星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

あなたがくださる未来…

2019-12-30 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
今年の最後に手にした本は



『ピラミッド』 ヘニング・マンケル著 柳沢由実子訳 創元推理文庫 2018年


クルト・ヴァランダー警部シリーズは 8作目の『ファイアーウォール』までが翻訳されていて、 著者のヘニング・マンケルさんは 2015年に亡くなってしまわれたので シリーズを読み終えてしまうのが勿体なくて、 どうしても『ファイアーウォール』にはまだ手を出せずにいます。

その代わりに 若き日のヴァランダー刑事を描いた番外編ともいえるこの短篇集が 昨年翻訳されていたので、 これも勿体なくてずっと我慢していたのですけど 今年、 ヘニング・マンケルさんの『イタリアン・シューズ』も読んでしまったので、 とうとうこの『ピラミッド』を読むことにしました。

クルト・ヴァランダー警部シリーズは、 『殺人者の顔』… 1990年の1月8日から物語が始まりました。 
体型も気になり始めた中年オヤジ、、 奥さんに別れを切り出され でも未練たらたらのダメダメな日々を送り、 一方で そろそろお年の頑固で偏屈な絵描きのお父さんの面倒もみなくちゃならない 私生活は全然ハードボイルドじゃないおっさん警部。。

でもその物語が ヘニング・マンケルさんにノーベル文学賞を! と言われるほどの人気シリーズになったのは、 この『ピラミッド』の最初の〈著者まえがき〉で マンケルさん自身が書かれている通りの理由があったからだと思います。。 それは…

 「ヴァランダーはある意味で多くの人の不安の代弁者としての役割を果たしているのかもしれない…」 ということ。

何に対する〈不安〉かというと、 「法治国家と民主主義の関係」が、、 これからの時代に 生き延びつづけられるのか? という…  ヴァランダー警部がいつも呟く (いったいこの国はどうなってしまうのか)という不安…


私はミステリ小説を読みだしたのはここ数年のことなので、 ヘニング・マンケルさんの事も全然 存じませんでした。。 でも 読んでからは本当に、 大戦後の傷痕のこと、 人種問題のこと、 移民問題のこと、 社会格差のこと、 ヘイトクライムのこと、、 みんなみんなマンケルさんが90年代にすでに書かれていた事をいまになって 今の日本で(やっと自分が)切実に感じるようになったことに気づかされました。 
小説家としてのマンケルさんの慧眼、、 スウェーデンにとどまらず世界全体の問題をエンターテインメント小説として読ませられる力量、、 ほんと ノーベル文学賞でもおかしくないです。

 ***

この『ピラミッド』は ヘニング・マンケルさんがシリーズ8作目の『ファイアーウォール』を書いた後に、 1990年1月8日以前のクルト・ヴァランダーの物語を、、 まだ若き22歳の刑事だったころからの番外編の短編物語集を(ファンのために)創ってくださった本。 そんな嬉しいうれしい小説集。

気持ちはとっても ワクワクなんですけど、 このところの年末大掃除に買い出しに、 今日からもうお料理の準備、、と まだ最初の1篇の途中までしか読めてないの…  でも幸せ。。 クルト・ヴァランダーが動いて喋っているだけで なんだか しあわせ…


、、 訳者の柳沢由実子さんのあとがきによれば、、 クルト・ヴァランダー警部シリーズの未訳は あと二冊とのこと。 そしてシリーズ以外の ヘニング・マンケルさんの著作は あと30作以上もあるとのこと。。

マンケルさんはもういないけれど、 こうして翻訳をして 私たちに物語を届けてくださる訳者の方や出版社のかたがいて、 年に一作でも二作でも、 私たちは新しい物語に出会う幸せを味わうことが出来る。。 それを想うだけでも これからの日々、 そして来年という時間がたいせつで待ち遠しいものに思えてきます。


そうして、、 自分は またどこかで出会うちいさな物語や 古い物語や 忘れられた物語や、、 自分で見つけた なにか貴重な物語のことを、 ここに読書記録を書いていけたらいいな…

ベストセラーは放っておいてもいろんなところで紹介されていくでしょうから、、 


来年も そんなふうに ちいさな出会いと ちいさな未来をもとめて、、 日々を過ごしていけたらいいな、、と 思っています。


今年もありがとうございました。



年末年始  どうぞ 素敵な日々を…

53年後の『男と女』

2019-12-26 | 映画にまつわるあれこれ
53年前の パパの古い映画雑誌『映画の友』からの写真です⤵


映画『男と女』のアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャン。 右に写っているのは フランス映画祭で来日したときのジャン=ルイ・トランティニャンですね。

もうすぐ、 この映画から53年後の再会を描いた、 クロード・ルルーシュ監督の『男と女 人生最良の日々』が公開されますね。

新作のニュースを知り、 映画の予告編を見た時の気持ち… 、、アヌーク・エーメの変わらない美しさにまず驚いて、、 そのあと 顔を上げたジャン=ルイ・トランティニャンに…… 溜息、、 そして涙、、

、、 今月で89歳になられたジャン=ルイ・トランティニャン、、 すごい、、 この映画を同じ監督、同じキャスト、 同じ作曲家で撮れたのはほんとうに奇跡的なこと。。

こちらに 今年の映画祭で来日したルルーシュ監督のお話と 早大での講演のようすが載っていました⤵
http://cinefil.tokyo/_ct/17282652

どんな映画になっているのでしょう…
映画のタイトルは、 ビクトル・ユゴーの言葉「人生最良の日々はまだ生きられていない」からとられているそうですが、、 それは 遠い未来を意味するのではなくて、 たぶん 「今」という瞬間が常にあって、 今よりも前へ もう少し前へ という繰り返しのなかで生きていることなのかな、、と思う。。 だから人生最良の日々は 今がそうだったりするのかもしれないし… 

ルルーシュ監督が仰るように、、 過去にくらべて 現在がどんなに困難であろうとも、 自分にとって「人生最良の日々」は 振り返った〈過去〉ではないと思う、 私も。。 
それは確実にそう思う。。


 ***


、、 わたしにとっての今年の漢字、、 なんだろう… と考えて 

  「体」

カラダと向き合うことが日々のなかでとても大切になってきました。 良きにつけ悪しきにつけ…。 
「体」からちょっと〈一つ〉そこなわれただけで 人のカラダは「休」になっちゃう… そんな時は木陰でおやすみするように何かに凭れて じんわり回復していくように待つしかない、、「休」から「体」へ…

でも 「体」という字は 本来は「體」という字だったそうだから、 骨が豊かになるように食べることも、動くことも、 休むことと同じように頑張らないとね。。 これでも日々、 ほんとうに努力して生きているのです、、 なかなか思うがままになってくれないカラダに。。

、、あんなに若々しかったジャン=ルイ・トランティニャンが あんなにちっちゃくなった体で運転をするようなお爺ちゃんになるくらい、 それだけの年月を私も生きてきたのだもの、、
ほんと 長い年月だわ。。


 ***

パパの遺してくれた映画雑誌はその後 おませな小学生時代の私の絵本がわりになりました。 当時は30冊くらいあったから、 60年代の映画の写真や俳優さんの姿はほとんど鮮明におぼえています。

大人になって 『男と女』をちゃんと観たのは 前にこちらに書いたときでしたね(>>) 20年後を描いた『男と女 II』と一緒に観ました。 

人の人生は不思議…
それまで見も知らなかったひとりの男とひとりの女が出会って、、 同じ道を同じ年月歩むひともいれば、 別々の道を行く人たちもいて、、 でも… 53年後に何も変わっていなかったようにふたたび言葉をかわすことができるって… あんな風に微笑み合えるって…


生きることの 生きていることの うつくしさを感じます。。


、、これから 年越し準備の日々を頑張って


来年になったら 映画館へ観に行こうと思っています。



重く難解、でも読むに値する孤児たちの物語:エーリク・ヴァレア著『7人目の子』

2019-12-24 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
この本に行き着いたのは、 先月 マイケル・オンダーチェの『ディビザデロ通り』を読んでいたからです(>>

あのとき引用した

 孤児の歴史感覚をもつ人間は歴史が好きになる。 
 …(略)… なぜなら歴史を掠奪しないかぎり、不在がわたしたちを糧にして生き残ってしまうからだ。


、、この《不在》という感覚、、 それがいつまでも自分の中に〈欠落〉とか〈不安〉として生き残る、、 しかし一方でそれらは 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉にもつながっているのかもしれない… と。 history は story 、、 わたしたちが物語をもとめつづける理由にも つながっているから、、

 ***

そんな繋がりを内心感じつつ、 でも本当はこんなにも重く、難解な、いろんな事を考えさせられる小説だとは思いませんでした、、年末だから 忙しい日々でも傍らで読んでいけるミステリ小説(エンターテインメント小説)にしようと軽い気持ちでピックアップした中の一冊でした。

エーリク・ヴァレア著『7人目の子』 長谷川圭 訳、ハヤカワミステリ文庫 2014年 >>Amazon



早くも絶版だとは残念です。 決して楽しくすいすい読める本ではないし、 (殺人は起きますが)殺人犯が誰か、刑事や探偵が追う話でもないですが、 北欧ミステリ界の《ガラスの鍵賞》受賞作。 この作品の〈何〉が北欧の読書人の心をとらえたのでしょう、、 
読後にあらためて考えてみると この小説の社会性とか現代性が見えてくるのかも… と今思っています。

 ***

物語の始まりは 上のAmazon の内容紹介を読んで頂ければ良いかと思います。
60年代のクリスマスに撮られた7人の幼子が写った写真。 とんがり帽をかぶったあどけない幼児たち。 《新年に新しいおうちが見つかるのを楽しみにしています》という文字。 デンマークのとある児童養護施設で写された写真… その子たちは養子縁組を待っている子供たちでした。

この写真を同封した匿名の手紙が 40年経ったある日、デンマークの国務省に届く。 他に入っていたのは赤ちゃんの靴下と、 養子縁組申請書。 書かれていた名前は「ヨーン・ビエグストラン」

一方で、 浜辺で身元不明の女性の遺体が見つかる。 女性の周囲にちらばった謎めいた「本」「ロープ」「木」「カナリアの死体」、、 しかし その日は海の向こうアメリカで9・11のテロが起きた日。 報道はテロ一色となり女性の死亡は事故として忘れられた…

、、 ここまでの導入部なら、 犯人捜しの推理小説がここから始まるんだな、と思って読むのですけど…


国務省に届いた40年前の養護施設の写真が、 国務大臣を始め、 政府を揺るがすようなどんな重要性があるのか…? 読んでいくうちに、 同じ写真が他の人へも送り付けられていたことがわかってきます… その意味は…?

写真に写っていた7人の子供たち(60年代生まれ)、今は40代になっている大人たちの、 その一人一人とは一体〈誰〉なのか、 彼らは養子として引きとられていったのか、 どんな生活を送ったのか。。 養護施設、 国務省、 かつての養子たち、、 ヨーンとは誰か、 そして殺人事件、、それらがどうつながるのか…

 ***

巻末の解説のなかに、 著者の言葉が紹介されていますが、、 デンマークでは養子縁組が盛んで、 誰でも身近に養子になった人や養子を育てている人を知っているほど当たり前のことなのだそうです。 それは福祉国家で子育て環境や制度が整っているからなのか、 それとも子供を社会的にとても大切にする国民性のようなものがあるのか、、 それについては書かれていなくてよくわかりません。 
でも、 小説の中で、 身寄りのない一人の難民の少年を入国させるか国に送り返すか、 それが メディアと政府と国民全体の大問題として取り上げられ、 その対処で政権支持率が左右されるとまで書かれているので、 《子供》に対する国民感情には(宗教的なのか道徳的なものかわかりませんが) とてもセンシティブな感情があるのかもしれません。 アンデルセンを生んだ国、ですから。

小説中にも、 とても重要な部分でアンデルセンの作品が出てきます。 「パンをふんだ娘」(Wiki>>

私、、 この童話を知りませんでした。 あらすじは小説中にも書かれていますが、 上のウィキで内容を読んでも この童話の意味するところを理解するのは難しいですし、 その「パンをふんだ娘」に言及して著者がその部分で何を言わんとしているのかも、すごくすごく難しいです。

『7人目の子』に登場する かつての写真の幼子たちは40代になっています。 写真が国務省に送り付けられたことをきっかけに、 彼らのそれぞれの過去も描かれていきます、、 が、そこには何とも言えない特異な《暗部》が存在します。 自分が養子であることを知らずに育った子も、 ある時期に打ち明けられた子も、、  それぞれが強烈な孤立感とか、 親と子の違和感とか、 人間関係の屈折とか、 読んでいて息苦しくなるような闇を抱えている…
それは何故なのか、、 ここには作者のなにか〈偏見〉が無いだろうか… 養子、だからではなく、 実の両親が揃っていても顧みられずに淋しい想いをする子もいるだろうし… 養子であっても愛情に恵まれる子もいるはず…
、、 でも わからない。。 ほんとうのところはわからない、、 当事者ではないから

著者は物語の中で、 たとえ養子であることを隠しても必ず子供は知るのだ、という。 自分とほかの子との〈差異〉を確実に感じとるのだ、と。

、、 そう書かれていることや、 子供時代の彼らの特殊な闇の記述に、 作者の意図がわからなくなってしまい、、 つい先に解説を読んでしまいました。 作者自身も養護施設にいた事が書かれていました。 この小説のなかの子供たちの深い闇は、 作者自身が幼少期に味わったものなのでしょうか… 
作者自身が背負ったトラウマが語られているとして、 それを〈偏見〉とみていいかわからないし、 体験に基づくから真実といえるのかもわからない。 でも この子供たちの複雑な精神状態や、 親と子の会話や、 子ども同士の関係性、、 傷をえぐるような記述は作者の経歴がなければ書けなかっただろうと思える、ずっしりと迫ってくるものでした。 

 ***

たぶん作者は どの子供の〈過去〉も〈特異性〉も おろそかにしたくなかったのかもしれません。 最初に 『ディビザデロ通り』の引用をしましたが、 自分の断ち切られた過去の〈洞穴〉、、血脈の〈不在〉が生き残り そのぽっかりと開いた〈洞穴〉に呑み込まれてしまわないように、 ひとりひとりの〈歴史〉をきちんと語らなければ、と。。 
彼らが養護施設に預けられ、養子として新しい人生を歩むことになった〈原因〉をも含めて、 彼らは誰ひとり、養子、孤児、という一括りの存在ではないのだという作者の強烈な葛藤がこの物語を書かせたのかなと考えもしました。

この 40年前の子供たちのそれぞれの〈過去〉と 現在の政府高官の過去の陰謀が絡み、謎が解き明かされていく過程には、 先にちらっと書いた難民受け入れの問題や、 国民の反応とメディアの役割と政府の操作、 さらには、外国人を受け入れる代わりの少子化対策として妊娠中絶を禁止せよ、などという政府案まで出てきます。 
そして、 何度か書かれるのが「デンマーク人は~を好む」 とか「デンマークは~こういう国」という記述。。 だから本国でこれを読む人は、お話のなかの問題としてではなく、 実際に幸福の国といわれ 福祉国家で養子縁組もさかんなデンマークの社会で子供を育てるということや、 親と子のあり方… これらのテーマが身近なもので 深く考えさせられる重要なテーマなのかも。 日本人が考える以上に…
 
この小説で作者が丹念に描く、 非常に重苦しく難解な孤児たちの深い闇の物語は、 それが孤児や養子の実態なのかどうかはともかく、 ひとりひとりの子供の〈幸せ〉の問題として 他人事ではないテーマなのかも、、 それだからこその「ガラスの鍵賞」なのかも… と、、 まだ解ったとは言えないけれども そう思うに至りました。

話は少し逸れますが…
もうすぐ 東京都美術館で 『ハマスホイとデンマーク絵画』という美術展が開かれます。 そのサイトに、 デンマークの独特の文化として 《ヒュゲ》という言葉が説明されています⤵
https://artexhibition.jp/denmark2020/

家庭のくつろぎや家族のつながりをたいせつにする文化、、 そこから生まれる国民感情、、 そのようなものもこの小説には関係しているのかもしれないな、、などと…
ハンマースホイは好きな画家ですし、 この美術展にはぜひ行ってまた考えてみようと思っています。

 ***

話をもどして
、、 私自身は〈血縁〉とか〈血族〉が生涯を支配するほど最も強いものだとは思っていないし、 むしろ 血のつながっていない他人との出会いによって そこから人間同士としての家族をいかに築いていけるのか、 が自分にとっての生きる課題と思っているので

40代を過ぎたかつての孤児たちのそれぞれの最後の場面を、 もう一度 ぜんぶの物語が終わった後で 彼らはどこへ行き着いたのか、 それをもう一度読み返したいと思っています。 殺人者は誰だったのか、がこの小説でだいじな部分では無くて、 あの写真の幼子たちがどんな成長過程を経て、 どんな大人になったのか、、 彼らはこの〈事件〉のあとで〈幸せ〉を見つけられたのか、、 それを考えてみたいから…


最初に、、 

自分の中にある〈欠落〉とか〈不安〉が 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉につながっているのかもしれない… と書きました。
 
あの物語の養護施設にいた子供たちのなかで、 〈どこにも貰われて行かなかった子供〉がひとりいます。。 その子が感じる〈憧れ〉についての記述が… とても とても せつなかったです。。 


どんなに希んでも 手に入れられないものは、、 あるから。




完訳の アンデルセン 「パンをふんだ娘」、、 今度 読んでみようと思います。




(お友だちに貰った可愛らしいクリスマス柄の干菓子。 星のかけらみたい…)


、、 よき聖夜を 、、


ハワイアンなジングルベルとスウィングなジングルベル♪

2019-12-14 | MUSICにまつわるあれこれ
師走、、 はや半ばですね。

昨日は寒い日でしたが、 東京では今の時期になって銀杏並木が黄色く色づいていて、 早朝5℃ 日中10℃くらい、というのは 寒冷地育ちの私にとっては11月はじめくらいの感覚… だから頭の中(身体の中?)の季節感がまだ師走になってくれないのです、、


昨日の一枚。 この色合いは晩秋の色ですね、、 寒いけど素敵。。

 *** 

なのにこのところ きらきらのクリスマス気分を通り越して なんだか年末の切迫感がふいに押し寄せるのは、 (前回の)第九などを聴いていたせいでしょうか。。 それともウチの大掃除が なにも済んでいないから…?

切迫感を傍らにおきながら、、 でもきょうはレコードを聴くんだ…と決めて、

今秋、実家から送られた荷物の中に大昔の「ジングルベル」のレコードがあったので⤵



ここに写っている黄色いソノシートのジングルベルについては 前に書きましたね(>>) 確かに端っこ齧ったように破れてますが 思ったほどひどくはなかったゎ。。 
もうひとつの コロムビア盤のは余り記憶に無かったので 今日かけてみました。 コロムビア・オーケストラ演奏 服部レイモンド編曲 57年10月 ってレーベルにあります。

、、な なんか マイナーな前奏(ロシア民謡風の)、、 と思いきや ジングルベルの歌の旋律を奏でるのは ハ、ハワイアンのスティールギター!! にゅぅ~~ん♪とか音がなびいて、、 不思議だぞ、、 

一番が終わるとまた シャンシャンという冬の鈴の音とマイナーなポーリュシュカポーレみたいになって、  
2番は 今度はマンドリン。。 でもなんだかマンドリンというより三味線ぽくも聞こえる、、 すずが~なる~~の後に タカタンタン♪て合いの手が入るの(笑

子供ごころに (これはイヤ!)って思ったのかもしれません、、 好んで聴いたという記憶が無いもの。。 それで、 記憶にあったほうの黄色いソノシートを聴いてみたくて溜まらなくなって… (針痛むかなぁ、、 でもそんな高級オーディオじゃないし) 、、と 聴いてみた!

こちらのジングルベルは なんとスウィングジャズでした♪ 最初なんか回転がヘンと思ったら、 EPサイズだけど33回転で 3曲入ってる。 スウィングしてるジングルベルと、 次はしっとりとスローな英語の女性コーラスの「Silent Night」、 それから讃美歌の「神の御子は今宵しも」のスウィングバージョン、、 シンコペーションばりばりのノリノリのアレンジです。。 なんだか水玉模様のワンピースを着てポニーテールにした女の子が 男の子の脚の下をくぐったりして踊る姿が浮かんできそうなポップな讃美歌。。
これは誰の演奏なんだろう、、 女性Voの発音からして日本の人じゃなさそうだから 向こうの人のジャズバンドか何かかな… 

こんなスウィングしてるジングルベルを聴いていたのですね、、 幼児のワタシは…

でも、、 今の時代 ジングルベルのレコードなどかけてクリスマスを祝うなんて家は無いでしょうね、、 スマートスピーカーとかに(クリスマスソングかけて♪) とか言って ささっとリストアップされたのが流れていたりして、、

 ***

そのあとで久しぶりに Hozierの180g重量盤の2枚目だけ聴きました。。 ほんとうにいい音… やっぱりいいなぁ、、 レコードで聴くのって。。 紙のレコード袋に歌詞が印刷されているのも良いです。。

All the things yet to come
Are the things that have passed...

なんだか この歌詞は、、 前に「イギリス人の患者」から引用した部分と似てる、、 或は ロバート・ゴダードさんの書いていた 「過去は背後に取り残されるばかりでなく、行く手で待ちかまえもするのだ。」というような…


Be still, my indelible friend, you are unbreaking
Though quaking, though crazy
That's just wasteland, baby


今日聴いたジングルベルが 1957年のだったとしたら62年前のレコードなのね。。  あと50年、60年経って、 こんなに素敵なシンガーがいたんだよ、、 って誰かが ホージアのレコード聴く人がいてくれたらいいな、、と思う。。

デジタルの音源にそういう事は感じないけれど、、 レコードにはなんだか残っていく大事な遺産、という感じがあるよね、、 古書と一緒で…


 … I'm in love, I'm in love with you


どんだけ好きなんだ……

2019-12-11 | MUSICにまつわるあれこれ
昨日は この時期恒例のお友だちとのランチ。

音楽でお仕事をしている彼女のだいじな演奏会が終わったので そのお疲れさまも兼ねて美味しいものをいただいて、 おしゃべりして、 当日の演奏映像などスマホで見せて貰ったりして…

あとで写真を見たら、 私、去年とまったく同じケーキ食べてます(笑・あらやだ) 
めったにケーキを食べないのでここぞとばかりに沢山の苺(白いちごとあまおう)のケーキを選んだつもりだったのに、、 去年もそれだったの…



、、でも すごく美味しかったから。。

 ***

昨夜 家に帰ったら 来年のコンサートチケットが届いていました。



東京交響楽団、、 今度はベートーベンです。 テルアビブ出身の在NYのピアニスト、イノン・バルナタンさん。 イスラエルなど中東出身のミュージシャン、 ジャズやクラシックの世界で近年活躍のかた多いですね。 楽しみ。。

でも ほかにも 1月サントリーホール、 3月MUSA、 5月サントリーホール 6月MUSA それからまだチケ取ってないNHKホール、、 と 毎月のように生演奏を聴きに行く予定。。 今年の夏はちょっと体調をくずして、 秋は入院、、 そのあともなかなか体力が戻らずに今年は苦労しました、、 だから 大好きな音楽を聴きに行く為に頑張って生きよう、、 頑張って体調管理しよう、、と予定だけは先に欲張って…


前回7日の日記、、 ちょっと暗かったですね… 笑  
、、でもほんとにU2観たあとはちょっと落ち込んだんだ… 大好きなジ・エッジのギターの音色が以前のライヴで聴いた空気をきらきら纏って響いてくるようには私の耳に届いてこなかったから。。 もうロックコンサートは卒業なのかな、、と思って。。

、、 でも その数日後に THE YELLOW MONKEY の9月のバックステージ映像を観て(FCサイトで公開されているもの)、、 リハーサル映像の中で エマさんが3ハムのレスポール、 ヴィンテージぽいフライングV(あれは58年のなの?)、 そしてこれもヴィンテージの52年製テレキャスターだったかな、、 それらを持ち替えながら弾いている音を聴いていたら なぜだかぼろぼろぼろぼろ涙が零れてきて……

 (どんだけギターの音すきなん…) て自分に、、

どのギターの音色もライヴの演奏の中で感動しながら聴いたこと忘れてないです、 エマさんのギターの音色は広いコンサート会場の中でもちゃんと響いてた。。
どんだけギターの音すきなん…、、 好きだよ、、 かつて十年間くらいほぼ365日ギターの音色を聴きつづけたんだもの(レコードではなく弾いてる音を) 、、ギター愛を語り倒して就職したんだもの。。 だからこそ複雑な気持ちが入り乱れて、、

昨日、 お友だちにもコンサート会場の爆音のことや難聴のことや話して、 イヤホン難聴とかミュージシャンの耳の病気のこととかも、、 大好きな音楽が出来なくなったらどんなにどんなにつらいだろうね、、って。。

 ***

昨年の暮れに行けた 奇跡のようなグラモフォンのガラコンサートが今年CD化されました。(上のフォト左)
ドイツ・グラモフォン創立120周年 Special Gala Concert >>Amazon

それから写真右のは 水戸室内 管弦楽団と小澤征爾さんのベートーヴェン:交響曲第9番>>Amazon

水戸室内管弦楽団は初めて聴いたのですが、 少人数編成の第9とはいえ素晴らしいダイナミックな演奏で感動しました。 合唱も少人数とは思えない素晴らしさ。。 毎年TVで暮れには第9公演をいつも見ていますが 水戸室内管弦楽団ほんとうに素晴らしいです、、 いつか東京でも観てみたいです。
きょうはこれらのCDを聴いてすこし心を落ち着かせてました、、


、、 耳の病気は 私は職業として音楽をやっている人間ではないんだから、 自分なりの音楽の愛し方でこれからも音楽を愛でていくしかないです。 好き、という気持ちは心が勝手に動くもの、、 どうすることもできない、、 どうすることもできないから苦しくもなるんだけど… 

ギターの唸りを聴いてハッと顔を上げてしまうのと一緒。。


LOVE is LOVE



これからの音の楽しみ…

2019-12-07 | MUSICにまつわるあれこれ
先日のU2のコンサートで 再生可能エネルギー由来の水素を使って アンプなどの機材に電気が供給されたのだそうです⤵

http://tgs.tama.ac.jp/renew/wp-content/uploads/2019/12/dc8c905c13d40092db19e29ad0adc897.pdf

あの広いさいたまスーパーアリーナの照明や、 巨大な8K映像やライティング、、 すべてをまかなったとは思えないし、そう書かれている訳ではないので、 全部の内の何%くらいがあの3台の車からの電気だったのでしょうね…

こういう話題は決して悪いことではないし 地球環境に優しい技術がどんどん使われていって欲しいとも思うし、、 一方ではコールドプレイのように「コンサートツアーは行わない」という徹底した姿勢もクリス・マーティンらしいな、と思うし。。

 ***

U2の今回のコンサートに話を戻せば、、 実のところサウンド面では私は2006年のほうがずっと良かったという印象なのです。 今回、音が良かった、、 迫力があった、、という意見が大半みたいですけど、 私の耳のせいか座席(スタンド正面)のせいか、 私には爆音過ぎました。 ボノのヴォーカルも相当割れていたし、、

たぶん、 アリーナの人波の中だと案外音が吸収されてしまうのかも… 或は 殆んどの人があの音量に慣れた耳を持っているのかな…
同行の友に尋ねたらやはり翌日まで耳鳴りがしていたというから、音は大きかったんだろうと思います。

壮大な映像も感動的だったし、 ヨシュアトゥリーには特別な想いもあるし、、 13年経って自分が再びU2のコンサートを見られるとはあの頃には想像も出来ない 奇跡的な贈り物でもあったけれど、、 8Kの映像も何も無くても ただ4人がラリーのドラムの周りにかたまって演奏しているあの小さな空間を見ている時が一番幸せだったな。。

今回の音量で聴いた中では Bullet the Blue Skyのジ・エッジの凄まじいギターが一番似合っていたけれど、 エクスプローラーも リッケンバッカーも いつものクリーム色のレスポールも、、 2006年の音の空気感には及ばない気がした。

それは自分のせいかもしれないんだけどね…


スーパーアリーナやドームでやるような大規模なロックコンサートにはそろそろ私の耳は向かなくなっているのかもしれない。。 それはここ1,2年ずっと思ってきたことだけど、、 U2が来てくれたからね、、 これで区切りにしても良いのかも。。

、、 まだ もしも来日したら観たい人たちはいるにはいるけれど その大事な人、 大事な音を楽しむための耳を残しておかなくては、、ね。 
何より、 オーケストラの繊細な弦楽器のピアニッシモを聴くための耳を失いたくないから。。 正直なところ 今はそれが一番の願い。


 ***

地球環境という面で考えればクリス・マーティンの言うように ジェット燃料を使って飛行機で機材やスタッフを運搬して、、というコンサートツアーでなくても こないだのロジャー・ウォーターズのライヴ映画のように高音質の映画館でライヴ上映を楽しむのも これからの一つのあり方かもしれないね…

U2のあの素晴らしい8Kの映像を観ていて だからなおさら思ってしまったのよ、、 美しい映像ならばどこで見ても同じ、、 ただ4人がかたまって弾くサウンドはその空間だけのもの、、だからもっと良い音で聴きたかった。。






音を楽しむ歓びは これからはまた新しいかたちになっていくのかもしれません…



『Roger Waters Us + Them』観てきました

2019-12-02 | MUSICにまつわるあれこれ
一夜かぎりの ロジャー・ウォーターズさんのライヴ映画 『Roger Waters Us + Them』
先行抽選でチケット取って観に行って来ました。

以前、 ベルリン・ライヴのDVDで驚愕して以来、 In The Flesh LIVE のDVDや(このツアーでドイル・ブラムホール II Doyle Bramhall II を知ったのでした)、 ロジャーのアルバム作品やツアー映像は ほぼ追ってきて、 当時の巨大なスチロールの箱を積み上げて壁を築いていく手作業の《ウォール》時代から プロジェクションマッピングの時代になり、、 

でもロジャーのメッセージの矛先は常に変わらず…

In The Flesh LIVE の時くらいでしょうかね、、 政治色抜きに映像のメッセージとかもなく 演奏のバトルを存分に楽しむという姿勢でライヴをやっていたのは。。 あの時は、 ドイルというやんちゃな若者(ドラッグ中毒から抜け出したばかりのサバイバー)という存在があってこそ成立したライヴだったと思うし…

今でこそ、 クラプトンさんの欠かせないパートナー兼プロデューサーにまで成長したドイルですが、 あのDVDの特典映像の中で、 ドイルがアンディ・フェアウェザー・ロウさんのギターを (弾いてもいい?)って言って、 ツアー用のギターが10本くらいあるのを (すげぇ)って見てたのがほんと駆け出しぽくて可愛くて、、 (あの頃 ドイルは2本しかギター使っていなかったよね)

、、 そんなドイルのアクの強すぎなストラトと、スノーウィー・ホワイトさんの熟練のレスポールでツインソロを弾く Dogs などを、 後ろでロジャーとアンディがにこにこしながら見てたりして、、

… あ、 話が逸れてしまった、、

そう、ロジャーのメッセージの矛先は決して消えることは無く… 移民や難民の問題、 中東の問題、、 それに加えて近年は地球環境の問題、、 

今回の 『Roger Waters Us + Them』では、 こちらのプレスリリースの文に書かれているように(http://amass.jp/126317/)、 人類の危機、 このプラネットの危機という事をロジャーは強く訴えていましたね。 その敵は自国第一主義をかかげ、 経済的・政治的利害の為にさまざまな問題から目を背けている者たち…

ロジャーの政治的なメッセージ性が嫌だという人も多いと思うけれど、 でもロジャーが音楽を続けているのはメッセージを伝える為でしか無いんだもの、、 それ以外にロジャー・ウォーターズは音楽をやろうとはしないでしょうし。。 私はロジャーが好きです。

 ***

でも今回の 『Roger Waters Us + Them』ツアーの 私にとっての一番の関心事は ギタリスト&ヴォーカリストの ジョナサン・ウィルソン(Jonathan Wilson)さんの抜擢、、 これには驚いたわ。。 ジョナサンはデビューアルバムから聴いてきて確かにフロイド遺伝子ありあり、、 生まれた時代を30年まちがえたよね、、っていう(ジョナサン74年生まれですから) ロジャーやギルモアの息子みたいな人ですけど、、 でも拠点は西海岸の人でジャクソン・ブラウンさんやボブ・ウィアーさんらとの共演から始まった人なので、 ロジャーとジョナサンが繋がるとはちょっと吃驚でした。。

だけどライヴ観てみたら ロジャーの声とジョナサンの声も近いし、 ギルモアの歌い方にも似てますしね、、 それに今回はもう、 あのスペクタクルなプロジェクションマッピングと映像のメッセージが特に重要なので、 ジョナサンの主張し過ぎないヴォーカルとギターがちょうど良かったのかもしれません。

Wish You Were Here のイントロのアコギ、、めちゃ緊張してジョナサン弾いてましたね(笑 、、あれは誰でも緊張するんでしょう。。 In The Flesh で、ドイルがエレキでイントロを弾いて顰蹙買ってましたけど、、 どう弾いても文句が出るんだからいいんだよ、、みたいな事 確かロジャーも言っていたような気がするし。。


兎に角、、 プロジェクションマッピングとロジャーのメッセージを的確に伝える映画の編集は見事だったと思います。 Comfortably Numb をばっさり切ったのも英断。 快楽に身をゆだねている状況では無い、という今の地球の危機的状況…



(帰り道の街角といっしょに映画のステッカー撮ってみた)


、、 痩せた老人になったロジャー(76歳)が 腕を振りかざして息巻く姿を見ながら、 この世代の人たちがもうすぐいなくなってしまったら、、 世の中に物申す人たちはだんだん少なくなっていってしまうのかな、、と そんなことも考えていました。。

、、すくなくとも プラゴミのポイ捨てになるようなドリンクは飲まない。。 消費、、消費と言うけれど これからはちいさく生きる、、 自分としては。。 



そんな私は もうすぐU2です。