが感覚的に掴める気がします。 《未だ生まれぬ、 薄明の中に横たわっている存在が、 沢山の色、沢山の音のある生に憧れて手を伸ばしている…》(私の直訳です) 、、そのような未だ見ぬ世界への純粋で切実な 想い。。

スティーヴンソンは 周知の通り、『宝島』を書き、 自分自身も旅に生き、 愛する人を追って米国に渡り、 晩年は南洋サモアで生涯を終えた人でした。 

しかし、、 この物語のウィルは…

ある日、村に来た旅の(旅に疲れた)若者がウィルに、 夜空の星の話をします。 「あの星はみな吾々の世界と同じ世界だ」
けれども、 「吾々にはそれに達する事は出来ない、 人々の尤も巧智な技倆を以てしてもそれ等の内の一番吾々に近いものに向けて船を支度して出す事も出来ないし…(略)… 心臓の破れるまで聲をあげるとするも、それが囁きの聲ほども星には達しはしない…」云々と。。 
ウィルはその話を聞いた後、 自分たちは「籠の中の鼠」みたいだ、と言います。 
その言葉を聞いて青年は 「squirrel turning in a cage」と「squirrel sitting philosophically over his nuts」と、 どちらが「more of a fool」かと問うのです。

・・・ここで読者は、 来る日も来る日も同じ場所で同じ回転をつづける「水車小屋」と、 「回転する籠の栗鼠」との相似を認識させられ、、 もうひとつ「(籠から出て)哲学者ぶって木の実を得て座っている栗鼠」と どちらが「愚か」かという問いを差し出されます。。 これが私にはうまく分らない・・・(泣) 星にたどり着けないのだとしたら、 籠の中の栗鼠も、 森の栗鼠も「大差は無い」と 旅の青年は言いたいのだろうが、、 

そうなのかな、、  スティーヴンソンは本当はそうは思っていないんじゃない??、、、 ちがうだろか、、

だって…
その少し前の部分で、 イカロスを太陽に向けて翼を広げさせた思い、 コロンブスを大西洋へ乗り出でさせた思い、、 と《冒険》の熱情を文中に語っていたじゃないか・・・

でもウィルは、 この谷間に留まり、 そこで暮らし、 やがてマージョリという女性に出会い、、 
「此處自分の狭い谿地の内に忍んで待つて居ながら、 自分も亦一層よき日光を獲得したのであるから」 という幸福を知る。。。 確かに、、 自分の生まれた土地に留まり、 自分の仕事と愛する人を守り、、 そうして暮らす人生も、 冒険に出ていく人生と比べて何の差があろうか。。 ともに貴い人生に違いは無い。 それも真実だと思う。 
その一方で、 別の世界へ出ていく事と、 留まる事と、、 読む者の心は揺さぶられる。

 ***

この物語は、 ウィルの人生の終りの時までを描きます。 花が好きで、 花を摘むことが好きな恋人のマージョリ、、  ウィルは花を摘むマージョリを見て、 花とはそこに咲かせておくままが良いのか、 その美しさを所有するも良いのか、、 そんなことまで考え、 そして結婚というものについて考え、、 ひとつひとつ、、 人生を選択し、 結論を出していくのです。

ウィルの人生、、 マージョリの人生、、 後半の物語を読んでいくうちにいろんな気持ちに揺さぶられて、 ページを繰るたびに泣き出したくなってどうしていいかよくわからなくなってしまいました。。

ただ、、 こうして書きながらやっと気づいたのは、
ウィルは いつでも自分で考え、 自分で結論を出し、 自分の意志に従って生きた、という事。 そしてはっと気づきました、 ウィルの名前は 「will=意志」でもあるのです。 Will O' The Mill は、「水車の意志」でもあったのでした。


秋骨先生の仰った「偉大なる傑作」、 漱石先生が評した「句や文章に非常に苦心をした人」、、 という意味がようやく、 少しわかりました。

この作品は スティーヴンソンが『ジキルとハイド』や『宝島』などの有名な作品を書く以前の、まだ27歳という若い日に発表した作品。。 のちに生涯を共にする年上の女性ファニーとも、 まだ結婚もしていない頃。。 身体の弱かったスティーヴンソンは、 父や祖父のような技術者として生きる道を選ぶことは初めから困難でした。 裕福ではあったけれども、 自分がいかに生きるべきか健康上の制約もあった中で、 スティーヴンソン自身、 ウィルと同様に 外の世界への憧れと故郷での暮らしとの間で悩みも抱えていたのでしょう。 
…読み人も、 若い時、 年齢を経た時、 人生の後半、、 その時々で読んだ印象も変わっていくのかもしれません。 スティーヴンソンは、 人生の晩年を迎えた時に振り返ったら、 この作品をどうとらえたのでしょうか、、 そんなことも考えます。

若き日に思う遥かな未来、 未だ見ぬ世界への憧れ、 天空の星、 地上の花への想い、、
 人生の宝島って、 自分にとっての宝島って、、 本当はどこにあるのだろう…


スティーヴンスンの若き日の 傑作。 対訳で読めてよかったです。


スティーヴンスンに関する過去ログ>> と>> 

『さらわれたデービッド』R・L・スティーブンソン と夏目漱石

2017-09-22 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
『吾輩は猫である』読書中に、R・L・スティーヴンソンの名が文中に出てきたり、 『新・アラビア夜話』中の「自殺クラブ」の話が出てきたりしました… 
漱石がスティーヴンソンの作品を好んでいたことは知ってはいたのですが、

『彼岸過迄』に書かれているような、「新・アラビア夜話」や「ジキルとハイド」の如き都市の暗部に潜んだ謎めいた事件を覗いてみたいという欲望… そういう19世紀のロンドンを描いたスティーヴンソンの作品のことばかり今まで頭にあったので、

漱石が倫敦留学中に、 スティーヴンスンの青少年向けのいわゆる「冒険小説」に読み耽っていたと知って、、 ちょっとそれは面白いな、、と思って、、

こちらに書いてありました↓
「夏目漱石、ロンドンの下宿部屋にとじこもり、スティーブンソンの小説を読みふける」【日めくり漱石/4月5日】(サライ)
https://serai.jp/hobby/49791

1901年の4月、というのは 漱石がロンドンに到着して半年余り、、 まだクレイグ先生のところに通って個人授業を受けたり、 劇場で観劇したり、 子規に倫敦消息を書き送ったり、、と のちに心配されたように「下宿に閉じ籠り」という、神経衰弱と言われた時期にはまだ至らない頃のこと。 このころの日記は毎日つけられていて、 古本屋へ行ったとか、どこそこへ行ったとか、読んだ本も漱石が好みの文学作品の名が見られる。 わりとのんびりした精神状態の時期。

そんな時期に、スティーヴンソンの『誘拐されて』(原題 'Kidnapped', 1886)を 日がな一日読み耽っていたのです。 実際、読み耽るもの無理はないと思えるお話なんですよ、 スコットランドの海から、ハイランドの荒れ野へ、 山あり谷あり、波乱に富んだ冒険歴史小説なのだから、 それを倫敦の狭い下宿に一人籠って、 夢中で読んでいる漱石先生が 何を想いながらだったのかしらと、想像するのもちょっと面白い。




写真はもちろんスコットランドではありませんが、 ハイランド地方を少しイメージして…
雨と、寒さと、岩山と、、 ヒースの茂みしかない、、 そんなハイランド。

で、『さらわれたデービッド』ですが、、
たった一人の身内の父が死に、 相続のことで叔父を訪ねて旅立ったデービッド、、 しかし叔父に騙されて、 アメリカ行きの船に乗せられ、ゆくゆくは奴隷として新大陸で売り飛ばされそうな運命に… 

船の上での戦闘があり、、 そのあと嵐の難破があり、、 孤島に打ち上げられてスコットランド高地地方の放浪が始まる。 背景には「ジャコバイトの反乱運動」などの政治的対立があって、その辺の歴史がなかなか頭に入らなくて、 これを日本の青少年が読むのはしんどいのではないかしら…と思うのだけど、、(別に漱石先生なら難しくはないでしょうが) 、、そのジャコバイトの残党、今では賞金をかけられたお尋ね者になっているアランと連れ立っての逃亡劇がはじまる、、 このあたりはまるで 「ブッチとサンダンス」。。 

でも、、
そういったハラハラドキドキの冒険、という要素以外に、 漱石との関連で注目されるのは、 主人公の身の上でしょうね。 肉親を亡くし、その相続において叔父に金を騙し取られる、、 『こころ』の先生の身の上と同じ設定、 そして漱石自身が、生まれてすぐ養子に出され、 元の家の兄達が相次いで亡くなるとまた復籍させられ、 後々まで養父に対する金の支払いを要求される、、 そういう自分自身の身の上。。 『虞美人草』にも『坊っちゃん』にも、『三四郎』にも、《相続》《金》の問題はひっそりと翳を落としています。

遠い倫敦という異国にいる自分と、 身内に売り飛ばされスコットランド高地を彷徨わなければならなくなった主人公の身の上と、 きっとどこか重ね合わせていた部分があったのでは…

漱石の日記のつづきを読むと、 『さらわれたデービッド  'Kidnapped'』のことを書いた4月5日の、わずか10日後の日記に、 その続編である 'Catriona'(1893) のタイトルが書かれている。 すぐに続編も読み終えた、ということがわかる。

ちなみにその続編のタイトル 「カトリオナ」は、 さらわれたデービッドのデービッドがやがて巡り会い結婚する女性の名だということです、、。 漱石先生がなぜすぐに続編を読んだか、、 わかるような気もする。。 こちらの本もいずれ読んでみなくては…ね。 です

漱石先生が倫敦留学の間の4月のひととき、、 スティーヴンソンの冒険小説、 恋愛小説に独り読み耽って何を思っていらしたのかと、、 漱石の夢の女性、 永遠の女性像、、というものを考えるうえでも 何かしらのヒントになりはしないかと、、 そんな気もしています。

 ***

漱石先生を別としても、 スティーヴンスン自身が 大西洋から南洋の島々へ、 命がけの大変な冒険と大恋愛に身を投じたロマンの人ですものね。。

しばらくの間、、 スティーヴンスン作品を少しまとめて読んでみようかと、、 読書の秋に、、

金木犀の香がせつなく漂う季節に、、


そんなことを想っております。。

写真にはたぶん写らない世界…

2017-09-19 | …まつわる日もいろいろ
台風の風に乗って 旅をしてきました。




妖精族ならば、
肩にロングボウを背負いながら ガレ場も足音さえ立てずに駆け上がっていくでしょうけれど…

私はそんな眼に見えない姿を遠くに感じながら、、 人々が踏みしめた道を 息を切らせて。。









雨に洗われたもの すべてが美しい。


夜・・・

荒れ狂う風になぶられる樹々を ビデオに撮りました。 、、斜め45度に降る細かい光の矢。

寒くはないのです。 できることなら、、 全身濡れそぼっても良いから、 風に歌う樹たちの声や、 見えない夜陰から顔に細かく吹き付けてくる雨を、 森の主たちの歓迎のしるしと受け止めて、 いつまでも風に煽られて揺れていたいほどでした。






優しいもの。 穏やかなもの。  かわいらしいもの。。  やすらぐもの。。


時には そういった温もりと無縁の関係性がむしろ有難いことがあります。  嵐の後、 見えない手が幹から薙ぎ払い、 叩き落とし、 引き裂いた大小の枝葉が 小道を塞ぐように折り重なっていました。 その様子さえもが 美しい世界。 

吹き返しの風の中、、 難儀そうに歩く人間たち、、 その様子を、 ざわめく森の上から可笑しそうに 誰かから 見られているような気がしました。


本当に美しい者たちは、、 写真には簡単にはおさまろうとはしないのです きっと…





 ***

 
東京へ戻る前に、

二十数年ぶり? に会う懐かしい友が駅へ来てくれました。 ほんの短い時間だったけれども、 一緒に食事をして、、 空白だった時間を飛び越えて、、 これから先の新たな時間を もしかしたらまた一緒になにか出来そうな、、 そんな貴重な語らいが出来ました。


森の中では、
あんなに一生懸命何かを探すように写真を撮って歩いたのに、、 二十数年ぶりの友と話をするのに夢中で、 写真を撮ろうとかすっかり忘れて 列車がとうに走り出しただいぶ後になって、 一緒に写真を撮らなかったなんて…と、 あぁ なんて馬鹿なの。。


だけど、 列車の出発時刻を気にしながら 少しでも沢山の話がしたくて夢中で、、


言葉で交わしただいじな約束は、 写真にはおさめられない時間だったんだよね。。

・・・ね?  と、、 そう思っている。



だいじな時間を ありがとう。




sunday morning...

2017-09-10 | …まつわる日もいろいろ
美しい写真が撮れたので…





フィルターも加工もしてないです、、 窓のシェード越しの自然光です。






 ***

もうすぐ、、

だいじなだいじな場所へ行かなければならないので、 それまで、 無事にお家へ帰ってくるまで、、 どうか体調を保っていられますように…  それだけを願っています。


、、 ゆっくり報告できることを楽しみに…


、、 あなたも元気でいてください、、



三十歳差、、 六十歳差、、

2017-09-05 | …まつわる日もいろいろ
最近、、 想い出すことがあって…


二十代の頃のわたしは、 今よりもずっと文化的に活動していて… (頭脳という話ではなく フットワークという意味です・笑) 、、最近、 ふとしたことから その頃 交流のあった方々のことを思い出していたのです。

今思えば、 はたちそこそこの娘だったわけですが、 当時、お話をさせてもらったり、 お手紙をやりとりしたりした方の中に、 自分よりきっかり30歳年上のかたと、 さらに30歳上のかたがいらっしゃいました。 だから、 五十代のかたと、 八十代のかただったわけです。 ある席でそれを知って三人顔を見合わせながら、「ちょうど30歳ずつ離れているのか!」って。。

若さゆえの無知と (自惚れもあったと思います)、 でも真剣さもあったから、 生意気なことも平気で申し上げて怒らせたこともありました。。 なのに、 再びお会いする時には必ず、 わたしに話しかけて下さって、、

五十代のかたは、 太宰治のように優しいかたでした。 八十代のかたは、 井上光晴のような紳士でした。 、、もう お二方ともこの世にはいらっしゃいません。。  あのような方たちにも、 もう今の世界でお目にかかることも難しいように思います。。

 ***

手紙、 というのものも最近はとんと書かなくなりました。  メールでも、変わらない良さは勿論ありますが、、 ほかの誰も知らない 一対一の思考のやりとり、、。 ペンを取って、 わたしに伝えるべく綴って下さった言葉の数々、、。 お会いしてお話したことも幾度もありますが、 何度も読み返すお手紙の言葉と筆跡、 便箋の風合いなどが、 今では そのかたの生身の言葉のように、 耳に聞こえるように、 心に残っています。

そろそろ…
初めてわたしがお二方にお会いしてから、 三十年近くが経とうとしています。 はたちそこそこの自分が、 30歳、60歳、年長の賢者から授けられた智慧や思索や、 その方法や態度、、 そうした与えて頂いたものを、 現在のわたしは一体どのようにしたら良いのだろう…と、 最近、 ふと思っては不甲斐なく感じるばかり。。 自分はあまりに幸せだったかもしれない、、 だけど、 その恩恵を多くの人に伝えられるほど 自分が成長したとはぜんぜん思えない、、

、、闘病後の自分にそれだけの力量がない、というのも 言い訳ではありますが…


 ***

ただ、、  これだけは、、

… 何かの愛好会とか、 趣味の会とか、 同人サークルとか、、 
最近は、 そういう集まりに参加しても、 批評されたり、 厳しい意見を言われたりすると、 「怖いから」と 出席しなくなってしまう若い方も多いそうです。 それはとても勿体無いこと。。 語り合って (批判されても、否定されても)、 また時が過ぎて、、 何カ月ぶりかでもいいから、 或は手紙でもいいから、 今どんなことを考え、 どんな日々を送っているかを伝え合って、、 そしてまた語り合う日が来る、、

出来れば同世代ではない、 まったく違う時代を生きた経験を持つかたと… そういう関係が築けたら良いですね。





遠い夏のような日々、、



思い出しては…

また背筋を伸ばさなくては。  空を見て…


9月になりました…『吾輩は猫である』読書の終りに

2017-09-01 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
9月になりましたね。

先週末辺りから、 秋の涼しい風に唐突に入れ替わる日も増えて、、 今年は雨の多い 曇天の多い東京でしたけれど、 9月の空はできれば青く澄んでいて欲しいですね。

 ***

2月からの 漱石『吾輩は猫である』の読書も、8月末で一段落となりました。 7カ月間の読書でした。 (主なツイートは、salli_星の破ka片ke のモーメントに一応まとめました)

でも、本当は…

まだ触れていない箇所が、いくつか残っているのです。 それは… ラストの「吾輩(猫)の死」と、 十章の「華厳の滝」と藤村操との問題について、です。

、、理由はいくつかあって、、 
両方とも、 短いツイートではなかなか考えをまとめ難い(説明し難い)複雑さを持った問題だから、ということと、、

それから、「猫の死」についてはおそらく、漱石は創作の早い段階から結末に猫の死を置くつもりでいただろう、と想像していて、、 だから、小説の結末ではあるけれども、 猫の死が作品の「結論」ではないのだろうと思うためです。 予定通りに終わらせた、ということであって… 
(これも様々な別の意見もあろうと思いますが)

第二章で、「グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫」に言及しています。 この詩は Thomas Gray の「Ode on the Death of a Favourite Cat Drowned in a Tub of Goldfishes」(金魚鉢で溺れた愛猫の死についてのオード)というものです。 英詩はこちらに>>

おそらく、この詩について触れた段階から、 (もしも、物語が長く続いて吾輩の身の上に何らかの結末を与えなければならなくなった時には) 吾輩は苦沙弥家で末永く暮らしました…でもなく、 伴侶を見つけて出ていきました…でもなく、 結局、グレーの猫と同じ運命に至るように漠然と考えていただろうと、 そう思います。 第一回を「ほととぎす」に掲載した時のように、 猫が苦沙弥家に拾われて住みつくだけの短い話で終わらせたら、吾輩の死はなかったでしょうけれど。。

寒月さんが「吾妻橋」で、水底から呼ぶ声を聞き、 欄干から飛び降りてしまう場面(実際には橋の内側へ、ですが)、、 この飛び降りについても、 グレーの猫が水に映った自分の瞳に誘われて鉢に飛び込んでしまう事との呼応があると思いますし、、
吾輩がもしこの世から去るとしたら、 それは水死でしかないだろう、と。

ただ、、もう一度書きますが「猫の死」は、この小説の結末ではあるけれども、 結論ではないだろう、と。

結論は、 十一章で苦沙弥はじめ、 迷亭、独仙、寒月、東風、という全くバラバラの個性を持ったメンバーが顔を揃えて、 寒月さんがバイオリンを弾くまでの長い長い勿体ぶった話を、 飽きもせず(一部飽きていますが・笑) 時おり茶々を入れながら、 楽しそうに語らっているという、 その事。 ツイートでは、、
『吾輩は猫である』十一章 寒月のバンオリン夜話と庚申講、および「クブラ・カーン」 というモーメントにまとめました。

この夜の集まりが、 皆の健康・長寿を願う 《庚申講》の夜を意味しているのではないか、と思い、 そしてその場には、故子規も交わっているだろう、と。。 
だから、 かつて寅彦が子規庵を訪問した日と同じように、 畳の上に秋の日が差していて、 その日がなかなか暮れないように(いつまでも話していられるように)、、 「秋の日がかんかんして」、 そして子規が好きだった甘干の柿を取っては食い、取っては食い…

そして、、 文章上には書かれていないけれども、、 寒月さんのバイオリン話は 「琴を弾く天女」への想像へとつながるだろう、と。。 それは 「眼に見えない大切なもの」を想像する力、、 漱石の好きな言葉《無絃琴》=無絃の琴を聴く、と同様に、 そういう想像力の必要を暗に説くものではないか、と。。 


 ***

では、なぜ その《庚申講》に似た 秋の夜長の集まりが「結論」なのか、と言えば、、 その後の、、
『吾輩は猫である』最終章 探偵・自覚心・神経衰弱、そして日本の未来記へ  にまとめましたが、、

二十世紀の世(『猫』における現代)、、《自覚心》ばかりが強くなった現代人は個性を主張するあまり、神経衰弱に陥るだろう… という苦沙弥らの「未来記」に照らして考えれば、 互いの個性を主張するだけの世には「文学」も「芸術」も、存在できないから、、 なのです。

『猫』十章では、 苦沙弥、奥さん、子供たち、雪江さん、がみんなてんで勝手に振る舞い、 自分の事ばかりをそれぞれ勝手に喋り、 可笑しなディスコミュニケーションの場面が繰り広げられていました (『吾輩は猫である』第十章 己を知るという事
、、この十章は、 いわば《個性》と《自己主張》の二十世紀の縮図でしょう。 ただ、 苦沙弥家の人々はべつに相手に自分の考えを強要もしないし、 すぐに忘れる平和な一家ですから、 二十世紀的神経衰弱には縁が無さそうです。

最終章の、苦沙弥、迷亭らのメンバーの集まりが「貴重」なのは、、 迷亭は美学者でホラ吹き、 独仙は昔風の禅学者、 寒月は科学者でかつ神秘主義者、 東風は愛と芸術が至上の詩人、、 それぞれの個性はそのままで、 誰も相手を否定せず、 互いの話を聞く耳を持ち、 互いの考えを面白がる好奇心を持っている、、 だからコミュニケーションが成立する。 
それが《個》の時代=二十世紀における最良の在り方なのではないか、と、、。 だから、吾輩(猫)の死が結論ではなくて、、 苦沙弥家の集いのあり方が「結論」なんだろう…と そう思うのです。

 ***

少しだけ付け加えて、、 
十章の終わりに「華厳の滝」における藤村操の死がほのめかされます。 この「死」については、 『吾輩は猫である』の作品とはまったく《別》の、 複雑な意味を考えなければなりません。

それを今つづけて書くのはよしましょう。 ただ思うのは、 藤村操の死こそ、 『猫』最終章で語られる現代人の《自覚心》そのもの、であろうと思うのです。 自分が他人にどう思われるか、 どう自分が記憶されるか、 死の間際まで求めたものは《自意識》への手応え、だったのでは。。 《自覚心》の為の自死、、。 そういう死に対して、 漱石がどういう考えを持っただろうかについては『猫』とはまた別の問題です。

十章の「古井武右衛門くん」がいたずら心でラブレターに名前を書いて、 それで放校を苦にして死んでしまいそうなくらい悩んでしまったこととは、まったく別の問題です。

ただ、 確かにこの部分では 漱石は「華厳の滝」を笑いの種にしています。 あえて笑いの種にしている、という点には、 確かに重い《意味》が込められている、と思います。 それを考えるには、 寅彦に宛てた「水底の感」という漱石の詩、 それに対する寅彦の「女の顔」という短文、 子規の病死、 寅彦の妻の病死、 漱石の身内の病死、、 そういう生きたくも生きられなかった者たちへの漱石の思い、 あるいは漱石の生い立ち、、 等々いろいろと考えなければ導き出せない、、 とても複雑な問題なのだと思います。

(これらに関しては、 ツイートにも書きましたが、 山田一郎氏の著書『寺田寅彦覚書』 岩波書店、1981年、が大変参考になりました)





長くなりました…

お読みくださった方 (ツイートについても、お読み下さった方) ありがとうございました。

漱石作品の読書については、 またおりおりに、、 時間をみつけて書いていけたら、と思います。 『猫』もたいへん有意義な読書でした。

 ***


、、 しばらくは、 好きなものを読んで、 好きな音を聴いて、 好きな場所へ出かけて、、 大好きな秋の訪れを楽しみたいな。。。 


、、 ご無沙汰してしまったお友だち、、 元気でいますか?  


みんなの大好きな、 秋… だね