星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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動作 / ジュール・シュペルヴィエル

2010-08-26 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
シュペルヴィエルの短編「ノアの方舟」の、 〈泳ぐ男〉についての話はずっと前に書きましたが、、(>>

私が 一番最初にシュペルヴィエルに出会ったのは、、どうやら 14歳ごろの事のようです。 それは、、 古今東西のたくさんの詩人の作品を集めた本の中にはいっていた、、 次の 「動作」という詩でした。

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  「動作」 (安藤元雄訳)

その馬はうしろを振り向いて
誰もまだ見たことのないものを見た。


、、、 と始まる四連の詩です。 、、全文を載せるのは気が引けるので止します。 、、この馬が 振り向いて「見た」ものとは、、、

14歳のこどもには難しかったようで、 ランボーやヴェルレーヌなどのように、 その詩人の詩集を読んでみようとまでは思わなかったのでしょうが、、 それから30年ちかくも経って、 シュペルヴィエルの短編集を読み、 シュペルヴィエルが詩人だとわかった時、、 

(シュペルヴィエル、、、あ、、 馬の詩を書いた人かも、、) と思い立って、 古ぼけた訳詩集を開いたら やっぱりそうでした。 こども心に 理解は出来なくても、 この詩のイメージさせるものは 深く沁み込んでいたみたいです。

 ***

馬が見たものは、、、

「二万世紀もの昔のこと」 、、、 「もう一頭の或る馬が」見たもの、、、

、、、 それを読むと、 宇宙的な時間の流れと反復 を感じます。。 けれど、、 それは、

世界が 「彫像の残骸に過ぎなくなるときまで」 二度と見ない もの。。。 


だという。

、、、 だとすると、、 二万世紀昔の もう一頭の或る馬 って、、、 


〈円環〉的な意味をもつものなのかな、、、 とか、、 

今は 思う。。。



人間と人間以外のもの、、 生けるものと今はもうそうではないもの、、 魂と現身(うつしみ)、、 そういった、、 本来なら通い合うことの出来ないもの同士、、 結びあえることの出来ないものたち、、の 

そんなものたちの 〈想い〉を描くことが出来る作家さんなのかもしれない。。と 今はシュペルヴィエルをそう感じています。 それだから惹かれるのだと。。。

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シュペルヴィエルの詩を初めて読んだ 『若き日の詩集』 集英社コバルトシリーズ。 (当時の値段 200円!)  カットは 漫画家の大島弓子さん。  、、、絶版になって久しいけれど、、 取り上げられている詩人は じつに90名、、、 タゴールも、 西脇順三郎も、、 みんなこの本でおぼえました。 、、 中学生になる姪っ子に詩集を贈ろうと思ったけれど、、 これ以上の本はもう見つけられないです。。。

 

ロンドン漱石記念館に、

2010-08-20 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
漱石の銅像ができた、、と 今朝の新聞に載っていましたね。(asahi.com>>) 110年前に英国留学をしていた、 〈イケメン漱石〉の像、、だそうです(笑)

、、で、 その話はちょっと置いて、、

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そもそもは、、『怪奇幻想の文学〈6〉啓示と奇蹟』 (新人物往来社・1979年) という本を図書館から借り、、 これは短編小説集なのですが、 この中の面白い作品のことをちょっと書こうかな、、 と 思っていて、、、 では書籍の情報をリンクしよう、と Amazonを見てみたらば、、、

古書にとんでもないお値段がついていた。。。(うっわぁ、、驚!)

『怪奇幻想の文学〈6〉啓示と奇蹟』 (Amazon.co.jp) 定価1200円

30年以上も前の本ではありますが、、、 これでは誰も読めないぢやないか。。。(泣) ちなみに、 この本の解説をしているのは、 故英文学者の由良君美先生なのですが、、 由良さんの本をためしにあたってみた。。。

『椿説泰西浪曼派文学談義 増補版』 (青土社・1983年) Amazon.com 定価1800円

由良さんといえば、 英文学の中でも 幻想・怪奇文学の紹介者として、、 仏文学の澁澤龍彦さん、独文学の種村季弘さん、と並ぶ博覧強記の方。 澁澤本は、 今でも文庫などで若い人もたくさん読むと思うけれど、、 英文学にはあまりに絶版が多すぎる。。

、、と 愚痴っても仕方ないので、、 古書に何万円もお金の掛けられない私たち、 もっと公共図書館を利用しましょう! 絶版書だって立派に書庫に眠ってます。。 (ほんとに眠ってるのが 哀しい、、) 近隣の図書館に無くても、 国会図書館や都立図書館からだって取り寄せられますもの。

さて、 『椿説泰西浪曼派文学談義 増補版』の目次は
 
類比の森の殺人
夢のフーガ
衆魔と夢魔
四元素詩学
自然状態の神話
サスケハナ計画
ランターズ談義
ベーメとブレイク
啓示とユートピア
ゴヤとワーズワス
幻想の地下水脈
ヘルマフロディトスの詩学
ミミズク舌代
悪夢の画家
イギリス絵画漫歩
伝奇と狂気
ゴシック風土
ヴィクトリア時代の夜
ロマン派音楽談義

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由良さんの本はとても手に入りにくいので、、 その直系のお弟子さんである 高山宏先生(wikiがあった>>)の 「超」面白い 「超」英文学の本を。 これなら今でも入手できるでしょ。。。

文学が、 科学や 産業技術や 美術や 交通や 娯楽etc と同じ地平のものである、、という、 本当に当り前と言えばあたりまえの、、 でも ほとんどの学校の先生は誰も教えてくれなかった事を 目からウロコ状態にさせてくれる講義です。

、、で、 冒頭の話に繋がりますが、 110年前に漱石がロンドンへ留学して、 地下鉄も、 劇場も、 美術館も、 自転車も、 公害も、、 明治の日本と違うなにもかもに吃驚して、、 これでは文学書ばかり読んでいたって ブンガクはわからん! と思い知った、、という その事とおんなじ話なのです。  

『奇想天外・英文学講義―シェイクスピアから「ホームズ」へ』  (講談社選書メチエ・2000年)

目次
第1章 シェイクスピア・リヴァイヴァル
  アンビギュイティ/エリザベス朝と一九二〇年と一九六〇年代は似ている/表象と近代
第2章 マニエリスム - 驚異と断裂の美学
  薔薇十字団/絵と文字の関係
第3章 「ファクト」と百科 - ロビンソン・クルーソーのリアリズム
  だれも知らない王立協会/断面図とアルファベット順
第4章 蛇行と脱線 - ピクチャレクスと見ることの快
  「見る」快楽/造園術
第5章 「卓」越するメディア - 博物学と観相術
  手紙と日記と個室/テーブルと博物学/観相術の流行/デパートの話をばちょっと
第6章 「こころ」のマジック世紀末 - 推理王ホームズとオカルト
  レンズとリアリズム/オカルティズムへ
第7章 子供部屋の怪物たち - ロマン派と見世物
  幻視者キャロル/怪物学とグロテスク
エピローグ - 光のパラダイム

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上記の本を、 主に その時代の〈視覚〉の発明・発見と文学の関係 を中心に詳説したのがこちら。 話は17世紀から19世紀末に亙ります。

『目の中の劇場―アリス狩り II 』 (青土社・1995年) 定価3600円

目次
星のない劇場
王権神綬のドラマトゥルギー -遠近法の政治学
目の中の劇場 -ゴシック的視覚の観念史
庭の畸型学 -凸面鏡の中の〈近代〉の自画像
迷宮の言語都市 -アンチ・ピクチュアレスクの一形式
光学の都の反光学 -ディケンズとザ・ピクチュアレスク
〈視〉に淫す -ヘンリー・ジェイムズの〈窓〉
死の資本主義 -マガザン・ド・デーユ周辺
悪魔のルナパーク

、、貴重な図版や 参考文献の紹介もどっさり。 数ある高山センセイの本の中でも 一番お世話になった本です。 、、とは言え、 こちらも入手困難ですから、 文庫本で出たこちら↓が、 ほぼ内容的に重なっているのではないかと思われます。(私は未読ですが)

『近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

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夏目漱石が ウォルポールやベックフォード、 アラン・ポーといった幻想怪奇小説を結構好きだったというのは、 今ではわりと知られていますし、 上記『目の中の~』の最後に 〈ルナパーク〉 とありますが、 〈遊園地〉、、 つまり 劇場や、 水族館や、 博覧会みたいなものも含めた意味での娯楽施設で余暇を楽しむことに、 19世紀末のロンドン市民は夢中になったわけですが、 そういうのも漱石の 『虞美人草』に出てきますよね。

、、、 というわけで、 最終的には 国民的作家 漱石先生に戻って来ました。 目からウロコの英文学史に触れたら、 漱石作品を読みなおしてみては、、? 

きっと 目からウロコ、、だと思います。
 


妖精本

2010-08-12 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
このところ、 またふつふつと本を読みたい熱が高まっていて、、 ずっとおざなりの本の話もたまには書いていこうか、、と。 、、と言うものの、 ちゃんと読書記とか書こうとすると結構時間がかかるので 写真でごまかしてしまおう。。。



私は妖精さんの姿は 見たことはありません。。 けど、、 街を歩いていて 自分にまとわりつくようについてくる揚羽蝶や、 足元でからからと渦を巻く枯葉の輪舞を見た時などには、 妖精さんに出会ったと思う事にしています。 あと、、 家の中で パキーン!と物音が鳴ったり、 光が走ったり、、ね、、 ポルターガイスト現象て言うんでしたっけ? 、、 他にいわゆる「虫の知らせ」、、というような事には何度も遭遇してるし。。。

なんて書くと、 なんだかオカルティックな人間のように思われるかもしれないですけれど、 偶然なら偶然でよし、、 日本的に言えばご先祖さまの霊の仕業でもよし、、 ケルト風に言えば妖精さんの手伝いでもよし、、 不可思議な体験は不可思議のままに。。。

それに、 妖精さんの登場する物語があることだけで世界が豊かになりますもの。 、、
一番最初に出会った妖精の種族は、 たぶんムーミントロールですけど、 誰もムーミンが妖精だなんて考えてなかったですよね、、 それから やっぱり「指輪物語」。 私は、 翅の生えたシェイクスピア風のフェアリーよりも、 森を音も無く駆け回る長身のエルフに惹かれますが、、(レゴラスのような)エルフの概念って、 トールキンが完成させたもので、 ケルトの伝承や、北欧神話などの中には あのような人間の美しい部分だけを凝縮したような「エルフ」って、 じつはあんまりいないんだと知った時にはちょっと しゅん、、でした。
 

イギリスの妖精―フォークロアと文学/キャサリン・ブリッグズ著 石井美樹子・山内玲子訳 筑摩書房

妖精 Who’s Who/キャサリン・ブリッグズ著 井村君江訳 ちくま文庫

ケルトの薄明/ウィリアム・バトラー イエイツ著 井村君江訳 ちくま文庫

ケルト幻想物語/ウィリアム・バトラー イエイツ編 井村君江訳 ちくま文庫

隊を組んで歩く妖精達―其他/ウィリアム・バトラー イエイツ編 山宮允訳 岩波文庫

少しだけ読むなら、 いろんな妖精の種類を絵つきで解説した『妖精 Who’s Who』と、 イエイツ先生が詩的な言葉でケルトの不思議な伝承や妖精たちへの想いをつづった『ケルトの薄明』がおすすめ。

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文学とは、 象徴と出来事という道具を用いて、 そのときの情緒を表現することではないだろうか。 この荒廃した現世と同様に、 天国や地獄、 煉獄や妖精の国を表現するために必要とするのは、 情緒ではないだろうか。 いや、 あえて天国や地獄、 煉獄や妖精の国を一緒に混ぜてしまおうとしたり、 怪物の頭を人間の体につけようとしたり、 人間の霊魂を岩の中心部に入れようとする人がいなければ、 表現が見出せないのも情緒なのではないだろうか。 話の語り部よ、 心が望む餌食はなんであれ捕らえて、 恐れずに続けていって欲しい。 すべてのものは存在するのだし、 すべてのものは真実なのだ、 この地上はわれわれの足の下の小な塵に過ぎないのだ。
         (『ケルトの薄明』1話の語り手 より)

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イエイツ先生の言葉のとおりだと思います。 、、だから、 鬼太郎の妖怪たちも可愛いし、 エイリアンだって、 ドラゴンだって、、 ゾンビだって(笑)、、 好きです。

、、この秋は 『指輪物語』10巻、、 もう一度読もうと思います。 、、あぁ、、エルフになりたい。。。 ならずとも、、 エルフに 逢いたい。。


オシァン―ケルト民族の古歌/ 中村徳三郎訳 岩波文庫
、、 一緒に写ってしまった『オシアン』は妖精物語ではありませぬ。 ケルト伝承(アイルランド&スコットランド )のバラッド。 フィン王一族(その子オシアン王子)の戦いの叙事詩、、ですね。 、、これ、 古本で買ったきり未読。 また読んだら書きましょう。