星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

雨上がりの

2002-09-29 | …まつわる日もいろいろ
日曜の朝、珈琲を飲みながら・・のお話。

夏の終わりのこと、とある古いホテルのカフェで人と待ち合わせました。1席しか空いてなかったのでそこで待ったのですが、隣に、セルジュ・ゲンズブールが・・(笑)

煙草と酒と珈琲だけで生きている様な、不摂生の賜物のようなちょっとくたびれた身体。おそらく寝室からそのまま出てきたらしい短パン姿で、脛毛の脚をテーブルの外へ堂々と拡げて・・寝乱れた髪、新聞、ぱんぱんに膨らんだ手帖・・ジャーナリストの典型のような人。逆隣の一角ではどこかのエライ教授か作家先生かに話をする、敬語だらけの会話が聞こえきて、そのコントラストが妙に可笑しくて。。新聞につぎつぎと目を通しながら、休む間もなく煙草に火をつけるチェーンスモーカー、、でも気に入ったのが百円ライターなんかで点けずにホテルの紙マッチをシュバッっと。柔らかなカフェの照明には、火の色が似合いますね、そして漂ってくる燐の香り。

自分で煙草を喫わないのでよくわからないけれど、私は煙草の先から漂う辛い煙が大嫌い。歩きながら前にくわえ煙草の人がいたりするととてもイヤです。でも、煙草って昔風の強い煙草ほどツンとくる匂いが少ないように思うのですが、ちがうかな・・?両切り煙草なんて喫っている人、今でもいるのでしょうか。。おじいちゃんの部屋の懐かしいキセル箱を思い出しました。缶の中のきざみ煙草の匂いは、、、とても好きだった。

・・・チェーンスモーカー氏の煙草の銘柄を覗き見するのは、ついに出来なかったのよ。

先人をおもうとき

2002-09-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
大人の女性、というものが少なくなったという気がします。もっとも昔に較べて人間の寿命から考えたら、現代人は30歳くらいでようやく成人というわけで、30代の女性などまだ成熟には程遠いのかもしれませんが・・。仮面ライダーを見る子供よりお母さんの歓声がもの凄いという話も、べつにそれも構わないでしょう、恋をするのは自由だし。。でも少女みたいにはしゃぐひと時とまるで違う顔を大人の女性なら持っているはず。いいえむしろ逆かも。。仕事が出来て近寄りがたいほどきりっとした女の人が、少女みたいな顔を見せる。ただそれは特定の人の前でだけ・・その人にそんな別の顔があることを誰にも気づかせない。気づかせない事は礼儀でもあり、美徳でもある。

向田邦子さんのエッセイはとても好きだったし、大人の女性として素敵な人だと思ってもいた。けれども去年、向田さんの遺品から隠された恋文が発見されたと新聞か何かに載った時、すぐに発表すべきものではない、と考えた。突然の飛行機事故で、自分の身辺整理も全く出来ていない状況で遺されたその手紙の類は、もし彼女自身が生きていたら現在でも私たちの目に触れることは無いだろう。臓器の提供と同じと言ってもいい。故人の意思が確認出来ない物は、他者に提供されるべきものではない。・・そう考えるから、向田さんの秘めた愛は美しいと思っても読む気は無いです、少なくとも今は。

ボリス・ヴィアンは最初の妻ミシェールとの間に子供もいたけれど離婚した。その原因はもともとサルトルの信奉者だったミシェールとサルトルが深い仲になったことだと言われた。ヴィアンは作品中でも頻繁にサルトルを揶揄する表現をしているし、私生活の影に焦点を当てたらヴィアンの作品は全く異なる解釈になる可能性もあるし、だから多くの批評家や読者がと3人の関係への興味を抱いていると思われるけれど、批評家は口をつぐんでいるらしい。ヴィアンの死から43年。向田さんが亡くなって21年。作家や作品という定義、恋愛とプライバシーというものに対する個人的関心の微妙な差を感じます。

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こんなことを書いてるからといって不機嫌な日曜日を過ごしていたわけではないんですよ。
昨日、街でスナフキンの木製人形を見つけたら(売り物ではなかった)、とてもとてもスナフキンに会いたくなりました。彼の後をずっと付いて歩いて森や自然の智恵とかね、ギターの弾き語りとかね、聞かせて欲しいなあ。それで、「ねえ君、そろそろ独りにしてくれないかな」とうるさがられるの(笑)。

   いま青春の終りにおいて、私の生命は一つの果実のようだ、
   惜しむべき何物も持たず、
   その美味と蓄えごと、残りなく身をささげようと待っている。

これはタゴールの詩の一節ですが、インドのタゴールの詩も、フィンランドのムーミンも、日本への大事な紹介者は山室静さんだったと気づいた時には不思議でした。私たちの世代では1906年生まれの山室さんを知ることはほとんど無く、山室静全集は図書館でも書庫の蔵書になっていましたが、なんだか歩いていく道がどこかでいつも山室さんの仕事に繋がっている、不思議。。

ZIGGY15周年LIVE

2002-09-10 | LIVEにまつわるあれこれ
大事な日曜日はちゃんと晴れました。「てるてる坊主作っとくよ!」ってメールが嬉しかったなあ。いつぞやに予告した、宮脇JOE知史さんのドラム、聴いて来ました。ZIGGYの15周年LIVEです、おめでとうございます♪ それにしても凄かった、マシンガンは機械だけど、JOEさんは人間(たぶん)・・ヘドバンしてたら気を失いそうな最速ビートも凄かったけど(笑)私はスローナンバーの時の本当に完璧で、たまに入るマーチングドラムみたいなのや、フレーズの最後の叩き方とか、凄く凄く好きです。森重さんのVoも少しブルージィな時が大好き。

JOEさんのコメントで初めて知りましたが、JOEさんて44magnumの人だったのね(←気づくの遅い)。昔も今もメタルは全然詳しくないけど80年代の評判は物凄かったですよね。JOEさん今も少年みたいに素敵ですが、初参加はまだ高校生だったとか。。三国さんのソロで一目(一耳)惚れしたその方がそんなに凄いドラマーだったなんて、でもかなり嬉しかったです。素敵なLIVEでした。

souvenir from dream

2002-09-07 | LIVEにまつわるあれこれ
お友達からのビデオのお陰であの日のパティに再会です。
少しばかり夏の疲れを感じていたせい? それとも秋の気配のせい? どんなに自分が幸せだったか、本当に魔法みたいなFujiまでの日々だったと思い返して泣き笑い。。AVALONの映像は流れなかったので(安心して)告白すると、最前列の私たちに(もちろん私たちだけでなく)パティは本当に親しげに何度も微笑みかけました(マーキーの映像でも、パティは観客に同じ笑顔を向けていますね、本当に少女のように)。どんな顔をしてそれに応えたらいいのか、、パティのひと言ひと言に、(ちゃんと伝わっていますよ)と大きく相槌をうつことしか出来なかったな。

・・マーキー終了後、片付けられていくステージにずっと声を張り上げていたお兄ちゃんは「昨日、レニーに会ったんだよ!」と言って、サインを見せてくれました。・・レニーはステージを降りる時、仏教徒のように胸の前で両手を合わせて観客に一礼します。・・トニーは一体何が入っているのかベースを置くと観客をぐるっと見回して、それが合図かのように肩掛け袋(靴袋みたいな)をひょいと背負って去っていきました。TVの凝縮版では1,2曲が限度だから仕方ないけれど、脳にインプットされた映像をもう一度取り出して見れるなら『夢の涯てまでも』の映画のようにずっとずっとそれを見ていたいと思うだろう。それが出来ないから体験は私の一部になって、それだからまた先へ行ける。

テレヴィジョンのトムは、かつてのインタビューで、15年も20年も前の歌を今うたうなんて考えられない、それはもう過去のものなんだ、という意味の発言をしてた。歌の無いインストゥルメンタルを出した頃のこと。だから昨年、オール・トゥモローズ・パーティーへ予告なく出演したと聞いて驚いて、一夜のイベントと思いきや、それからいくつかのフェスで演奏し、今年はボウイがメインを務めた英国のフェスへも。。誰かトムにその辺の所、聞いてくれないかしら・・だけど、彼の心変わり(?)のお陰で「夢からの贈り物」がいただけたのだけど。。

・・最近また、えっ・・?って思うようなCDを見つちゃってね。その話はまたいずれ。

9月になりました。雪の消えない山顛の空を、あなたに。

2002-09-02 | …まつわる日もいろいろ
お休みしたら働け、とばかりにここ数日、どうにかなりそうな日々でした。朝、図書館へ行ってレポ用の本を探し、会社へ行ってミーティングをし、派遣先で仕事をし、夜帰ってレポート書き、、でも今日はやっと、、、掃除(笑)いえ今は「transformer」聴いてます。

森の中で・・・何に出会ったの?と言うのはニホンザルの親子(兄弟?)でした。誰もいない森を行くと、目の高さの枝につかまって朝ごはん中。ちょっと大きな方は上へ登り始めたけど、ちびちゃんはつぶらな瞳でこちらを見てる。こちらも通り道なので親愛の情をこめて近づいていった所、ゴン!と私の靴に命中したのは上から投げられた齧りかけの木の実。。ゴメンよ~、と謝りつつ逃げましたが頭にぶつけられなかったのはたまたまか、モンキーさんの優しさか。。。グレーの毛並みがとっても綺麗でした。

・・「ワイルドサイドを歩け」を聴きつつ・・。あ、そうだ。去年、wavesでご紹介した小説『コールドマウンテン』が映画化されます。戦場を離れ、ただひたすら故郷の山をめざすのは、ジュード・ロウだそうです。きっと素敵な映画になることでしょうね。